2017年9月18日月曜日

再生核研究所声明 383 (2017.9.18):  人間の精神の高まりについての視点

再生核研究所声明 383 (2017.9.18)  人間の精神の高まりについての視点

題名の正確な意味の表現は難しい。そこで、具体的な例を挙げて意図していることをより明らかにしよう。
小学生時代を回想しよう。 低学年ではどんどん世界が広がっていくようで、知識も情報も世界も段々、どんどん広がりどんどん世界が見えるようになっていくと感じられるだろう。 それと同時に 過去の自分の様、様子が良く見える、分かる様に感じられるだろう。 このような現象は、登山でどんどん登って行くと視野が開けて、辿ってきた様、情景がすっかり見え全体の様子が分かるような経験にもみられる。このような事は旅行で ある小さな町を訪れ、滞在しているにつれて 町全体の様子が段々分かってきて、町全体をあるイメージで捉えられるようになるだろう。最初の段階で戸惑っていた自分を知ることが出来るだろう。これらの現象は様様の研究や学問、芸術、修業等についてもみられるといえる。― ある意味での進化である。 ここでは、そのような現象を、登山の例から 人間精神の高まりと表現した。正確な表現は心の問題であるから難しい。大きな特徴は段々今までの状況を含むような形で、知識や情報が拡大して、心も質的に変化して以前の状況をより広い視点から捉えられるように成長、進んでいることである。
人生とは何か、人間とは何かの基本的な 方向として、この意味における人間の精神の高まりがあると考えられる。逆に考えてみれば、知識や情報が拡大し、精神の高まりがなければ、必ず、停滞、退屈になり、そのような生活には飽きて、生き生きした人生にはならないのではないだろうか。人間、生物的な 本能的な欲求がある程度満たされれば、必ず、情報や知識を欲求し、やがて神の意思を知りたいという真智への愛に至るのではないだろうか。 この過程にみられる、人間の精神の高まり の様子、 状況に関心を持つ。 
人間は真理を追究し、情報、知識の増大方向で進むが どんどん山頂を目指して進む時、 我々の精神全体はどのように変化していくであろうか、人間とはどのように成長していくであろうか。 数学界の天才、ニュートンとライプニッツは 生涯微積分学の発見の先駆者たるを主張して、裁判闘争を続けていたという、お粗末とも言える、事実が存在する。他方、精神の高まりを象徴する用語として、人物たる人物、人格者、覚者、賢人、悟りの境地、聖人などの理想を表す概念が存在する。― 人類自身、全体があたかも子供たちである様に見えてしまう進化した人間を想定すると慄然とするだろう。人生、世界、人類さえみえてしまう者の存在、思い当たる人として お釈迦様などが考えられよう。
ゼロ除算の発見で、人生とはゼロから始まり、何かが拡大を続け、やがて突然にゼロに帰すると表現した。この拡大は 正確には何を意味するであろうか。知識や情報、経験の増大は基本的であるが、覚性度なども気になる要素ではないだろうか。どんどん気づき、世界がどんどん見えてくる面である。
人生、精神的な高まりを通して成人を迎え、円熟期を迎えるが、人間の成長の理想的な境地とは何であろうか。知識を沢山集めてものしりになったり、どんどん発見や発明を続けていけば良いのだろうか。沢山良いものを発見したり、発明していけば良いのだろうか。
人間とは どのように作られているのかと 問う。― 人間存在の意義を求めている。

ある山頂に達して、人生、世界とは そのようなものであるとの見識に達した時、その心情のいろいろな在り様と いろいろな差は どのように解釈されるべきであろうか?
良き、人間とは、人生とはどのようなものであろうか?
― しかしながら、人生における基本定理、 人生の意義は感動することにある はそのような思考の基本になるのではないだろうか。
以 上

2017.9.16.14:55
2017.9.16.21:21 台風が近づいて来る。
2017.9.17.06:10 台風の余波
2017.9.17.09:45 散歩の後
2017.9.17.18:34
2017.9.18.06:00 台風一過の晴天の朝 難しいことに触れている。
2017,9.18.08:37 晴れ暑くなってくる、昨日は寒い程であった。 一応完成、公表とする。

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