1300年の古代ロマン!高崎市「上野三碑」は世界記憶遺産候補 ユネスコの三大遺産事業の一つが世界記憶遺産。「世界的に後世に伝えることが重要な文書」を保全・公開する事業で、ベートーベン自筆の第9の楽譜やアンネの日記など世界で348件が登録されています。
そうした中、2017年の登録を目指して国内候補となったのが群馬県高崎市の「上野三碑」。国内では特別史跡に指定されている貴重な文化財です。登録後の喧騒の前に貴重な文化財をご紹介しておきましょう。
上野三碑とは?
平安時代以前の石碑で現存する石碑は、日本全国は18基しかありません。
その内の3基が、群馬県にある「山上碑」(681年)、「多胡碑」(711年頃)、「金井沢碑」(726年)です。
この三碑は、群馬県高崎市の半径約1.5km以内に集中し、更に前後50年の間に建立された全国でも稀有な石碑です。現在の群馬県が当時上野国と呼ばれていたことから「上野三碑」と命名され、すべて国の特別史跡に指定されています。
その内の3基が、群馬県にある「山上碑」(681年)、「多胡碑」(711年頃)、「金井沢碑」(726年)です。
この三碑は、群馬県高崎市の半径約1.5km以内に集中し、更に前後50年の間に建立された全国でも稀有な石碑です。現在の群馬県が当時上野国と呼ばれていたことから「上野三碑」と命名され、すべて国の特別史跡に指定されています。
まずはここから「多胡碑記念館」
上野三碑を理解する施設が「多胡碑記念館」で、上信電鉄吉井駅から徒歩約30分の高崎市吉井町の"吉井いしぶみの里公園"にあります。
公園内には記念館の他、移築復元された2基の古墳と古代蓮の池、様々な歌碑が建立されています。また公園内の石垣には多胡碑に刻まれた漢字があちこちにあしらわれているので探してみてください。
公園内には記念館の他、移築復元された2基の古墳と古代蓮の池、様々な歌碑が建立されています。また公園内の石垣には多胡碑に刻まれた漢字があちこちにあしらわれているので探してみてください。
記念館は多胡碑の記念館として設立されましたが、現在は多胡碑のみならず三碑に関する展示や資料がありますので、最初に訪れるのをおススメします。また古代中国を始めとした様々な文字の拓本などもありますので、書道史としても必見です。
記念館には、貴重な資料がたくさんありますので、じっくり見学して下さい。
そして是非試して頂きたいのが拓本体験で、多胡碑に刻まれた漢字を記念に持ち帰れます。
悠久の歴史に浸って下さいね。
そして是非試して頂きたいのが拓本体験で、多胡碑に刻まれた漢字を記念に持ち帰れます。
悠久の歴史に浸って下さいね。
1300年前の世情を知る「多胡碑」
三碑の最初の「多胡碑」は、吉井いしぶみの里公園に隣接した場所にあり、この一角は国の特別史跡に指定されています。多胡碑は保存管理の為に立派な覆屋の中にありますが、ガラス越しに実物を見ることができます。
多胡碑は、上野国(現在の群馬県)の14番目の郡として、奈良時代初めの和銅4(711)年に多胡郡が作られたことを記念して建てられた石碑です。渡来人と思われる"羊"と云われる人が初代の郡長官になったと碑に刻まれおり、藤原鎌足の子、藤原不比等などの署名があることから、多胡郡が東日本での重要な拠点であることを物語っています。
更に注目すべきことは、18世紀中国の楷書辞典である「楷法溯源」に多胡碑碑文から39字が手本として採用された、書道史としても実に貴重な碑なのです。
更に注目すべきことは、18世紀中国の楷書辞典である「楷法溯源」に多胡碑碑文から39字が手本として採用された、書道史としても実に貴重な碑なのです。
そして多胡碑の周辺には、最初に多胡碑他三碑の保存を指示した初代群馬県令・楫取素彦の歌碑や、英雄・羊太夫伝説の「羊さまの榎」がありますので、周辺の散策も楽しんで下さい。
完全形では日本最古の「山上碑」
「山上碑」は、上信電鉄線山上駅から徒歩約20分の山里です。山里と云っても宅地の先で、舗装された道路ですので気候の良い日はのんびり歩くのも良いでしょう。
現在、世界記憶遺産登録を目指していることから駐車場も整備され、僅かながらの未舗装部分も遊歩道が整備されていますので、見学も非常に楽です。
現在、世界記憶遺産登録を目指していることから駐車場も整備され、僅かながらの未舗装部分も遊歩道が整備されていますので、見学も非常に楽です。
遊歩道を上がるとやがて見えてくるのが、覆屋と古墳です。
「山上碑」は飛鳥時代の681年に建立されたもので、これより古い石碑は京都の宇治橋断碑しかありません。しかし、宇治橋断碑は文字通り石碑の断片ですので、完全な形で残っている石碑としては日本最古のものです。東国では当時最古級の放光寺の僧・長利が母の為に供養した墓誌で、母と自分の系譜を記して顕彰したのです。
そして横にある古墳は約15mの円墳で、僧・長利の母方の祖父の墓として造られ、後に母も追葬されたと考えられています。
「山上碑」は飛鳥時代の681年に建立されたもので、これより古い石碑は京都の宇治橋断碑しかありません。しかし、宇治橋断碑は文字通り石碑の断片ですので、完全な形で残っている石碑としては日本最古のものです。東国では当時最古級の放光寺の僧・長利が母の為に供養した墓誌で、母と自分の系譜を記して顕彰したのです。
そして横にある古墳は約15mの円墳で、僧・長利の母方の祖父の墓として造られ、後に母も追葬されたと考えられています。
この山上碑は史料としても大変貴重なものですが、注目はその碑文です。
碑に刻まれた4行53文字は、まだ「てにおは」が完成していない時期に、現在の日本語の語順で漢字を並べた史部流という表現方法が使われています。漢文から日本語への変遷の歴史が垣間見られる一級の文化財です。
碑に刻まれた4行53文字は、まだ「てにおは」が完成していない時期に、現在の日本語の語順で漢字を並べた史部流という表現方法が使われています。漢文から日本語への変遷の歴史が垣間見られる一級の文化財です。
群馬県名のルーツを記す「金井沢碑」
「金井沢碑」は、山上碑の最寄り駅から駅一つ離れた上信電鉄根小屋駅から徒歩10分の場所にあります。
電車で移動するのも良いですが、金井沢碑と山上碑は約5kmほどの距離で、この間は万葉和歌を詠んだ碑が建つハイキングルート「石碑の道」として整備されていますので散策するのも良いでしょう。
電車で移動するのも良いですが、金井沢碑と山上碑は約5kmほどの距離で、この間は万葉和歌を詠んだ碑が建つハイキングルート「石碑の道」として整備されていますので散策するのも良いでしょう。
こちらもかなり立派な覆屋で保存されています。
「金井沢碑」は、神亀3(726)年に建てられた石碑で、山上碑に記された有力豪族の末裔が建立しました。当時としては最新の文化である仏教思想によって先祖の供養、一族の繁栄を祈願したもので、特に家族の中の女性の力が強かったことを物語っています。
「金井沢碑」は、神亀3(726)年に建てられた石碑で、山上碑に記された有力豪族の末裔が建立しました。当時としては最新の文化である仏教思想によって先祖の供養、一族の繁栄を祈願したもので、特に家族の中の女性の力が強かったことを物語っています。
碑には9行112文字が刻まれており、冒頭の「上野国群馬郡下賛郷高田里」の記述が、当時の行政制度を確認することができる貴重な文献です。特に碑文にある"群馬"の文字は、県内では最古の事例で、群馬県名のルーツを知る重要な資料でもあるのです。
「上野三碑」1300年の浪漫を120%楽しむ方法
高崎市では現在、世界記憶遺産登録に向けてインフラの整備が急ピッチで進められています。
前述したように整備されていなかった山上碑と金井沢碑の散策路を木道の遊歩道に作り替え、トイレや駐車場も設置しています。
鉄道関係では、最寄り駅から歩くには遠すぎる多胡碑の近くに新駅を作る構想もあり、これから更に利便性が良くなって行くはずです。
こうしたインフラ整備に伴い遊び方も多彩になります。
大きな特徴は三碑が上信電鉄沿線の近距離に集まっていることで、ドライブ以外に、電車、サイクリング、ウォーキングと移動手段に応じた遊び方が可能になります。そして上信電鉄は群馬県の玄関口高崎駅が始発なので、高崎白衣大観音などの市街観光と合わせることもできます。また、三碑の最寄り駅の先には世界遺産「富岡製糸場」の最寄り駅上信電鉄上州富岡駅がありますので、世界遺産・世界記憶遺産のハシゴも可能です。
1300年の浪漫を語る「上野三碑」のこれからに目が離せませんね。
※2017年世界記憶遺産候補は「上野三碑」と外交官の故杉原千畝氏がユダヤ人に発給した「命のビザ」です。
前述したように整備されていなかった山上碑と金井沢碑の散策路を木道の遊歩道に作り替え、トイレや駐車場も設置しています。
鉄道関係では、最寄り駅から歩くには遠すぎる多胡碑の近くに新駅を作る構想もあり、これから更に利便性が良くなって行くはずです。
こうしたインフラ整備に伴い遊び方も多彩になります。
大きな特徴は三碑が上信電鉄沿線の近距離に集まっていることで、ドライブ以外に、電車、サイクリング、ウォーキングと移動手段に応じた遊び方が可能になります。そして上信電鉄は群馬県の玄関口高崎駅が始発なので、高崎白衣大観音などの市街観光と合わせることもできます。また、三碑の最寄り駅の先には世界遺産「富岡製糸場」の最寄り駅上信電鉄上州富岡駅がありますので、世界遺産・世界記憶遺産のハシゴも可能です。
1300年の浪漫を語る「上野三碑」のこれからに目が離せませんね。
※2017年世界記憶遺産候補は「上野三碑」と外交官の故杉原千畝氏がユダヤ人に発給した「命のビザ」です。
■関連MEMO
上野三碑
https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/
多胡碑記念館
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121900164/
上野三碑
https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/
多胡碑記念館
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121900164/
【トラベルjpナビゲーター】
Naoyuki 金井
Naoyuki 金井
興味深く読みました:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdfDOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
再生核研究所声明296(2016.05.06) ゼロ除算の混乱
ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:
再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める
我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。
以 上
考えてはいけないことが、考えられるようになった。
説明できないことが説明できることになった。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f 割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している、好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
以 上
文献:
Castro, L.P.; Saitoh, S. Fractional functions and their representations. Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では
無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
明治5年(1872)
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
0を引いても引いたことにならないから:
君に0円の月給を永遠に払いますから心配しないでください:
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
(2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)
ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。
多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。
ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると
矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。
原理は日本語の表現にあるという、掛け算は 足し算で定義され、割り算は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。
実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて計算され、定義もできる。
割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるかと考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じに定義される。
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、
100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)
同様に0割る0は ゼロであること0/0=0が簡単に分かる。
上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受けいれられるであろうか?
いずれにしても、ゼロ除算z/0=0は 既に数学的に確定している と考えられる。そこで、結果の 世への影響 に関心が移っている。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
0 件のコメント:
コメントを投稿