2015年5月25日月曜日

習主席、日本の3000人訪中団との交流式典で演説=「日中両国は平和発展を促し、世代友好を図り、アジアと世界の平和に貢献」―中国メディア

習主席、日本の3000人訪中団との交流式典で演説=「日中両国は平和発展を促し、世代友好を図り、アジアと世界の平和に貢献」―中国メディア
2015年5月24日 12時54分 Record China
23日、中国の習近平国家主席は、北京市内の人民大会堂で開いた「中日友好交流大会」で演説し、「両国は平和発展を促し、世代友好を図り、アジアと世界の平和に貢献していこう」と強調した。写真は日本の訪中団と面会する習主席。
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2015年5月23日、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は、北京市内の人民大会堂で開いた「中日友好交流大会」で演説し、「中日双方は歴史をかがみに未来に向かうという精神で、平和発展を共に促し、世代友好を共に図り、両国発展の美しい未来と共に切り開いて、アジアと世界の平和のために貢献していこう」と強調した。新華網が伝えた。
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式典には、中国政財界人と、中国訪問中の二階俊博自民党総務会長と約3000人の訪中団が出席した。
習氏は、日本との関係について「中国と日本は一衣帯水の関係にあり、2000年余りの歳月で、両国民は学び合うことを通じてそれぞれの発展を促し、人類の文明の進歩にも大きく貢献してきた」「両国の古い世代の指導者たちは、高度な政治的知恵をもって重要な政治的決断を下し、数々の困難を克服し、国交正常化を実現させ、平和友好条約を締結し、両国関係を切り開いた」「両国民が心から友好的に付き合い、徳をもって隣をなせば、世代友好は必ず実現できる」などと指摘した。
今年が中国人民抗日戦争、世界反ファシスト戦争勝利70周年に当たることについては、「日本軍国主義が犯した侵略の罪を隠したり、歴史の真相を歪曲(わいきょく)したりすることは許されない。日本軍国主義の侵略の歴史を歪曲し、美化しようとするいかなる言動も、中国人民とアジアの被害国の国民は決して許さない。正義と良識を持つ日本国民もきっとこれを許さないと信じている」と指摘。
「歴史を銘記することは未来を切り開くためだ。戦争を忘れないことは平和を守るためだ。日本国民も先の戦争の被害者だ。中日双方は歴史をかがみに未来に向かうという精神で、平和発展を共に促し、世代友好を共に図り、両国発展の美しい未来と共に切り開いて、アジアと世界の平和のために貢献していこう」と強調した。(翻訳・編集/柳川)http://news.livedoor.com/article/detail/10148226/

再生核研究所声明230(2015.5.13)終戦70周年を迎えての反省
― 逆に戦勝国の責任も問う
第2次世界大戦の終戦70周年を迎えて、いろいろな記念行事が各地で開催されている。 ドイツや日本など、敗戦国の侵略に対する批判が多く、戦勝国の勝利を祝賀する事は世界的な世相にみえる。確かに、終戦以前、ドイツや日本の国内政治状況において、異常で おかしな状況については 根本的な反省が重要である。この観点に置いて、実際、連合国の勝利は ドイツおよび日本国など 敗戦国の国民をも開放した面は歴然として存在し、連合国の勝利は 世界の開放をもたらした意味で、世界的な祝賀と考えるのは、極めて妥当である。
しかしながら、ここでは違った視点から 世界的に反省を行う必要性を指摘したい。
戦勝国に 全ての正義があるのではなくて、敗戦国にもそれなりの経緯、止むを得ない事情があったのではないだろうかという、大事な視点である。
賢明なるドイツ国民が おかしな指導者に熱狂したのは それなりの歴史的な背景と理由があるのではないだろうか。世界は第1次世界大戦後、ドイツに多大な賠償を求め、尋常では、真面目には立ち行かないような状況に追い込んで、熱狂的な民族的な運動に火を付けてしまったような背景はないだろうか。大きな国家が 命運を掛けて立ち上がるには 相当な 歴史的な背景が有ったと、真面目に考えるのでなければ、空虚な戦勝記念などは 空しいものとなり、真に歴史から、学ぶことはできないのではないだろうか。
日本でも日本の置かれた状況について、一般の善良な大学教授が貴重な記録を残されている:
第二次世界大戦と日本の良心(大谷杉郎)(夜明け前よっちゃんの想い、文芸社(2009)84-86:
(前略)20世紀に入った頃、スペインはフィリッピンを、オランダはインドネシアを、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島、それにオーストラリアを、フランスはベトナム、カンボジャ、ラオスを、つまり東南アジアの全域を侵略しつくしていました。アメリカも遅ればせながら、スペインからフィリッピンを奪っています。太平洋の島々もイギリス、フランス、アメリカの領地にくみこまれてしまいました。その上、勢いをつけたイギリス、ドイツ、フランス、ロシアなどが、競って中国侵略を着々と実行していました。日本に対しても、中国に対する侵略と同じ手法で、治外法権の外人居留地をもうけたり、不平等条約を押しつけたり、で明治維新以来、侵略の初期段階にあったと思っています。ロシアと中国の清朝も、中国東北地区から韓国へと勢力を拡大すべく圧力を強めていました。
このような欧米諸外国からの侵略に対する危機感や対抗意識が、私の若い頃の日本の底流にあったと思っています。諸外国はみんなお行儀がよいのに、日本だけが侵略者でした、などとはどのようにひっくり返っても言えません。第二次世界大戦の本質は、世界列強の世界侵略に対する日本の切ない反逆です。
次に「いわゆる戦犯をどう考えるか」です。第二次大戦を前述のように考えているから、戦争裁判がまともなものであったとはとても考えられません。国際紛争には常に二つの正義が存在します。
どちらがより悪い侵略者だったかを考えるべきです。非は明らかに諸外国にあると私は思っています。 どちらがより悪い侵略者だったかを純客観的に考えられる人はいません。非はいつも相手側にあるものです。しかも勝敗がつけば、必ず敗者側に押しつけられるものです。それが正しいなどというわけにはいきません。たった1回の東京大空襲で非戦闘員の一般市民を徹底的に殺戮して10万人の死者を出し、同じ非人道的な殺戮をあちこちの都市でおこないました。その上、1発の原爆で広島20万人の非戦闘員を殺戮したことも許せません。このような桁外れの悪逆非道を犯した犯人を裁かないで、戦争裁判の正当性を主張することなどはとても承伏できません。戦犯問題は茶番です。
戦中派の私の第二次世界大戦と戦犯についての基本的な考え方です。靖国問題などは、わたくしにとって、どうでもいいことです。うまく処理してくれることを願うだけです。
と述べて、日本の開戦は 世界列強の世界侵略に対する切ない反撃であった との存念を懐き、多くの戦中者の共感が得られると述べている。
これは、日本には日本の止むを得ない状況が有ったとの存念を表現されているものである。
このような状況は、いわゆる戦勝国に正義があり、敗戦国に非があったと単純に判断すべきものではなく、双方を超えた世界全体の状況における反省、考察が必要であることを示しているのではないだろうか。
歴史上の上辺だけの現象を見るだけでは、真に 悲劇や戦争の原因は明らかにされず、とても 歴史を直視して などとは言えるものではない。
敗戦国の非は歴然であるから、逆に 戦勝国の責任を大いに問題にすべき ではないだろうか。敗戦国を追い詰めるようなことは無かったろうか。敗戦国はなぜおかしな国になってしまっていたのであろうか。
以 上

再生核研究所声明 5 (2007/04/08): 靖国神社問題に対する提案:
戦後、60年以上も経た現在においても、機会あるごとに靖国神社問題が取り上げられ、多くの議論が繰り返えされているのは、極めて残念なことである。これでは日本が論理的な思考能力が足りないと言われても仕方がないと考える。声明1の 「公正の原則」 に従ってあるべき姿を提案したい。
1) 先ず、近代に確立した, また確立されなければならない 「政治と宗教の分離の原則」 に 厳格に従うべきであり、よって公人としての参拝は厳格に禁止されるべきである。また同時に 靖国神社に対する国の政策による活動及び補助も当然禁止されるべきである。
2) しかし、国や社会を良くしようと考える公人たる者が 国の為に殉じた人達に敬意を表わしたいと考えるのは極めて自然であるから、私人としての参拝はこれを禁じるべきではなく、参拝に当たっては個人の立場である事を明確にすること。さらに、戦争で傷ついた諸外国の人たちの心情を察し、これらは慎ましく行い、マスコミなどは双方の気持ちを汲んで 報道に当たっては慎重に扱うように期待したい。
3) 靖国神社の宗教法人としての自主性を重んじ、神社は法人としての責任で運営されるが、法人としての神社は 戦死者を祭っている事に鑑み、常に祭られている人やそのご遺族の方々の心情と国民の意思を最大限に尊重していく事が望まれる。しかし、法人は一法人であり、その法人が運営する宗教に対する個人の対応は 全く個人の自由であり、靖国問題は一法人と個人の自由な関係と捉えよう。
4) 3)の観点で、特に所謂戦犯についての合祀については これを疑問視する考えが諸外国ばかりではなく、日本人の間でも起きることは 日本人の心情と日本の歴史に基づいても理解される。戦いを指揮した者は敗戦に至った場合には責任を果して来ていると考えられる。さもなければ、その指揮下で亡くなった者の立場はどのようになるでしょうか。従って、この点については神社の検討の余地があると考える。-- しかし、戦犯とよばれる人たちも同じ犠牲者であるという立場にも正当性があると考えるが、この点については、国民と被害を受けた諸外国の人々の心情に よく配慮する必要があると考える。
5) 第2次世界大戦について、十分な反省と謝罪の気持ちを表明していき、もろもろの各論的な問題についての無用な繰り返しやぶりかえしをせず、明るい未来の友好親善の視点を強めていくように努力していくことが望まれる。特に 多くの戦争はどちらが悪いかの問題ではなく、戦争そのものが悪であり、双方に悲惨な状況を生み出していくものと考えて行きたい。
6) 戦死者のご遺族の方々は 上記第1―2項についてご不満の念を抱かれるのではないかと考えます。 そこで、日本国の首相は新年に当たって伊勢神宮を参拝するという美しい伝統を持っているのに鑑み、同じように靖国神社を参拝するような伝統を自然な形で作られたら如何でしょうか。ご提案致します。
以上


再生核研究所声明 25 (2009/07/01): 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて
世界の大国、アメリカと中国の存在は それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。 したがって、それら両国と日本国がどのように向き会うかは 国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。
まずアメリカに対する評価であるが、第1に、 日本国は アメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。 それゆえに、日米安保条約などの関係も それなりに理解できるものである。 しかしながら、戦後60年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。 すなわち、アメリカに対しては、別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ 日本国は より国家としての独立性と自立性を図るように努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。
次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば 日本は中国の文化圏の1部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような1部の人たちの見方は はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって 母なる大国 として当たるべきである。
アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは 日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。
日本国は 軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時 日本国憲法の精神が 理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。
皆さん 軍隊などはなくても 誰も侵そうなどとはしない 美しい国、日本国 を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような 北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 
この日本国の在りようは 集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する 日本国の在りようとして 現実的に極めて重い意味を有するのです。 背景には 国、地方の1000兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。    以上。

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U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/

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