タモリが夢を持つ生き方を否定「夢があるようじゃ人間終わりだね」
2015年5月11日 11時38分 トピックニュース
タモリ
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10日放送の「ヨルタモリ」(フジテレビ系)で、タモリが「夢を持つ生き方」について持論を展開した。
同番組では架空のバー「WHITE RAINBOW」を舞台に、宮沢が扮するママと常連客、そしてゲストがトークを展開する。タモリは岩手県でジャズ喫茶を営む「吉原さん」として登場した。
番組では、タモリがゲストのSMAP草なぎ剛に、「ジャズな人」とはどういう人かを説いていた。タモリは、向上心がある人とない人を、「今日が明日のためにある」「今日が今日のためにある」とそれぞれ区別し、「ジャズな人」は後者にあたると説明した。そして「向上心イコール邪念ということだよね」と言い切っている。
草なぎが「人って夢のために頑張るっていうじゃないですか?」と問うと、タモリは「夢があるようじゃ人間終わりだね」とバッサリ。
草なぎもタモリに同意を示し、「それを美徳としてる感じあるじゃないですか?」「夢に向かって頑張ろうぜみたいな。じゃ、叶っちゃったらどうすんのって話で」とこぼした。草なぎは小さい頃から芸能界で仕事をしているため、早い時期から夢が叶ってしまった部分もあるのだという。
タモリは「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」と指摘し、そうした人生を「悲劇的な生き方」と断言してみせた。さらに「夢が達成されなかったらどうなるんだ?って話だよね」とも口にした。
タモリによると、一芸を成し遂げた人は、何かに夢中になっていただけのことだという。「そういう人たちは夢を持ってやってたかっていうと、そうじゃないよね」と鋭く迫っている。
これは相当に間違いでは。
夢や希望は誰にでも大事で、努力も大事では。
大事なことは 夢や希望に向かって、 努力する過程、 努力している間が大事では?
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
(NHK 大河ドラマ 花燃ゆ を見て 特に吉田松陰の言葉と最期についての感想を述べたい。)
素晴らしい NHK 大河ドラマ 花燃ゆ を楽しみに見ている。いろいろ素晴らしいところが多いのであるが、ここでは吉田松陰の言葉と最期についての強い印象を述べたい。まず、Wikipediaによって、基本的な情報を確認し、吉田松陰の言葉を確認して置こう:
立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
志を立ててもって万事の源となす
志士は溝壑に在るを忘れず
己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る
恐るるにたらず
凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
体は私なり、心は公なり
公を役にして私に殉う者を小人と為す
人賢愚ありと雖も各々一二の才能なきはなし
湊合して大成する時は必ず全備する所あらん
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
それぞれに深く心に響く言葉である。 ドラマにも、志が大事である、あなたの志は何ですか、志がないから、つまらなく思っているなどと 反映されている。 まこと至言である。そこで、志の大事さ が 強い印象として残っている。 ― 志を立ててもって万事の源となす。 ―
人生、好きなように生きれば 良い訳であるが、これは、環境に上手く順応して自分の心が のびのびと 良い感動が伴うように 生きるということである。 しかしながら、感動に満ちて、上手くいっても 人生で何かもの足りない気持ちが残るのではないだろうか。 また、どうしたら永く、感動が続くだろうか。 それには 人生に掛ける虹 というような、人生を貫く筋のようなものが必要ではないだろうか。 これこそ、 人生における志ではないだろうか。 我々は道を求める者、研究に励む者、芸術に励む者、芸に打ち込む者、スポーツに打ち込む者、政治を志す者、様々な いわゆる人物 にそのような芯、しっかりとした志を有している人物を世に多くみる。 1個の人間として このように生きている、生きたいと表現できるものである。
吉田松陰の志は明白である。日本国を外国の侵略から、命懸けで、自分の命を顧みずに、守るという 言わば 大義に生きる事である。 塾生にも 私は モミの粒となって、志を継いでくれる者が有れば 何ら命を惜しむことはないと言い、極めて高い志を懐いて、見事に実践して、実際、日本の歴史を大きく動かす原動力となっている。 まさに日本国の畏れ多い、偉大な人物として、尊崇の念が 湧いてくる。 言行一致、多くの人の信頼、そして30歳で、そのような心境に達して、生涯を閉じたというのであるから、 まことに凄い人物である。 そこで、松陰の生い立ちの環境や教育についても 大いに研究すべきではないだろうか。 それに比べて 現代の空虚な教育は如何であろうか。― 何か、人物が育たない教育にみえる。
また、この観点において、 歴史の重大な局面に出会うと,人間は 人間の神性に目覚め、 言わば大義に殉じたい心情が湧いてくる面があるのではないだろうか。 実際、多くの戦場などでは 自己犠牲で大義に殉じた人々は 世の英雄ばかりではなく、無数の無名戦士の中に 見られる 世界史における普遍的な現象ではないだろうか。
吉田松陰の最期の言葉、国を憂いて 真実を述べ 言わば意図的に処刑されることを 選択したのは、心に湧く 神性の現れ ではないだろうか。
平時にも、高い志を懐き、人生における虹をもてる者は まこと 幸せであると考える。
以 上
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