木星の衛星ガニメデに奇妙な膨れ発見、海の証拠か
極地から赤道へ膨らみが移動していた可能性
2015.03.31
ガニメデの外殻の膨らみは厚い氷でできていると考えられ、海を覆う氷の外殻が、それ以外の部分に対して回転していたことの証拠となるかもしれない。(PHOTOGRAPH BY NASA)
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木星の衛星ガニメデの直径は5000km強で、太陽系最大の衛星だ。今回、この衛星の赤道に、直径600km、高さ3kmもある奇妙な出っ張り(バルジ)が見つかった。広さはエクアドルと同じくらい、高さはキリマンジャロの約半分だ。
ガニメデにこんな地形が見つかるとは、専門家も予想していなかった。
月惑星研究所(米国ヒューストン)の惑星科学者ポール・シェンク氏は、「ガニメデの全体の地図を作っているときに、偶然、発見しました」と言う。彼は、3月20日の月惑星科学会議で、この奇妙な地形について報告した。
ガニメデのバルジは厚い氷でできていると考えられ、その大きさと位置は、太古の昔、ガニメデの氷の外殻が内部とは別に回転していたことを示している。
ガニメデ(左)と月(右)。木星の衛星ガニメデの外周は月の1.5倍もあり、太陽系で最大の衛星だ。(NG STAFF SOURCE: NASA/JPL)
外側から氷の外殻、液体の海、内部の層。ガニメデの氷の外殻の下には液体の海があると考えられる。(各層の厚みの比率は実際とは異なる)(NG STAFF SOURCE: NASA/JPL)
氷の外殻は、その下にある液体の海とは独立して回転する。(各層の厚みの比率は実際とは異なる)(NG STAFF SOURCE: NASA/JPL)
シェンク氏の推測によると、バルジはガニメデの南極か北極で成長を始めたという。バルジが大きくなると、その重さのせいで位置がずれ始めた。ガニメデの内部はそのままで、海を覆う氷の外殻だけがスライドしたのだ。やがて、かつて極を覆っていたバルジ部分は赤道に落ち着いた。
「このバルジは既知の地質活動とは無関係です。だとすると、これだけ大きい塊が形成される場所は北極か南極しかありません」とシェンク氏は言う。「極地方は常に低温なので、ここの氷殻はかなりの厚さになります」
地球上ではこんなことは起こらない。地殻の下にあるものの位置関係が変わらないまま、北極が赤道に移動して来たようなものだ。このような氷殻の移動は「真の極移動」と呼ばれ、ガニメデの外殻と内部の層の間に衛星全体を覆う海などの流体がある場合にのみ起こる。さもなければ、氷の外殻が衛星全体に対して移動することは不可能だ。
ガニメデのバルジが推測どおり南極か北極で誕生したもので、その現在の位置が極移動によって説明できるなら、反対側にも同様のバルジが見られるだろう。「次の探査機が到着したときに、それが見つかることを期待しています」とシェンク氏は言う。
宇宙のミステリー・サークル
ガニメデのバルジについては、その巨大さだけでなく、そこにとどまっていることも謎だ。
シェンク氏と共同で観測を行ったワシントン大学(セントルイス)のビル・マキノン氏は、「ガニメデの表面で直径数百km、高さ3kmもある氷のバルジを長期にわたって支え続けるしくみがわかる人がいたら、ぜひとも私に教えてほしい」と言う。「こんなものは見たことがなく、その正体もわかりません」
シェンク氏がバルジを発見したのは、NASAのガリレオ衛星が撮影した画像の中に「ミステリー・サークル」と呼ばれる地形を探しているときのことだった。ミステリー・サークルは、氷の外殻が回転したときにできる同心円状の深い溝で、同じく木星の衛星であるエウロパですでに見つかっている。エウロパのクロップ・サークルは、真の極移動が起こったことの証拠とされ、ガニメデと同じように、エウロパの極がもとの位置から約90度ずれたことを示している。
エウロパもガニメデも、外殻の下全体に海があることがわかっている。これは、氷の外殻が移動するための必要条件だ。ガニメデの氷の外殻が移動しているなら、いくつかの疑問が解決できると期待される。
NASAのジェット推進研究所(米国カリフォルニア州)のロバート・パッパラード氏は、「ガニメデに刻まれた深い溝の位置関係がどのようにして決まったのか、長い間、大きな謎となっていました」と言う。「もしこれらが90度移動したのであれば、私たちは、見当違いの位置関係から溝ができた原因を探っていたことになります。なので、今回の発見は刺激的です」
ガニメデの外殻の下に衛星全体を覆う巨大な海があることを示す証拠は、バルジの前にも見つかっている。科学者たちは以前から、ガニメデにこのような海があることを予想していた。3月12日には、別の研究チームが、ガニメデのオーロラの観測を通じて、氷の外殻の下に隠れた海の存在を確認できたと発表している。http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/033000021/
再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える
(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 No.81, May 2012(pdf 432kb))。
以 上
再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
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