2015年4月26日日曜日

記事 木村正人2015年04月22日 17:22世襲が世界の潮流になってきた

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木村正人2015年04月22日 17:22世襲が世界の潮流になってきた

クリントン対ブッシュ
米大統領選で民主党の本命ヒラリー・クリントン氏が出馬の意向を表明した。ヒラリー氏はビル・クリントン元大統領の妻。共和党の大統領候補選びではジョージ・W・ブッシュ前大統領の弟で元フロリダ州知事のジェブ・ブッシュ氏が先行、「クリントン対ブッシュ」という因縁の世襲対決になる可能性がある。
ヒラリーHP
ヒラリー・クリントン氏のHP
ジェブ・ブッシュ氏が米大統領になれば、ブッシュ家から父ジョージ・H・W・ブッシュ氏、ジョージ・W・ブッシュ氏に次いで3人目。これでは米メディアも、岸信介首相を祖父に、佐藤栄作首相を大叔父に持つ安倍晋三首相を「世襲」と批判できなくなる。
ジェブ・ブッシュ
ジェブ・ブッシュ氏のHP
英誌エコノミストが「王朝 ビジネスと政治における不朽の家族力」という記事を掲載している。中国の習近平国家主席、韓国の朴槿恵大統領、フィリピンのベニグノ・アキノ大統領などアジアだけでなく、英国でも650人の下院議員のうち57人が「世襲」だという。
これまで英国に世襲議員はほとんどいないと記事を書いてきただけに非常に驚くとともに自分の不明を恥じるしかない。今やアジアだけでなく、米国も欧州も世襲が大きな流れになってきた。政治の世界だけでなく、ビジネス界でも世襲が大きな力を持ち続けている。
トヨタ自動車、フォルクスワーゲン、メディアの帝王ルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーションなどなど、例を上げれば切りがない。
エコノミスト誌によると、世界のビジネスは90%以上が一族経営か一族によって支配されているという。世界的な経営コンサルティング会社ボストン・コンサルティング・グループは、年に10億円以上の収入がある米国企業の33%、フランスやドイツ企業の40%が一族によって牛耳られているとみる。
世襲王国ニッポン
昨年末の衆院選。毎日新聞は「父母(義父母、養父母を含む)または祖父母(義理の祖父母、養子先の祖父母を含む)が国会議員」「3親等以内の親族が国会議員で、同一選挙区から立候補」のいずれかに該当する候補者を世襲として集計した。
それによると、父母などが国会議員だった世襲候補は153人で、候補者全体の13%。世襲候補が最も多かったのは自民党で97人。民主党は26人だった。自民の世襲候補は2005年106人、09年113人、12年92人と推移している。
日本では増えすぎた世襲議員を減らそうとしているのに、米国の大統領選はクリントン家とブッシュ家に支配されている。縁故主義を徹底的に排除してきた英国でも世襲議員が次第に増えている。これは欧米型の民主主義が限界を見せ始めたことを意味している。
企業の場合、存続しようとするなら必ず次世代に事業を承継する必要が出てくる。顧客と社員、企業を幸せにできる最適な人物を後継者に選ばなければならない。日本の場合、創業者一族から第3者が株式を取得するには巨額の資金がかかるため「世襲」になるケースが多い。
世襲のメリットは幼い頃から親の背中を見て育った子供の方が企業と社員の生活を担う覚悟が育まれ、経営のツボを心得るようになる。地位が守られていることで、より長期的な視野で経営に取り組めるということができるかもしれない。
しかし子供が謙虚さを忘れ、傲慢に陥ってしまった場合、創業家出身の経営者が会社から100億円を超える大金を借りだし、カジノにつぎ込んだ大王製紙のようなスキャンダルが起きかねない。
ビジネスの世襲が資産と所得の格差を広げ、その格差を固定化させているとみることもできる。
世襲政治の弊害
日本の世襲議員は1960年代から増え始め、2009年時点で自民党議員の約4割、民主党議員の約2割が世襲。安倍(第1次内閣)、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と世襲政権が連続して1年の短命に終わったことから、「世襲は打たれ弱い」という批判が強まった。
日本では、有効投票総数の10分の1に達しなければ没収される供託金は300万円(小選挙区)、法定選挙費用が優に2千万円を超えるため、地盤、看板、カバンの三バンを持たない普通の人が政治家を志すには相当なリスクを伴う。
欧米政治でも世襲が大きな潮流になっているのは、知名度がある世襲候補の方が当選しやすいからだ。しかし、世襲は政治を陳腐化させる。英国はいま総選挙の真っ最中だが、投票率が59.4%にとどまった01年の総選挙以降、投票率は70%を割り続けている。そのためメディアを通じてしきりに有権者登録を呼びかけていた。
手垢のついた「クリントン対ブッシュ」の米大統領選にどれだけの集客力があるのだろう。それでなくても欧州での米国の存在感は著しく低下している。世襲が広がれば若くて有能なタレントが政治の世界を目指さなくなり、政治はダイナミズムを失ってしまう。
富と権力は集中させるより分散させた方が社会の幸福度、満足度は増すはずだ。ビジネスの世界では非効率なものは淘汰される。世襲と非世襲の区別はない。世襲が非効率なら非世襲の経営者が選ばれるだけだ。
では政治の世界はどうか。世襲議員が増えることで政治が魅力を失い、投票率が低下し、世襲議員がさらに当選しやすくなるという悪循環に陥っている。
知名度、コネ、基盤から、政治の世界が、世襲制 のようになってきた現実があるのでは?
再生核研究所声明 52(2011.3.22):  選挙における心得、留意事項
プロ野球やサッカーチームの監督が、極めて重要な役割を果たすように、いわゆる選挙で選らばれる人は その組織において極めて重要である。それは選挙で選ばれた人は、逆に何らかの権力、決定する権利を有することになるからである。 例えば、衆議院は国権の最高機関として首相を選出する権利を有するばかりではなく、国家の意志にかかわる重要事項を決定する重要な権限を有している。地方議会や知事や市長等々、何らかの大きな影響力と権限を有している。 そこで、そのような人物の選出において、適切な人物を選ぶ大事な視点について考察したい。 どのように心得て人物を選ぶかという、視点である。
まず はじめに留意すべきことは、
1) 職務を全うできる体力、健康の面、および能力が有るか。- これは当然である。
2) 職務に取り組む真摯な態度が有るか否か。- この点は真剣に観察、判定を誤らないように留意すべきである。権力や名誉、地位のために立候補して、本務に対しては真剣でない人物が 世に多いということである。立候補の動機など注意深く観測する必要がある。 天下り、代理、後継者、団体の推薦、仲間の推薦などで、適任でない者が、仕方なく立候補する場合も世に多い。また、いろいろ良くやっているように、見せかけに奔走して、人気取りを図り、実際には組織に損害を与えていたり、組織を利用して楽しんでいる場合が 世に多いと言える。 立候補者の哲学、志の所在、本質を把握、捉える必要がある。
3) 権力や影響力が大きいという観点から、選ばれる者は、信頼できる人物でなければならない。信用できるかどうかという観点は、発言に矛盾はないか、言行一致しているか、公正であるか、騙したり、裏切ったりすることはないかなど 注意深く観測する必要がある。しかしながら、これらにおいて大事なことは、それらが全ては守れない、実行できないのが、現実の政治社会であるから、全体として、判断する幅の広さも肝要である。
4) いわゆる、公約や政治姿勢、政策方針などは 党派や支持母体などの影響を受けるので、党や支持者の周辺の人物にも注意深く観測する必要がある。政党政治においては
所属政党が大きな判断基準になるのは やむを得ない。政治社会は大きな世界であり、個人では力を発揮することができない状況だからである。
5) 職務を 如何に良く全うできるかが決定的な観点であるから、格好が良い、感じが良いなどの 本質的でないところについては 大いに妥協すべきである。 立会演説会などで、感じによって あるいは、弁舌の巧みさなどで 大きな影響が出やすいが、この点は大いに注意すべきである。
6) 日本では未だに、地縁、友人、団体などの縁で投票する風潮があるが、公職に就く者の立場からあくまでも、選挙の趣旨に相応しい人物を 高い立場から、判断して投票すべきである。特に自分の利害の観点で投票するのは 卑小な態度である。 あくまでも組織全体のことを考えるべきである。
7) 政治に無関心で、興味もない、あるいは政治に嫌気が差して、あるいは専門や仕事に追われていて真面目に考えられない人は、 利害や関係のない 第3者で 常日頃尊敬している人 の判断を参考にするのが良いのではないだろうか。信じられる人を探しておくのは 良い心得である。
8) 政治や自分の関係する組織について、日ごろ興味を持ち、国の在り様、組織の在り様、社会の在り様について、意見を交わして、それらに関する文化レベルの向上に努めたい。お気に入りの政治家などの応援、支持活動を人生の1つの趣味にされると 人間関係や視野が広まり、それだけ豊かな人生になるのではないだろうか。
9) 政治に多くの人が関心を持ち、真面目に考えることができるのは不可能であり、従って、自由な投票を保障した上で、投票を強制せず、1%の投票率でも十分と言えるような、投票の質を考えて行きたい。ただ投票率を高めれば良いとの風潮は 改めて行きたい。これは事情を知らずに 無理に投票する必要がないことを述べている。投票しない権利を認めている。
以上は前向きに検討する心構えを述べたが、逆に 避けるべき人物像についても特に述べておきたい。
A) その職について、真摯でなく、意欲と情熱、使命感の足りない人
B) 権力欲の強い人、威張りたがる人、派手好きな人、軽い人
C) エゴイスト、視野の狭い人、広く意見を率直に聞けない人
D) 公正でなく、公の立場に真剣でない人物、仲間の利益を考える人
E) 言行不一致の人物、 言葉に矛盾がある人
F) 選挙活動などにおいて、公正でないこと、いろいろ策をめぐらしたり 騙しや脅かし、利益誘導を行う者
G) 特に組織の代表者となると、格好や感じが良いかなど 見栄えに影響され易いので、くれぐれも気を付けたい
H) できるだけ、若い世代を育てて、伸ばすように配慮したい。 指導部の若返りを常に心がけたい。特に過去の経歴で推薦され、惰性の状態にある人は、避ける方向で検討したい。これはまた、将来について永きにおいて 責任がとれる立場であることを示している。
I) 理想的な人物でも、当選の可能性の低いものは避けたい、最善よりは少しでも良い方向での、現実的な効果を考えたい。 政治社会は 現実が大事である。現実が少しでも良くなる方向で、考えたい。
特に 選挙に立つような人物は 一般に、賢い人物であるから、いろいろ上手な働きかけ、言葉を巧みにして、有権者の意を引こうとするので、 投票する人は くれぐれも惑わされないように 日ごろの行動、言動に気を付けて、良い代表者を選出したい。
以 上
再生核研究所声明 129 (2013.8.28): 
美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか
(2013.8.22 零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。)
再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:
(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。
一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。
平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。
1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。
現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。)
そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。
まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。
政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治
権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。
それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。
政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。
公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。
日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。
そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。
以 上
追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45
再生核研究所声明209(2015.2.15) 政治的な配慮 ― 悪の素 ―社会の進歩とは
(昼食後の 何時もの散歩の折り、ひとりでに考えが湧いたものである)
世の秩序を考えれば、あるいは社会の法則として 次の公正の原則を 基本に考えれば 大抵の問題は解決できると述べてきた:
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
(再生核研究所声明1)。
相当にしっかりした、上記基準に基づいた判断に いわゆる 手心を加える、それを政治的な判断と 世では 言うのではないだろうか。上記の基準で判断できるものに対して、 配慮するとは 一部の人や、グループ、あるいは自己の立場を有利にしようとする いわば 悪の素と言えるのが 政治的な判断である。
実際、世の多くの問題について、公正の原則で 解決できるものならば、その解決は言わば科学的であり、客観的な判断で 社会の多くの問題は解決できる。政治的な判断が出来る要素は どんどん少なくなり、社会は進化し、政治家の役割は どんどん減少して、科学的に 官僚機構が社会を動かして行くようになるだろう。― 実際、世界史の進化は どんどんそのような方向に進んでいると言えよう。古くは王などが 直接政治を指導して王権が大きな力を持ち、実際に動かしていたものが、どんどん役割を減少させ、官僚機構が実際の多くの部分を動かすように進化してきている。経済政策などでも 科学的に客観的に対処する方向で 進んで行くであろう。
権力者や、実際の責任者が、上記公正の原則に反して、一部の利益、立場を優遇させれば、それは悪の素であり、社会正義に反するものである。されば、政治家は 多くは公正を重んじる裁判官のような役割を果たすようになり、政策の方向性は、多くは官僚機構が進めることになるだろう。民主主義の考えの下で、多数による決定は非科学的であり、本質的に望ましいものではなくて、民主主義の良い点は、いろいろな意見を自由に出せること、そして、変な政治家を排除できるところにある。民主主義は 多数決で決定するところにあるのではない と考えるのが妥当である。 多数決による決定は、衆愚の決定そのものである。
国家や社会は、多数の人々の自由な意見表明を、言論界やマスコミ関係者が議論させ、政治家が それらの状況を判断して 導いていくと考えるのが、妥当ではないだろうか。
結論は、政治的な判断を 少なくして行くことこそ、社会の進歩の原理であると考える。
以 上

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