2015年4月17日金曜日

記事 サイボウズ式2015年04月15日 08:30人は学歴を欲しがり、教育は職業訓練の機会を搾取する

記事
サイボウズ式2015年04月15日 08:30人は学歴を欲しがり、教育は職業訓練の機会を搾取する



zoho-cybozu-discuss-c-01-687.jpg
既存のルールを疑い、常識を破り続けてきたZohoのシュリダー・ベンブCEOに、サイボウズ社長の青野慶久が話を聞く。前編「私が博士号を取っていなければ、会社は今の10倍になっていたでしょうね」、中編「ルールだらけの日本の働き方は創造性を遠ざけ、楽しさを破壊している」に続き、後編となる今回は「職業と教育」について。
ワークスタイルムービーから考える働き方
ZOHO CEO 御社のムービーを拝見しましたよ。とても興味深かったです。

サイボウズ 青野慶久CEO ワークスタイルムービー「働くママたちに、よりそうことを。」ですね。どんな印象を持たれましたか?



ZOHO CEO とても革新的だし、非常におもしろい。新しいワークスタイルと創造性に関する何らかの試みができるのではないかと思います。
Zohoの基本思想は、ただ製品を売るだけではなくて、新しい働き方や生き方、ワークライフスタイルをも提案するということなんです。日本では特にそれが大事ですよね。社会的メッセージを付加したマーケティングで知名度を上げつつ、優れた信条をも広められるわけですよ。
サイボウズ 青野慶久CEO 率直に言って、サイボウズの日本オフィスはZohoのインドオフィスほど革新的(社会的)ではないんですよね。
ZOHO CEO でも頑張って変化をうながしているでしょう。

サイボウズ 青野慶久CEO そうですね、頑張っています。

ZOHO CEO 米国ではチームの感覚が違いますよ。特にシリコンバレーの会社なんて本当にくだけています。最近は社内にビールやウィスキーを置いたりね。私はそれはやり過ぎだと思うんだけど、でも置いている。スタートアップではそういう感じは多いよね?
サイボウズ 青野慶久CEO ビールはそうですねぇ。ウィスキーもですか?

ZOHO CEO ですね。米国はさまざまなことが大きく変化してるのですが、Zohoが促進するのは教育や新しいワークスタイルなど、もっと本質的な問題です。
いま米国でも、学生は大学進学のために高額の借金をして、その負担が非常に大きいんです。だから多くの人々が大学にいく経済的余裕がない。私たちは「ひょっとすると大学へ行く必要はないかもしれないよ、高額の借金なんか背負わなくていいかもしれないよ」というメッセージを出しているんです。そういうことを広めていきたい。
ちなみにサイボウズは過去、働きすぎな時期もあったとか
  サイボウズ 青野慶久CEO 以前は4人に一人が辞めていたのですが、今は離職率が4%にまで下がっているんです。
生きることの価値を体現するホンダに惚れ込んだ
ZOHO CEO 私はいまだに自分で車を運転しますが、高い車なんかいらないし。普通の車で満足ですよ。

サイボウズ 青野慶久CEO 車は何に乗っているんですか?

ZOHO CEO トヨタのカムリです。いい車ですよ。レクサスもBMWも持っていません。前の車はホンダのシティでした。いい車だった。青野さん、車は何をお持ちですか?
サイボウズ 青野慶久CEO 車は持ってないんですよ。自転車です。

ZOHO CEO いいですね。そういえば「ドライビング ホンダ」という本を買ったんですよ。アメリカで発行された本で、世界一イノベーティブな車メーカーの話です。
ずっと長い間、私はホンダを尊敬してきまして、特に本田宗一郎をですね。彼は非常にイノベーティブなエンジニアだし、ユニークな社風を創り上げたので、私のロールモデルなんです。ホンダはとてもユニークな会社だし、利益性も高い。
サイボウズ 青野慶久CEO なぜホンダがお好きなんですか?

ZOHO CEO生きることの価値を体現しているからですよ。ハイエンドな車だけでなく、普通のひとのために実用的な車をつくっている。マスのマーケット、つまり一般消費者の方を向いているんです。
二輪バイクの分野では、一般人や、とても貧しい国へさえも輸出している。同じように、灯油発電機やディーゼル発電機も。これらを全部製造しているんです。インドは電力供給カットがありますから、ホンダはまだインドで発電機を売っているんですよ。
ホンダの歴史も、もともとはまだ電力供給カットがあったような1950年代の日本で始まっていますよね、それでホンダ製品はインドで人気があるんです。ホンダは一般消費者のために実用的な製品を作ってくれるんですよ。ラグジュアリーな車だけではなくて普通のひとが乗る車、しかも信頼性が高くて、技術力も高い。ホンダのエンジン技術は最高です。
サイボウズ 青野慶久CEO ビジネスに対する考え方が御社にも似ていますよね。

ZOHO CEO 似ています。米国に研究開発施設がたくさんあるし、技術志向ですし、研究開発志向です。ホンダのそういう哲学が好きですし、他にも、教育でもたくさん雇用して育てていますよね。
ですから、ホンダは1950・1960年代にホンダらしさを育んだということを分かってほしいんです。日本が経験したできごとはすべて、かつて創業者たちがつくった会社がみな官僚主義的になってしまったことのあらわれなのではないでしょうか。
私は「ドライビング ホンダ」を買って、自社のシニアマネージャー全員に配りましたよ。
サイボウズ 青野慶久CEO あなたにとっての教科書ですね。

ZOHO CEO まさに、ホンダはわれわれの教科書ですよ。私は自分の会社の社風を作る人ですから。

サイボウズ 青野慶久CEO 素晴らしい。シュリダーはいつ本をお書きになるんですか?

ZOHO CEO まだ先ですよ。私にはまだまだやることがあります。いまのところ、私は「本なんか書かなきゃならないとしたら、それは私に引退しろといっているようなもんだ」と冗談で言うんです。まだ引退したくはないですね。書くとしても、たぶん10年後ですね。
サイボウズ 青野慶久CEO 10年ですか。

ZOHO CEO 日本ではこういうことはずっと言い続けていかねばならないのだと思っているんです。製品だけでなくて、ビジネスのやりかたももっとイノベーティブになれるんだ、と。働くのに大学の学歴は要らないとか、そういうことも世の中の標準になればいいなと。
人は学歴を欲しがり、教育は訓練機会を搾取する
zoho-cybozu-discuss-c-02-687.jpg
シュリダー・ベンブCEOとサイボウズ 社長の青野慶久
ZOHO CEO そうそう、ずっと読んでいた面白い本があるんですよ。1968年に出版された「教育と職業」です。著者はペンシルバニア大の教授で彼が言っていたのは、ほとんどの職種に学歴は必要なくて、我々はまったく必然性なく学歴を欲しがっているとういことなんです。それが現実だと。彼はそれを「訓練機会の重大な搾取」と呼んでいます。あの当時でさえも筆者が気づいていたんですね。
サイボウズ 青野慶久CEO 搾取ですか。

ZOHO CEO 搾取ですよ。つまり教育システムは人々から、職業的には必要ない人々からさえも金を巻き上げていると。彼はいまだに我々のやり方が間違っていると考えていますね。これは大切なことですから、世の中に広く知らしめていいと思うのですよ。
サイボウズ 青野慶久CEO ここで指摘されていることは、日本でも大切だと。

ZOHO CEO そうです。この本は経済問題についても触れています。日本は出生率がとても低いでしょう。もし18歳から22や23歳の若者を大学に入れてしまったら、経済的価値を生んだかもしれない貴重な4年間はただ失われて経済は悪化しかねない。
若者というのは、本当にいろんな意味で経済を活性化させるんです。彼らはお金を稼いで、たくさんたくさん使って、もっともっと稼いで、それで経済は活性化するんですよ。
日本の消費が伸びない問題を見て下さいよ、すっかり落ち込んでいるではないですか。若者の給与が上がれば消費が伸びて、問題もだいぶ解決するんですよ。だから若者が23や24、25になるまで待つのではなく、18や19で労働市場に入って、いい仕事をして、収入があるんだから結婚したら、出生率だって上がりますよ。そうすれば社会問題もたくさん解決する。こういう考えを広めていきましょう。こういう神聖な考え方がいいですよね。
サイボウズ 青野慶久CEO まさに「ルールを破れ」ですね。

ZOHO CEOみんなすぐには賛成してくれないでしょうけれど、この考え方は広めていかなきゃ。「(こういう生き方が)可能なんだ」と声を出さないと。1つの企業がこれに取り組んだら、他企業も真似して徐々に社会システムが変わっていくかもしれませんから。
長期視点のない会社に未来はない
ZOHO CEO Zoho大学を卒業して4年前に日本へ来たエンジニアがいます。彼はウチに17で入社して、いま25ですが、25で40人のチームを取りまとめているんですよ。
サイボウズ 青野慶久CEO 40人も?

ZOHO CEO 40人です。彼は非常に経験豊富だし、優秀です。そんな例はいくつでもあります。我が社で4年間プログラミングをやっている、22歳の女の子がいます。彼女が入社したのは16歳半のときで、18でエンジニアになり、22歳で4人の部下ができたんです。22歳で4人ですよ。
既にきちんと社会人として成熟していますが、彼女を見るとたった22です。世間の大学卒業者を見てみても、まだ子どもみたいな顔をしていますよ。でも彼女は既に4年間の社会人経験を持ち、成熟しているんです。彼女の顔を見ればわかる。
サイボウズ 青野慶久CEO Zohoは新しい教育企業なのだと理解しました。

ZOHO CEO そうなんです、だから私はZohoのことを継続的な学習システムと考えているし、「大学」と呼んでいるんです。あなたがいなくなったら会社はどうなるのか、と問われると、これは私のミッションだなと。我々の未来とは、大学と会社であり、それがミッションです。大学も会社も長期的であってほしい。従業員を教え、育て、雇用するんですよ。
サイボウズ 青野慶久CEO 教育と職業ですね。素晴らしいです。

翻訳:河崎環/写真:橋本直己
力ある人の話では?
再生核研究所声明90(2012.5.18): 日本の大学受験体制についての一考察
世の中は 慣性の法則で動いているものであり(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)、教育や教育の在りようなどは 国の文化や社会の影響で簡単には変えられない実情がある。しかしながら、それらは 国家の 真に重要な要点であり、絶えず検討、改善を志向すべきものである。
そもそも大学受験制度とは、自由競争の典型的な表現として、大学を自由に選択し、公正な評価で選別しようとの 普遍的な背景に基づいていると言える。 主にアジアにおける入試制度は 有名な科挙の制度など古代から存在する制度に その原型を見ることができる。
共通テスト以来の問題は、相当に客観的な数値によって、全国的な序列の鮮明化が進み、いわゆる受験戦争の言葉さえ世相になっている。価値の一元化、共通化、一様化は、重要な多様性の視点 から好ましくはないとして、入試の在りようについて検討を求めている:
上記 声明で、 受験勉強が過熱化すると、 本来の教育の理念から、大きく外れ、無駄で有害な特訓のために 有能な才能、感性、創造性、全人的な成長発展を阻害する状況が出て来ると考える(再生核研究所声明 76 教育における心得 ― 教育原理)。何でもほどほどが良いのに、行き過ぎ、過熱化している状況が既にあると考える。 また年齢によって、準備されなければならない大事なことが ないがしろにされている と考えられる。
再生核研究所声明 20(2008/10/01):大学入試センター試験の見直しを提案する
センター試験は1988年 共通テストの試行から始められ、いろいろな変遷を経て、現在は大学入試センター試験と改称されて、20年もの歳月を経ている。 発足時のときの議論では、数年で破綻し、結局は元の形に戻るという観測が多かったが、その後 何時も批判的な意見が多く出されているものの 組織が出来てしまったためにか 惰性的に続けられてきている。そこで、次のような状況を考えて、このような入試の在りようを検討し、大学入試センター試験の見直しを行うように提案いたします。
 
1) センター試験は 多額の経費と人件費をかけながら、悪い効果を生み、いわば大きなマイナスの仕事を 教育界に課していると考えられる。試験の影響としてはマイナス効果の方が大きいと考えられる。 その最大の理由は 共通テスト開始時にも 既に指摘されていたように そのような試験では パターン化して、知識の積み込み方式になり、考える力を落とす という危惧であった。 実際、このような弊害はいたるところに現れ、数学の教科でさえ、型を沢山覚え、時間内で解く方法の技術ばかりが、学校教育や受験勉強においても重視されていて、本来の教育のあるべき姿からの大きな乖離が見られる。センター試験は 日本の教育を軽薄な教育にさせている元凶である と考えられる。そのような試験結果は 軽いデータぐらいの重さしか果すべきではない。しかるに教育界は そのような試験に対応すべく、多くの無駄、悪い教育をおこなっている。
2) 教育においては本来、多様性と個性を活かす事が大事であるはずなのに、型にはめ、一様な水準を作り、貧しい特色のない大学を一様に育てている弊害が顕わになって来ている。センター試験の目指す教育とは およそ人物たる人間教育や善良な市民を育てる重要な本来の教育とはかけ離れたものであり、日本国を覆っている無責任とモラルの著しい低下の結果を生み出している。教育とは本来何であるかの議論さえ忘れて久しい状態で、魂の抜けた教育であると言える。感性豊かな人間性を高める教育や創造性豊かな教育からは程遠い教育と言える。
3) センター試験の影響は 世に数値化と標準化、規格化を進め、社会の多様な価値や個性を失なわしめ マイナス効果を世に氾濫させている。
4) 永い間 同じような入試制度が続いたため、入試が専門的な技術を要求するような弊害が現れ、不要な特殊な訓練を得た者が有利になるような弊害が現れてきている。
その結果、このようなことに柔軟に対応できる特定の学校に人気が集中して、公立高校の人気が落ちてきている。そのために 経済的な豊かさが もろに教育条件に反映するような状況を生み出している。このようなことが進めば、広範な生徒達から多様な才能を引き出せない状況を進めると危惧される。 また、そのような特殊な教育を受ける者が個性を伸ばし、幸せになるとは限らないと考えられる。
5) 2日間にわたって、多くの教職員をいわば ロボットのように 画一的に働かせて、また多額の国費と人件費を費やして、大きなマイナスの仕事を行うのは 好ましくないと考える。
6) センター試験は、世の生徒達にあまりにも細々とした過重な入試対策を要求して、生徒達のみずみずしい才能の開花を疎外し、生徒達の自由な成長を妨げている。 学校教育には、人生や世界や、自然の事をじっくりと想いをいたし、 友情が芽生え、育つような余裕が求められる。 大学入試にはより柔軟に、余裕をもって考えられるような社会へと変革が少しずつ進むことが期待される。 理想としては、個人の個性を活かせるような多様な可能性を広げるような変革である。もちろん、そのうちには、世の秀才達を集めるような所があっても良いが、そこに殺到するような事は望ましく無いと考える。
7) センター試験は、所謂 世の秀才や優秀な人達の才能もわざわざ鈍化させ、活かされていないと考えられる。日本でも秀才教育や天才教育ができるような柔軟な制度の確立が求められる。
8) 共通テスト開始のとき、多くの危惧と問題点が指摘されたものの これで多くの人が 大変な入試業務から解放されると期待されたものであるが、それは空しく、逆に個別入試を行い、また第二次入試や、追試入試、さらに外国人入試や推薦入試、社会人入試、などと多くの入試が始められ、多くの教員は年中入試業務に振り回される状況になっている。大学の法人化の後には、社会貢献や教員評価、受験生確保のために多くの仕事に追われ 教育研究費の大幅減額とともに 悪い、教育、研究環境に陥っていると考えられる。
以上の理由などから、センター試験を見直しする方向での 真剣な検討と対応を求めます。現実的な対応としては、入試そのものが日本国の文化に根ざしている以上、そう簡単ではないと考えて、広範な検討や改革を考えていく事を求めたいと考えます。方向性としては
1) 大学入学資格試験と考える方向で、そのときには センター試験を簡素化し、センター試験に対する特別な対策はしないですむような状況になることが求められる。
2) 逆に個別入試を廃止して、センター試験の一部と他の要素、例えば高校の評価や、推薦状や面接で入試を行う。
3) センター試験を原則廃止して、時々高校生の学力のデータ、状況を得る為やその他いろいろな業務を行うことに センターの組織と機関を使う。
等が検討されるべきであると考えます。教育の在りようについては 絶えず検討を重ねていく事として、教育というと直ぐに学力と考える傾向が強いが、全人的な教育や人物たる人間教育等の面を考えていく必要があると考えます。
以上


特に次の観点を指摘して置きたい:
1) 教育本来の全人的な発達を、過熱な学習が 歪めている事情はないか。
2) あまりにも 競争をあおって、 友情や人間関係の基本が おかしくなっていないか(再生核研究所声明 4: 競争社会から個性を活かせる社会に) - 友情も育たないで、競争 競争で 美しい 瑞々しい社会を築けるだろうか. 結果として、 日本はあまりにも競争意識が強い、ぎすぎすした社会になっていないだろうか。:
3) 勉強だけが、人生でも 社会でもなく、多様な生き方、多様な価値観を持たせ、幅広い、生き方の視点を重視した教育をすべきではないだろうか。
4) 優秀な人材を早くから、永い間型にはめて束縛し、創造性や全人的な発展を阻害しているのではないだろうか。
5) ここで、アングロサクソン系の大学では、 自由、平等、博愛を掲げているものの 奇妙にも知的階層の固定化で、多難な入試の努力を必要とせずに 大学に進学でき、 余裕を持っている事情があるのではないだろうか。 その代り、優秀な人材を補給すべく広く世界から集めている事情がある。ここでも、日本には、ドイツ流の教育制度が 国情に合っていると考えられる。
6) 簡単に述べれば、理想と考えられるのは、教育本来の教育に専念し、特別な入試勉強をせず、多様な大学に人材が、富士山型ではなく 八ツガ岳方式に展開し、多様な在り様を展開することである。 その意味でも、共通テスト以前の方式の方が 多様性の観点からも良いのではないだろうか。
7) 大きな社会に活力を与えるのには、多様な価値、多様性の重視が必要である。 創造性も、そのような多様性の中から、より生まれる基礎ができると考える。
8) 大学院を出るころには、既に疲れてしまっているような状況が有るように見える。 体力や、思想、情操教育、全人的な基礎をしっかりさせなければ、永い人生をうまく生きてはいけないのではないだろうか。
上記公正な受験といっても、現実には、特殊な高校や、学校で特殊な教育をうけた者だけが、良い大学に入れるような状況は、傾向は 一段と強まっていき、日本の教育界を 歪め、貧しい社会を 構成して行くのではないかと 危惧している。
学校も教師も、家族も できるだけ好きな 良い大学に 生徒や子弟を進学させたいとの思いは 当然であるから、 入学させる立場の大学や、文科省は 海外の状況なども参考にして、 大学受験制度が教育界に与える影響の大きさを自覚され、 絶えず、検討,改善を進めて頂きたいとの 希望を述べておきたい。
もちろん、社会も、いわばブランドで  画一的に 評価せず、 また多様な人材を採用、活用すべきではないだろうか。 社会でも組織でも 多様な人材がいた方が、 活力を有し、良いのではないだろうか。 公務員なども、 いろいろな評価によって、 いろいろな人材を積極的に採用するように 努力すべきではないだろうか。
以  上

0 件のコメント:

コメントを投稿