2015年4月24日金曜日

太陽光発電の飛行機 世界一周に向け太平洋横断へ

太陽光発電の飛行機 世界一周に向け太平洋横断へ
4月24日 6時13分
太陽光発電の飛行機 世界一周に向け太平洋横断へ
3月に中東のUAE=アラブ首長国連邦を出発した太陽光発電だけで飛ぶ飛行機が、中国・南京に到着して、地元で盛んな歓迎を受けました。化石燃料を使わない飛行機による世界一周に成功すれば世界初の快挙で、飛行機は今後、世界一周に向けた山場ともいえる太平洋横断に挑戦することになっています。
この飛行機は、2003年からスイスで開発が進められてきたもので、3月9日にUAEのアブダビを出発し、およそ5か月かけて世界一周する計画です。
飛行機は1人乗りで、ジャンボジェット機に匹敵する72メートルある両翼に取り付けられた1万7000個余りの太陽電池を使って、4基のプロペラを稼働させ、最高速度は時速140キロということです。
4月21日の早朝、5か所目の経由地中国内陸部の重慶を出発し、1300キロ余り飛行して、その日の深夜に南京の空港に到着し、盛んな歓迎を受けました。
計画の発案者で、飛行機を操縦するスイス人の冒険家、ベルトラン・ピカールさんは、「16時間飛行して、半分は夜間だったが電池も十分あり、あすにも飛行できる状態だ。この技術が飛行機だけでなく、あらゆるところに活用できることを知ってもらいたい」と述べました。
次の経由地はハワイで、5日間連続して飛行することから、世界一周に向けた大きな山場ともいえます。出発は5月上旬の予定ですが、飛行機は雷や暴風雨に遭うと墜落するおそれもあることから、飛行に適した気象状況を慎重に判断して出発日を決めることにしています。
目的は再生可能エネルギーの本格的利用
プロジェクトを提唱したのは、1999年に気球による無着陸世界一周を達成したスイスの冒険家、ベルトラン・ピカール氏で、環境に優しい再生可能エネルギーの本格的な利用を実現することが大きな目的です。
プロジェクトの総予算はおよそ1億5000万スイスフラン(日本円にしておよそ190億円)で、民間企業が出資したり、スイスの大学などが技術支援したりしています。
太陽光発電だけで飛ぶ飛行機「ソーラー・インパルス2」は、飛行機の両翼の長さはジャンボジェット機に匹敵する72メートルあり、最高速度は時速140キロということです。
機体に1万7000個余りの太陽電池を貼り付けて、日中に余った電気を小型で軽量なリチウムポリマー電池に蓄えて、夜間の動力源にすることができます。
完全に充電できれば、曇りや雨の場合でも10時間程度飛行できるということです。
操縦室は、大人1人が乗り込むのがやっとの広さで、暖房や気圧を調節する装置はありません。
食事は特別に作った流動食で、操縦席で済まさなければならないほか、トイレは操縦席の下に備え付けられ、密封性のある専用の袋を利用しています。
飛行ルート
3月スタートした今回のフライトでは、ベルトラン・ピカール氏とパイロット経験のある事業家アンドレ・ボルシュベルグ氏の2人が、1人乗りの飛行機を経由地で交代しながら操縦しています。
「ソーラー・インパルス2」は、3月9日にUAE=アラブ首長国連邦を出発し、インドやミャンマーなどをへて、4月21日に6番目の経由地中国・南京に到着しました。
これで7300キロ余りを飛行したことになりますが、まだ全体の5分の1で、世界一周を達成するまでには2万8000キロ近い道のりが残っています。
飛行機は今後、南京を出発し、これまでの総飛行距離を上回る8172キロを飛んでハワイに向かう予定で、その後もハワイを経由しての太平洋横断や、ニューヨークからの大西洋横断など、最大で5日間にも及ぶ長時間のフライトが予定されています。
前人未踏の挑戦は早速、山場を迎えることになりそうです。
ソーラー飛行機 挑戦は日本でも
太陽光で発電したエネルギーで飛び続ける、ソーラー飛行機を実現させるための挑戦は、日本でも進められています。
東京・青梅市の航空エンジニア、四戸哲さんのグループは3年前から、日本初の人が乗れるソーラー飛行機の開発に取り組んできました。
開発中の機体は、全長およそ9メートル、翼の幅はおよそ17メートル。
木や発泡スチロール、それに炭素繊維などの軽い素材でできていて、重さは原付バイク1台分ほどの80キロほどしかありません。
翼一面に張り巡らした太陽光パネルによって、ヘアドライヤー1つ分ほどの消費電力に当たる700ワットの電気を起こします。
この電力でプロペラを回して、自力で離陸し、飛行を続けることを目指しています。
機体が完成した去年、福島県の飛行場で車で引っ張って加速し、機体をグライダーのように飛ばすテストを行いましたが、横風にあおられ、バランスを崩して失敗。
このときの教訓から、四戸さんは横風でも機体を制御できるよう翼に改良を加え、ことし中の成功を目指しています。
四戸さんは、規模の違いこそあれ、自分たちと同じ挑戦を行っているソーラーインパルスの動向を固唾を飲んで見守っています。
四戸さんは、「これまで世界中でさまざまなチャレンジがありましたが、ソーラーインパルスがその最先端を走っていると思います。
日中に発電して貯めた電気だけで夜間も飛び続けるという、技術は非常に高いものです。
彼らのチャレンジを支える文化的な背景もあり、やりたいことを思いっきりできているのが羨ましい」と話していました。
四戸さんのプロジェクトのメンバーは、航空工学を専攻する高等専門学校の生徒や大学生などおよそ10人。
小型飛行機の設計から製作までをこなす四戸さんの技術を学ぼうと、ときには泊まり込みで作業を進めてきました。
機体の製作や操縦を担当するサレジオ工業高等専門学校の卒業生、横山慎二さんは「ものづくりには、技術も勉強もどちらも必要だということを、四戸さんから教わりました。
ソーラーインパルスに対しては、ライバルや憧れというよりも、本当にすごいなと感じます。自分たちの挑戦は比べものにならないくらい小さいですが、自分たちの力を試したい」と話していました。
四戸さんは「自分たちのプロジェクトは若い世代に関心を持ってもらい、チャレンジできる環境を提供するのが趣旨で、そういう環境さえあれば、あとは自然に育っていきます。
若い世代にものづくりの合理的な考え方を教えるのが、僕の使命だと思っています」と話しています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150424/k10010058931000.html

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か
(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。
以 上

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