2015年4月10日金曜日

子供が蹴ったボールで事故、親の賠償責任認めず 最高裁

子供が蹴ったボールで事故、親の賠償責任認めず 最高裁
2015年4月9日14時50分
小学校の校庭から蹴り出されたサッカーボールが原因で交通事故が起きた。ボールを蹴った小学生(当時)の両親に賠償責任はあるのか――。そうした点が争われた裁判の判決が9日、最高裁であり、第一小法廷(山浦善樹裁判長)は「日常的な行為のなかで起きた、予想できない事故については賠償責任はない」との初の判断を示した。
子供が蹴ったボールでバイク転倒、後に死亡…親の責任は
子の事故、親の責任どこまで 最高裁判断、今後に影響も
両親に賠償を命じた二審の判決を破棄し、遺族側の請求を退けた。
民法は、子どもが事故を起こした場合、親などが監督責任を怠っていれば代わりに賠償責任を負うと定めている。これまでの類似の訴訟では、被害者を救済する観点から、ほぼ無条件に親の監督責任が認められてきた。今回の最高裁の判断は、親の責任を限定するもので、同様の争いに今後影響を与える。
事故は2004年に愛媛県今治市の小学校脇の道路で起きた。バイクに乗った80代の男性がボールをよけようとして転倒し、足を骨折。認知症の症状が出て、約1年半後に肺炎で死亡した。遺族が07年、約5千万円の損害賠償を求めて提訴。二審は、ボールを蹴った当時小学生だった男性の過失を認め、「子どもを指導する義務があった」として両親に計約1100万円の賠償を命じた。両親が上告していた。http://www.asahi.com/articles/ASH486HS1H48UTIL03V.html

これは当然の明らかな判決では?
学校の設置者の責任は、少し出るのでは。
学校の周りでは、徐行すべしの標識が有れば、責任は 小さくなりますね。
再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたらできるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.
また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.
特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます.

0 件のコメント:

コメントを投稿