2018年10月13日土曜日

【ポルトガル】アールヌーボー建築がかわいいアヴェイロの街並み/現地特派員レポート かわいいアールヌーボー建築が並ぶ町「アヴェイロ」

【ポルトガル】アールヌーボー建築がかわいいアヴェイロの街並み/現地特派員レポート

かわいいアールヌーボー建築が並ぶ町「アヴェイロ」

ポルトから南へ列車で1時間のところにあるアヴェイロ。リアス海岸のラグーンに発達した中部ポルトガルの中では2番目に大きな都市です。かわいいアールヌーボー建築を見ることができると聞いて訪ねてみることにしました。ポルトガル独自のアズレイジョの建物とアールヌーボーの街並みに運河が流れ、とても美しい町です。
アールヌーボー建築がかわいい。アヴェイロ@ポルトガル/現地特派員レポート
(モリセイロとアヴェイロの市役所)
まず駅から歩いて町の中心部につくと、初めに目につくのは、アヴェイロの運河に浮いているモリセイロという船。これは19世紀にアヴェイロの周辺の土地を耕すための肥料用の海藻を運びに使われたそうですが、今は観光客を乗せて運河を行き来しています。ツアーに参加すると船頭さんがアヴェイロの歴史を説明してくれますよ。

建物の中まで見られる「アールヌーボー美術館」

アールヌーボー建築がかわいい。アヴェイロ@ポルトガル/現地特派員レポート
(アールヌーボー美術館とその裏側)
アールヌーボーの建築は町全体に散らばっていますが、アールヌーボー美術館では建物の中を見ることができます。館内はとてもシンプルな内装ですが、大きな曲線と細やかな部分の直線のデザインがとても調和しています。ちょっと大回りすると、フィッシュマーケットの広場から美術館の裏側を見ることができます。また、アールヌーボー美術館で、アールヌーボー探索マップがもらえるので、町中を探索してみてください。

かわいい&美味しいお菓子「オヴォシュ・モーレシュ」

アールヌーボー建築がかわいい。アヴェイロ@ポルトガル/現地特派員レポート
(ローカルなお菓子屋さんとアヴェイロ独特のお菓子)
アヴェイロで忘れてはいけないのが、オヴォシュ・モーレシュというお菓子。魚や貝などいろいろな形になっていてとてもかわいく、お土産屋さんでは箱詰めになっていたりするので、お土産にも最適。素朴な見栄えですが、本当においしいのです。
そのほかにも地元の人が立ち寄るお菓子屋さんにはいろいろな形のお菓子がたくさん。ポルトガルのお菓子はどこでも安くておいしいのですが、ここアヴェイロは卵の黄身がたくさん使われているお菓子が多く、とても濃厚で味は格別です。私はポルト滞在中にこのお菓子が食べたくて、2度もアヴェイロに行ってしまいました。
(次のページに続く)

知られざる穴場。建築好きにはたまらない「アヴェイロ大学」

アールヌーボー建築がかわいい。アヴェイロ@ポルトガル/現地特派員レポート
(アヴェイロ大学構内)
このアヴェイロは実はもう一つあまり知られていない見どころがあります。市内にある、アヴェイロ大学は世界的に有名なポルトガル出身の2人の建築家アルヴァロ・シザとエドゥアルド・ソウト・デ・モウラがデザインした建築があるのです。師弟関係の二人の建築がこんなに近くにあるのはここだけかもしれません。

ビーチ沿いのかわいい町並み

アールヌーボー建築がかわいい。アヴェイロ@ポルトガル/現地特派員レポート
(縞々のコスタ・ノヴァ)
アヴェイロには残念ながらビーチはないのですが、アヴェイロ周辺にはたくさんのビーチタウンがあります。そのなかでもアヴェイロからバスで30分ほどのところにコスタ・ノヴァは縞々の建物で有名。店もレストランも家々も縦じま横じまに色とりどり塗られていて、とてもおしゃれ。ビーチも最高で、ウインドサーフィンやカイトサーフィンなども楽しめます。
まだ日本人にはあまり知られていないアヴェイロですが、見どころが凝縮していて、とてもいいところです。町はそれほど大きくないのでポルトなどから日帰りで観光できます。
アールヌーボー建築がかわいい。アヴェイロ@ポルトガル/現地特派員レポート
(モリセイロが描かれた石畳)
アールヌーボー建築がかわいい。アヴェイロ@ポルトガル/現地特派員レポート
(アヴェイロの街並みとモリセイロ)
ポルト旅行の際にはぜひお立ち寄りください。https://getnews.jp/archives/1613614

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本

下記に添付するが ゼロ除算算法の重要性のゆえに 回想して記録を確かなものとしたい。
ゼロ除算算法は解析学、幾何学など初等数学全般に広い影響を与え、 アリストテレス、ユークリッド以来の世界を拓き、微分の概念さえ変え、特に微分方程式論は大きな改変が求められています。
そこで、その発見の瞬間を振り返って置きたい。 下記の最初の記録は発見後 宿舎に戻って 直ぐにブログに書いた貴重な記録です。
ジュンボーという大きなショッピングセンターを週に2回くらい歩いて ー 30分くらいのところ ー 行き、買い物をして宿舎に帰る習慣がありました。 当然、週末はよく行きます。給与を頂き、物価安のアヴェイロお金のことは気にせず、買う度に得をしたように感じられた幸せな時代でした。そこでは人のよいご夫妻、若い娘さんが店員がいる何でもとって頂ける店で好物を好きなだけ頂けるレストランで 夕食を採るのが習慣でした。 ですから幸せ一般で両手に買い物食品をもってキャンパス内を通り、 宿舎に向かっていました。 そこで、 池のほとりに差し掛かった時、突然の閃きました。確かに月が真上にありました。 電光のように閃めいたのです。 関数 f(z) = e^{1/z} の原点での値は1である。 当時はまだゼロ除算算法は考えられておらず、ゼロ除算だけが認識されていましたから、 この直感は凄い飛躍が有ります。 実際、その周辺には神秘性が漂っていて深い謎に覆われているときでした。世の常識は その関数は原点で 真正特異点をもち、ピカールの定理で、原点の近傍で 例外の複素数を1個を除いて、原点の周辺ですべての複素数を無限回取るなど複素解析の深い定理で 値分布論の雄大な数学の元を与えています。 その時、特異点 原点自身で、1の有限確定値を取ると直感したのですから、凄い発想と言えます。後で気づいたのですが、 その値、1は ピカールの除外値 自身でした。ローラン展開の負冪項が すべて原点でゼロを言っていますので、 正しく、ゼロ除算算法の発見の瞬間です。
理屈以前に、理論、論理以前に 電光のように一瞬に閃いたということです。
これが記録して置きたい事実です。 あの夜のことが鮮やかに思い出されます。
ゼロ除算算法は基本的な算法として数学の基本的な」演算となるのは、既に歴然です。
添付附録: PCから貴重な記録: ゼロ除算算法の 始めの瞬間:
複素解析・特異点:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0: 関係者:
解析関数論における大発見:

2014.3.8.20:
中華料理を頂き、たっぷり買い物をして戻りました。月が中天、特異点の様子を考えながら歩いて来ました。良く、考えが湧く、池のほとりに差し掛かった時、驚嘆すべき 結果を得ました。解析関数の基本です: e^{1/z} は 原点で真性特異点、猛烈な不連続性を持ち、神秘的な性質を持ちます。ところが何と、原点では 1の値をとることになる!! これで、関数論の歴史は 大きく変わることになる。直ちに公開、公論で、世界史の進化を志向したい。
2014.3.8.20:30[ブログから]
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実数で論文を2編 昨日までに完成、そこで複素解析の検討を始める。直ぐに、無限遠点の概念があり、複素解析では奇妙、変な状況に成っているのに気づく。無限遠点は 数ではないが、幾何学的にすべて美しく纏まっている。1/0=0なら複素数を1/zは複素数にちょうど1対1に写している。しかし、0が 不動点に成っている。初頭の問題とともに納得が行かないので、この問題を検討して行きたい。
2014.3.30.11:10 
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e^{1/z} は原点で考えない、{1/z}は原点で、無限遠点を対応させる、しかし、無限遠点は数ではないからですね。矛盾では?上記のように対応させると 1として確定値が定まる。無限遠点を考えるとき、1/0=0の考えを持たなかったのか??
2014.3.30.15:50
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研究の発端は、上記矛盾を見逃さない。1/0=0の尊重、1/z の関数の ゼロ点の像が ゼロであることの尊重です。そのような関数は、実関数の時と同様 基本的であると考える。そこでまず、従来の美しい複素解析学において、ゼロで割る場面以外は そのまま尊重、成り立つと確認する。そこで、1/0=0 を取り入れると、例の無限遠点がストンと非連続的に落ちていると考える必要があり、一次関数などの1対1対応など崩れて、嫌な感じが出ますが、分母をゼロにする点だけを例外にして進める。極などいろいろな性質は、極で、無限遠点をとると考えないで、無限に増大しているとして、その様を捉えれば、従来の言葉の修正で対応できる、する。この考えで、新しい何かの定理ができれば、素晴らしい1歩では? 上記例から、真正特異点で確定値を取るが言えれば、凄い結果ではないでしょうか。
2014.4.1.11:35

                                     以 上
2018.10.13.14:57

再生核研究所声明162(2014.5.31) アヴェイロ ― エデンの花園

(5月28日、宿舎から研究室に向っているとき、芝生の先に 木立ちが有り、その先に入り江が見える情景を見て、エデンの花園のように感じた、そして、声明161の原案とエデンの花園の声明構想が閃いた。)
アヴェイロに住んで、5年、帰国前である。ふと上記のようにエデンの花園のイメージが奇妙な感性と共に湧いた。
幸せになるには、本能原理、生物的な要求を殆ど満たすこと。 しっかりとした家庭が有って、子供も健やかに成長している。社会的な地位もしっかりして、やるべきものも有り、良い友人、仲間に囲まれている。 芝生が広く、果樹園も有り、立派な住宅、自然環境、季節の変化や文化生活、生計もやり易く、みんな上手く理想的に行っている。さらに である、人生の難題、 終末や死の問題、それらさえ、毎週、教会に通って、難しい問題は教会が、宗教が一括して、支えているようである。まこと、聖書は、あなたは愛されている、死も何も思い煩う必要はないと 言っているようである。― 数学者などは、教会に行ったり、聖書を読まない、勉強しないでも 当たり前だから、単に自明のものとして、人生を疑うことも、人生に悩むことも無いようである。
そこで、基本的に楽観的で、人生を大いに楽しむは 人生の大事なキーワードのように見える。大学の暦には 8月は無く、完全な 休暇である。6月中旬から、講義なしの休暇のような日々が続いた後の 完全な休暇であるから、日本とは、人生観、生活感、大学観、研究観が 全然違うといえる。
余りの違いに 驚いてきた。日本の友人は、仕事、仕事、要務、要務で、異様に感じられる。 あの小さな国が どうして、世界第2の経済力を 有するのかと 話題になったことが有るが、物理的に不可能なことを可能にさせた奇跡は、日本が高い教育水準と共に極めて働き過ぎの現実が有るのではないだろうか。 日本では、 未だ、生活を楽しむ感覚が、少なくても 退職までは あまり考えられないのでは、ないだろうか。
アヴェイロで戸惑ったのは、幸せすぎる生活、恵まれ過ぎの生活、理想的すぎる世界である。実に、エデンの花園のようである。
しかしながら、幸せとは何か? 問題が無いわけではない。すべて恵まれていても、研究や道を求めている人間の姿には、人間的な魅力を感じるからである。
多分、人間は、生物的な要求や、社会的、経済的な要求が満たされても、良い感動をするには、道や真理を求め、芸術活動などをする必要があるのではないだろうか。
― 人生にかける虹、志などしっかり持てれば、上記ふらふらの人生にとって、幸いではないだろうか - 人生の意義は 感動することにある - 人生の基本定理。この世に生を享けたからには、神をも感動させるような、感動をしたいものである。― 声明158.


以 上

再生核研究所声明 1002012.9.26)  
2つの多変数複素解析学について

2012年9月25日 J. Morais 氏、 偶然、彼の30歳誕生日の日、衝撃を受ける事件が起きた。彼はQuaternionic Analysis, Clifford Analysisの専門家であるが、再生核の理論を扱っているので、議論をしてきた。そこで、それらの世界での積分表示について、参照文献を求めたところ、執筆中の著書のコピーを渡してくれた。それを通覧して 衝撃を受けた。(再生核研究所声明は、一般向けの内容を対象にしているので、いわば素人向きに 面白い内容を紹介したい。世界の面白さである。)
既に、数学については、 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社) 付録で、 数学とは何か、 人生、世界など について相当自由に述べ、 さらに、

(国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15) 

で、より広く、深く述べている。
それらの中で、神は2を愛し給う という 世界観を述べて、奇妙にも、2つの実数を 虚数を用いて、結び付けた、複素数が本当の数であると 言明している。
そこで、多変数複素解析学とは、その複素数が 複数個 組をなす世界の解析学で、岡 潔の数学で 相当に有名であり、日本数学界の関数論分科会の大きな部分を占めている。世界観は 教育で形づけられ、有名な数学者 高木貞治氏は、数とは複素数であると述べ、多変数複素解析学とは 岡 潔 に代表される 複素数の組で表される世界を意味すると その日まで、考えてきた。- 日本では殆ど誰でも そう思っていると考えられる。
ところが、 アヴェイロ大学では、多変数複素解析学で、いわゆる日本での複素関数論の研究をやっている人は誰もいない。教授がQuaternionic Analysis, Clifford Analysisの専門家であるからである。 それで、それらを複素解析学、多変数複素解析学の専門と名のっている。沢山の研究者がこの関係で、訪れるが皆さんがそうである。いわゆる日本の関数論分科会に属するような内容の研究者は皆無である。それで、世界は広く、数学も広いとの思いを擁いて来た。( ちなみに、私は、関数解析学の、作用素論の応用の研究計画で 採用されている。) - いわゆる複素数以外の数は 怪しきもの、4元数や そのような多次元版は悪しき、まがいものの世界と思ってきた。これらは、 多次元のベクトルのように 数を拡張して、考える世界です。しかし、単にそうではなく、Cauchy-Riemann の偏微分方程式の拡張を考えて、きちんとした解析構造が 導入されている雄大な世界です。
その日に見たのは、それらの世界で、Cauchy’s integral formula, Morera’s theorem, Mean vaue property,  Liouville’s theorem、 解析性を特徴づける円、円対応の高次元版、等角写像を、立体角不変で置き換える理論、共役調和関数の概念、正規直交基底の展開と特殊関数論との深い関係 等等の重要な解析的な定理や、一変数複素解析学で深い 写像に関してのBloch theoremなども成り立つ、凄いことが成り立つ世界で、しっかりとした 雄大な別の意味における複素解析学の世界があることを 明確に認識させられた日です。 (しばらく衝撃で、声も出なかった。)
結論は 多変数複素解析学には 2つの考え方、流派があるということです。
一つは 複素数を 組で考えて行く、
もう一つは 複素数を ベクトルのように考えて、 実数を拡張して考える考え方です。
Morais 氏は、3次元、4次元を主に研究対象にしており、他の博士の学生が、飛行機の翼の解析の研究に現れる ジョウコフスキー変換の3次元版を研究しているのは 注目に値します。いわゆる日本流多変数複素解析学では 偶数次元で、3次元を扱えないような 変な現象を本質的に持っているからです。
ここで、重要なことは、ある意味で、相対のようになっていて、Clifford  Analysisでは 定義領域は普通の実ユ-クリッド空間で考え、像の世界を上記のようにベクトル値関数で考えるということである。そのような写像を考える理由は、Cauchy-Riemann の多次元版 Riesz system の偏微分方程式系を満たし、うまい解析構造が入るからだと言う。
2元論の世界観を深めて来たが、この2つの考えがあることを知って、さらに、その世界観を一層深めた。
解析学における 重要な定理、グリーン・トークス・ガウスの定理 (ドイツでは、単にガウスの定理というそうです) その公式を 2つの関数のからなるように表現すると、right-holomorphic とleft-holomorphic の関数の概念に分かれて、上記の多変数複素解析学の正当な発祥の原理を見ることができる。この認識は 既に19世紀、複素解析学の発祥の時代から ヨーロッパでは認識されていたということである。すなわち、日本への複素解析学の輸入は、 一方だけが輸入され、他の多変数複素解析学が 現在でも無視されているという、現実になっていると考えられる。日本数学界や、関数論分科会、あるいは解析系の人は この認識を持っておくことは大事ではないだろうか。 なぜなら、この分野が 雄大に発展して (最近は 国際会議活動、発表論文数などでも 日本流多変数複素解析学を凌いでいるように見える)、社会と関わりを持つようになったとき、日本にはそのような専門家が誰も居なかったでは、国の在りようとして、問題が有るように感じられるからである。また、教育も間違ってはいけないと考える。

以 上
再生核研究所声明142 アヴェイロにおける夢(アヴェイロ金脈について)
我ついにアヴェイロに金脈を発見せり: アヴェイロ金脈の その後は如何か? : 第1段階の考察が 満足すべき、状況なので、再生核研究所声明142として、展望を 国際的に分かるように英文で 夢を込めて纏めてみた。
2013.11.27.18:35
2013.11.28.08:15
公表は、1,2日待て:
2013.11.28.16:00 良いか? 関係論文2つを投稿、昨日、ロドリグ夫妻と議論、案文も見て頂く。
2013.11.28.18:35 カストロ教授など関係者に、月末完成させたいとメール、アヴェイロ滞在あと 6ッ月となる日。
2013.11.29:11:05 カストロ教授の助言を受け入れて、論文の出版見込み数を落として、控えめの表現にする。今日 2つ論文の出版が確定。明日、友人に出すメールの作成。
2013.11.29.13:40 ちょうど正午 昼食に仲間と何時ものように出かけようとしたら、 題名、金脈より、夢の方が 良いのでは と自然に閃いた。そこで、修正。
カストロ教授とイタリアのポスドク マテオ氏 は 金脈より、夢の方が良いと言う意見であった。
2013.11.29.15:35 静かな、小春日和、アヴェイロ大の金曜日は、午後は講義が無く、多くの人は休みで、日本の昔の土曜日のようで、静か。 案文、良いか?
2013.11.29.19:05 一つに論文検証 済ませ、論文審査報告書 1つ済ませる。凄く、仕事が進む。英文の声明は始めてなので、気になる。
2013.11.30:09:30 晴天、完成させて良い。今日中に関係者にメールする。

https://twitter.com/rkernel/.../391452426475040768
plaza.rakuten.co.jp/.../diary/201310190000 /
2013年10月19日-我ついにアヴェイロ脉金こちらを発見せり:2013.10.19.07.30ジャスミン茶の影響大。
tweetbuzz.jp/entry/.../plaza.../201310190000 /? ...
blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360/.../510248.html?メートル...
15/10/2013 - アヴェイロ離散化し法について語ろは 第二基本定理も既に存在すると自覚する。

再生核研究所声明 1172013.5.10: 時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題

真理や在るべきことについて、 ややもすると普遍的に、また 不変的に語られることが世には多い。しかしながら、在るべきことは、時間と状況、環境によって、絶えず変化するものである という視点に 想いを致したい。
まず、8才の天才少年に会った日の強力な印象から 要点を簡潔に触れたい(再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える):
その日、数学や、物理学、化学など広範に話したのであるが、最後の方に、社会には政治とか、経済などの大きな問題が有るばかりではなく、人生には原罪とか、死の問題など根本的な問題が有る と述べた。ところが、その死の問題について、平然と 私は70才くらいまで生きるので、死の問題を考えるのは まだ早すぎると言ったものである。― この問題の回答について、 天下の秀才、元東大教授にご意見を 畏れ多くも尋ねたところ、 確かに 私は死の問題 小さいころ、考え 悩まれた とおしゃっていました。私も このような性格です ― (夜明け前 よっちゃんの想い(文芸社) 序文)。― (死の問題や、人生の切なさ、無常観に敏感な人や そうでない人がいるが、 私が気になってきたのは 優秀な人たちが、意外に割り切りが早く、 達観しているような面がみられること。本来そうあるのが健全で、 人類が進化すれば、 当然のことと感性的に受け入れられるように なるのではないかという、 存念を持っている)。― 尊敬する、相当な物理学者に、人生の意義は と 尋ねたところ、 あっさり、そういう問題は考えないと、即答されたのは 記憶に 鮮明に残っている。
死の問題は、年齢によって、感じ方、考え方が変わってくるので、無理に 大げさに問題にすべきではないと言いたい。 仏教を尊敬しているような人たちでも あたかも 人を脅かすように 死の問題を大きく取り上げて、宗教を勧誘しているような状況は 広くみられるが、それは お釈迦様の教えと精神にも反しているのは 明らかである。 死の問題は、年齢、環境、人の個性によって捉え方は様々であり、対応は 個人個人によると言うことである。しかしながら、一般的には、道理として、恋をして、子を儲け、子が子を儲け、両親や恩師、友人などを失っていくと、ひとりでに 死とは避けられず、自然で、 安らかな 睡眠と同じように 自然に受け入れられるようになるものである。無理矢理に 宗教や真理や理屈をこねて 納得させる性質のものではないと言える。
恋の現象など、極めて、本能原理に左右されていて、あたかも遺伝子が 次の生体を求めて、暴れているようである。恋に陥っている者は まるで熱病に取りつかれているように見える。
そう、我々が 我々の生命が新しい生体を求めて激しく躍動しているのである。 その時こそ、恋の時期ではないだろうか。その劇情が 魂を浄化させ、多くの詩歌、芸術を生み出し、生命を活性化させるのである。 しかしながら、それは恋の原理(再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 )によって、長続きはせず、次の段階に進んで、移行していくものである。
芸術、学問、スポーツ、趣味、さまざま人間の関心、興味の取得には、それぞれ個人の個性によるばかりではなく、触れられるべき時期についても、それぞれ個性によると考えられる。それ故に 人は自分の個性、生命が何を求めているかを絶えず、自分に問うて、自分に合った様に対応するのが 大事ではないだろうか。 また教育に携わる者は 相手の状況の理解に努め 適切な対応が求められる。
教育とは 本来はそうあるべきであるが、公教育で、細かい対応は 事実上不可能であるから、このような視点を重要視して、 あまり画一的にしないで、自由な部分を多く取り入れるような 配慮が重要であると考える。
心はころころと変わって行くものである。心の動き、時期をしっかりと捉えるようにしたい。
食欲に対する対応と同様と考えられる(再生核研究所声明85:  食欲から人間を考える ― 飽きること)。
必要なとき、必要なだけ、いろいろな変化を持たせて。知るにも時期と内容が大事、悟りも早ければ良いと言うものではなく、その過程と質が大事。人生においては 成果や到達点よりも、過程が大事である。

以 上



ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:

最近、3つの事が在りました。

私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。

これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
1.      ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2.      可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3.      ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4.      深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.




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