2018年1月7日日曜日

大阪大出題ミス ”検証できる体制を” 改善求める声相次ぐ

大阪大出題ミス ”検証できる体制を” 改善求める声相次ぐ

大阪大学の去年の入学試験で出題ミスがあり、本来なら合格だった30人が不合格になっていた問題で、去年、出題ミスを指摘していた予備校の講師などからは改善を求める声が相次いでいます。
出題ミスがあったのは去年2月25日に行われた大阪大学の一般入試の物理の試験で、理学部、工学部、基礎工学部、医学部、歯学部、薬学部の6つの学部を受験する合わせて3850人が試験を受けていました。

ミスがあったのは音の伝わり方を観測する実験についての2つの設問で、このうち1つには正しい答えが3つありましたが、大学の採点では1つしか正解としませんでした。この1つの正解だけを前提に次の設問が出されていたため、関連する次の設問で正しい答えを導き出すことができなくなっていました。

大阪大学は6日、記者会見し、本来なら合格していた30人が不合格となっていたほか、9人が第1志望の学科に不合格となったことを明らかにしました。

これについて去年、大学などにミスを指摘していた予備校講師の吉田弘幸さん(54)が取材に応じ、去年8月から9月にかけて大学と文部科学省に対し理由を詳しく示して誤りを指摘しましたが、複数回のやり取りのあと、いずれも返信が来なくなり、6日夜になって大学から出題ミスの報告と、指摘に感謝するメールが送られてきたということです。

大阪大学では去年6月以降、吉田さんも含めて3回にわたり外部から指摘が寄せられましたが、大学は去年12月まで本格的な対応を取っていませんでした。
これについて吉田さんは「外部からの指摘があった際、しっかりと検証できる体制を整えてほしい」と述べ、大学に改善を求めました。

この問題について、大学入試に詳しい東京大学高大接続研究開発センター長の南風原朝和教授は「最大の問題は、去年6月の最初の指摘を大学が生かせなかったことだ。その時点であれば受験生を途中から入学させるなど早い対応ができたはずだ。こうした問題は複数の教員で情報共有するなど再発防止を徹底しなければならない」と指摘しています。

去年3回にわたって疑問視する指摘

ミスのあった設問については、去年、3回にわたって疑問視する指摘が寄せられていました。このうち大学として最初に把握した指摘は去年8月10日でした。

予備校の講師から大学の理学部に「この設問は解答が複数あるのではないか」とするメールが寄せられましたが、問題作成の責任者と副責任者の2人の教授だけで検討を行い、およそ10日後に「本学の解答例が正しい」などと回答していました。

しかし、先月4日になって今度は別の外部の人から大学の入試課にこの設問についての詳細な指摘がメールで寄せられたため、今度は問題を作成した2人に加えて新たに4人の教員を交えて検討しました。
その結果、先月19日になってミスがわかったということです。

さらに、その後の大学側の調査で、去年6月10日に開かれた会合の中で同じ指摘がされていたことがわかりました。
この会合は物理の入試問題を高校の教員と検討するもので、ミスのあった設問を作成した責任者の教授も参加していました。

しかし、教授は出席者からの指摘に対し大学の解答例で問題ないと説明し、大学に指摘があったことを報告しませんでした。

大学は6日の会見で、去年6月や去年8月の時点で寄せられた外部からの指摘を学内で広く共有し、組織的に対応する仕組みがなかったことが対応の遅れにつながったとしています。

指摘した予備校講師と大学、文科省のやり取り

今回の大阪大学の入学試験での出題ミスを指摘した予備校講師の吉田弘幸さん(54)は、去年の夏期講習の例題にしようと問題を解いていて、誤りに気付いたといいます。

このため去年8月、大阪大学に対し理由を詳しく示して、「問題設定に、不自然さがある」とメールで指摘しました。

しかし大学からは、10日ほどあとに理由を一切示さず大学が正解とした数式だけが返信されてきました。

返信内容に納得がいかなかった講師の男性は、「この解答には、理論的な誤りがある」と再度大学側に問い合わせましたが、返信は無かったということです。

そして、半年ほどがたった6日夜になって、突然大阪大学から、出題にミスがあったという報告と指摘に感謝するメールが送られてきたということです。

一方、この予備校講師の男性は、大阪大学から返信が来なくなったため、去年9月、文部科学省に対しても、「大学ではミスに気付かず、誤った解答例に基づいて採点・合否判定が行われたようです」と伝えていました。

文部科学省からは「大阪大学に事実の確認などを行ったうえで、問い合わせに対して回答を行うことを促すことはできます」と返信がありましたが、その後も大学からの返信がなかったため、去年10月に再度文部科学省に対して、大阪大学の出題ミスについて指摘を行っていたということです。

誤り指摘の予備校講師「検証できる体制を」

予備校講師の吉田弘幸さんは「物理という科目は、問題の組み立てがきちんとしていれば誰が解いても正解は1つになるが、今回の問題のような音の伝わり方については勘違いが起きやすい。誤って不合格とされ、1年近く、そのままにされていた受験生のことを思うと悲しい気持ちになる。外部からの指摘があった際、しっかりと検証できる体制を整えてほしい」と話していました。

文科省「大変遺憾、再発防止徹底を」

文部科学省は「受験生への影響は計り知れず、大変遺憾だ。今後、より詳細な報告を求めたい。これから本格的な入試の時期を迎えるが、再発防止を徹底してほしい」と話しています。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180107/k10011281451000.html?utm_int=news_contents_news-main_002

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明210(2015.2.21) 
大学入試ミスにおける対応について

入学試験が盛んな時期であるが、特に入試のミスにおける対応について、考察しておきたい。入試のミスといってもいろいろなミスが考えられるが、代表的なものは

1) 出題が 定められた範囲を逸脱していた。
2) 問題そのものが、間違っていた。
3) 採点ミス、評価に著しいミスがあった。
4) 問題用紙や解答用紙の扱いにおけるミスや、選抜過程におけるミス。

など、相当に複雑な場合が考えられる。 入試は受験生の一身上に大きな影響を与えるので、関係者の気遣いは深刻で 重責である。そのような苦しい仕事を繰り返されては、特に、教員は教育・研究などの本務を全うできない状況が生じると懸念される。また、合否判定を行ってから、新年度に入ってや 1年以上も経って、入試のミスのために合否判定が覆り、大きな社会問題になった例も少なくない。そこで、 このようなミスに対してどのように対応すべきかを論じたい。
まず、原則は、次の 公正の原則 にあると考える:

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 
3) それはみんなに受け入れられるか.  
4) それは安定的に実現可能か. 
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 
(再生核研究所声明1)。

入試については、特に、次の観点に注目したい: 人間の能力を評価することは簡単ではないこと、しかしながら、現実的に選抜する必要性から、簡便法として入試を行って、対処する必要があること。― この背後には、 入試の問題そのものさえ、どのような問題が適切かは曖昧であり、数値化されたものは 受験者のどのような才能、適切さを表しているかさえ 曖昧であるという、事実、真実である。― 入試のミスを論じる前に 入試に対して、そのような柔軟な考えを有することは 良いのではないだろうか。また、優秀な者が風邪や体調で、また 運、不運のことで、不本意の成績が出ることは、世に多い事実ではないだろうか。 まずは、入試における数値化の問題と、数値化の曖昧さに言及したい。
そこで、上記公正の原則で、大事な視点は、 4) ミスに対応する対応が社会的にスムースに行くような配慮である。
そこで、具体的な提案をこの観点から、行いたい。
一旦 実際上の責任者が 決定を行ったことは(きちんと組織上決めておく、実際決まっている。)、修正や変更を行わないこと。― ここで、大事なことは たとえ間違いが有っても修正しないことである。― サッカーなどで、判定ミスがあっても、それを 覆さずゲームを続けることに対応する。
― 責任者が、決定の印を押したからには軽々と覆すことのない決済として、認めることである。
これについて、社会も 入試について 間違いが有り得ることを認め、それを広く受け入れる必要がある。 覆さないは、時間と共に進む社会を考慮すれば、良き対応の有り様ではないだろうか。過ちを受け入れられる社会は 社会をより柔軟に、運営、考えるのに幅を持たせて 広い視野と優しさをもつ社会になるのではないだろうか。
上記の過程で、責任者がミスを冒したことについて、後で、相当な責任を求められるのは当然である。しかしながら、入試などで真剣に取り組まない教職員はいないから、人間の過ちは避けられないものとして、社会的に大きな影響を与えても、寛容な処分を考慮するのが良いと考える。
もちろん、簡単に、相当の混乱も無く、修正できる場合には、上記責任者が 修正するのは是であるが、入試のミスが結構起きて、入試は一種のゲームや偶然性があると考える世相、文化は社会の有り様として、良いのではないだろうか。
背後には、入試をもっと軽く、柔軟に考えられる社会を志向しようという精神がある。それでも上手く回る社会の在り様、柔軟性を広く志向することである。如何であろうか?
計算機の普及で 多くが几帳面になり、社会が細かく、厳密化する傾向を生み、人間の精神が、心が窮屈になる環境に向かうのではないだろうか。これは 将来における大きな懸念になる概念ではないだろうか。
新年度に入ってや 1年以上も経って、合否の判定を覆すのは 社会混乱であり、行き過ぎではないだろうか。

以 上

 

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