イスラム教の国で「マンガ」の可能性が再発見される。「ムスリムの女の子には、少女マンガは超衝撃的」
日本のマンガは、なぜ世界で支持を集めたのか? その真髄も見えた。
きに剣を抜き、悪を倒す戦闘美少女。恋に溺れながらも成長する女子高校生。強さと引き換えに命を差し出す魔法少女。誰だって一度は夢見たはずだ。マンガに出てくる女の子に。
でも、この夢は案外「当たり前」なことではない。
でも、この夢は案外「当たり前」なことではない。
イスラム教の女の子には、少女のための少女の物語が超衝撃的
ムスリムの女性にはどんなイメージを持つだろうか? きっと多くの人が顔をヒジャブで覆った姿だろう。肌の露出を禁じたり、就業の制限など、戒律の厳格さから、女性の自由が認められないと言う人もいるかもしれない。
もちろん、現在では戒律が緩和されてきた部分はある。しかし、日本のように自分の進路や恋愛に悩み葛藤する姿は、どこか新鮮に映るのだろう。
「統計資料を見たわけではないのですが、モロッコに限らず、イスラム国家全体にとって、日本のマンガの中の自由な女性像が、良くも悪くも興味を持って受け取られているようです」
そう語るのは、マンガ家で画家の田村吉康さんだ。彼は月刊少年ジャンプで「筆神」などの連載を持っていた経験を活かし、マンガのワークショップを世界各地で開催している。先日、昨年訪れたモロッコでの様子をツイートし、話題になった。
モロッコでのマンガ事情
モロッコでは、フランス語も話される。そのため、日本のマンガのフランス語版がある程度流通しているそうだ。
大使館で開催されたワークショップの参加者は若い女性が多かった。大使館によると、モロッコの識字率は50%ほど。もちろんその数は「都市部の男性」と「農村部の女性」でグラデーションがある。
「字が読めない女性達は、代わりに編み物で日記のような記録をつけるなどしている例もあり、決して教養がないわけではありません」
「それでも、フランス語が読めて、日本のマンガに興味を持つのはエリートの中でも変わり者。でも、すごく熱心な若者もいて感動しました」
日本のマンガが海外作品と決定的に違う点
田村さんは、ワークショップで何を教えているのだろうか?
自身のキャリアの話をしながら、日本のマンガの歴史を伝える。そして、各社から提供してもらったペンを使い、実技に入る。このとき大事にしているのは「日本のマンガキャラクターが持つ特徴」を伝えること。それは「弱さ」だ。
キャラクターを描いてもらう際、「そのキャラクターが苦手なものとその理由も考えましょう」と宿題を出す。
なぜ、そんなことをするのだろう? 田村さんは「弱点をもったキャラクターこそが日本のマンガの特徴」だと言う。
アメコミをはじめとする西欧のキャラクターは、大抵の場合、強く正しく、絶対的な勝利が暗黙の前提としてあるそうだ。普通の人を助けてくれる存在として描かれる。
一方、日本のマンガは主要人物が途中で死亡したり、主人公が変わる場合すらある。これは、手塚治虫が、作中でキャラクターを殺したことから始まると田村さんは分析している。
手塚作品以外にも、弱点を持つキャラクターは多い。ルフィーは海賊だけれど泳げない。セーラームーンはドジっ子で泣き虫。碇シンジは逃亡しようとするし、かばんちゃんは記憶がない。
大きな力を持ちながらも、「弱点」を持った日本マンガのキャラクターには、「仲間」や「友達」が不可欠だ。彼らは周りの人に支えられながら成長する。
田村さんは、ワークショップで「弱さ」を伝えるにあたってこんなエピソードを紹介している。
私は、日本でマンガの物語の作り方を勉強した時に、こんな話を聞きました。スーパーマン等の、アメリカのコミックスのヒーローの場合、それを読む子供達は、「自分もスーパーマンになりたい」と言います。
しかし、ワンピース等の、日本のマンガを読んだ子供は、「ルフィになりたい」とは言わず、「ルフィと友達になりたい」「ルフィと一緒に冒険をしたい」と言う場合が多いのだそうです。
生きているキャラクターには必ず弱点がある。弱さの理解こそが、日本的なキャラクターを魅力づけるというのだ。
日本のマンガ家が抱える危機感と可能性
さて、田村さんの話を聞いて疑問が湧いた。なぜ、彼は海外でこのような活動をするのか? 日本はマンガ大国だ。十分に市場はあるのではないか?
田村さんは「日本のマンガ制作現場は大きな変革の波が起きている」と言う。作画のデジタル化が進み、かつてのようなアシスタント制度が減少しつつあるのだ。加えてネットの普及と出版不況が相まって、プロアマの境界線はどんどん曖昧になってきた。
「日本国内には、マンガ制作のノウハウを持つ者が、すでに飽和状態にあります。マンガはもともと、紙に大量に印刷されることを前提として、戦後から発展した形式なので、これからのインターネットを主体としたメディアでは、形式が変化・衰退する可能性もあります」
一方、海外ではその需要が高まってきている。発展途上国などネット環境が整ってない地域では紙で描かれるマンガは日本以上に受け入れられる可能性もある。とはいえ、教える人がいないのが現状だ。だったら、自分が伝えていけばいい。こうした思いから、田村さんは世界各地を飛び回る。
「弱さ」を魅力に持つ、日本のマンガが広がっていった先には、どんな世界が待っているのだろう。田村さんはこのようにモロッコを締めくくった。
「日本のマンガが、貧しい国々や、文化的に恵まれない立場の子供たちに希望を与え、勉強への意欲を持たせ、異文化に触れる窓口になる、こともあるので、これからも、マンガがますます世界に広がるとともに、日本のマンガ家も、もっと直接、世界に出かけ、技術やノウハウが伝わる機会が増えればいいなと思います」
「その上で、将来、日本のマンガと外国の文化が融合した、ハイブリッドのような作品が生まれることを期待しています」https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/yoshiyasu-tamura?utm_term=.ohxV7qw33#.miwn5XWjj
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明34(2010/04/16):日本のビジネス―日本料理店の海外展開
日本製品として、国際的に高い評価を得て、世界の富を日本国にもたらしてきたものとして、家電、カメラ、半導体、自動車などが 顕著なものとして、想起される。しかしながら、諸外国の台頭によって、日本国の大きな目玉となる産業にかげりが見えてきており、 国内には失業者があふれ、経済不振と、慢性的な財政赤字に陥っている。 日本国の再生の基礎は、根本的には教育を正し、精神をきたえ直す必要があると考えるが 一つの戦略を具体的に提案したい。要旨は世界の多くの都市に、日本料理店を展開すること である。
先ず、食に対する関心の深さは いずこも同じで、生きることとは 食べること にも通じるものがあり、食に対する関心、経費は、人間存在と活動の大きな部分を占めるという事実から、認識を深める必要がある。 日本料理は健康食品であると同時に、際立った特徴を有し、幸い、日本料理に対する世界の人々の関心の深さは 驚くべきものであり、現状よりは遥かに大きなビジネスチャンスを有すると考える。多くの日本人に、海外の日本料理店で働く職場を広く開拓して、同時に日本の文化を海外に紹介し、また逆に、日本人は海外に出ることによって、国際的な広い視野をもつ機会が得られて、好ましい効果が期待される。
これらのことは、比較的簡単に 少ない投資と準備で実現でき、大きな経済的、文化的な効果が望めると考える。 一つの国家戦略にしようではありませんか。 世界の多くの都市に、日本国の象徴として、美しい日本料理店を展開し、日本の文化を世界に紹介する拠点にしようではありませんか。 若者の雇用や、経済、文化への波及効果は 大きいと考える。もちろん、世界の平和にも大きく貢献するものと考える。
具体的に 次のように提案したい:
経済産業省、外務省、農林水産省などの関係省庁の積極的な援助、
文部科学省は、料理学校などを充実、格あげし、合わせて関係教養教育の充実も図る、
外国人向け 観光関係機関の積極的な支援、
国防省の組織的な支援: たとえば、5000億の資金を兵器の購入にかけるより、そのような面で援助して、日本料理店を通して世界の情報を組織的に得るシステムを確立する、また平和のための戦略を進め、観光促進の拠点にもする。 これこそ、愚かな軍事費を美しい営みにまわしたいとの想いの 現実的な一つの提案になるのではないだろうか。
日本料理店を拠点に、先ずは、世界的の人々の関心が期待される花道、茶道などの組織的な教室の開講を意図する。 また、そのような関係組織との連携を図る。さらに、日本庭園などの文化的な輸出も展望する。
既に相当数、日本人のいない日本料理店が存在する状況を調べて、日本人の派遣による より日本的な料理を浸透させるのは、最も手短な第1歩になると考える。 また、日本料理店の評価機関の設置の検討なども、なされるべきであると考える。
美しい特徴をもつ日本文化を もっと世界で活かそうではありませんか。 関係者のご検討と積極的な取り組みを期待したい。
以上
再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。
偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。
以 上
再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
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