2017年8月28日月曜日

【大纪元2017年08月26日讯】(大纪元记者张秉开编译报导)考古学家发现迄今最古老的数学知识,至少可追溯至3500年前。而且这种古代数学理论之高深,甚至对现代的数学家也有启发。

【大纪元2017年08月26日讯】(大纪元记者张秉开编译报导)考古学家发现迄今最古老的数学知识,至少可追溯至3500年前。而且这种古代数学理论之高深,甚至对现代的数学家也有启发。

澳洲科学家在最新一期《数学历史》(Historia Mathematica)的研究论文中描述了这一惊人的发现。
上个世纪初,科学家在现今伊拉克境内发现编号为Plimpton 322的古代巴比伦黏土楔形文字板(以下简称“楔板”)。
科学家知道,这块楔形文字黏土板反映出数千年前古代美索不达米亚文明的特点,但是一百年来一直对楔板上的具体内容困惑不解,不知道其中的具体涵义。悉尼新南威尔士大学(University of New South Wales Sydney,英文缩写UNSW)数学与统计学院的丹尼尔.曼斯菲尔德博士(Daniel Mansfield )和诺曼.威尔伯格(Norman Wildberger)经过仔细研究,终于确认其文字阐述如何使用六十进制的数学方法分析直角三角形。楔形文字叙述的具体内容是根据此方法计算出的三角函数表。
这块20厘米见方的楔形文字版描述的是三角函数表。(UNSWTV视频截图)
而这种至少3500年的古巴比伦数学方法不仅比古希腊流传下来的三角学要早1500年以上,而且是与古希腊数学不同的另外一种数学方法。
曼斯菲尔德博士表示,其年代可追溯至公元前1822年至1762年,其分析三角形的方法更为精确。目前不清楚古代巴比伦人是怎样在实践中应用这种数学方法的,但是这种新方法会对现代数学家有所启示。
科学家推测,古巴比伦人可能在建筑中使用精深的数学,因此留下如此雄伟的宫殿和庙宇。(UNSWTV视频截图)
据科技网站Gizmodo8月25日报导,威尔伯格表示,这块楔板充分说明了古巴比伦数学极其艰深复杂。
威尔伯格说:“这块Plimpton 322楔板比古希腊天文学家希帕克(Hipparchus)应用数学的时间早1000年以上。现代数学的研究和教育可以利用它来开拓新领域,因为Plimpton 322所叙述的三角学比我们现在的数学知识更简单而精确。”
但是,科学家不能解释古巴比伦为什么有如此发达的数学。#http://www.epochtimes.com/gb/17/8/25/n9567348.htm


数学の歴史は古い:

再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算

表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:



再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)

まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9

アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%

非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。
ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。

ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。

この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。

ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。

何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。

もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。

そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。

ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。

この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。

平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。

一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。

ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。

以上

上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。

この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。

ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。

以 上


Matrices and Division by Zero z/0 = 0

再生核研究所声明309(2016.06.28) 真無限と破壊 ― ゼロ除算
3辺の長さをa,b,cとする三角形を考える。その位置で、例えば、1辺bをどんどんのばしていく。一方向でも、双方向でも良い。どこまでも、どこまでも伸ばしていくとどうなるであろうか。bは限りなく長くなるが、結局、辺bは a, cの交点Bと平行な直線になって、 それ以上伸ばすことや長くすることはできないことに気づくだろう。正方向だけに伸びれば、辺cは辺bの方向と平行な半曲線に、負の方向に伸びれば、同様に辺aもBを通るbの方向と平行な半曲線になる。いずれの場合にも、bはそれ以上伸びないと言う意味で真無限の長さと表現できるだろう。もちろん、有限の長さではない。大事な観点は、ある意味で、もはやそれ以上伸びない、大きくならないという意味で、限りがあるとも言える無限である。
途中で作られる三角形の面積は辺cをどんどん伸ばしていくと、どんどん増加し、従来の数学では、面積は無限に発散すると表現してきた。平行線で囲まれる(?)面積、あるいは、平行線で囲まれる(?)部分を切った部分(一方向に辺cを伸ばした場合)は面積無限であると考えるだろう。ところがゼロ除算は、それらの面積はゼロであると述べている。 一般に、長さcをどんどん大きくしていくと、幾らでも大きくなって行くのに対して、真無限に至れば突然ゼロになるという結果がゼロ除算の大事な帰結である。 この現象は関数y=1/x の様子をxが正方向からゼロに近づいた状況を考えれば、理解できるだろう。 1/0=0 である。― c を無限に近づけた状況を知るには、1/c の原点での状況を見れば良い。
実に美しいことには、上記三角形の面積の状況は、3直線で囲まれた部分の面積を3直線を表す方程式で書いて、ゼロ除算の性質を用いると、解析幾何学的にも導かれるという事実である。ゼロ除算の結果を用いると、解析幾何学的に証明されるという事実である。
この事実は普遍的な現象として破壊現象の表現として述べられる。直方体の体積でも、1辺を真無限まで伸ばせば、体積はゼロである。円柱でも真無限まで伸ばせば、体積はゼロである。真無限まで行けば、もともとの形が壊れているためと自然に理解できるだろう。
円や球の場合にも、半径が真無限まで行けば、半平面や半空間になるから、同じように面積や体積がゼロになる。これらは、ゼロ除算と解析幾何学からも導かれ、ゼロ除算は基本的な数学であることが分かる。このことは、空間は、限りなく大きなものではないということをも述べていて、 楽しい。

以 上

再生核研究所声明3652017.5.12目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算
(2017.5.11.4:45 頃 目を覚ましたら、突然表題とその構想が情念として湧いてきたので、そのまま 書き留めて置きたい。)
そもそもゼロ除算とは、ゼロで割る問題であるが、ゼロの発見者、算術の確立者が既に 当時、0/0=0としていたにも関わらず(Brahmagupta (598 - 668 ?). defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628))、1300年以上もそれは間違いであるとして、現在に至っている。最近の知見によれば、それは 実は当たり前で、現代数学の初歩的な部分における大きな欠落で、現代数学の初歩部分は相当な修正、補充が要求されている。問題は、無限の彼方に対する概念が 無限と考えられていたのが 実はゼロであったとなり、ユークリッド幾何学の欠落部分が存在し、強力な不連続性が現れて、アリストテレスの世界観に反する世界が現れてきたことである。超古典的結果の修正、補完、新しい世界の出現である。
初等数学は 無限の概念や勾配が関係する部分で大きな変更が必要であり、2次曲線論ですら 修正が要求される。多くの物理学や数理科学に現れる公式において 分母がゼロのところで、新しい知見を探す、考えることができる。

ところで、数学とは何だろうかと問い、その中で、良い結果とは、

基本的であること、
美しいこと、
世の中に良い影響を与えること、


上記の観点で、想い出されるのは、ピタゴラスの定理、アインシュタインの公式、ニュートンの万有引力の公式や運動の法則、少し、高級であるが 神秘律 オイラーの公式 などである。
この観点で ゼロ除算の公式

1/0=0/0=z/0=0

を掲げれば、その初歩的な意味とともに 神秘的に深い意味 を知って、慄然とするのではないだろうか。それゆえにゼロ除算の研究は 世界史的な事件であり、世界観に大きな影響を与える。ゼロ除算は初等部分から 神秘律に至る雄大な研究分野であると言える。

探そうゼロ除算、究めようゼロ除算の意義。神の意思を追求しよう。

ゼロ除算は、中学生からはおろか、小学生にも分かって 楽しめる数学である。実際、道脇愛羽さん(当時6歳)は、ゼロ除算の発見後3週間くらいで、ゼロ除算は当たり前と理由を付けて、述べていた。他方、多くの大学教授は 1年を遥かに越えても、理解できず、誤解を繰り返している面白い数学である。世界の教科書、学術書は大きく変更されると考えられる。多くの人に理解され、影響を与える研究課題は、世に稀であると言える。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…


再生核研究所声明3712017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html

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