2017年8月31日木曜日

吴国平: 拓扑学到底有多重要? 在数学中占据多高的地位?

吴国平: 拓扑学到底有多重要? 在数学中占据多高的地位?

如果吴老师给大家一个三角形,你会想到什么?边长、角度、周长、面积、三角形的稳定性等等,这些都是大家很容易想到的地方。
如下图:
现在我们把这个三角形的三边换成橡皮圈,就构成一个用橡皮圈材料组成的三角形。此时,我们对这个橡皮圈进行拉升、扭转等活动,使它形成新的图形,如四边形、圆等等。
如下图:
提醒大家:拉升、扭转等等活动一定要在橡皮圈的弹性范围内,这样就防止橡皮圈不被弄断或撕裂,保证橡皮圈的永远是一个“圈”。
我们在拉升或扭转橡皮圈过程中,哪些量可能发生变化呢?如三角形变成四边形,角度、长度、面积、形状等等都很可能发生变化。此时,我们要求大家“摒弃”这些常规度量的性质(如长度、面积、形状等等这些),只考虑物体间的位置关系,而不考虑它们的形状和大小,这时候大家又发现什么?
有些人可能有点迷茫,如果一个几何图形不去研究周长、面积等等这些性质,那剩下还能研究什么?就像这个橡皮圈,不去管拉升、扭转之后可度量的周长、面积等等变化,只专注于橡皮圈本身从三角形到四边形,在连续改变形状后还能保持不变的一些性质,这就是拓扑学。
同一个橡皮圈从三角形到四边形,长度、面积、形状等等改变了,但在拓扑学上不会去管这些变化,拓扑学只研究和关注这个橡皮圈的“圈”上面。
在以前一篇文章当中,本人讲到“七桥问题”如何被解决,以及“七桥问题”对后续数学发展起到哪些影响等等。
18世纪初普鲁士的哥尼斯堡,有一条河穿过,河上有两个小岛,有七座桥把两个岛与河岸联系起来。有个人提出一个问题,一个人怎样才能不重复、不遗漏地一次走完七座桥,最后回到出发点。这个看起来很简单又很有趣的问题吸引了大家,很多人在尝试各种各样的走法,但谁也没有做到。看来要得到一个明确、理想的答案还不那么容易。
欧拉于1736年研究并解决了此问题,把它转化成一个几何问题,他把问题归结为的“一笔画”问题,证明上述走法是不可能的。
欧拉解决这个问题最聪明地方就是把问题简化,他把两座小岛和河的两岸分别看作四个点,而把七座桥看作这四个点之间的连线。欧拉在解决“七桥问题”的时候,他画的图形就不考虑它的大小、形状,仅考虑点和线的个数,这些就是拓扑学思考问题的出发点。
因此,“七桥问题”就简化成,能不能用一笔就把这个图形画出来,这是拓扑学的“先声”。
欧拉在解决“七桥问题”过程中,就是拓扑学最原始的“形态”,只不过在当时这些问题被当做一些孤立的问题来处理,随着拓扑学不断发展,这些问题在拓扑学的形成中占着重要的地位。
类似像“七桥问题”这样拓扑学“先声”的事件,还有“四色问题”、“欧拉定理”等等。“四色问题”等拓扑学经典问题都向我们展现了拓扑学的广泛应用以及它独特的思考方式。
从以上简单的叙述中,大家应该能“粗略”的了解到什么是拓扑学,或拓扑学主要是做什么工作。拓扑学,直接点讲就是研究几何图形或空间在连续改变形状后还能保持不变的一些性质的学科。
大家一定要记住一点:拓扑学只考虑物体间的位置关系而不考虑它们的形状和大小。
拓扑学起初叫形势分析学,是德国数学家莱布尼茨1679年提出的名词。他在17世纪提出“位置的几何学”(geometria situs)和“位相分析”(analysis situs)的说法。
欧拉在1736年解决了七桥问题,给当时数学界引起很多思考;
欧拉在1750年发表了多面体公式;
在1833年,高斯在电动力学中用线积分定义了空间中两条封闭曲线的环绕数。
在1847年,J.B.利斯廷根据希腊文τόπος和λόγος(“位置”和“研究”),提出Topology这一数学名词,即拓扑学。Topology,直译是地志学,最早指研究地形、地貌相类似的有关学科。
之后在19世纪中期,即1851年左右,德国数学家黎曼在复变函数的研究中提出了黎曼面的几何概念,并且强调为了研究函数、研究积分,就必须研究形势分析学,从此数学界开始了现代拓扑学的系统研究。
拓扑学可以说是一门非常抽象的数学分支学科,同时也是几何学一个分支,主要研究几何图形在连续变形下保持不变的性质,现在已成为研究连续性现象的重要的数学分支。但拓扑学与通常的几何学区别非常大,如我们熟悉的平面几何或立体几何研究的对象是点、线、面之间的位置关系以及它们的度量性质,而拓扑学对于研究对象的长短、大小、面积、体积等度量性质和数量关系都没有关系,它只在乎研究几何图形或空间在连续改变形状后还能保持不变的一些性质的学科。
因此,在拓扑学里没有不能拉升、扭转、弯曲的元素,每一个图形的大小、形状都可以改变,这也就是为什么说拓扑最重要的性质就是连通性与紧致性。
看到这里,大家是不是觉得拓扑学很“任性”?
拓扑学经过几代数学人不断努力的发展,它不仅仅是一门研究几何图形在连续变形下保持不变的性质的学科,更是一门在现代数学、自然科学以及社会科学等众多领域中应用极为广泛的数学学科。
拓扑学源于对周围世界的直观观察,把生活数学化、大自然数学化、社会数学化等等,因此,我们学习拓扑学,就相当于以一种独特的视角去将世界数学化。
就像前面讲的对于一个橡皮圈,我们在它的弹性范围之内,任意进行拉长、扭转等等“不人道”行为,但不能弄断或撕裂,要保证橡皮圈永远是一个橡皮圈。那么我们在拉升、扭转等过程中,橡皮圈的长度、形状等发生改变,但在拓扑学里,我们是不会去理会这些度量性质上的变化,拓扑学只专注于橡皮圈的“圈”上。
如我们把一个橡皮制的三角形,进行任意的拉升、扭转,得到另一形状的四边形,我们称这两个图形,三角形和四边形在拓扑上是一种“同胚”或“等价”的结构。广义的来说,在一个物体到另一个物体的对应关系,如果它是不间断,又不重复,则在拓扑上称这个关系在两物体间建立一个“同胚”变换。两个物体间如果存在有这种关系,则称它们为“拓扑同胚”。从这个角度来讲,拓扑学可以说是探讨同胚的拓扑空间所共有的性质的一门学科。一个几何图形的性质,经由一拓扑变换作用后维持不变,该性质称为图形的拓扑性质。
拓扑学完全不同于我们所学的其他数学课程,如高等代数、数学分析、复变函数、解析几何、常微分方程等等。 因此,基于拓扑学这种特殊性,这门课程学起来就会显得非常抽象,要求学习者具有较高的逻辑推理能力和抽象思维能力。
连续性与离散性这对矛盾在自然现象与社会现象中普遍存在着,数学也可以粗略地分为连续性的与离散性的两大门类。拓扑学对于连续性数学自然是带有根本意义的,对于离散性数学也起着巨大的推进作用。例如,拓扑学的基本内容已经成为现代数学工作者的常识。拓扑学的重要性,体现在它与其他数学分支、其他学科的相互作用。拓扑学在泛函分析、实分析、群论、微分几何、微分方程其他许多数学分支中都有广泛的应用。
我们非常熟悉的计算机网络、欧拉定理、曲面、向量场、四色问题、结、覆盖等等,都是拓扑学研究的重要课题。
如计算机网络的拓扑结构是引用拓扑学中研究与大小,形状无关的点、线关系的方法。我们把网络中的计算机、通信设备、工作站、服务器等网络单元抽象为一个“点”,把传输介质(电缆)等抽象为一条“线”,由点和线组成的几何图形就是计算机网络的拓扑结构。
网络的拓扑结构反映出网络中各实体的结构关系,是建设计算机网络的第一步,是实现各种网络协议的基础,它对网络的性能,系统的可靠性与通信费用都有重大影响。
拓扑在计算机网络中即是指连接各结点的形式与方法。
经过长时间的发展,拓扑学由几何学与集合论里发展出来的学科,研究空间、维度与变换等概念。从拓扑学所衍生出来的知识已和近世代数、分析共同成为数学理论的三大支柱。
拓扑学的最简单观念产生于对周围世界的直接观察,直观的说,关于图形的几何性质探讨,不“理会”它们的“度量”性质(长度、角度、周长、面积、体积等等)方面的知识,多数的讨论都是围绕在那些与大小、位置、形状无关的性质上。
拓扑学不仅仅在数学世界发挥重要作用,更在物理学、化学、生物学、语言学等方面起到重要作用。如拓扑学的概念和方法对物理学(如液晶结构缺陷的分类)、化学(如分子的拓扑构形)、生物学(如DNA的环绕、拓扑异构酶)都有直接的应用何影响。
不管是拓扑学在数学当中的重要性有多高,还是它对其他学科所起到的影响力等等,单单是学习拓扑学就可以帮助我们进行高层次的思维锻炼,提高我们的思维高度等等,就值得我们认真去学习拓扑学这一门学科。
大学期间拓扑学的学习,主要分成两部分内容来学习:一般拓扑学和代数拓扑学。
一般拓扑学分为了八章,分别是:
集合论与逻辑、拓扑空间与连续函数、连通性与紧致性、可数性公理与分离公理、Tychonoff定理、度量化定理与仿紧致性、完备度量空间与函数空间、Baire空间和维数论。
代数拓扑学分为了六章,分别是:
基本群、平面分割定理、Seifert-van Kampen 定理、曲面分类、 复叠空间分类、在群论中的应用。
由于篇幅有限,一篇文章不能对拓扑学进行更加细致化的讲解,不到之处,敬请谅解。后续本人将会对拓扑学相关知识内容进行更多“浅薄”的讲解,希望大家喜欢。返回搜狐,查看更多
声明:本文由入驻搜狐号的作者撰写,除搜狐官方账号外,观点仅代表作者本人,不代表搜狐立场。http://www.sohu.com/a/168411387_109415

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明3432017.1.10)オイラーとアインシュタイン

世界史に大きな影響を与えた人物と業績について

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。

オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質エネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上


再生核研究所声明3472017.1.17) 真実を語って処刑された者

まず歴史的な事実を挙げたい。Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシア数学者哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた(ウィキペディア)。辺の長さ1の正方形の対角線の長さが ル-ト2であることがピタゴラスの定理から導かれることを知っていたが、それが整数の比で表せないこと(無理数であること)を発見した弟子Hippasusを 無理数の世界観が受け入れられないとして、その事実を隠したばかりか、その事実を封じるために弟子を殺してしまったという。
また、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる(ウィキペディア)。

さらに、新しい幾何学の発見で冷遇された歴史的な事件が想起される:
非ユークリッド幾何学の成立
ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。
ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した(ウィキペディア)。

知っていて、科学的な真実は人間が否定できない事実として、刑を逃れるために妥協したガリレオ、世情を騒がせたくない、自分の心をそれ故に乱したくない として、非ユークリッド幾何学について 相当な研究を進めていたのに 生前中に公表をしなかった数学界の巨人 ガウスの処世を心に留めたい。
ピタゴラス派の対応、宗教裁判における処刑、それらは、真実よりも権威や囚われた考えに固執していたとして、誠に残念な在り様であると言える。非ユークリッド幾何学の出現に対する風潮についても2000年間の定説を覆す事件だったので、容易には理解されず、真摯に新しい考えの検討すらしなかったように見える。
真実を、真理を求めるべき、数学者、研究者、宗教家のこのような態度は相当根本的におかしいと言わざるを得ない。実際、人生の意義は帰するところ、真智への愛にあるのではないだろうか。本当のこと、世の中のことを知りたいという愛である。顕著な在り様が研究者や求道者、芸術家達ではないだろうか。そのような人たちの過ちを省みて自戒したい: 具体的には、

1)  新しい事実、現象、考え、それらは尊重されるべきこと。多様性の尊重。
2)  従来の考えや伝統に拘らない、いろいろな考え、見方があると柔軟に考える。
3)  もちろん、自分たちの説に拘ったりして、新しい考え方を排除する態度は恥ずべきことである。どんどん新しい世界を拓いていくのが人生の基本的な在り様であると心得る。
4)  もちろん、自分たちの流派や組織の利益を考えて新規な考えや理論を冷遇するのは真智を愛する人間の恥である。
5)  巨人、ニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取争いに見られるような過度の競争意識や自己主張は、浅はかな人物に当たるとみなされる。真智への愛に帰するべきである。

数学や科学などは 明確に直接個々の人間にはよらず、事実として、人間を離れて存在している。従って無理数も非ユークリッド幾何学も、地球が動いている事も、人間に無関係で そうである事実は変わらない。その意味で、多数決や権威で結果を決めようとしてはならず、どれが真実であるかの観点が決定的に大事である。誰かではなく、真実はどうか、事実はどうかと真摯に、真理を追求していきたい。
人間が、人間として生きる究極のことは、真智への愛、真実を知りたい、世の中を知りたい、神の意思を知りたいということであると考える。 このような観点で、上記世界史の事件は、人類の恥として、このようなことを繰り返さないように自戒していきたい(再生核研究所声明 41(2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。

以 上

再生核研究所声明3652017.5.12目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算
(2017.5.11.4:45 頃 目を覚ましたら、突然表題とその構想が情念として湧いてきたので、そのまま 書き留めて置きたい。)
そもそもゼロ除算とは、ゼロで割る問題であるが、ゼロの発見者、算術の確立者が既に 当時、0/0=0としていたにも関わらず(Brahmagupta (598 - 668 ?). defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628))、1300年以上もそれは間違いであるとして、現在に至っている。最近の知見によれば、それは 実は当たり前で、現代数学の初歩的な部分における大きな欠落で、現代数学の初歩部分は相当な修正、補充が要求されている。問題は、無限の彼方に対する概念が 無限と考えられていたのが 実はゼロであったとなり、ユークリッド幾何学の欠落部分が存在し、強力な不連続性が現れて、アリストテレスの世界観に反する世界が現れてきたことである。超古典的結果の修正、補完、新しい世界の出現である。
初等数学は 無限の概念や勾配が関係する部分で大きな変更が必要であり、2次曲線論ですら 修正が要求される。多くの物理学や数理科学に現れる公式において 分母がゼロのところで、新しい知見を探す、考えることができる。

ところで、数学とは何だろうかと問い、その中で、良い結果とは、

基本的であること、
美しいこと、
世の中に良い影響を与えること、


上記の観点で、想い出されるのは、ピタゴラスの定理、アインシュタインの公式、ニュートンの万有引力の公式や運動の法則、少し、高級であるが 神秘律 オイラーの公式 などである。
この観点で ゼロ除算の公式

1/0=0/0=z/0=0

を掲げれば、その初歩的な意味とともに 神秘的に深い意味 を知って、慄然とするのではないだろうか。それゆえにゼロ除算の研究は 世界史的な事件であり、世界観に大きな影響を与える。ゼロ除算は初等部分から 神秘律に至る雄大な研究分野であると言える。

探そうゼロ除算、究めようゼロ除算の意義。神の意思を追求しよう。

ゼロ除算は、中学生からはおろか、小学生にも分かって 楽しめる数学である。実際、道脇愛羽さん(当時6歳)は、ゼロ除算の発見後3週間くらいで、ゼロ除算は当たり前と理由を付けて、述べていた。他方、多くの大学教授は 1年を遥かに越えても、理解できず、誤解を繰り返している面白い数学である。世界の教科書、学術書は大きく変更されると考えられる。多くの人に理解され、影響を与える研究課題は、世に稀であると言える。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…


再生核研究所声明3712017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html

再生核研究所声明376(2017.7.31): 現代初等数学における間違いと欠落 ― ゼロ除算の観点から

ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考える事であるが、多くの人は 直ぐに出来るはずがない、できないのに決まっている、あるいは できても我々には関係がないとして、初めから興味も関心も抱かない状況が広く見られる。そこで、関心を懐き、真実を知って欲しいとの観点から、ゼロ除算が多くの人の問題であり、人生、世界の見方に大きな影響を与えることを簡潔に述べたい。

まず、ゼロで割ることについては、世の考えは基本的に間違がった考えに満ちている ことを言明したい:

1.ゼロ除算未定義は適切ではなく、自然な意味での拡張で、ゼロ除算は可能であり任意の複素数zに対して何と単純明快にz/0=0である。もちろん、普通の分数の意味ではないことは 当然である。ところが、数学や物理学等の多くの公式における分数は、拡張された分数の意味を有していることが広く認められた。ゼロ除算を含む簡単で、自然な体の構造も確立されている。― ゼロ除算は 代数学的にも完全である。

2.複素解析学でいわゆる無限遠点は1/0=0で、複素数0で表される。― これは無限で表されると考えられてきたから、実際、 天と地をひっくり返す 天動説が地動説に変わるような 新事実、新現象である。

3.円に関する中心の鏡像は無限遠点ではなくて、中心それ自身であること。
 
これら 超古典的な結果に間違いが存在する。沢山の証明とそれらを裏付ける結果が沢山得られている。それらに基づいた展開が既に相当なされている。

4.孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。その値が大事な意味を有する。
典型的な例は、\tan (\pi/2) =0 で、x,y 直交座標系で y軸の勾配がゼロであること。
ゼロ除算算法の導入 ― 分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、そこで意味のある広い世界。従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていたこと。微分法の多くの公式の変更。微分方程式の特異点についての新しい知見、孤立特異点で微分方程式を満たしているという知見。孤立特異点で値を有すること、微分係数が新しく定義出来て意味をもつことから、微分方程式論には大きな欠陥が存在する:

再生核研究所声明374 (2017.7.20):微分方程式論における不完全性と問題

5.直線や平面には、原点を加えて考えるべきこと。平行線は原点を共有する。
無限遠点に関係する図形や公式の変更。ユークリッド空間の構造の変更、修正。
接線や法線の考えに新しい知見。曲率についての定義のある変更。図形の破壊現象の統一的な説明。例えば半径無限の円(半平面)の面積は、実はゼロだった。確定された数としての無限大、無限は排斥されるべきこと。これらは、アリストテレスの世界観に反し、 ユークリッド空間の完全化を与える。ゼロ除算による世界の構造の統一的な説明。物理学などへの応用等等:
再生核研究所声明373 (2017.7.17): 高木貞治 「解析概論」の改変構想 

6.ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、文学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ― ( 研究・教育活動への参加を求めて)
                                     以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://okmr.yamatoblog.net/division%20by%20zero/announcement%20326-%20the%20divi
http://okmr.yamatoblog.net/

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017



0 件のコメント:

コメントを投稿