中居正広の「苦手な人を作らないために、やりやすい人も作らない」生き方 - てれびのスキマ
文春オンラインでもおなじみ、テレビっ子ライター・てれびのスキマさんがこのたび『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)を刊行しました。
有吉弘行、岡村隆史、香取慎吾、黒柳徹子、清水富美加、タモリ、友近、ふなっしー、宮沢りえ、百田夏菜子、レイザーラモンRG……、100人の有名人がテレビで発した「何気ない一言」。放送が終われば消えて行く言葉のなかに見える人物像、人生哲学とは一体どんなものでしょうか? 発売を記念して、今回は特別に、文庫収録された5つのコラムを全文公開します!
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©文藝春秋
中居正広は番組で司会をするうえで決めているポリシーがある。それが「やりやすい人」を作らないというものだ。「やりやすいなと思ったら、違う人が来たときにやりにくいって感じちゃうから」と。
今や、アイドル界のみならず、日本のテレビ界を代表するバラエティ番組のMCである中居。彼が、その道を志したのはまだデビュー間もない10代の頃だった。当時、アイドルの主戦場であった歌番組がほとんどなくなっていた。そこでSMAPが活路を見出そうとしたのがバラエティ番組だった。
「どこまでエンターテインメントにするかということについては、非常識を常識にするということに関して、僕らは腹をくくる準備と覚悟はあった」(※1)
中居は「アイドルも普通の人間」というアイドル像を更に進め、下ネタも厭わず、歌が下手なのもネタにし、「ダメな人間でもある」とダメ人間宣言をしたのだ。
「個人的な手柄や評価、見返りを求めない、というのは重要」と中居は言う。「個人的な評価を得るためにやっていたら、やっぱり全体のバランスが濁ってしまって、仕事の完成度、個々人の力のフォーカスが合わなくなって」(※2)しまうのだと。そうしたスタンスは彼のバラエティ番組観とも合致する。「バラエティはもともと主役がいない、いるとしたら瞬間瞬間で決まってくるもの」(※3)と中居は分析している。だから、司会であろうと主役ではないのだ。SMAPでリーダーであっても主役ではないのと同じように。
たとえば中居のMCのスゴさをあらわすこんなエピソードがある。100人のゲストを相手にした番組でのことだ。その全ての人にまんべんなく話を振っていく中居。だが、たった一人だけあえて一度も振らない相手がいた。最後に「ちょっと!」とツッコませ笑いを生むためだ。そこに中居個人の好みは関係ない。あるのは緻密な戦略だけだ。それを徹底するために、30代の10年間、新しい友達を作らないようにまでしていたという。
中居はSMAPという強烈な個性を持つ集団を自らの「個」や感情を押し殺すというストイックな方法でまとめた。バラエティ番組でも同じだ。少し引いた視点から、自分の好き・嫌い関係なくバランス良く周りを活かしている。そのスタンスと戦略が「中居正広」という新時代のMCを生んだ。中居は「個」を捨てることで逆に「個」を際立たせている。
(※1)「AERA」13年5月6・13日号
(※2)「週刊SPA!」13年9月17・24日号
(※3)「広告批評」02年10月号
(※2)「週刊SPA!」13年9月17・24日号
(※3)「広告批評」02年10月号
戸部田 誠(著)
文藝春秋
2017年3月10日 発売
2017年3月10日 発売
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
(初秋、猿の家族が2日間 20頭くらい訪れ まだ渋い 3本の甘柿を食べ尽くして 近くの山に姿を消した。2014.11.9 仕事の区切りがついて、研究室から山を眺めていて 今頃どこで何をしているだろうかと気遣って 人生を想って構想が湧いたが、焦点が絞れなかった。)
猿の1団には 生息領域が 相当にしっかり有ると言える。人間でも、江戸時代以前では概ね、終日歩いて行ける距離 概ね半径40キロメートル以内くらいに 普通の人の生活圏は限られていたと言えよう。生涯でもそれを越えた世界に立ち入るのは、希なことであったのではないだろうか。婚姻なども その範囲に多くは限られていたと言える。 多くの動物には 縄張りなどの生活圏が存在していると言える。
そこで、一人の人間Aの存在範囲に思いを巡らしたい。A の存在し、想像し、活動する世界全体を Aの世界Bとして、それは、B の世界、宇宙と考えよう。勿論、B はいわゆる外なる大きな 世界と複雑に関係しているが、A が認知できる一切の世界を Bと考えよう。
何が言いたいのか。それは、大きな世界に於ける 個人の存在の小ささである。特に、個人が大きな世界、人間社会に与える影響は 普通は極めて小さいと言うことである。基本的に次のように捉えられる:
再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ― 細胞の役割
再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること
言わば、個人の物理的な制限である。
歌の世界で例えてみよう。 日本には素晴らしい歌があって、歌謡界のレヴェルは高く、愛好者も実に多く、歌については 日本は世界最高の文化ではないだろうか。俳句や、生花、盆栽、折り紙などについても言えるのではないだろうか。
そこで、Aの好みであるが、美空ひばり様の多くの歌などは、多くの日本人を感動させるだろうが、好みには個性が有って、人それぞれ、また、好みはA 自身でも時や、状況、年代でも変化して、 共感,共鳴出来る人、真の理解者は ほとんど探せない状況ではないだろうか。 これは同じく、共感、共鳴している間でも微妙に感じるところが 違うのではないだろうか。言語、文化、習慣の違う外国人などには、美空ひばり様の歌の受け止め方は相当に違っている。 そう、この声明の趣旨は見えてきた:
世界B は Aにしか分からず、本質的に人間は孤独であり、己の世界をしっかりと捉える(治める)ことの重要性 の確認である。
しかしながら、人間は本能的に、共感、共鳴し、群がりたい存在であるから、自分の世界と相手の世界の調和、相性、関係をよく捉えて、 交流を図るべきである。 その時の鍵は 社会は多様であり、個性は様々であるから、相手の選択が大事だという視点である。
声明の題名にある縄張りとは、2つの世界が交流するときの お互いの干渉に於ける、相手の世界に与える影響の微妙な評価に対する気遣いである。― これは要するに、自分の価値観や世界観を押し付けないという配慮である。
そこで、類は友をなす諺のように、いろいろ気の合う仲間による いろいろな絆を大事に育てて行くのが、人生であるとも言える。
以 上
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