驚異のオイラー・マクローリンの公式
銀河「F01004-2237」での潮汐破壊現象を描いた想像図(2017年2月27日提供)。(c)AFP/Sheffield University/Mark A. GARLIC〔AFPBB News〕
Σと∫ デザインの違い
Σの呪縛を解くシリーズも第5弾。今回のテーマは「Σと∫が現れる風景」です。前回「アルキメデスの挑戦」では、曲線の面積を求めたアルキメデスのアイデアを紹介しました。
放物線の曲線部分を小さい三角形で分割し徐々に埋め尽くしていく方法で、最終的に三角形の面積の合計が無限級数の和として求められるというものです。アルキメデスの求積法は積分法の原風景でした。
紀元前3世紀のアルキメデスから千年以上の時を経て、17世紀に∫がライプニッツ(1646-1716)によってデザインされます。
記号Σと∫の由来はともに合計SumのSです。ギリシャ文字Σはsigma、積分記号∫はSを上下に伸ばした形です。
数の違いが記号の形に表れています。Σの変数は自然数1,2,3、…です。自然数が1ずつ大きく変化する様子は階段をイメージさせます。それがΣの直角部分とピッタリ。
∫の変数は実数です。実数の特徴は自然数のような離散的ではなく連続的(滑らか)に変化するということです。無限小変化量という考え方です。それが∫の曲線に表れています。∫を使って“曲”の面積を求める求積法が積分法です。
もう1つ、Σと∫に共通していることがあります。どちらも始まり(下端)と終わり(上端)の数で合計が算出される仕組みです。
そこで今回は、Σと∫が同時に現れる風景を2つ眺めていきます。「区分求積法」と「オイラー・マクローリンの公式」です。
Σと∫が現れる風景 その1「区分求積法」
求積において重要な考え方が「下方和」と「上方和」です。これは次の図を見てもらえれば一目瞭然です。
円の面積を考える場合、図のように円の内側に接するマス目の数(面積)と、円の外側に接する円周と交わっているマス目も含めたマス目の数(面積)を比較します。
図の場合のそれぞれ16、32となるので円の面積は16よりも大きく、32よりも小さいことが言えます。このような面積をそれぞれ下方和、上方和と言います。円の面積を下方和と上方和で挟み込んでいるわけです。
円の面積が16より大きく32より小さいとはずいぶん大雑把な見積もりですが、それはマス目が大きいからです。さらに細かい方眼紙で見積もることで下方和と上方和は円の面積に近づきます。
より正確に面積を知るにはよりメッシュを細かくすればいいわけです。かくして、究極に細かく分ければ(分割数を無限にすれば)、下方和と上方和は円の面積に収束します。これが積分法の基本的な考え方です。
前回、放物線の面積をアルキメデスとライプニッツの方法で計算しました。そこで、同じ放物線の面積を下方和と上方和を計算し、分割数を無限にするという極限を取ることで計算してみます。
放物線y=x2(y=x^2)とx軸、直線x=1で囲まれた部分の面積を求めてみます。まず、x軸上の区間をn分割(n等分)します。
xが0と1の間の区間(幅1)をn等分すると、分割された一つひとつの幅は1/nです。すると、x=0を0番目のx座標x_0=0、次の1番目のx座標x_1は1/n、…、n番目のx座標x_nはn/n=1と表されます。つまり、k番目のx座標x_kはk/nというわけです。
この準備のもとで下方和sと上方和Sを計算することができます。下方和sは次のように計算され、nを無限大(分割数を無限大)にした極限は1/3と算出されます。
同様にして次の図のように上方和Sも計算できて、極限は1/3と算出されます。
Σの呪縛を解くシリーズ第1弾「1から10万や奇数、偶数を簡単にたし算する方法」で紹介した高校数学で習うΣの公式が計算途中にでてきます。
そして、最後にnを無限大にする極限の計算を行います。1/n⇒0(n⇒∞)により、下方和s⇒1/3(n⇒∞)と上方和S⇒1/3(n⇒∞)となり、放物線の面積は1/3と得られます。
以上の計算方法が区分求積法です。改めてアルキメデスの方法とライプニッツの方法の3つの求積法を比べてみると、ライプニッツの∫の威力──1行完結、極限計算なし──が実感できます。
区分求積法は、∫の計算をΣで計算するものです。次に紹介するのはこの逆です。Σの計算を∫で計算します。
Σと∫が現れる風景 その2「オイラー・マクローリンの公式」
分数のたし算1/2+1/3の計算方法は小学校で習います。通分すればいいのです。3つの分数のたし算1/2+1/3+1/4も同じく通分によって和は計算できます。
では問題です。次の分数の和を求めなさい。
1/1+1/2+1/3+…+1/999998+1/999999+1/1000000=?
100万項のたし算です。これが自然数の和ならば高校数学のΣの公式で解決します。ところがこの問題は分数の和です。高校数学のΣの公式では太刀打ち不可能です。
もちろん原理的には小学校で習った通分の方法で計算できますが、100万項の分母の通分を行うことは困難を極めます。しかし、この問題の答え──有限な数値が存在することは明らかです。一体全体どうしたらよいのでしょうか。
連載「人はたすことをやめない〜オイラーゼータ誕生物語」でオイラーがいかにしてゼータ関数を発見したのかを語りました。そこで紹介したのが調和級数です。
調和級数 1/1+1/2+1/3+1/4+1/5+1/6+1/7+1/8+1/9+1/10+1/11+…
ヨハン・ ベルヌーイ(1667-1748)はこの調和級数は発散つまり答が無限大になることを証明してみせました。ところが、次の無限級数
は収束することは証明できても収束値を得ることが誰もできませんでした。劇的に解決してみせたのがオイラー(1707-1783)です。
オイラーがこのΣの問題を解くために動員した道具こそ微分積分法です。はたして、バーゼルの問題の解決の先にオイラーがたどり着いたのがゼータ関数だったのです。その詳細は連載を見ていただくとして、今回は調和級数が有限項だったらという問題です。
面白いことに無限項ある調和級数の方が簡単で、100万項という有限項の分数のたし算の答えを得る方がはるかに難しいのです。
オイラーがバーゼルの問題を解いてみせたのが1735年のことでした。その3年前の1732年、まさにオイラーがバーゼルの問題に取り組んでいる最中に彼は驚くべき道具を作り上げていました。オイラー・マクローリンの公式です。
オイラーはこれをバーゼルの問題解決後の1738年に発表しています。1742年にはマクローリン級数で有名なスコットランドの数学者マクローリン(1698-1746)が独立に発表していることからこの名前がつけられています。
ここから一気にオイラー・マクローリンの公式を使った計算の風景を駆け抜けていきます。Σの呪縛を解くシリーズの総仕上げです。はたして、100万項の分数の答え──有限な数値に遭遇します。
オイラー・マクローリンの公式を味わう
残念ながらこの証明を行うには紙面が足りません。しかし公式を味わうことと使うことはできます。
左辺のΣは第m+1項から第n項までの数列の和です。右辺の第1項の∫はmからnまでの定積分です。ここで注目すべきは両辺に現れるfです。左辺のΣの中にあるのは、自然数kに対する数列f(k)で、右辺第1項の∫の中にあるのは実数xに対する関数f(x)です。
ざっくり見るとオイラー・マクローリンの公式は「Σ=∫+α」の形をしていることが分かります。
数列の和Σを定積分∫で評価しようという明解な目的が理解できます。数列f(k)の和Σは短冊状の“ガタガタした形の面積”です。それを関数f(x)で表される“曲線で囲まれる面積”で評価しようということです。
右辺第1項の定積分∫──“曲線で囲まれる面積”で一気に“ガタガタした形の面積”を押さえてしまいます。
α(第2項+第3項)は補正を表しています。“ガタガタした形の面積”と“曲線で囲まれる面積”の差のことです。第3項に見えるf(k)(f^(k))は関数fのk回微分を表しています。これはマクローリン級数で関数を近似する風景を連想するといいでしょう。
関数が0回微分、1回微分、2回微分、3回微分、…∞回微分までの和で表すことは誤差補正をどんどん細かくしていくことを意味しています。
オイラー・マクローリンの公式は、Σ(“ガタガタした形の面積”)=∫(“曲線で囲まれる面積”)+α(微分を用いて誤差補正)と見ることができるということです。
さらに詳しく眺めてみると右辺第3項に関・ベルヌーイ数Bも登場しています。関・ベルヌーイ数はΣ公式の一般化するときに現れることを連載「ゼータ関数を支える日本人数学者、関孝和」で紹介しました。
オイラー・マクローリン公式を適用するための準備
このようにオイラー・マクローリンの公式は、数列の和Σを精密に計算するために積分∫+微分+関・ベルヌーイ数を用いるという計算技法です。
では100万項の分数のたし算にこの公式を適用する様子を見ていくことにしましょう。
まず公式を適用するための準備をします。関数をf(x)=1/xとします。次にf(x)を7回微分まで計算して、関・ベルヌーイ数を用いてオイラー・マクローリンの公式の右辺第3項部分を第7項まで展開した式を準備します。
次がその結果です。
オイラー・マクローリン公式を用いた数値計算
準備ができたので数値計算に入ります。
問題の最初の10項部分1/1+…+1/10にオイラー・マクローリンの公式を適用すると誤差が大きくなるため、続く1/11+…+1/1000000部分の計算に公式を適用します。
したがって、左辺Σの下端と上端をそれぞれm=10、n=1000000(10^6)として、右辺のmとnにその数値を代入します。
右辺第1項は1/xの積分log xが登場します。logはネイピア数eが底である自然対数です。右辺の残りの項は分数になります。
10の-20乗程度より小さい項を省略して、小数点以下20位まで計算した結果が次です。99万9990項の分数のたし算が、たった9項の計算に集約しているのが分かります。
この数値に、はじめに計算しなかった最初の10項分の和をたし算すれば、100万項の和が得られます。
オイラー・マクローリン公式の検証
現在の電子計算機を使えば100万項の分数の計算は1行のプログラミングでできてしまいます。
電子計算機による結果と比べると、オイラー・マクローリン公式による答が小数第11位まで一致していることに驚きを禁じ得ません。
1/1+1/2+1/3+…+1/999998+1/999999+1/1000000=14.39272672286…
今から285年前、自動計算機は存在しませんでした。オイラーは調和級数に続くバーゼルの問題を解く際に、有限数列の和の計算に迫られました。そして作り出されたのがオイラー・マクローリン公式です。
Σの数値を得るためにオイラーが動員した数学は、積分法∫、微分法f'(x)、関・ベルヌーイ数B、指数、対数logです。
1/1+1/2+1/3+…+1/999998+1/999999+1/1000000のような数値計算の答えを手計算で求めることができたオイラーはどれほどの喜びだったのでしょう。
私が小学生の時、電卓を通して数値計算の魅力にとりつかれたことを連載「電卓遊びが導いた数値計算の世界」で紹介しましたが、その謎解きの中で出会った風景が三角関数、対数、微分積分法(calculus=計算法)、マクローリン級数たちでした。
なぜ、かくもたくさんの数学が数値計算の謎解きに現れてくるのだろう?
私は計算の旅をつづける中で感じるようになっていきました。そして、オイラー・マクローリン公式に遭遇した時、疑問は氷解しました。オイラーがゼータの数値計算のために、数学を総動員してつくったのがオイラー・マクローリン公式だったのです。
これまでの連載で見てきたようにアルキメデス、ネイピア、オイラー、パスカル、ライプニッツ、バベッジらは数値計算とともに新しい数学を切り開いてきたのです。そして現代に生み出されたのが電子計算機なのです。
オイラー・マクローリン公式は私に、数学の流れの底流に流れるものが数値計算と自動計算の夢であることを気づかせてくれました。
連載は数値計算の世界、Σの呪縛を解くシリーズと続けてきましたが、当初からオイラー・マクローリン公式を目指して進めてきたのでこれで一区切りつきました。
Σの計算が、さまざな数学とともに解かれていく風景をみなさんはどう感じ取ったでしょうか。これからも計算の旅は続きます。
筆者:桜井 進
非常に興味深く読みました:
再生核研究所声明343(2017.1.10)オイラーとアインシュタイン
世界史に大きな影響を与えた人物と業績について
再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。
オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質はエネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上
再生核研究所声明347(2017.1.17) 真実を語って処刑された者
まず歴史的な事実を挙げたい。Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた(ウィキペディア)。辺の長さ1の正方形の対角線の長さが ル-ト2であることがピタゴラスの定理から導かれることを知っていたが、それが整数の比で表せないこと(無理数であること)を発見した弟子Hippasusを 無理数の世界観が受け入れられないとして、その事実を隠したばかりか、その事実を封じるために弟子を殺してしまったという。
また、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる(ウィキペディア)。
さらに、新しい幾何学の発見で冷遇された歴史的な事件が想起される:
非ユークリッド幾何学の成立
ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。
ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した(ウィキペディア)。
知っていて、科学的な真実は人間が否定できない事実として、刑を逃れるために妥協したガリレオ、世情を騒がせたくない、自分の心をそれ故に乱したくない として、非ユークリッド幾何学について 相当な研究を進めていたのに 生前中に公表をしなかった数学界の巨人 ガウスの処世を心に留めたい。
ピタゴラス派の対応、宗教裁判における処刑、それらは、真実よりも権威や囚われた考えに固執していたとして、誠に残念な在り様であると言える。非ユークリッド幾何学の出現に対する風潮についても2000年間の定説を覆す事件だったので、容易には理解されず、真摯に新しい考えの検討すらしなかったように見える。
真実を、真理を求めるべき、数学者、研究者、宗教家のこのような態度は相当根本的におかしいと言わざるを得ない。実際、人生の意義は帰するところ、真智への愛にあるのではないだろうか。本当のこと、世の中のことを知りたいという愛である。顕著な在り様が研究者や求道者、芸術家達ではないだろうか。そのような人たちの過ちを省みて自戒したい: 具体的には、
1) 新しい事実、現象、考え、それらは尊重されるべきこと。多様性の尊重。
2) 従来の考えや伝統に拘らない、いろいろな考え、見方があると柔軟に考える。
3) もちろん、自分たちの説に拘ったりして、新しい考え方を排除する態度は恥ずべきことである。どんどん新しい世界を拓いていくのが人生の基本的な在り様であると心得る。
4) もちろん、自分たちの流派や組織の利益を考えて新規な考えや理論を冷遇するのは真智を愛する人間の恥である。
5) 巨人、ニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取争いに見られるような過度の競争意識や自己主張は、浅はかな人物に当たるとみなされる。真智への愛に帰するべきである。
数学や科学などは 明確に直接個々の人間にはよらず、事実として、人間を離れて存在している。従って無理数も非ユークリッド幾何学も、地球が動いている事も、人間に無関係で そうである事実は変わらない。その意味で、多数決や権威で結果を決めようとしてはならず、どれが真実であるかの観点が決定的に大事である。誰かではなく、真実はどうか、事実はどうかと真摯に、真理を追求していきたい。
人間が、人間として生きる究極のことは、真智への愛、真実を知りたい、世の中を知りたい、神の意思を知りたいということであると考える。 このような観点で、上記世界史の事件は、人類の恥として、このようなことを繰り返さないように自戒していきたい(再生核研究所声明 41(2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
以 上
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
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