2015年6月24日水曜日

記事 WEB第三文明2015年06月09日 11:30近藤誠医師の「がん放置療法」を斬る - NATROM

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WEB第三文明2015年06月09日 11:30近藤誠医師の「がん放置療法」を斬る - NATROM




内科医 NATROM

『患者よ、がんと闘うな』『がん治療で殺されない七つの秘訣』などベストセラーを連発する近藤誠医師の主張は、果たして医学的と言えるのか。現役の内科医が近藤氏のうそを暴く。

暴論「がんは放置せよ」
 近藤誠医師(元・慶應義塾大学医学部専任講師)が書いた著書『抗がん剤は効かない』『医者に殺されない47の心得』などが、ベストセラーとして注目されています。近藤医師はがんの3大療法(外科手術・化学療法・放射線療法)は、多くの場合必要がないと考え、「がんは放置せよ」と主張していますが、その主張には、医学的に見て、多くの誤りがあります。

 近藤医師の主張で最も有名なのは「がんもどき」理論でしょう。「がんもどき」理論とは、すべてのがんが、見つけたときにはあちこちに転移している「本物のがん」か、ずっと放置しても転移が生じない「がんもどき」のどちらかに属するとする主張です。転移すると手術や抗がん剤でがんを根絶するのは困難ですし、一方、放置しても転移どころか何も自覚症状が生じないがんがあることも事実です。

 問題なのは、「本物のがん」と「がんもどき」の間の「中間のがん」がないと言っていることです。早期発見・早期治療すれば命が助かるがんもあるわけですが、近藤医師はそのようながんについてまでも「放置しておけばいい」と主張してきました。

 がんと診断されたにもかかわらず、増悪も進行もせず自覚症状が出ない方もなかにはいます。極めて稀ではありますが、がん組織が自然に消えてしまう例もないわけではありません。だからといって、治療対象と診断されたがんを放置することがよいとはとても言えないのです。

 20年前の抗がん剤治療は進歩の途中だったため、近藤医師が言うようにあまり治療効果がなく、患者の体力ばかりを奪う例もありました。しかし現在の医療は20年前とは比べものにならないほど進歩し、抗がん剤の種類は増え、副作用を軽減する対策も進んでいます。

 立って歩いて外来診療に来られず、体力が著しく弱った患者には、今では抗がん剤治療はやりません。末期がんの患者ともなると緩和ケアに努め、患者に無理を強いる治療はしないように医療のやり方は変わっているのです。

 放射線治療にしても、患部だけにピンポイントで放射線を当てられる高精度の治療装置が開発されました。がん治療の精度は高まっているにもかかわらず、近藤医師の主張は医学の進歩がまるでなかったかのようです。

医学論文の曲解とデータの混在
 1980年代、近藤医師は腫瘍部分を切除したあとに残った乳房に放射線をかける「乳房温存療法」を積極的に取り入れました。1983年には近藤医師のお姉さまが乳がんになり、外科手術と放射線治療を受けています。

 今は乳がんへの放射線治療すらやめたほうがいいと言っているのですから、近藤医師の主張はむしろあのころよりも後退しています。医療の進歩をまったく無視し、自分の説にかたくなに固執しているのです。
 近藤医師の論拠には、重大な問題があります。たとえば2014年6月29日放送のBSフジの番組「ニッポンの選択」で、近藤医師は「乳がんは放置したほうが長生きする」ことを示すデータをパネルで示しました。

 やや専門的になりますが、このグラフ(図参照)では、①抗がん剤を使わなかったケース、②抗がん剤多剤併用群、③抗がん剤(ドセタキセル)の乗り換え治療群、という3つの生存曲線を示しています。
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 生存曲線は3種類あるにもかかわらず、出典は1つしか明記されていませんでした。不審に思って調べてみると、BSフジの番組で示された出典は間違っており、しかも元の論文に書いてある論旨をあべこべに曲解しているのです。

 1962年に書かれた論文①の原本を読むと、50年前にも「乳がんを手術するべきかどうか」という論争があったことがわかります。乳がんを放置すると、5年で生存率は20%になる。10年たてばほとんど皆亡くなってしまう。つまり「乳がんを放置すれば人は死ぬ。だから手術したほうがいい」という論文なのです。ところが近藤医師は、この論文を「乳がんを放置せよ」という主張に援用しました。

 3つの生存曲線を見ると、一見②③よりも①のほうが長生きしているように思えるのですが、そうではありません。②③の生存率が①より悪いのは当たり前です。治療を繰り返して標準的な抗がん剤が効かなくなった人たちについてのデータを、進行度の低い症例も混じっている①と比較するべきではありません。

 著作を拝見すると、近藤医師は医学界の論文をたくさんお読みになっているようです。データの見方など、彼は当然理解しているでしょう。一緒に混ぜて論じるべきではない異なるデータを、ごちゃ混ぜにして論じてしまう。「近藤誠医師の言うことはインチキだ」と言われても仕方ありません。

セカンドオピニオンと標準治療で適切な対策を
 近藤医師の誤りは、私たち専門家が見ればすぐにわかります。医学の専門知識がない人が彼の主張を聞けば納得してしまうかもしれません。「慶應義塾大学医学部専任講師」という肩書があるのでなおさらです。表現の自由、出版の自由がありますから、近藤医師の本を出版差し止めにするわけにもいきません。

 2009年、助産師から、ビタミンKの代わりにホメオパシー(※1)の錠剤を与えられた乳児がビタミンK欠乏症で亡くなりました。お母さんはこれに泣き寝入りせず、訴訟を起こしています(裁判で和解が成立)。

 それ以来、少なくともビタミンK欠乏症関連では同様の被害者は出ていません。近藤医師についても、被害者が集団民事訴訟を起こせば状況が変わる可能性はあります。「がんは放置せよ」と言うだけで医学的な根拠を示さないのであれば、免許を持った医師として説明義務違反だと見なされる可能性があります。

 がんの治療法に不安や疑問を感じる人は、主治医とは別の医師にセカンドオピニオンを受けてみるのがいちばんよい方法です。日本に約30万人いる医師のなかに、いわゆる「ヤブ医者」がいないわけではありません。ただし、ごく少数です。たまたま運悪くそのような医師に当たってしまったとしても、セカンドオピニオンを受ければ前者のおかしさはわかります。飛び抜けた名医の治療をというわけにはなかなかいきませんが、国家試験を通過した平均的な医師の治療を受けることはできます。

 日本では国民皆保険制度が整備され、医療へのアクセスは保障されています。普通の平均的な医師による診断を受け、医学界の常識に基づいて適切な標準治療を受ける。そうすれば、書店で山積みされているセンセーショナル(扇情的)な医療本に頼るよりも、よほど効果的ながん治療が進みます。

 つい最近、群馬大学医学部附属病院でとんでもない事件が起きました。腹腔鏡を使った不適切な肝臓切除手術によって、1人の外科医師が8人もの患者を死亡させてしまったのです。このようなとんでもない医師は全体から見ればごく稀であって、普通の病院に出かければ、どこでも普通の医師に出会えます。

 繰り返しになりますが、日本ではがん治療のために人とは違った特別なことをやる必要はありません。まずは自分の主治医に相談し、丁寧に話を聞く。不安があるならば、別の医師にセカンドオピニオンを受けてみる。近藤医師のようなニセ科学、ニセ医学に騙されないために、私たちが心がけるべきことは決して難しくはないのです。

※1「ホメオパシー」 200年前にドイツで発症した民間療法

<月刊誌『第三文明』2015年6月号より転載>

内科医NATROM●医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は某市中病院に勤務。診療のかたわらインターネット上で「科学」と「ニセ科学」についての情報を発信している。著書『「ニセ医学」に騙されないために』(メタモル出版)。 ブログ「内科医NATROMの日記」 ウェブサイト「進化論と創造論~科学と似非科学の違い~」http://blogos.com/article/115677/


この辺は、素人にとって難しい曖昧な世界では。 西行の言葉を考えている:

再生核研究所声明 47(2011.02.08):  肯定死

(2011年1月5日 9時10分、 浅草に近づき、電車の窓外の空を見たときに電光のように閃いた考えです。 新しい声明の案がひとりでに、わきました。 全構想は瞬時にできていましたが、それを検討し、成文化したものです。 題名は肯定死、という 現代では問題のある思想です。人間の終末に対する新しい考え方です。これは社会的影響が大きいと考えられるので、全文は 当分、公表を差し控えたい。)

そもそも人生とは何か、これを内からみれば、人生とは、個人の考え、知り、感じ、予感し、想像する、すなわち、知覚する全体であり、それらが良いと感じられれば、それだけ良い人生であると言える(声明12: 人生における基本定理)。 しかしながら、我々はまず、個々の人間を越えて、存在し、生き続けていく、 元祖生命体の考え (声明36) をしっかりととらえ、 生命の基本定理 (声明42) - 生きて存在しなければ、 何も始まらない - 元祖生命体の生存に心がける、 最も大事なこと(声明13)に思いを致すべきである。しかしながら、個々の人間は、遺伝子の乗り物のように滅びていくのが、事実であり、それはあらゆる生物の運命であると考えられる。 しからば、その人間の終末は如何にあるべきか。 それはちょうどあらゆる生物の終末のように、意識の存在の有る無しに関わらず、生物個体の生命として、人事を尽くして、少しでも生命を長引かせると考える、伝統的な考えは それなりの固有な意義を有するものであると考える。 否定するものではない。(以下 当分非公開)


再生核研究所声明235(2015.6.17)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 出家について

著書の再読を始めたが、今回(前回声明233、234)は 西行の 出家 について興味深いので、動機、考え方、人生、世界の捉え方などについて印象を述べたい。まず、出家の語を確認して置こう:

出家(しゅっけ、巴: pabbajja、梵: pravrajyaa、प्रव्रज्या ) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏門に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。
在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。
仏教における出家の伝統はこれに由来する。仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、「正式に受戒(じゅかい)して入門した沙弥や沙弥尼」になることを言うが、その後、「具足戒を受けて正規の僧となった比丘や比丘尼」を呼ぶ場合にも使う。(ウィキペディア)

まず、大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):

親友を突然失って、憲康が亡くなったとき、あの虚しい明るい初夏の光が漲り渡っていた朝、私は憲康とともに死んだのだと思います。
形は生者ですが、心は浮世を超えた者になっています。
清盛のいう武力と権能があくまでもこの世のものだということ、それは浮島に似た浮世のなかだけのこと、
身が軽々となったのは、浮世の外が、ただこの世の花を楽しむ空間であり、雅の舞台あり、事が 成る 成らぬ から全く免れている場所だからでした。
無偏上人の質素な庵を訪ねて、これこそが私たちの住むべき家だとは思わないか。 森羅万象の喜びが、まるで唱和する歌声のように、この小さな庵に響いているではないか。
鳥羽院に、私は理屈の何もなく、 院が足を置かれる大地を、虚空に中に作らなければならない、と思いました。そしてそれを作れるのは言葉だけ、歌だけだ、と咄嗟に考えた。
この世を法爾自然として感じるためだったと 捉えた。
さらに次の言葉に 人生の在り様、志の方向が現れている: でも、歌が人々を支える大地になったとき、生と死を超えるあの何か大きなものも、きっと私に分かるようになるのではないだろうか。
あらすじは次のように纏められるだろう: 西行は才能に恵まれた、相当な豪族の棟梁であり、宮廷でも相当な地位にあり、 いわゆる立身出世には 相当に有望であったが、政情不安と宮廷内の権力争いの醜さには相当に詳しく、 清盛や頼朝のような世界を志向せず、逆にそれらを浮世と見て、浮世を離れた世界を求めた。生きる目的も上記に述べられているように 相当に明確に 志として述べられている。
出家の直接の動機は、親友の突然の死であるが、もともと、出家するような背景は強く存在していたと言える。これは生まれながらの性格の影響も強く、いつの時代でもそのように志向するものはいるものである。 西行の場合は、普通の出家と違って、歌を詠むこと、自然とともに存在して、歌に表現する事を相当しっかりと志していることは生涯に見ることができる。質素な生活の中から、より自然にとけ込み、生きることの喜びを歌に表現することを生きがいにされていたように思われる。いろいろなところで開かれた歌会では相当に優遇され、人間関係, 交友関係も広く、相当に充実した人生であると見える。 生活の記念碑は歌に表現されて、歌集などに発表、採択されるなど、現在の芸術家, 研究者たちと同じように道を求める存在で、大いに共感、共鳴を受ける。
自然とともに在って、歌に表現することを そのように深く捉えた文化は、 相当に日本の深い文化ではないだろうか。歌の中に人生、世界が表現されているとして、歌に如何に深い思いを入れられたかは、当時の文化の驚嘆すべきものではないだろうか。良い歌を作れるは、恋の成就や出世の大事な要素だったとは、如何にも優雅な文化と理解される。
研究者や芸術家のようであったと言えば、現在の我々との相違はどこにあるだろうか。
何といっても、自然とともに歩む心、それは、生活環境、食生活などの簡素さ、いくら大豪族の棟梁の立場といっても、現代人の生活からすれば、想像もできないほどの簡素さである。優雅な生活を営める立場であったものを そのように厳しい生活を選択されていること、この事実は大いに省察に値するのではないだろうか。食生活の質素さ、生活環境における厳しさの中で、900年も前に、73歳の天授を全うされていることも注目に値する。二人の子供を有し 恵まれた家庭と裕福な生活を放棄しての出家であることにも触れておきたい。
 健康、健康、健康食品と にぎはしている 現代の世相、美食を求めている世相とは 相当に違う人生の有り様である。生活面における修行と仏教の関係について、人として生きることの意味を問うていきたい。仏教との深い関わりについては、 著者は宗教に深い理解があるとは思えず、そのへんは表現されていない。
出家と歌の世界、世界の文化でも相当に特徴のある深い文化ではないだろうが。 日本人の相当な精神の基礎を与えていると言える。 勅撰和歌集などの概念も 極めて面白いと評価したい。その美しい伝統は 歌会始の儀 や広い層を持つ歌や俳句を楽しむ文化に受け継がれている。

以 上


再生核研究所声明234(2015.6.16)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について

著書の再読を始めたが、今回(前回声明233)は 雅について興味深い解釈が述べられているので、それについて印象を述べたい。まず、雅の語を確認して置こう:

雅(みやび、まさ〔名乗り〕)とは、上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。動詞形は「みやぶ」。(ウィキペディア)

本では、弓の名人、源重実が 西行(義清)に雅の意味を説明している。 大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):

弓を射るとき、型があり、それから外れると、いかに矢が的を射ぬいても、それは雅の匂いを失う、
的に当たるより、むしろ雅であるが大事、
雅であることは、この世に花を楽しむ心である、
余裕があったとき初めてこの世を楽しもうとする気持ちになる。この楽しもうとする心が雅なのだ、
矢を射ること そのことが、好きな人、当たれば嬉しいが、当たらなくても好きな人 そういう人こそが 留まる人、つまり雅である人だ。

ところが西行は後に、矢が的に当たるも 外れるも同じように楽しいとする雅の心を、生きる楽しみと死ぬることの楽しみを同じように感じるにはどうしたらよいかと深く思索している。実際、そこから、生を喜ぶと同時に死を喜ばなくてはいけないんじゃないだろうか と発想している。ここに著者 辻 邦生氏の 西行を通しての 大きな人生における姿勢 が現れているのではないだろうか。すなわち、死からの開放である。しかしながら、雅とは拘らない、自由に楽しむ姿勢であるから、生や死に拘ることは既に 雅の心に反している のであるから、相当に高い悟りを表していると言える。 この辺の心境、世界観は再生核研究所声明の中でも述べて来たことであるが、さらに、ゼロ除算の世界観とも奇妙に通じていると感じられる。
ガツガツしないで ゆったりと楽しむ心、超然とした心持ち、それが雅と表現できるだろう。 留まる心 だという。
さらに次の言葉に 人生の在り様、志の方向が現れている: でも、歌が人々を支える大地になったとき、生と死を超えるあの何か大きなものも、きっと私に分かるようになるのではないだろうか。
そこで、反対の心に触れたい。ゲーテの達した活動して止まないことに人生、世界の意義がある、 アインシュタインの動いていなければ、自転車のように倒れてしまう、岡本太郎の芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けること。そこで、それらの真理に照らし合わせて、いろいろ変化を持たせることの重要性を 雅の心は述べていると理解できるのではないだろうか。
世相で言えば、平安時代の貴族の生活は 雅すぎで、現代の世相は ガツガツしすぎているとは言えないだろうか。世相に落ち着きをとり戻したい。
生や死に拘ることは 既に 雅の心に反している という言葉であるが、年の功という諺があるように そのような一種の悟りは 実際はそう難しいことではないことを 特に若い人たちに述べておきたい。 実際、散歩の折り、座っていかないとよく誘ってくれる90-91歳の方が、周りの花のように穏やかに明るい表情で 人生、世界についてそのような心境を話されている。ある世代では、そのような心境は 相当に普遍的な心境であると言える。
以 上

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