2015年6月20日土曜日

「現実味がない」「感情移入できない」ケーキのように甘くはない「まれ」の苦境

「現実味がない」「感情移入できない」ケーキのように甘くはない「まれ」の苦境
アサ芸プラス 2015.06.15 09:59



「現実味がない」「感情移入できない」ケーキのように甘くはない「まれ」の苦境
「あまちゃん」以来、4作連続で平均視聴率20%超えの高視聴率をマークしてきたNHKの朝ドラが伸び悩んでいる。

 4月スタートの「まれ」は、第1週、第2週こそ20%超えの好スタートだったが、その後視聴率は緩やかな下降線を描き、第9週は週平均18.3%とワースト記録を更新。第10週は若干取り戻したものの、20%割れは継続中だ。テレビウォッチャーはこう分析する。

「『あまちゃん』から『マッサン』までは、それぞれツッコミどころはあっても、それなりに納得できる面白さがありました。しかし『まれ』は、例えば失業して誰一人知り合いのいない能登に移り、民宿に無理やり住み込むとか、現実味がなく感情移入しにくいんです」

 確かに舞台が横浜に移ってからも、内定していた店のケーキを食べてピンとこないと就職を断り、こだわりのシェフを捜して片っ端から店を食べ歩き、やっと見つけた幻のシェフの店に潜り込んだのに独学の技と根拠のない自信で新メニューを提案し‥‥と、いささかやりたい放題。民放局関係者もこう見ている。

「ドラマのテーマ“夢を追いかける”を、伝統的な輪島塗の修業をする友達と、真摯にケーキの修業に励む主人公とを対比させて見せていくのかと思えば、ちょっとドタバタですね。高い技術を築き上げた職人や、技術の習得への真摯な姿勢へのリスペクトなんかを、もう少し盛り込めそうな話だと思うのですが」

 18%台も決して悪い数字ではないのだが、近年上がり続けたハードルを越えるのはなかなか難しそうだ。http://dmm-news.com/article/979312/

再生核研究所声明211(2015.2.22) ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ 

まずは 言葉を確認して置こう:

ドラマ(Drama)とは、登場人物の行為・行動を通して物語を紡いでいく、芸術表現の一形態。日常会話で「ドラマ」といった場合、テレビドラマを指す場合が多い。
作品としてのドラマの特徴は、物語の一切が登場人物の行動によって描かれる点と、登場人物が何らかの目的を持っている点に特徴がある。その目的への障害に直面することで、登場人物は葛藤する。障害への直面は、往々にして、登場人物同士の精神的・物理的衝突の形で提示される。登場人物が行動を積み重ねていった末に、障害を最終的に乗り越えるか、乗り越えられないかが、物語の大きな山場となる。こういった過程そのものを、ドラマと呼ぶ場合もある。
映画が生み出されて以降は、上記の定義のようなドラマを主に描く映像作品を、ドラマとジャンルづける場合もある。
かつてドラマは演劇や戯曲の代名詞でもあった。しかし近代以降、葛藤や、行動の因果関係のない非ドラマの演劇作品・戯曲も数多く生み出されており、演劇や戯曲をドラマと呼ぶのは現代においては不正確と言える。
現実世界においても、現実の人物が上記のような状況に陥っていること指して、ドラマ、もしくはドラマティックと呼ぶ場合もある。(ウィキペディア)

上記 説明で 芸術表現の一形態、演劇や戯曲の代名詞 という部分は 言語の確認として大いに参考になるのではないだろうか。 これらの言葉の背景には、創作者や演出家、関係者の多くの生命の表現としての要素が本質的に存在するということである。 絵画や作曲者が絵画を描き、曲を創作するように ドラマを制作するということである。 なるほどそうならば、今NHK大河ドラマや朝ドラなど みなそれぞれに素晴らしく輝いていて 実に素晴らしいと賞賛でき、感銘できる。 芸術作品となれば、それは本質的に自由であり、生命の活動として 生命の表現として みなされる。
テレビドラマを指す場合が多い には、美術館で美術を楽しむ、映画館で映画を楽しむ、会場で音楽を楽しむというような相当に自由な表現の芸術作品と少し違った要素を有するのではないだろうか。 具体的には、

1) 広範に公開される。
2) 多くの場合、何かの素材に基づいた場合が多い。
3) 繰り返し、日常 連続的、定期的に続けられる。

などである。 ドラマについて何か書きたいと考えた動機は、ドラマを見ることが、人生でどのような意味を持つか、また、そのような観点から、ドラマは どのようにあるべきか と 問うことであった。
我々はなぜ、ドラマを見るのだろうか。 楽しいから、面白いから、感銘するから、 展開が楽しみだから、新規な世界が、珍しい、世界が覗けるから、知識や新しい情報が入って有益だから、共感、共鳴するから、など、などであろうか。― ドラマを通して 人生、世界を考察して、哲学したいからなどの 高級な視点も大事ではないだろうか。連続ドラマなど楽しく、次の展開が楽しみで、生活の張りになっているは 世に多いのではないだろうか。次が楽しみで、生活の張りになっているは好ましく、 それはそれで良いと評価できるが、それが現代のように沢山のドラマが賑わっていると、生活が逆に乱され、楽しいドラマ見て暮らして、人生それで良いかという気持ちが湧いてくる時がある。 素晴らしい映画や、ドラマの後で、虚しさを覚えることもある。― それは何を意味するだろうか、それは現実の生活、社会から離れて、言わば作られた虚像の世界にいることの虚しさを表しているのではないだろうか。― それに対して、何か 為になったという印象の残るドラマ は良いと言えるのではないだろうか。
ドラマの製作者が 露骨に視聴者の関心、人気を集めようとして、意図的に場面を整えれば、我々の心を意図的に弄んでいると感じ、気づけば 空しい、トリックの世界で、心を意図的に弄ばれていると感じるであろう。
視聴者は人生の意味を、自分の世界、心をしっかり捉えて、ドラマに弄ばれないように、のまれないように心がける必要があるのではないだろうか。
また、テレビドラマ製作者には、上記 何かの素材に基づいた場合、 実際、史実と創作の部分の大きな乖離は、真実、歴史、事実を歪めて 歴史が虚像化する危険性があるので、そのような観点について、注意を喚起して置きたい。また、視聴者は、この観点から批判的に見る必要が大事ではないだろうか。 テレビ普及時、テレビで1億総白痴化の言葉が騒がれたのを回想したい。次も参照:

再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題。


以 上

再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題
(PM 3時前、休憩時間に、ひとりでに考えが湧いたものである)

2月11日NHK朝ドラ、マッサンの展開における問題を述べて置きたい。― NHK大河ドラマと同様に楽しみにしている番組であり、NHKのドラマ制作能力の高さには 感銘を受けており、また、出演者たちの素晴らしさにも 驚嘆させられている。家族で楽しみにしている希な番組である。ドラマについて いろいろ意見が出るのは当然であるから、エリちゃんや檀ふみさん その他素敵な人たちのように 明るく 前向きに 考えて頂きたい。
今朝の問題点は、マッサンが 堂々と約束違反でワイン造りをしていた紛れもない事実、それを、熱意によって諒として、認め、ドラマがそれを是としているように とれることである。堂々たる約束違反は 反社会的であり、世の秩序の根幹をぐらつかせるものである。いわゆる予算の目的外使用は、予算の返還を求められ かねない 重罪と判断されるは 世に多い事実である。われわれは 世の秩序、有り様の原理として、公正の原則を 述べてきた:

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 
3) それはみんなに受け入れられるか.  
4) それは安定的に実現可能か. 
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 
(再生核研究所声明1)。

また、公共放送として、教育的な要素の配慮は大事であり、 約束違反でも結果が良ければ良いでは、本末転倒であり、結果が良くなくても、意図、過程が適切ならば、評価すべきであるというが基本的な原則であるべきではないだろうか。 結果が良ければ 良いでは 世の秩序は保てず、悪い教育を全国レベルで行い、悪い影響を世にもたらすと考える。
もし、これらが、このドラマの、元々の物語に、あるいは史実に従っているとするならば、その辺の扱いには、深い、広範な配慮が 必要であると考える。マスコミや公共放送には 良い社会を築くような方向での 配慮が求められていると考える。真実を伝えれば良いとはなっていないのは当然である。
ドラマ制作関係者の注意を促し、配慮をお願いしたい。
以 上

<マッサン> 連続テレビ小説 マッサン 第19週 第110話 15/02/10
https://www.youtube.com/watch?v=xaCpWgLuDmM

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