2015年6月15日月曜日

再生核研究所声明234(2015.6.16)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について

再生核研究所声明234(2015.6.16)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について

著書の再読を始めたが、今回(前回声明233)は 雅について興味深い解釈が述べられているので、それについて印象を述べたい。まず、雅の語を確認して置こう:

雅(みやび、まさ〔名乗り〕)とは、上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。動詞形は「みやぶ」。(ウィキペディア)

本では、弓の名人、源重実が 西行(義清)に雅の意味を説明している。 大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):

弓を射るとき、型があり、それから外れると、いかに矢が的を射ぬいても、それは雅の匂いを失う、
的に当たるより、むしろ雅であるが大事、
雅であることは、この世に花を楽しむ心である、
余裕があったとき初めてこの世を楽しもうとする気持ちになる。この楽しもうとする心が雅なのだ、
矢を射ること そのことが、好きな人、当たれば嬉しいが、当たらなくても好きな人 そういう人こそが 留まる人、つまり雅である人だ。

ところが西行は後に、矢が的に当たるも 外れるも同じように楽しいとする雅の心を、生きる楽しみと死ぬることの楽しみを同じように感じるにはどうしたらよいかと深く思索している。実際、そこから、生を喜ぶと同時に死を喜ばなくてはいけないんじゃないだろうか と発想している。ここに著者 辻 邦生氏の 西行を通しての 大きな人生における姿勢 が現れているのではないだろうか。すなわち、死からの開放である。しかしながら、雅とは拘らない、自由に楽しむ姿勢であるから、生や死に拘ることは既に 雅の心に反している のであるから、相当に高い悟りを表していると言える。 この辺の心境、世界観は再生核研究所声明の中でも述べて来たことであるが、さらに、ゼロ除算の世界観とも奇妙に通じていると感じられる。
ガツガツしないで ゆったりと楽しむ心、超然とした心持ち、それが雅と表現できるだろう。 留まる心 だという。
さらに次の言葉に 人生の在り様、志の方向が現れている: でも、歌が人々を支える大地になったとき、生と死を超えるあの何か大きなものも、きっと私に分かるようになるのではないだろうか。
そこで、反対の心に触れたい。ゲーテの達した活動して止まないことに人生、世界の意義がある、 アインシュタインの動いていなければ、自転車のように倒れてしまう、岡本太郎の芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けること。そこで、それらの真理に照らし合わせて、いろいろ変化を持たせることの重要性を 雅の心は述べていると理解できるのではないだろうか。
世相で言えば、平安時代の貴族の生活は 雅すぎで、現代の世相は ガツガツしすぎているとは言えないだろうか。世相に落ち着きをとり戻したい。
生や死に拘ることは 既に 雅の心に反している という言葉であるが、年の功という諺があるように そのような一種の悟りは 実際はそう難しいことではないことを 特に若い人たちに述べておきたい。 実際、散歩の折り、座っていかないとよく誘ってくれる90-91歳の方が、周りの花のように穏やかに明るい表情で 人生、世界についてそのような心境を話されている。ある世代では、そのような心境は 相当に普遍的な心境であると言える。
以 上



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