2015年5月11日月曜日

記事 シロクマ(はてなid;p_shirokuma)2015年05月06日 00:00前途有望なブログを炎上の高速道路に連れ込みたくない

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シロクマ(はてなid;p_shirokuma)2015年05月06日 00:00前途有望なブログを炎上の高速道路に連れ込みたくない

ここ1~2年の間にも、面白く尖ったブログやアカウントをたくさん発見した。それらは自分より若い人によって書かれ、まだそれほどアクセスが集中していないものばかりだ。ブログから発せられる鋭気を眺めているだけでも、たいへんな刺激になる。
ただ、そうした刺激に満ちたブログを見かけた時、喜んではてなブックマークしたり、twitterで紹介したりするかというと……最近はそういう事をしなくなった。たかだか私一人がブックマークしたりtwitterで書いたりしたところで影響は少ないとしても、私のはてなブックマークをお気に入り登録している人や私のtwitterアカウントをフォローしている人のなかには情報キュレーター的な人が混じっているので、そういった人達を刺激し炎上を招いてしまったら面白くないからだ。
ここ数年、インターネットの行儀作法は穏便で生徒会的な方向に変化し続けてきた。それで良かったところもある反面、若々しい自意識を隠せないようなブログやアカウントは目立たなくなってきた。“犯罪自慢”的な尖り方は論外としても、野心や主張の鋭い、荒削りなブログでさえ、人目に晒されて消滅したり萎縮したりする。炎上、あるいはプチ炎上ぐらいのインシデントが、そうした貴重な若木を枯らしてしまうのはさびしい。
「炎上のひとつやふたつで消えるなら、インターネット適性が無いのだ」と言い切る人もいるかもしれない。2015年のインターネットとは、そういうものだろう。しかし、そのようなインターネットだからこそ、炎上しても平然と更新している人達は面の皮が厚いというか、どこか偏ったブログやtwitterアカウントばかりがのうのうと繁栄している。私としては、そういう面の皮の厚い、炎上耐性の高いブログやアカウントなら間に合っているのだ。それと、若いのに自意識に白粉を塗って利口に澄ましてみせる、そういうタイプももう十分! ……そうじゃなくて、ある種の繊細さを内包し、それでいて尖り具合を隠せないような、アンバランスなブログやアカウントが面白いのである。
炎上の高速道路に“紹介する”功罪
念のため断っておくと、ここまで書いた“紹介”とは悪意にもとづいたものではなく、「このブログは面白いよ!」「この尖り具合は好きだよ!」といった好意にもとづいたものを指す。しかし、どれだけ好意的にブックマークやツイートで紹介しても、ふさわしい結果がもたらされるとは限らない。自分としては好意的に紹介したブログに、悪意が集中することもあるのがはてなブックマークやtwitterの恐ろしいところだ。
[関連]:はてなブックマークの世間にもたらす影響力がすごい - 踊るバイエイターの敗者復活戦
リンク先にあるように、はてなブックマークやtwitterも、集まればそれなりの影響力になり得る。ただし、そうやって人目が集まれば、そのぶん炎上愛好家や正義愛好家の目にも留まりやすくなる。それは本当に善いことなのか?それとも傍迷惑なことなのか?
私は、インターネットには炎上の高速道路みたいなものがあると想定している。「ここに乗ってしまうと、炎上しやすくなる地獄のハイウェイ」である。片道切符なので、一度乗ってしまったら簡単には降りられない。炎上の高速道路に乗ってしまった人は簡単に炎上するし、二度も三度も炎上する。PVを稼ぐには適しているが、正気度を試されるのは避けられない。
いわゆる“炎上商売”をやっている人達なら、そうした炎上の高速道路も大歓迎なはずで、例えばイケダハヤトさんやちきりんさんなどは、そうした炎上の高速道路を疾走し続けるアカウントと言える。しかし、はじめから炎上上等でブログやtwitterをやっている人はそれほど多くないし、やるべきでもない。
私が親しみを感じているはてなブックマーカーやtwitterアカウントには、そうした炎上の高速道路への一里塚のような人がウヨウヨしているから、彼らの御眼鏡にかなってしまったブログやtwitterは、高い確率で炎上の高速道路に連れ込まれてしまうだろう――あの、炎上周辺にたびたび姿をみせるブックマーカーやtwitter好事家にマークされてしまったら、アクセス数が増える代償として、炎に呑まれる確率も跳ね上がってしまうに違いない。若芽のごとく繊細で、柊のように尖った、前途有望な自意識を、そのような炎の洗礼に曝してしまったら……なんと恐ろしいことだろう!
今日のインターネットの傾向は私の一存でどうにかなるものではないので、結局、そのような繊細なブログやアカウントは人目に晒され、もみくちゃにされていくのが定めかもしれない。だとしても私個人としては、宝石箱を眺めるような気持ちで見守り、できるだけ楽しんでいきたいと思う。http://blogos.com/article/111581/

ブログの有り様ですね。 考え方、 次は如何でしょうか:

再生核研究所声明 51(2011.3.4):  ツイッターにおける 意義と心得
ツイッターが 盛んになって、世論や政治にも大きな影響が出るようになってきた。 また、俳句や、和歌のような 趣味の一種、楽しみの一種になっている者も多いのではないだろうか。 自戒も込めて、ツイッターの意義、注意や問題などについて、考察し、ツイッターの世界をより楽しく、充実させるようにしたい。
ツイッターの原語は 呟き という、呟きとは、小鳥が 少し囀る ように、何か気持ちを、本音を率直に、短的に表現するものではないだろうか。 純粋、呟きは、したがって、先ずは 率直な気持ちの表現である ということになるのではないだろうか。 先ず、このもともとの意味 を尊重したい。 従って ツイッターの世界には 人々の率直な 心の、気持ちの世界 が反映されていると理解できる。将来、万葉集のように 人々の様子を写した 貴重な記録にもなる可能性が高いのではないだろうか。
しかしながら、それらとは裏腹に、直ちに公開する というところに、日記や自分の記録とは違った意味、すなわち、多くの人に伝えたいという、明確な意思があり、更に公開には、
1) インターネットを通して どこまでも広まること
2) インターネットの世界で、記録され、検索され、長く保存され、修正が、事実上できない状況になっている ということである。
このような状況は、間違ったことや、修正しなければならないようなことは 迂闊には書けない ということを意味する。 注意したい。
一応 フォローという特定の人が自然に見られる建前であっても、上記2件から、逆に自分の意志を広範囲に伝えたい、あるいは何かの宣伝に、仕事などに活用したい と考えるのは当然である。従って
A) 政治問題や社会問題についての見解、提案、批判、建議など、社会問題が大きな比重を占めるのは当然である。
B) 仕事、ビジネスなど 適当な活用は当然であるが、行き過ぎると 仲間に嫌われる可能性が高いのではないだろうか。
C) 市民生活における 話題、いろいろ面白い話題や、変わった話題で、人々が興味を持ちそうな話題は 歓迎されるのでは。
D) 教育問題、人生問題、哲学、科学の問題についても 前向きに考えられる話題として挙げておきたい。
ツイッターの 他の特徴としては
川の流れのように、呟きは、どんどん流れ、偶然に覗いていた人だけが見るだけで、殆どは注目されないで、ツイッターの世界からは 消えて行ってしまうという 儚さ、空しさである。
そのために、空しさを承知で、深入りをせず、自分の生活とペースを整えて、気持ち良く、呟くのが良いのではないだろうか。 
社会や世の中にとって良いと思われるものについては、リツイートして、どんどん世に拡散して、世の中を明るくしたい、文化レベルの向上に、情報環境の美化にも 利用したい。
賛否の意見表明、同感、反対など、返信して、一方的でない交流も大事で、貴重なものになるのではないだろうか。
長期の保存と長文が可能なブログなどと併用すると 自分の意見を表明する機会を 大幅に増やすことができ、外国語が得意な人は 更に国境を越えて 意見を表明できる機会を得るので、積極的な取り組みを期待したい。 間もなく、いろいろな言語に翻訳されて、言葉の壁も乗り越えられる時代が近いのではないかと期待される。
簡単に意見を広く表明できる時代とは、新しい時代の夜明け ではないだろうか。 多くの人の意見が 自由に交流できる世界とは どのような世界になるのか、いろいろ問題点などをも含めて 注目し、今後の問題点、影響などについても検討して行きたい。 例えば、多くの呟きから、価値あるものを選択して、得る方法などが 基本的な問題ではないだろうか。 実際、沢山の人々が自由に 呟けば、どのようにして、価値ある情報を得るかは、本質的な問題になる。 雑情報に 時間をとられる危険性が高いからである。
人間とは、じんかん であり、人と人の交流が 生きている証拠 でもあるから、大きな自由性と可能性を創造された、このようなシステムの考案者及び管理運営を行っている方々に対して、敬意と謝意を表したい。
以 上

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