2015年5月28日木曜日

裁判員制度6年 “関心増した” 過去最低に

裁判員制度6年 “関心増した” 過去最低に
5月21日 4時14分
裁判員制度がスタートして21日で6年となりますが、最高裁判所が行った意識調査では「裁判や司法への興味や関心が以前より増した」と答えた人は全体の31%にとどまり、過去最低となりました。
平成21年5月に導入された裁判員制度について、最高裁判所は意識調査を毎年実施していて、ことしは1月から2月にかけて20歳以上の男女およそ2000人を対象に行いました。
その結果、「裁判や司法への興味や関心」について「以前に比べて増した」と答えた人は全体の31%とこれまでで最も低くなり、50%だった平成23年の調査から20ポイント近く下がりました。
また「裁判所や司法が身近になったか」や、「裁判の結果や判断に国民の感覚が反映されやすくなったか」という質問でも「そう思う」と答えた人はいずれも過去最低の15%でした。
関心の低下は裁判員の候補者として呼び出しを受けた人が裁判所に来た出頭率からもうかがわれ、制度が導入された平成21年の84%からことしは3月末の時点で68%まで下がっています。
これについて、裁判員の制度設計に携わった國學院大学法科大学院の四宮啓教授は、「裁判員がどんな仕事をするかあまりにも知られていないことが要因ではないか。裁判員の経験を社会で共有することが重要だ」と指摘しています。

再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める
素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると
(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。
上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。

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