2015年5月29日金曜日

スキタイの黄金の埋葬品を発掘、「世紀の大発見」 服の縫い目までわかる装飾に、麻薬の儀式の痕跡も。ロシア南部

スキタイの黄金の埋葬品を発掘、「世紀の大発見」
服の縫い目までわかる装飾に、麻薬の儀式の痕跡も。ロシア南部
2015.05.28


バケツ型の器が2つ、杯3つ、指輪1つ、首輪2つ、腕輪1つ。ロシア南部にあるスキタイ人の墳丘墓から発見された純金の埋蔵品の数々だ。(Photograph by Andrei Belinsky)
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 ユーラシア大陸の広大な草原をおよそ千年間にわたって支配した騎馬民族。彼らは古代ギリシャ人やペルシャ人を恐怖で震え上がらせたが、都市や住居の痕跡は一切存在せず、今はただモンゴルから黒海にかけて広がる草原にクルガンと呼ばれる墳丘墓が点々と残るのみ――。
 ロシア南部のカフカス山脈にあるそのクルガンから、このほど興味深い発見が報告された。見つかったのは、騎馬民族のなかでもギリシャの歴史家ヘロドトスがさまざまな偉業と麻薬の儀式について書き残した勇猛にして謎の人々、スキタイの黄金の埋葬品だ。
「これは世紀の大発見です。これまでに一帯で発見された中でも、とりわけすばらしい逸品です」。ドイツ、ベルリンにあるプロイセン文化財団の考古学者アントン・ガス氏はそう語る。
 埋蔵品が最初に発見されたのは2013年の夏のことだった。略奪を防ぐため、これまで情報が伏せられていたのだ。ロシア、スタブロポリの考古学者アンドレイ・ベリンスキー氏は当時、送電線を通す前の調査の一環として、「シンギリェフスコエ-2(Sengileevskoe-2)」と名付けられたクルガンの発掘を行っていた。
 発掘を始めた当初は、この場所からはたいしたものは見つからないだろうと考えられていた。クルガンにはすでに略奪された痕跡があったからだ。ところが作業開始から数週間後、発掘チームはぶ厚い粘土層に突き当たった。さらに掘り進めると、その下から平たい幅広の石で囲まれた長方形の部屋が見つかった。そこに鎮座していたのは略奪者の目を逃れた埋葬品の数々――2400年前にこの墓に安置された黄金の宝物だった。
 バケツ型の黄金の器が2つ、逆さまに伏せられていた。その中には、黄金の杯が3つ、ずしりと重たい指輪が1つ、首輪2つ、腕輪1つが入っていた。保存状態の良い黄金の埋葬品の数々は、合わせて3.2キロもの重量があった。
「まったくの予想外でした。こんなものが見つかるとは夢にも思っていなかったのです」とベリンスキー氏は言う。(参考記事:「騎馬民族スキタイの美しい金細工」)
スキタイ人の器に施された見事な意匠。怒り狂った夫が、不実な妻が産んだ子供を殺す場面ではないかとも言われる。(Photograph by Andrei Belinsky)
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 黄金の器に残された黒い物質の分析をベリンスキー氏がスタブロポリ近郊の犯罪学者に依頼すると、そこにはアヘンと大麻が含まれていることが判明した。これは古代ギリシャの歴史学者ヘロドトスが記録に残した内容と一致する。ヘロドトスは、スキタイ人が植物を燃やして発生させる煙が「ギリシャの蒸し風呂とは比べ物にならないほど強烈なもので……その煙で興奮した人々は、大きな叫び声を上げる」と書いている。
 ねっとりとした黒い物質が付着していたのが器の内側だったことから、スキタイ人は器の中で強力なアヘン入りの液体を調合して飲み、そばで大麻を燃やしていたのだろうと考えられる。「アヘンと大麻が同時に使われていたことは間違いありません」とガスは言う。
殺人の記録か、権力争いの象徴か
 黄金の器から黒い物質と汚れを取り除くと、施された装飾が一層輝きを増した。一方の器には、若い戦士を殺そうとするあごひげを生やした老人の姿がかたどられている。もう一方の器に描かれているのは、馬を引き裂くグリフォン――鷲の頭とライオンの胴をもつ神話的な生物と、荒涼とした土地に立つ牡鹿で、これはスキタイの冥界ではないかとベリンスキー氏は考えている。
 黄金の器の意匠に含まれる情報は、考古学者にとっては興味が尽きないものだ。戦士の履いている靴から髪型まで、その描写は目を見張るほど生き生きとしている。「スキタイ人の衣服や武器がこれほど詳しく描かれているものは見たことがありません。衣服がどうやって縫われているのかまでわかるほどです」とベリンスキー氏は言う。
 ガス氏によると、若い戦士を殺す老人の図は、ヘロドトスが記録に残している「私生児戦争」に関連していると考えられるという。スキタイ人は28年間にわたって隣国のペルシャと戦争をしていたとヘロドトスは記している。スキタイ人がようやく帰国すると、自宅の天幕には思わぬ侵入者がいた。取り残された妻と奴隷との間に生まれた、混血の子供たちだ。その結果巻き起こった流血の惨事は、黄金の器に残すほど重大な出来事だったのだろう。
 一方、ベリンスキー氏はこの図はむしろ比喩的なもので、スキタイ人の王あるいは支配者が死んだ後に起きた権力争いの象徴だろうと考えている。「王が死に、国が混乱します。王の死によって精神世界が乱され、新たな秩序の確立が必要となったのです」
 主な墳丘墓の発掘は昨秋に終了した。新たな埋葬品は見つからなかったが、ガス氏とベリンスキー氏は、墳丘墓の周囲に連なる溝や、土を円状に盛り上げた構造物を発見した。これらは巨大な儀式用施設の一部だった可能性がある。
 不安定な政治状況のせいで発掘プロジェクトは現在中断されているが、関係者はじきに作業が再開されることを期待している。ガス氏は語る。「まるで事件を捜査する刑事のような気分です。全貌を解明できるのはまだ先です。とにかく掘り続けなければなりません」
文=Andrew Curry/訳=北村京子


再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ゼロ除算 100/0=0 は 説明も不要で、記号を含めて 数学的に既に確定していると考える。 もちろん、そこでは100/0 の意味をきちんと捉え、確定させる必要がある。 100/0 は 割り算の自然な拡張として ある意味で定義されたが、 その正確な意味は微妙であり、いろいろな性質を調べることによって その意味を追求して行くことになる:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
100/0=0 というのであるから、それは 100= 0 x0 というような意味を有するであろうかと 問うことは可能である。 もちろん、x を普通の掛け算とすると0x0 =0 となり、矛盾である。ところが山根正巳氏によって発見された解釈、物理的な解釈は絶妙に楽しく、深い喜びの情念を与えるのではないだろうか:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
等速で一直線上 異なる方向から、同じ一定の速さvで、同じ質量mの物体が近づいているとする。 その時、2つの物体の運動エネルギーの積は
\begin{equation}
\frac{1}{2}m{ v}^2 \times \frac{1}{2}m{(- v)^2} =E^2.
\end{equation}
で 一定E^2である。
ところが2つの物体が衝突して止まれば、vは ともにゼロになり、衝突の後では見かけ上
\begin{equation}
0 \times 0 =E^2.
\end{equation}
となるのではないだろうか。 その時はE^2 は 熱エネルギーなどに変わって、エネルギー保存の法則は成り立つが、ある意味での掛け算が、ゼロ掛けるゼロになっている現象を表していると考えられる。 ゼロ除算はこのような変化、不連続性を捉える数学になっているのではないだろうか。 意味深長な現象を記述していると考える。
運動エネルギー、物質は数式上から消えて、別のものに変化した。 逆に考えると、形式上ないものが変化して、物とエネルギーが現れる。これはビッグバンの現象を裏付けているように感じられる。 無から有が出てきたのではなくて、何かの大きな変化をビッグバンは示しているのではないだろうか?
以 上
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算が掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算はある自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの自明であるという解釈は 再生核研究所声明194で纏めたので、ここでは高橋の一意性定理を確認して置きたい。
まず、山形大学の高橋眞映 名誉教授によって与えられた 定理とその完全な証明を述べよう:
定理 Rを実数全体として、 Fを R x R からRへの写像(2変数関数)で、全ての実数 a、b、c、d に対して
F (a, b)F (c, d)= F (ac, bd)
および b がゼロでない限り、
F (a, b) = a/b
とする。 このとき、 F (a, 0) = 0 が導かれる。
証明 実際、 F (a, 0) = F (a, 0)1 = F (a, 0)(2/2) = F (a, 0)F (2, 2) = F (ax 2, 0 x 2) = F (2a, 0) = F (2, 1)F (a, 0) = 2F (a, 0).。 よって F (a, 0) = 2F (a, 0)、ゆえに F (a, 0)=0。
この定理で、F (a, 0) を a/0 と定義するのは自然であり、実際、 そう定義する。 ここは大事な論点で、チコノフ正則化法や道脇方式で既にa/0が定義されていれば、もちろん、定理ではF (a, 0) =a/0 が導かれたとなる。
定理は 分数の積の性質 (a/b)(c/d) = (ac/bd) を持つもので、分数をゼロ除算に(分母がゼロの場合に)拡張する、如何なる拡張も ゼロに限る a/0=0 ことを示している。― これは、拡張分数の基本的な積の性質(a/b)(c/d) = (ac/bd)だけを仮定(要請)すると、ゼロ除算は ゼロに限る a/0=0ことを示しているので、その意義は 決定的であると考えられる。 この定理は千年以上の歴史を持つゼロ除算に 決定的な解を与えていると考えられる。
チコノフ正則化法や一般逆の方法では、一つの自然な考え方で導かれることを示しているだけで、いろいろな拡張の可能性を排除できない。道脇方式も同様である。 一意性定理とは、そもそも何、何で定まるとは、その、何、何が定める性質の本質を捉えていて、導いた性質の本質、そのものであると言える。高橋眞映教授の定理は 証明も簡潔、定理の意義は絶大であり、このような素晴らしい定理には、かつて会ったことがない。数学史上の異色の基本定理ではないだろうか。
ゼロ除算は、拡張分数が 直接、自明であるが、積の公式が成り立つと、積極的に性質を導いていることにも注目したい。(ゼロ除算は 新しい数学であるから、そのようなことまで、定義に従って検討する必要がある。)
ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。 人は、我々の時代で、夜明けを迎えたいとは 志向しないであろうか。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
高橋の一意性定理だけで、数学はゼロ除算100/0=0,0/0=0を確定せしめていると言えると考える。 実はこの大事な定理自身は 論文にもそのまま記述されたにも関わらず、共著者名に高橋の名前が高橋教授の希望で載っていない:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
ところが、 高橋教授がゼロ除算の一意性を証明したと 当時 アヴェイロ大学にポスドクで来ていた、イタリアのM. Dalla Riva博士に伝えたところ、そんな馬鹿な、反例を作ると猛然と挑戦したのであるが次々と失敗を続けていたが、帰る頃、驚いて高橋の結果は正しいと独自に定理を発見、証明した。― そこで、いろいろ経緯があって、共著で論文を書こうと提案していたところ、ゼロ除算そのものの研究の意味がないとして、論文と研究には参加せず、彼の結果は、齋藤のものとして良いとなった。彼らのあるグループ間では ゼロ除算は意味がないということで、意見が一致したというのである。これは数学が正しくても意味が無いという、見解の人たちが存在するという事実を述べている。アヴェイロ大学でもそのような意見であったので、アヴェイロ大学では、ゼロ除算は研究できない状況になっていた。それらの思想、感覚は、アリストテレスの世界観が宗教のように深くしみわたっていて、universe は不連続なはずがないという事である。ゼロ除算における強力な不連続性は受け入れられない、ゼロ除算はまるで、恐ろしい魔物をみるように 議論しても、発表してもならないと 数学教室の責任者たちに念を押された事実を 真実の記録として、書き留めて置きたい。
独立に証明された、Riva氏と高橋教授は、自分たちの定理の重要性を認識していなかったように感じられる。 他方、齋藤は、最初から今もなお その素晴らしさに驚嘆して感銘させられている。
以 上

再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
ゼロで割る、ゼロ除算は 割り算を掛け算の逆と考えれば、不可能である事が簡単に証明されてしまう。しかるにゼロ除算は 自然な考え方でゼロになるということが発見されるや否や、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であるということと その一意性があっという間に証明されてしまった。ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかり捉えて置きたい。― 背景の解説は 次を参照:
ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
道脇裕・愛羽 父・娘 氏たちの意見は 割り算を除算の固有の意味から考えて、自明であると結論づけたものであるが、この文脈を追記すると:
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数(商)は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。
さらに、
ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法自身は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっている(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。
さらに、道脇裕氏が、2014.12.14日付け文書で、上記除算の意味を複素数の場合にも拡張して ゼロ除算z/0=0を導いているのは、新しい結果であると考えられる。
吉田洋一氏は、上記著書で、ゼロ除算の方法を詳しく書かれているにも関わらず、ゼロ除算はゼロであるとの 結果に至っていない。道脇氏が見破ったセロ除算が出ていない。 吉田氏が書かれているように、中世ヨーロッパ、アジアでも、計算機内の計算法でも広範に、使われている方法の 小さな、小さな発想が出ていない。世界は広く、四則演算を習い、使用している人は それこそ膨大な人口なのに 皆道脇氏の発想が出ていないということは 何を意味するであろうか。 もちろん、数学や物理学の天才たちを回想しても 驚くべきことである。 しかも, 物理学には、ゼロ除算が自然に現れる公式が沢山存在して、ゼロ除算は 物理学の 不明な、曖昧な点であったという事実さえ存在していた。世間でもどうしてゼロで割れないかの疑問は 繰り返し問われてきていた、問われている。
この小さな、小さな発想の1歩が出なかった理由は、除算は乗算の逆であって、ゼロ除算は不可能であるという、数学の定説が ゆり動く事がなかったという、厳然とした事実ではないだろうか? 数学的に不可能性であることが証明されていることは、あたかも 絶対的な真理のように響いてきたのではないだろうか。― しかしながら、人類は非ユークリッド幾何学の出現で、数学的な真実は変わりうることを学んでいるはずである。 実際、平行線が無数に存在したり、全然、存在しない幾何学が現れ、現在それらが活用されている。
道脇愛羽さん(当時6歳)は 四則演算の定義、基本だけを知っていて、自由な発想の持ち主であるがゆえに、得られた感覚とも言えるが、無限が好きだとか、一般角の三等分を考えるなど、相当な数覚の持ち主のように感じられる。道脇裕氏は、自由人で、相当な整数論を独力で展開するなど多彩な才能の持ち主であるが、除算の理解にも深く、複素数でも除算の考えができるなど、全く新しい結果を得ていると考える。数学の定説など ものともしない、世界を観ているのが良く分かる。それらの故にこの偉大な1歩を踏み出すことができたと考えられる。
この1歩は偉大であり、小学校以上の割り算の考えを改め、ゼロ除算を 世界の常識にすべきであると考える。
我々は、この発見の契機から、人間の創造性について沢山の事を学べるのではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明222(2015.4.8)日本の代表的な数学として  ゼロ除算の研究の推進を求める
ゼロ除算の成果は 2015.3.23 明治大学で開催された日本数学会で(プログラムは5200部印刷、インターネットで公開)、海外約200名に経過と成果の発表を予告して 正規に公開された。簡単な解説記事も約200部学会で配布された。インターネットを用いて1年以上も広く国際的に議論していて、骨格の論文も出版後1年以上も経過していることもあり、成果と経過は一応の諒解が広く得られたと考えても良いと判断される。経過などについては 次の一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30) ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17) ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20) ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30) 掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15) ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2) 大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3) ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4) ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
再生核研究所声明202(2015.2.2) ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え
日本の数学が、欧米先進国のレベルに達していることは、国際研究環境の実情を見ても広く認められる。しかしながら、初等教育から大学学部レベルの基本的な数学において 日本の貢献は 残念ながら特に見当たらないと言わざるを得ない。これは日本の数学が 大衆レベルでは 世界に貢献していないことを意味する。これについて 関孝和の微積分や行列式の発見が想起されるが、世界の数学史に具体的な影響、貢献ができなかったこともあって 関孝和の天才的な業績は 残念ながら国際的に認知されているとは言えない。
そこで、基本的なゼロ除算、すなわち、四則演算において ゼロで割れないとされてきたことが、何でもゼロで割れば ゼロであるとの基本的な結果は、世界の数学界における 日本の数学の顕著なものとして 世界に定着させる 良い題材ではないだろうか。
内容の焦点としてはまず:
ゼロ除算の発見、
道脇方式によるゼロ除算の意味付け、除算の定義、
高橋のゼロ除算の一意性、
衝突における山根の現象の解釈、
の4点が挙げられる。
6歳の道脇愛羽さんが、ゼロ除算は 除算の固有の意味から自明であると述べられていることからも分かるように、ゼロ除算は、ピタゴラスの定理を超えた基本的な結果であると考えられる。
ゼロ除算の研究の発展は 日本の代表的な数学である 佐藤の超関数の理論と密接な関係にあり(再生核研究所声明200)、他方、欧米では Aristotélēs の世界観、universe は連続である との偏見に陥っている現状がある。 最後にゼロ除算の意義 に述べられているように ゼロ除算の研究は 日本の数学として発展させる絶好の分野であると考えられる。 そこで、広く関係者に研究の推進と結果の重要性についての理解と協力を求めたい。
ゼロ除算の意義:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 1/0=0, 0/0=0をもたらしたこと。
2) ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、 独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な定理は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかの未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。
以 上
1+0=1 1ー0=0 1×0=0  では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0???  本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
まして、10個のリンゴを0人で分けた際に、取り分 が∞個の小さな部分が取り分は、どう考えてもおかしい・・・・
受け取る人がいないわけですから、取り分は0ではないでしょうか。 すなわち何でも0で割れば、0が正しいのではないでしょうか。じゃあ聞くけど、∞個は、どれだけですか???

ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
 加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)
何とゼロ除算は、可能になるだろうと April 12, 2011 に 公に 予想されていたことを 発見した。
多くの数学で できないが、できるようになってきた経緯から述べられたものである。

Dividing by Nothing
by Alberto Martinez
It is well known that you cannot divide a number by zero. Math teachers write, for example, 24 ÷ 0 = undefined.
After all, other operations that seemed impossible for centuries, such as subtracting a greater number from a lesser, or taking roots of negative numbers, are now common. In mathematics, sometimes the impossible becomes possible, often with good reason.
Posted April 12, 2011More Discoverhttps://notevenpast.org/dividing-nothing/

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