2015年5月21日木曜日

なぜこの世に男は存在するのか?科学的な研究によりその理由が明らかに

なぜこの世に男は存在するのか?科学的な研究によりその理由が明らかに
吉住 沙羅 吉住 沙羅
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2015年05月20日 12時27分
タグ DNA , オス , メス , 存在意義 , 科学 , 遺伝子
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地球上にはさまざまな生物が存在するが、人間を含めほとんどの生物の繁殖において、”オス”が貢献していることといえば精子くらい。
…なんて言ったら男性に失礼かもしれないが、科学的な見解では、子孫は無性生殖によってつくられていく方が有性生殖よりよっぽど効率的だとされており、「なぜオスが絶滅しなかったのか」というテーマは、科学者らにとって永遠の謎とされてきたとか。
ところがこのほど、英イースト・アングリア大学の研究により、「男(オス)が存在するワケ」がついに明らかになったという。
遺伝子の質を高めるために必要
科学誌『Nature』に掲載された同研究では、コクヌストモドキという昆虫を約10年にわたり観察し、生物におけるオスの重要性を探究。
その結果、オスが存在する理由はズバリ、遺伝子プールの質を向上させ、種の健康を高めるためだということがわかったそう。
競争がないと種は弱くなる
実験では、コクヌストモドキを90匹のオスが10匹のメスを奪い合う環境と、メス1匹に対してオス1匹という競い合いが生じない環境におき繁殖の状態を観察。
すると、競争のある環境で繁殖を続けた子孫は体型がよりたくましく、病気や近親交配に対する耐性も強くなっていることが確認できたとか。
つまり、たくさんいるオスの中から最も良質な遺伝子を選んで繁殖することで、遺伝子の突然変異などをフィルタリングし、長期にわたる子孫繁栄、種の存続につながっていたということだ。
オスがいなければ絶滅も
研究を率いたマット・ゲイジ教授は、「繁殖のためオスが競い合うことは、遺伝子の健康を向上させるためにとても重要な役割を果たしている」とコメント。
ちなみに、競争のない環境で繁殖させたコクヌストモドキは、10世代目で途絶えてしまったそうだ。http://irorio.jp/asteroid-b-612/20150520/230242/

再生核研究所声明36(2010/05/14): 
恋の原理と心得
元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。
しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。
このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 
男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える:
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。
恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:
恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。
女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。
自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。
人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。
少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。
元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。
以 上

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