2015年5月17日日曜日

アイデアを出すときはゼロベース思考で考えよう ゼロベース思考についてまとめました

アイデアを出すときはゼロベース思考で考えよう
ゼロベース思考についてまとめました 更新日: 2015年02月12日
iroha810さんiroha810さん 

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▼ゼロベース思考とは

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shikaku-kaigi.jp
既存の習慣や常識にとらわれることなく、それらの概念をまったく取り払ってゼロの状態から事象を捉える思考方法。
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ゼロベース思考
無理難題の課題解決や、新しく設定した目標を達成する場合、過去の経験や知恵など今までの考え方に囚われず、「ゼロ(白紙)」で考え直すべきってことです
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ゼロベース思考を手に入れろ! | シグマクレスト社員ブログ

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hiasa.co.jp
ゼロベース思考を行うことにより、目標やあるべき姿を考えることで、  全く新しいアイディアが生まれるきっかけとなります。
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【図解】ゼロベース思考法とは | Ane会編集長のブログ
ゼロベース思考とは、言い方を変えると『構造上の仕組みを考えること』になります。
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【図解】ゼロベース思考法とは|日浅光博 OfficialBlog
過去に費やした労力がなかったとして、今から始めるとしたら、やる価値があるか。全体を考えてそれをやる価値があるか。この考え方がゼロベース思考です。
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平本メソッド・ピークパフォーマンス実践シリーズ:「ゼロベース思考」と「時間対価値思考」 (1/2) - 誠 Biz.ID
ゼロベース思考を進めるには大変なエネルギーが必要です。なぜならば、これまでより思考の領域を広げ、今まででは考えもつかなかった解決法を見出すことがあるかもしれないからです。
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http://www.tfu.ac.jp/liaison/edu/navi_PDF/navi06-08.pdf
▼ゼロベース思考の実践
実はゼロベース思考をする方法は簡単です。
次の質問を考えるだけです。
今の●●でなければ、どんな●●がいいか?
●●の部分に見直すべきポイントを入れます。
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ゼロベース思考を簡単に実行する方法 | オクゴエ!
ビジネスで考えるならビジネスモデル、ライフスタイル、ワークスタイル、価格、サービス、セールスプロセス、営業方法、販売方法、フォローアップ、雇用形態など
課題の解決策を考えるとき、あるいは考えに詰まってしまったときには、まず「そもそもこの課題は…」と呟いてみるとゼロベース思考へ入っていけるはず
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【ゼロベース思考からの病院改善?】ゼロベース思考実践のための3つのコツ
「そもそも既存顧客は今のサービスで満足しているのか」「そもそももっとこのサービスを受けたいと思っている新規顧客がいるのではないか」など
「顧客の立場から考える」
自分達の要望・根拠から考えるのではなく、顧客の立場から考えてみる。すると自分達の前提は意味がないことがわかり、顧客の要望に応える基準ができてくる。
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問題解決手法>ゼロベース思考
「ポジティブな考え方をする」
「出来ない」「無理だ」の考えを外して、「どうしたら出来るか」と考え方で進める。
出典
問題解決手法>ゼロベース思考
▼まとめ
このゼローベース思考というヤツは、前提との対決です。
「前提を知り、前提をはずし、前提を反転させる」
単に「ゼロベースで考えろ」と言うのではなく、
適切な発想プロセスによって、アイディアは広がりを見せるはずです。
出典
発想技術25選(6)~ゼロベース思考 @ ロジックとパッションの狭間から。。。(家弓正彦のマーケティングブログ)
つまり、ゼロベース思考とは、
「前提を疑い、破壊し、再定義する思考」
「中途半端な固定概念を破壊し、
本当に良いものを見つける思考」でもあります。
出典
Scrap of Insights: 思考編1「ゼロベース思考とは?」
ゼロベース思考が重要だからと言って、世の中のことがすべてゼロから再スタートしては膨大なコストが発生するでしょう。ゼロベースでやり直すことが全てなのではなく、ゼロベースで考えてみることに価値があるのです。http://matome.naver.jp/odai/2139692039589191501


再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/



再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え

ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える:

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。

と述べた。

ゼロ除算は 無限遠点(無限)が 実はゼロ点(ゼロ)と一致していたという 驚嘆すべきことを言っているが、それらは対立するものの奇妙な一致を述べている。
食物連鎖の厳しい現実は、食べるものと食べられるものの一致、生と死の一致、愛と憎しみ、愛と性など 一見反するものの微妙な調和、同等性、一致はそれこそ universe に普遍的に見られる現象ではないだろうか。 そのような視点は universeの理解、概念に新しい感覚と世界を拓くだろう。またそのような事実、世界を肯定できなければ、universe を肯定できないのではないだろうか。
富める者は貧しき者であり、貧しき者は富める者である。強いものは弱いものであり、弱いものは強いものである。敵は味方であり、味方は敵である。幸せな者は不幸であり、不幸な者は幸せ者である。
一般に考えられているのとは逆に、長命なものは不幸であり、短命なものこそ幸せであるとは言えないだろうか。
進化は退化であり、退化は進化であり、美しいものは醜く、醜いものは美しいものである。
賢い者は愚かな者であり、愚かな者は賢い者である。優れるものは劣るものであり、劣るものは優れたものである。正義は悪であり、悪は正義である。明は暗であり、暗は明である。動は静であり、静は動である。
それらは、ゼロ除算のように惹きつけるものがあるのではないだろうか。

ゼロ除算の研究とは、哲学であり(哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)修行であり、信仰であるとも言える。 信仰こそは ゼロ除算の典型であると言える。実際、ゼロ除算は ゼロから無限へのワープであり、信仰とは 心の中心から 神へのワープである。

以 上

ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・




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