最近気が付いたのですが、今まで眺めてもなんとも思わなかった絵が、面白く感じます。こういうことはだいたいの人におこることなのでしょうか。
年齢を重ねていくうちにそういう経験ができるようになるということでしょうか。面白く感じることもあればそうでないときもありますが、今は面白く感じるときです。ゴッホとかゴーギャンとかピカソの絵とかを今画像検索してみていたら面白いと思いました。特に深い意味が読み取れるというわけではないのですが、遠近感覚や空間、色、濃淡、明暗、輪郭などを面白く感じることができます。将来次々とこのような面白いことが起きていくことを期待して今生きています。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12138918787
そのとおりですね。
どんどん変わっていきますね。
再生核研究所声明184(2014.11.28) ライブということ
最近、ライブと言う言葉が気になってきた。 一度声明でも言及した言葉である:
再生核研究所声明149: 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
最後の部分で、
今、日々研究が猛烈に進んでいる状況;100/0=0,0/0=0 の発見と、展開のさまに まこと、ライヴ、生、生きること、在ることの本質を実感する。次々と生命の活動のさまとして、展開している現場である。上記で、岡本氏やアインシュタインの活動のさまは、実にこの生命の展開そのものを述べているものである。 理論が完成して、論文を出版,印刷物に成れば、それだけでは停止してしまう。どんなものでもやがて色あせてしまうだろう。しかし、そこに、不備や発展の余地を見い出せば、その理論は動き出し、生きかえるだろう(再生)。再び息を吹き返し、活動し、ライブの状態に至るだろう。何でも世の中の原理は 同様である。活動しているだけではなく、その中にも 変化と創造性を伴うもの、それが、真の感動の源泉であると言える。感動させる原動力こそ、生命力と言える。
ライブとは、生きていること、生(ナマ)のことをいう、意味が含まれていると考えられる。人間の心、感性、感情もどんどん変化しているということである。小説家でも、芸術家でも 作品に対する感性、背景、想いなども 時間と共に変化しているということである。作者自身の感性すら変化するということは、ましてや、他の者の理解、共感、共鳴を得ることが 如何に難しいかということを意味するのではないだろうか。他方、それでも尚、共感、共鳴し、感動させることが 世に多いということは、人間が本質的に 共通の大きな命の下で、共通につくられていることを意味するものではないだろうか (再生核研究所声明36: 恋の原理と心得 )。これらの言わば矛盾する観点は 両極端(ゼロと無限遠点)の一致を述べている ゼロ除算のように 微妙で実に面白いと考えられる。
書きたい趣旨は何だろうか。世は、どんどん変化しているのだから、それは、瞬間、瞬間を捉え、大事にしていこうという事である。そこで、最近 多くの文書に 時間を記入してきたのは、そのような心の表れである。何時どのような、状況で書いたか、発想したかを記録するためである。
これは逆に捉えれば、世の多くの記念碑は、空しいものであるという 視点を与えるだろう。現在は直ぐに過去になるのに 我々の関心の多くが、過去よりも、現在から、未来にあるのは、自由が存在するこれからを良くしたいという、意欲、生命の本質的な働きから、出ているのではないだろうか。
以 上
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