2014年12月19日金曜日

中国著名音楽家 「南京を題材にしたミュージカルを日本で上演したい」

中国著名音楽家 「南京を題材にしたミュージカルを日本で上演したい」
12月13日は最初の南京大虐殺犠牲者国家追悼日だった。前日12日の夜、ミュージカル「永遠に忘れない」が北京の国家大劇場で上演された。同ミュージカルには、中国の著名な作曲家、葉小鋼氏による「遥か遠い我が南京」や「平和祭」第三楽章の二つの作品も含まれていた。「作品は歴史を銘記し、平和を大切にする」というテーマを際立たせている」と説明する葉氏は、「困難だとは思うが、将来南京をテーマにした自分の作品を日本で上演し、ミュージカル作品を通して日本人に、中国人の心理的な葛藤や抵抗、苦しみ、希望や憧れなどを感じとって欲しい」という願いを語った。光明網が伝えた。
チェロ協奏曲「遥か遠い我が南京」は2005年に作曲された。奇しくもその年は、抗日戦争や世界反ファシズム戦争の勝利から60周年を迎えた年だった。観る人を深く感動させる同作品には、葉氏独自の観点による南京や平和への賛歌が込められている。
「6つの王朝の都が置かれた古都、南京がこのような大虐殺の舞台となったことに対し、中国人一人一人に態度を表す責任がある」と語る葉氏。楽曲「遥か遠い我が南京」の中には、中国国民の重苦しい気持ち、怒り、抗争、そして未来への希望が含まれているという。
中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館(南京大虐殺記念館)の増築工事が着工された2007年、葉氏は再び南京を題材にした作品に挑戦した。この合唱交響曲「平和祭」は北京で2008年に初演された。http://j.people.com.cn/n/2014/1217/c94473-8824146.html

再生核研究所声明 130 (2013.9.1): 復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。
― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間)
(2013.8.29:11:45  声明に興味を抱く人の要望が 副題の課題であるが、全貌の考えが独りでに閃く、ぞっとするような静かな研究室で)
人は誰でも幸せになりたい、良い気持ちになりたい、良い感動をしたいは 当然であり、それらを求めるのが 道 であり、道理である。しかしながら、人間と人間の間には利害が対立したり、自然な意味での対立などの心が湧くのも 世の常である。これらを上手く調整させる原理は 公正の原則、再生核研究所声明129にあると考える。絶望的に考える必要は全然ない。人間には 生命と共に、共感、共鳴、共生の原理が働き、さらに儚い命において、本質的に同じ運命を担っているからである。
好きなように生きるは、実はそうは簡単ではなく、自分が本当に何を求めているか、何者かさえ定かに分からないのが 真相であると言える。 汝自らを知れは、実は 汝世界が観えるか と同様 難しい 永遠の問題 と言える。
幸せを求めるとは、自分の世界を環境と調和させ 全体を良く治め、豊かな感情が湧いてくるように することである。大事なことは食欲から、人間を考えるように、己が生命の求めるところを理解して、上記公正の原則に背馳しないように調和を保ちながら、好きなようにすることである: 再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること 実際、我が生命は 何を求めているのか と 絶えず、自らに問うべきである。これは 人生の基本定理 を内から表したものである(再生核研究所声明 12:人生、世界の存在していることの意味について)。
復讐心も、競争心も、嫉妬心も自然に発想するとしても、それらが浄化され、冷静さを失えば、自己の心に著しく反する マイナスばかりの情念に変身して、多くは空しい、空虚なものを求めていたとなるだろう。 最も大事な己を見失いがちになるだろう。また、復讐心の基礎には、元には 過去にあり、既に多くは取り返しのつかない事実に成っているではないだろうか。復讐には、復讐の事実より はるかに多くの犠牲を受けているのは 世に多い。復讐は空しいことである。日本国で有名な 忠臣蔵など、冷静に分析すれば、野蛮な封建時代の小さな世界の中での事件としても、存念を晴らすため、浪士たち自身はもとより、浪士たちの家族、周辺に如何に犠牲を与え、若者を道ずれにしたかを見れば、歴史的に断罪されるべき行為であると考える。歴史は、冷静に評価し、物語は書き換えられるべきであると考える。
競争心、嫉妬心は 相当に根深いものが有ると考えられるが、競争は 本質的にはあり得ない。なぜなら、それぞれ個性を持った人間が好きなように生きるのであるから、たまたま道ずれに成っても 本質は 目標も行先も違うはずである。したがって、スポーツなどの世界では 短期的にあっても、限られた限定された内での競争となるだろう。大事なことは、我が道であって、他人の様ではない と言うことである。
多くの嫉妬心、妬み、羨望感は それらは虚像であると言える。もし、自分が相手の立場に 実際になれば、そんなはずでは無かったとなるのが 実像ではないだろうか。古くは王子様と乞食のたとえの通りではないだろうか。 面白いのは 大金持ちに成って、逆に不幸になった人は 世には多いという報告すらあるくらいである。
いわゆる 世にあるテロであるが、
  
全て成功しても、不幸を世に広めるだけ、
自分を犠牲にするなど、身内、同族でも 喜ばないのでは、
関係のない人を巻き込むなど、言語同断である。
公正の原則に反する 反社会的となれば、世界と世界史を敵に回すことに成るだろう。知恵を付けて、賢明に対処したい。命あるものは みんな 同じ運命を生きている、仲間たち ではないのかと考える。
以 上
追記:
再生核研究所声明 61 (2011.05.11) : ビンラディン氏殺害 ― アメリカの名誉と大義を傷つけた オバマ大統領
               
オバマ大統領の直接指示で、ビンラディン氏殺害の現場を 政権幹部とともにホワイトハウスで目撃していた現場が 映像で広く公然と報じられたのは 世界に衝撃を与えている。堂々たる戦いでの殺害ならば、戦死として 仕方ない状況は テロ事件の背景からも、当然考えられる。しかしながら、問題は、武器を持たない人物を 妻やしかも12歳の子供の目前で、射殺したという経過には はなはだ 大きな問題を感じざるを得ない。 愚策でしかも、アメリカの威信を著しく傷つけた 大義なき重罪に当たると考える。 しかも、公然と映像で公開した罪は大きい、人間の尊厳などは少しも感じられない野蛮性すら顕わしている。
もちろん、アメリカは 世界の超大国であり、世界の平和と安定に 世界的に貢献している、 国際社会そのものであり、大統領は その最高責任者である。 されば、それゆえに、逆に 高い倫理性と正義を貫く姿勢を 世界に示して 頂きたいと考えるのは 当然である。この事件は その偉大なるアメリカの名誉を傷つけた 愚策として 世界の歴史に刻まれるだろう。
何人であり、法によって、客観的な裁判にかけて裁くのが、アメリカの 自由と法を尊重する 偉大なるアメリカの伝統であり、正義ではないだろうか。それこそ、世界を指導する国家の 在るべき姿ではないのか。
また、敵の指導者をみすみす殺害して、何の効果があるだろうか。 背後にいる多くの共鳴者や共感者は どのようにみるだろうか。 大きなテロ事件の指導者の 動機も真相も背後も分からなくなってしまった。 目前で父を殺害された少女の想いに 想いがいかないのかと その感性に対する疑念を抱かざるを得ない。 相手の立場を尊重する、相手の立場に想いを致すは、公正と倫理の基本ではないのか。 また、法の原理ではないのか。 力だけが支配する世界を 神を抱く、偉大なるアメリカが 求めているのかと問いたい。
アメリカは その偉大なる国家の名誉にかけて、大統領の処置を断罪すべきである、追及すべきである と考える。
賢明なる大統領ならば、できるだけ、生きたまま逮捕して、テロ事件の背景、真相、動機などを深く探り、 テロ事件の背景の全貌を掌握し、テロ事件の根絶を図るように 意図するのではないだろうか。 たとえば、人間性あふれるカーター元大統領 ならば、また若き、英明なる指導者であった ケネデイ元大統領ならば、実際そのようにしたと 信じて疑わない。 いや歴代のアメリカ大統領は みなそうしたのではないだろうか。 実際、ブッシュ大統領でさえ、サダム・フセイン元大統領を裁判にかけたではないか。 殺害は 正義に反し、神聖なホワイトハウスを血で汚した、愚策で犯罪そのものであると考える。
もちろん、この声明は、テロリストを元気づけるのものでも、テロリストに共感を寄せているものでもない。 実際、逆である。 武器を納め、 インドのネール元首相のように、武器によらない賢明な方法で、共生、共存の世界を拓き、 夜明けを迎え、 野蛮な時代を終結させようではないかと 訴えたい。 まこと、恨みと復讐では 何時までも不幸な争いは続き、何のために生まれてきたのかさえ 分からない人生になってしまう。 関係の無い第3者を巻き込むなど、言語道断である。 狂気の沙汰としか 言いようが無い。
然るに、双方の指導者たちが 復讐と相手の根絶を宣言しているのは異様であり、未だ地球上では力が、暴力がはびこり、野蛮な闘争を繰り返している事を示している。 運命共同体の かけがいのない地球の環境などには 思いがいかない 愚か者たちである。世界史を進化させ、発展させるためにも、そのような双方の指導部の交代を求めるものである。 共生、共存の道を探り、美しい世界を作ろうではないか。 誰も儚い人生を生きている、同じ運命を共有する者、仲間たちではないか。 同じ時代に生を受けた、 私たちの出会いを 美しいものにしようではないか と呼びかける。          以 上

再生核研究所声明 49(2011.2.16):  アジアの愚か者、アジアの野蛮性
ヨーロッパから、アジアをみると、アジアは愚かで、野蛮地域にみえてくるので、それらの実相について考察し、アジアの民の自覚と進化を期待したい。背景には、EUでは 通貨を統一して、往来を自由にし、ドイツを統一、ヨーロッパ全体が一つの国のようになる方向で進んでいるのに対して、アジアでは未だに朝鮮の統一もできず、同じ民族が対立する愚かさである。 日本国は アジアの大国、中国に対峙させられ、外国軍の基地さえ用意して、小さな国で 世界第二、第三位の軍事費をかけて、平和憲法を有しているなどと勝手に名のっている。 美しい文化を有する日本は、政治においては、EUから見れば、アメリカの属国のようで、自主性も、自立性もなく、やっと政権交代して まともな国を目指すかと期待されたら、逆に、検察、マスコミの大騒ぎで、政権交代の大義がぼけて、政局の混乱を招く有り様である。 財政、経済厳しい折りにも拘らず、国会は党派争い、法も道理も大義も社会正義すら主張できる政治家も少ない。 日本国は アジアではまともな国と評価されるが、それでも マスコミ、検察の 本分を弁えない低落は、アジアの後進性の象徴とも言える。EUでは考えられない後進性、野蛮性である。多くの国民は政治に不満や不信を感じているが、有効な手段が分からず、日常生活に埋没している。 日本国は全体として政治的には衆愚の状態にあると言える。
大局からアジアを見てみよう。 まず、なぜ、同じ民族、かつては同じ国家だった朝鮮が 統一できないのであろうか。アジアの民の愚かさの典型的な特徴は、過去のことばかり問題にして、絶えず、過去の事件にかえり、 未来志向ができないという点にあるのではないであろうか。繰り返し過去の問題を掘り起こしては、お互いに行き詰っている。大局的に歴史を見ることができず、視野が狭いのも特徴である。アジア全域がほぼ植民地支配を受けていた、自分たちの反省すらできない有り様である。 植民地支配を受けていた歴史的な事実は、自分たちの国を守れなかったという観点で、大いに反省すべきである。侵略されたのは恥ずべきことである。 敗戦は さらに恥ずべきことで、愚かさゆえに戦争に突入させられ、敗戦しているのである。 日本などは政治的には、いわば今なお敗戦を続けているようであり、戦前以下の見識しかない。 同じ民族が争う愚かさに目覚め、朝鮮の統一を進めるべきである。 再生核研究所はその統一の進め方について、声明37で具体的に提案している。 アジアは一致して、朝鮮の統一を支持して、働きかけるべきである。 賢明なドイツの統一のように。
アジアには 領土問題、島の問題があるが、これもアジアの愚か者、アジアの野蛮性の特徴である。 中国の偉大な指導者 鄧小平氏は、領土問題は未解決の問題として棚上げして友好関係を進めよう と述べていた。 強欲な人間たちが島に立ち入らなければ、豊かな自然が より豊かな幸を周辺国にもたらすのが理解できないように見える。 いや、領土問題で緊張させたり、 紛争する愚かさに気付かない人はいないはずだから、 結局は アジアに紛争を起こして 漁夫の利を得ようとする人たちの 意図に そそのかされている、それこそ アジア植民地時代のように アジアの愚か者 の特徴ではないだろうか。EUやアメリカから見れば、アジアに紛争が起きて、自滅すればよい、かえって都合がよいと考えられる観点に気付くべきである。
アジアには、族意識、村意識、国意識、民族意識の野蛮性が強く残っていて、ことあるごとに噴出している。 さらに、アジアでは 個が 確立しておらず、個人の尊厳と生命さえも おろそかにしている。 これは民族、国家が入り混じり、深い交流のあるヨーロッパでは 理解できない、野蛮な感覚ということになるのではないだろうか。人種が違う、国籍が違う、そのような感覚が EUには存在しないように見える。 内面的には分からないが、アジアとは違って、表面に出すことは 恥ずべきことで できないような状況を 文化が支えているように見える。自由、平等、博愛の精神、そして、キリスト教の文化的な伝統が背後にあるのではないかと感じられる。 人種問題、国籍問題、個人の尊厳などは ヨーロッパから見ると偏狭な、変な見方、アジアの野蛮性とみえるであろう。
EUが 一つの国の方向に着実に進んでいるのに、どうして、アジアでは内紛と抗争が続いているのだろうか。 アジアの相当な領域に 仏教と儒教の文化と伝統があり、漢字圏としても共通の文化基盤がある訳であるから、より統一的な友好圏を作るのは 極めて自然であり、歴史をそのような方向で 進めるべきである。 紛争と対立からは何も得ることはなく、逆に友好関係が相互に大きな利益をアジアにもたらすであろう。その骨格の方向を次のように志向したい:
1) 朝鮮の統一に協力、配慮する。 当面、南北朝鮮の友好関係に配慮する。(再生核研究所声明 37 : 金正日氏を世界史の英雄に ― 朝鮮問題に関心を寄せる世界の人々に を参照)
2) 日本は、アメリカに対して徐々に より自立する姿勢を確立して、日中友好関係に格別の配慮をする。(再生核研究所声明 25:日本の対米、対中国姿勢の在りようについて、再生核研究所声明 46:日本国の1つの国家像、あるべき姿について 参照)
3) 偉大な中国は アジアの指導国として、伝統ある儒教の精神で 友好関係のうちにアジア全域の繁栄のために努力すること。アジアに脅威を与えないように 大人の外交を行うこと。
反対側に存在する 超大国アメリカについて 簡単に 上記文脈で触れておきたい。
アメリカは 第二次世界大戦後の世界を指導してきた偉大なる超大国であるが、軍事大国の色彩を強くして、軍事でなければやっていけないような国家の佇まいを 今やなしている。 誠に残念である。 あたかも紛争を 世界に輸出していかなければ やっていけないような状況に見える。 自由と民主主義の大国として、軍事を抑え、民生を豊かにする方向で、世界を指導して頂きたい。アメリカは世界史を直接進化させる能力が有るのだから、世界史の進化のために努力して頂きたいと 強い期待を表明しておきたい。(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判 参照)
世界の財政、経済が厳しくなる折り、外国のアジア介入を阻止して、耐えながら、苦しい世界状況に耐えていく必要があると考える。アジアは 共生の精神で絶えず、世界とともに友好関係に配慮していくべきである。
以 上

 
どこかに愚かな地域はないか。
過去に拘る国や領土問題など利用できる。

アジアの愚か者
逆問題:逆に考えてみよう。 アジアに内紛を起こさせて、アジアをアジア植民地時代に戻したい。 沢山兵器を輸出して、アジア人同士が血を流し、アジアの人口を減少させたい。 
さらに検察庁とマスコミを弱体化させて、衆愚政治に導き、国家意思が働かないようにしたい。
アジアを内紛で衰退させる、アジアの愚か者を沢山養成したい。
それには、教育を画一型にして、考えない人間・考えられない人間を養成する必要がある。 
考える余裕がないようにするには、雑知識やゲームのような学力に熱中させれば良いのでは???
全てアメリカの思惑通り
慰安婦問題でまず韓国寄りで日韓の対立を煽り
韓国を中国と近づけ日本が狙ってた米中の間でパイプ役として
上手い事やろうとしてたのを拒み米中韓の距離感を演出し
日本の孤立感と危機感を煽った
結果何が起きたかと言うとTPPでも軍事面でも日本はアメリカに更に近づくしか なくなった
軍事面でここまでアメリカの為に動かざるおえない状況を作ったのも
お見事だよ
やはりアメリカは1枚も2枚も日本の上を行ってる
対北では韓国軍で十分だが対中国では日本にその役割を押し付けたいからね
ここまでアメリカの思惑通りでお見事としか言いようがない

アメリカは、シリアがダメならイラン攻撃ですか?
イランもダメなら何処?
SNSでキューバ政府の転覆狙った? 米政府は否定
アメリカ自身は、中国と正面きって戦争をしたくないので、属国である日本を使って日中戦争を起こさせ、双方共倒れさせる事を企んでいるんじゃないんですか。
米海軍、新兵器の開発続々 ペルシャ湾でレーザー砲実験も
ttp://www.cnn.co.jp/usa/35046496.html?tag=top;subStory
イラク空爆も選択肢=地上軍の派遣なし-米
米陸軍を大幅削減、1940年以来の水準に 国防長官が方針
一国を支配したい、 先ず、マスコミ、 政治家、 高官を 手なずけなくては。 
できれば 検察を支配して、 不都合な者を逮捕などしたい 
これ、常識では。 逆に考えて、 賢くならなければ。
奴隷・下層民同士を争わせ憎しみ合わせ支配層に憎しみが行かないようにすることは支配の基本といえる?
「中国軍侵入」国境地帯、インドが空軍基地計画
その時は日本の古来の美しい文化に反して、醜いアジアの狐の役割を演じさせられるだろう。
安倍首相や櫻井よしこ さんが、何故欧米で歓迎されないのかと質問されました。― 欧米の進んだ世界観からすると、偏狭な愛国者は野蛮な嫌な人たちと見えて、幾ら近づきたいと思っても、嫌らしい感じを持つのでは。石原氏などもそうですね。
どこかに、愚かな地域はないか。危機を煽って、兵器を売りたい、軍事費を増やしたい。島問題で、騒いでいるような地域は 都合が良い。できれば、マスコミに圧力を掛けて、煽りたい。
「新聞を信頼」86% 読売新聞調査
無人偵察機検討、サイバー対応強化…防衛大綱
防衛省 自衛隊に水陸両用部隊の機能http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130708/k10015876181000.html
日本と中国、韓国が敵対して得するのは誰ですか?
結局日本と中国、韓国が敵対して得するのは国民では無い気がするのですが。
アメリカは日中に戦争して欲しいと思っていますか?
アメリカと中国は 裏で 手を握っていると 思われる。
韓国は 昔から 属国の国 つまり 飼い犬
いまは アメリカと 中国の 飼い犬
アメリカと中国は 裏で 手を握っていると 思われる。
それを 嗅ぎ取った 韓国は 日本相手に
わめき散らしている という構図ですわ


ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。

3.30 美しい国、日本(2008/2/11):
今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。
美しい国、日本
日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。
日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。
日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。
京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。
日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。
これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。

国の借金、943兆円=最高額を更新-6月末
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
日本の債務は2015年度に1000兆円(内閣府)
日本の財政を考える  より

再生核研究所声明 25 (2009/07/01): 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて
世界の大国、アメリカと中国の存在は それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。 したがって、それら両国と日本国がどのように向き会うかは 国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。
まずアメリカに対する評価であるが、第1に、 日本国は アメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。 それゆえに、日米安保条約などの関係も それなりに理解できるものである。 しかしながら、戦後60年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。 すなわち、アメリカに対しては、別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ 日本国は より国家としての独立性と自立性を図るように努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。
次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば 日本は中国の文化圏の1部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような1部の人たちの見方は はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって 母なる大国 として当たるべきである。
アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは 日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。
日本国は 軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時 日本国憲法の精神が 理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。
皆さん 軍隊などはなくても 誰も侵そうなどとはしない 美しい国、日本国 を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような 北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 
この日本国の在りようは 集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する 日本国の在りようとして 現実的に極めて重い意味を有するのです。 背景には 国、地方の1000兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。    以上。

国の借金985兆円 12年度に1千兆円超え確実
国の借金1人850万円…12年度末過去最大に
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/

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