2014年12月24日水曜日

記事 川北英隆2014年12月23日 00:00ちぐはぐな高等教育改革案

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川北英隆2014年12月23日 00:00ちぐはぐな高等教育改革案

高等教育には大学が含まれる。現在の話題の1つは高校と大学の間の接続である。大学入試が大きなテーマの1つである。昨日、中央教育審議会は大学入試の改革案を答申した。内容は「変」である。
答申の詳細は新聞情報を見るのが簡便だろう。いろんな審議会の答申は文書が多すぎてポイントが不明である。すべてがポイントというわけかもしれないが。今回の答申もざっと見た限り、文書の羅列となっている。
その答申に対する評価は、教員側からすると負担の増大である。高校も大学も、何回も学生向けに試験をしなければならない。以前のブログで書いたように、この試験が教員にとって負担である。大学の場合、入学試験が増えれば、タダ働きが増える。また、教えるだけでなく、研究も求められているから、試験の負担が増えればますます研究どころでなくなる。
教育改革には一体性が求められる。何を、どのように教育し、どう持って行くのかの骨格がないといけない。しかし、それが今の教育行政にあるのだろか。大学生の質の低下は嘆かわしいことだが、それを主に大学入試だけで対応しようなんて、何を審議しているのだろう。というか、審議会の下ごしらえをする行政の質の問題かもしれない。
教育改革には、1つは予算の重点配分と拡充が求められる。今回の答申では高校の基礎学力テストを提案しているが、それを実施したとして基礎学力に達していない学生をどうするのだろうか。学力不足の場合、進級させないのか。普通に考えると「高校の教え方が悪い」と決めつけられるので、無理に合格点を付けるように思える。そうではなく、高校で教えるための予算の拡充が必要だろう。それでも無理なものは無理であるし、嫌いなものは嫌いなのだから、大学をいわゆる普通の大学と職業専門大学に分けるべきではないか。
もう1つは、教員を、主に研究する者と主に教える者に分けるべきである。もちろん互いの交流を図りつつであるが。誰でも彼でも「研究」の時代は終わっている。同時に、大学事務を大改革し、教員が不慣れな事務の一翼を担う現在の制度というか慣行を極力縮小すべきである。入試の監督も基本は事務職員で十分なはずだ。面接を取り入れるのなら、それは教員の仕事だろうが。
もう1つ重要なのは、大学の4年間を無駄にしない教育制度である。大学生は意味のないバイトに精を出し、それが実は飲食業を支えている。本末転倒である。親からの仕送りが少ないのなら、奨学金を拡充すればいい。それでも勉強しないのなら、進級、卒業させない制度が是が非でも求められる。そうなれば、企業による性懲りもない過激な就職活動もなくなるだろう。卒業できたことの値打ちを社会も認めるだろう。大学の4年間の教育にほとんど手を付けない審議会なんて、企業とつるんでいるのかも。http://blogos.com/article/101993/
本当に教育改革は問題が多いですね。 
ここの見解も変な感じです。
総合的な全体的な構想が 立てられない状況があるのでは?

再生核研究所声明 17 (2008/7/25)  教育界の改革を求める
大分県の教育界における不祥事は、いくら日本国が 空虚な日本の社会(再生核研究所声15)といっても 流石に健全な批判が湧いてきたのは当然である。身近な点から問題点を考察すると、試験がたとえ公正にできたとしても、全然問題は解決しないのではないでしょうか。 第一に、試験問題が適切であるかどうか、広く日本中で検討してみる必要があるのではないでしょうか。さらに、面接試験という大事な場面を迎えますが あのような体質で、より良い学生を公正に選ぶことができるか 検討する必要があると考えます。
試験内容について、例えば、数学専攻で、教育学部長をされた ある先生の嘆きを思い出します。大学でいくら専門の数学を熱心に勉強しても 専門の数学は採用試験には出題されず、大学受験や高校程度の数学の問題しか出題されず、それで、大学で熱心に勉学している学生よりも、家庭教師や塾でアルバイトをしている学生の方が有利になってしまい、実際、合格率も高いという嘆きです。これでは数学教育界が、数学の本当の精神や深い専門的な内容などよりは 受験勉強に代表されるような問題解きの技術の勉強になってしまうのではないでしょうか。 実際、入学して来る多くの大学生は 数学は問題解きであり、多くの技術を学ぶのが数学だと思っているのが現状ではないでしょうか。これでは創造性豊かな教育や本来の数学教育の目標からは ほど遠いのではないでしょうか。
一般に試験について、何十年も前に あるラジオ ニュースで聴いたことが なぜか何時も気になります: ネジの検査で、良いものを落とし、悪いものをわざわざ選んでいたというのです。わざわざ数学嫌いな生徒を育てたり、悪い教育を行っているような事は 至る所に見られる現象ではないでしょうか。
他方、教育には善良な市民を育成するという大事な面があるはずです。その大事な考えの一つには個性を活かし、公正な社会を実現することにあるのではないかと考えます。しかし、教育委員会の指導的な人達が 自ら信じられないような不正を行っていて、そのような方々が面接したり、教員を指導しているという事は如何なものでしょうか。大分で起きた事件は 大分県の特殊性から出てきたものではない以上、日本中で同じような状況ではないでしょうか。人事の刷新を行い、教育改革を進めるように訴えます。
このような状況で、教員更新性の導入を行えば、教育界はますます混乱し、よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。
(1)教員の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させる。
(2)財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。
(3)更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教員は初めから、問題が無いと考えられる。
(4)更新されなかった教員の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。
(5)このような制度の導入そのものが、教員の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。
などなどですが、そのようなことに 時間とお金 をかけるくらいならば、
忙しい先生に休暇とお手当てを配布した方が 遙かに効果的ではないでしょうか。
日本国の再生のために、試験問題の作成委員や面接する人を 見識ある人物に代えるばかりではなく、教育界の全般的な改革と刷新を行うように 多くの関係者に求めます。またマスコミの積極的な取り組みを要請致します。 以上。

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