2014年12月30日火曜日

プロ野球界が“時短”を進める背景とは 小さくとも着実な歩み

プロ野球界が“時短”を進める背景とは 小さくとも着実な歩み
デイリースポーツ 12月29日(月)11時1分配信
プロ野球界が“時短”を進める背景とは 小さくとも着実な歩み
試合時間短縮への取り組みを提案した熊崎コミッショナー
 “時短”を積極的に推し進めているのは、何も一般企業だけではない。野球界にも、試合時間短縮への大きな波が来ているのだ。
プロ野球の熊崎コミッショナーは今年1月1日の就任以来、NPBの組織改革に着手。改革が少しずつ形を成してきている中で、来年以降へ向けて力を注ぐと話しているのが、試合時間の短縮だ。
「試合時間を、できる限り短縮できないかと考えている。来年以降の一つの課題」。12月15日に行われた実行委員会で、自ら試合時間短縮への取り組みを提案。今後の同委員会で具体策が話し合われていくことになった。
「何とか試合時間を3時間以内にしたい」と熊崎コミッショナー。派手さはないが、この課題に力を入れることは重要だ。各球団の関係者からは「やはり試合時間が長いと、球場へ来た、特に小さな子供たちは飽きてしまう。テンポのいい試合で、野球を面白いと感じてほしい」という意見が多く聞かれる。
中学生以下の野球における競技人口が減少を続け、地上波での中継が見られなくてなってきた現状を鑑みれば、試合をコンパクトにしていく取り組みは今後の野球人気に大きく影響する要素となる。
だが、9回での今季平均試合時間はセ・リーグが3時間16分、パ・リーグは3時間18分。これを20分近く短縮するというのは、簡単なことではない。
この問題にNPBは08年から取り組んできた。現在はイニング間の攻守交代を2分15秒、イニング間の投手交代を2分45秒、無走者時の投球間隔を15秒とするなどの施策を行っている。にもかかわらず、両リーグとも09年から10分近く試合時間が延びているのだ。
では、走者がいる場面でも投球間隔、走者へのけん制の回数を制限するのか。ただ熊崎コミッショナーが「野球の面白さを損なってはいけない」と話すように、日本野球は“間”を楽しむ文化があるのも、また事実だ。
“時短”については、今季の平均試合時間が3時間2分となったMLBでも本腰を入れている。10月から行われたアリゾナ秋季リーグでは、敬遠は指で「4」と示すだけで投球は行わないなど、いくつかの対策が試験的に取り入れられた。
何が正解かは、やってみなければ分からない。試みが失敗に終わることもある。ただ、恐れずに「本気で取り組んでいきたい」(熊崎コミッショナー)という姿勢こそが重要だ。派手な事業の陰で進む、小さくとも着実な歩みに期待したい。
(デイリースポーツ・中田康博)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141229-00000039-dal-base

再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること
あらゆる生物の最も基本的な本能は、外部から取り入れるという、食の本能である。生きている顕著な営みであると言える。 この基本的な本能から、人間の基本的な要素を分析、考察し、人生の基本を理解したい。 
認識できる人間は 自己の生命が求めていることを、欲求や欲望、求める、欲しいという感覚で自覚するが、求める、欲しいの 最も基本的なものは、空腹を満たし、食べたいという、欲求である。もちろん、苦痛からの解放など、生存を脅かす状況からの解放は当然である。
このことから 既に、人間が有限の存在であることを知る。食欲といえども食を無限に頂くことはできず、どんな好物でも やがて、飽きるだろう。有限のものを取り入れている存在であると言える。何を頂くか、何を頂きたいかは、我々の生命が何を要求しているかの 要求の自然な表現として現れていると考えられる。基本的には 好きなものを好きなだけ頂くのが 健康にも良いと考えられよう。 その原理は多様な食から、変化を持たせて、適度に頂くが基本ではないだろうか。すなわち、多様性の原理とそれを実現させる 飽きるという重要な感覚がある。 飽きるという感覚が無ければ、食に偏りを生じ、複雑な生命活動を維持するのに支障が生じるだろう。
この声明の趣旨は、ちょうど食欲の状況のように、外部からの情報を取り入れて 豊かな精神活動を展開しようという観点に思いを至らしむことにある:
1) 我々は有限のものしか受け入れられない、制限があること
2) 我々の生命が 心が何を求めているかを 注意深く絶えず、己が心に尋ねること;
生きたい、死にたくない、良く暮らしたい、それらを越えて、生きるということは どのようなことか、自らに問うて行きたい。
3) 何事集中しすぎると飽きてくるので、間を考え、適度に変化を持たせること
4) 生命作用は複雑な存在だから、幅広い世界、情報に接するように配慮すること
5) 年齢、健康状態、環境などに影響をうけること
6) 慣れる、習慣、学習効果などにも配慮すること。
近年、インターネットの普及で、名曲や名画、映画の名場面など繰り返し、繰り返し楽しむことができる時代を迎えている。また、知識や情報が幾らでも入り、友人、知人、友達など幾らでも増やせる自由な時代を迎えている。それゆえに逆に、自己の世界をきちんと整理、制御して、取捨選択をきちんとして行かないと、いたずらに情報に振り回されて、適切でない食生活が健康を害するように、我々の精神を害することになるだろう。大いに気を付け、配慮して行きたい。
食も、飽きるものと、飽きないで、基本的に続けられるものが在ることにも注目したい。確かに定食など永く続けていても 適当な間隔で頂けば、飽きないで永続できるものがある。水やエネルギー源などは 基本的に必要であり、精神活動でも適度な刺激、変化、発見など、同様に基本的に心がけなければならないものが有り、また、いくら続けても、求道、芸術や研究活動などの創造活動のように 続けられる分野 が有ることに注目したい。
したがって、そのような永続するものを しっかりと受け止めて、適当に揺らぎを取り入れた生き方が、人生を豊かにする秘訣であると言えるだろう。
個人にはそれぞれの才に器が有り、生命作用は内部から、湧いている。教育の原理は その生命作用を補助することにある。 日本の公教育の現状は 個人の食欲を弁えず、一方的に強制して与えすぎで、消化不良と分裂、混乱させ、不健康な人間を大量育成している状況が有るのではないかと危惧している。これは、2500年も前に 中国古代で、既に注意されている事実である(再生核研究所声明2:教育方法では、学生の過誤を未発のうちに防止することを予という。学生の学習状況に応じて、ちょうど好い時に教えることを時という。学生の(受容能力の)程度を越えぬようにして授業することを孫(順当)という。 学生が互いに注意して言行を善美にしてゆくように指導すること、これを摩(磨)という。 これらの四事は、教育の効果を大きくする善法である。)。
美しいものをみたい、聞きたい、義に生きたい、人生の意味を知りたい、真相を知りたい、世の法則を知りたい、道を究めたい などなどは、食欲と同様、我々の生命が求めているのである。 実際、我が生命は 何を求めているのか と 絶えず、自らに問うべきである。 これは 人生の基本定理 を内から表したものである(再生核研究所声明 12:人生、世界の存在していることの意味について)。
以 上

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