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本山勝寛2016年07月16日 06:35CQがIQ,EQと同じくらい大事な時代に
2014年8月、『Harvard Business Review』に「Curiosity Is as Important as Intelligence(好奇心は知能と同じくらい重要だ)」というエッセイが掲載され、話題を呼んだ。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のビジネス心理学教授トマス・チャモロ=プレミュージック博士の寄稿によるものだ。
「CQ=Curiosity Quotient(好奇心指数)」の高い人は、ハングリー精神をもち、より探求欲があり、新しい経験に対してオープンである。そして、目新しいものに興奮しやすいが、決まったルーチン作業には飽きやすい。反体制であるが、独創的なアイディアをたくさん生み出す。複雑性の高まる時代を生き抜くうえで、CQは、IQ=Intelligence Quotient(知能指数)やEQ=Emotional Intelligence Quotient(こころの知能指数)と同じくらい重要だと説く。CQの高い人は、回答がすぐに与えられない曖昧な状態にも耐えられる、そして、フォーマルな教育の場以外でも、知的投資を惜しまず、常に知識を得ようとする。CQは複雑な問題に対してシンプルな解決法を導き出す究極のツールであるというのだ。
EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫) EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)
作者: ダニエル・ゴールマン,土屋京子
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 1998/09/18
メディア: 文庫
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教育の世界では長年IQが重要視されてきたが、ダニエル・ゴールマンの著書『EQ~こころの知能指数』が500万部の世界的ベストセラーとなった1990年代、新たな概念として「EQ」が注目された。EQとは「知能テストで測定されるIQとは質の異なる頭の良さ」で、自己認識力、決断力、自制心、ストレス等を制御する能力、やり抜く力、他人への共感力、社会的適性などを指す。これらのEQの概念は、教育経済学では「非認知能力」と呼ばれ、学術的にもその効果が検証されてきている。
EQが世界的に注目され、脚光を浴びたのは、1990年代、冷戦終結後も世界各地で紛争が多発し混沌としていた時代だ。日本ではバブルが崩壊し、失われた10年を迎えていた頃、EQの概念が社会により求められていたのかもしれない。それから21世紀に入り、IT革命を機に社会のあり方が大きく変化し、そのスピードが加速化している。今、「EQ」の次に注目され始めているのが、「CQ=好奇心指数」なのだ。
トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』は、21世紀の象徴的変化を表現し、全米で300万部の大ベストセラーとなった。通信テクノロジーの出現によって、個人の生き方から企業のビジネスモデル、国家のシステムまで猛烈な勢いで変わろうとしている様を綿密な取材によって明らかにし、その世界の仕組みの大きな変化を「世界がフラット化」していると表現した。フリードマンは同著で「フラット化する世界」における新しい学びのあり方についても触れ、「仕事、成功、学科の分野、趣味ですら、好奇心と熱意がさらに重要になる。なぜなら、フラットな世界には、好奇心とそれを抱く人間の奥行きや幅をどんどんひろげるツールが山ほどあるからだ」と説いている。そして、IQよりもCQ(好奇心指数:Curiosity Quotient)とPQ(情熱指数:Passion Quotient)がもっと大きな意味を持つとし、新たな概念を提示した。これからの最も重要な能力は「学ぶ方法を学ぶ」という能力であり、「学ぶ喜び」を知ること、学ぶことが好きになることだと力説している。
21世紀を代表する企業といえば、グーグルはその一つに入るだろう。そのグーグルが、採用で最も重視するスキルは何か。人材開発部長のジュディ・ギルバート氏は以下のように語っている。
「もちろん賢いことは重要だ。でも知的好奇心のほうがもっと重要だ。グーグルで成功する人は、すぐに行動を起こしたがる傾向がある。壊れている物を見つけたらすぐに直すような性格だ。問題を見つける能力も重要だが、見つけた問題について不満を並べたり、誰かがそれを解決してくれるのを待っていないこと。『どうすればもっとよくできるだろう』と自問すること。それからすべてにおいてコラボレーションが必要不可欠だ。周囲に多様な専門性を持つ人がいることに気がつき、彼らから学ぶ能力がある人物を私たちは高く評価する。」(トニー・ワグナー著『未来のイノベーターはどう育つのか』より)
一生伸び続ける人の学び方 一生伸び続ける人の学び方
作者: 本山勝寛
出版社/メーカー: かんき出版
発売日: 2016/07/13
メディア: 単行本(ソフトカバー)
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IT革命によって劇的な変化がもたらされている新しい時代において、今、ビジネス、教育、心理学と様々な分野において、「好奇心」が注目を浴び始めている。すべての学びにおける原動力となる好奇心の重要性と、好奇心を高める方法について、新著『一生伸び続ける人の学び方』で、最新の研究事例や各種のデータなどを使って詳しく紐解いているので、ご関心のある方はぜひ読んでみていただきたい。
(『一生伸び続ける人の学び方』より一部抜粋・編集)http://blogos.com/article/183695/
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
(この声明は、最近の研究の進展についての、M.T.様のメール: メールありがとうございました。研究の進化がライブで体験できて、素晴らしかったです。ありがとうございました。― から 大事な考えが湧いたものである。)
再生核研究所声明 145 (2013.12.14)生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察 ― ここでは 人間として生きることの 究極の意義 を考察したい。本質を観るには 余分な非本質的なことを排除するのが 良い。
として、始めに、基礎論を展開し、人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなものである、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、 どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。これらは、誠 至言である。
と言及している。さらに、
人生の基本定理 再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか -
それは究極、人生の基本定理 人生の意義は 感動すること にある(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)ということになるだろう。
なにものかによって 作られた人間 が できることとは、理想境界(ideal boundary, 想像上の境界)のように、自らの生命と感情の命ずるままに生きざるを得ない。
暇だから、巨大素数の構造を調べる遊びに熱中していた、暇だから 数学をやる他ないと言っているような者は 世に多い (再生核研究所声明36)。
真実は唯一つ、生命の基本定理; 生きて存在しなければ、始まらない、ただ生きること、これだけが真実で、確かなことのようにみえる。
しかしながら、ここで生きることとは、個として生きることに あらず、大きな生命、元祖生命体 (再生核研究所声明36) としての 大きな命の存続 を志向している のも明らかである。それ故に、人は、共感、共鳴、交流を求めている。それは、精神を引き継いで行きたいという この大きな命に帰依したいという、本能に基づいているからである。
と結んでいる。
今、日々研究が猛烈に進んでいる状況;100/0=0,0/0=0 の発見と、展開のさまに まこと、ライヴ、生、生きること、在ることの本質を実感する。次々と生命の活動のさまとして、展開している現場である。上記で、岡本氏やアインシュタインの活動のさまは、実にこの生命の展開そのものを述べているものである。
理論を完成して、論文を出版,印刷物に成れば、それだけでは停止してしまう。どんなものでもやがて色あせてしまうだろう。しかし、そこに、不備や発展の余地を見い出せば、その理論は動き出し、生きかえるだろう(再生)。再び息を吹き返し、活動し、ライブの状態に至るだろう。
何でも世の中の原理は 同様である。活動しているだけはなく、その中にも 変化と創造性を伴うもの、それが、真の感動の源泉であると言える。
感動させる原動力こそ、生命力と言える。
以 上
再生核研究所声明184(2014.11.28) ライブということ
最近、ライブと言う言葉が気になってきた。 一度声明でも言及した言葉である:
再生核研究所声明149: 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
最後の部分で、
今、日々研究が猛烈に進んでいる状況;100/0=0,0/0=0 の発見と、展開のさまに まこと、ライヴ、生、生きること、在ることの本質を実感する。次々と生命の活動のさまとして、展開している現場である。上記で、岡本氏やアインシュタインの活動のさまは、実にこの生命の展開そのものを述べているものである。 理論が完成して、論文を出版,印刷物に成れば、それだけでは停止してしまう。どんなものでもやがて色あせてしまうだろう。しかし、そこに、不備や発展の余地を見い出せば、その理論は動き出し、生きかえるだろう(再生)。再び息を吹き返し、活動し、ライブの状態に至るだろう。何でも世の中の原理は 同様である。活動しているだけではなく、その中にも 変化と創造性を伴うもの、それが、真の感動の源泉であると言える。感動させる原動力こそ、生命力と言える。
ライブとは、生きていること、生(ナマ)のことをいう、意味が含まれていると考えられる。人間の心、感性、感情もどんどん変化しているということである。小説家でも、芸術家でも 作品に対する感性、背景、想いなども 時間と共に変化しているということである。作者自身の感性すら変化するということは、ましてや、他の者の理解、共感、共鳴を得ることが 如何に難しいかということを意味するのではないだろうか。他方、それでも尚、共感、共鳴し、感動させることが 世に多いということは、人間が本質的に 共通の大きな命の下で、共通につくられていることを意味するものではないだろうか (再生核研究所声明36: 恋の原理と心得 )。これらの言わば矛盾する観点は 両極端(ゼロと無限遠点)の一致を述べている ゼロ除算のように 微妙で実に面白いと考えられる。
書きたい趣旨は何だろうか。世は、どんどん変化しているのだから、それは、瞬間、瞬間を捉え、大事にしていこうという事である。そこで、最近 多くの文書に 時間を記入してきたのは、そのような心の表れである。何時どのような、状況で書いたか、発想したかを記録するためである。
これは逆に捉えれば、世の多くの記念碑は、空しいものであるという 視点を与えるだろう。現在は直ぐに過去になるのに 我々の関心の多くが、過去よりも、現在から、未来にあるのは、自由が存在するこれからを良くしたいという、意欲、生命の本質的な働きから、出ているのではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明225(2015.4.23)偉大な数ゼロ ―ゼロの教え
(最近、急に気に成り出した心境で、本声明は 1種の悟りの心得に通じるので、概ね退職された人向きと言える。)
ゼロ除算の結果は、直角双曲線関数 y=1/x の原点における値が ゼロであると言っている。それは、まるで、原点でゼロが正の量と負の量に 爆発して双方に広がっているようである。その様は現代物理学の学説、ビッグバン、すなわち、宇宙はあるとき、無から爆発によって突然現れ、その爆発の続きが続いているという。 無からの発生は、プラス、マイナス、とで合わせてゼロで、無からの発生はおかしいとも言えないという。これは、全体としてゼロとして釣り合っていることを意味する。universe が全体として ゼロとして釣り合っているということは 奇妙にも我々の心に響くものがある。
苦労しただけ、喜びが湧くのでは?
明るい面があるだけ、暗い面があるのでは?
ゼロは基準値であり、長命な生物も短命な生物も、 長命な人生も、短命な人生も同じようなものではないだろうか?
幼いころ、麦畑の上でひばりのさえずる情景を見たのを想い出す。 飛び立っては天高くまい上がり、やがて巣に戻る。 地平ゼロから始まって地平ゼロに帰する。永くさえずっていても、短くても結局同じではないか。 人間も誕生して、結局は元に戻る。結局、みんな同じようではないだろうか。 人生の長短など本質的には問題では無くて、みんな同じようではないだろうか。 ゼロから始まってゼロに帰する、ゼロとは そのようなものではないだろうか。
他方、ゼロ除算の複素版は、平面上では どのような方向でも どんどん原点から遠ざかれば、無限遠点の1点に行くが、 その無限遠点は、突然、原点に戻っている ことを述べている。これは結局のところ、ゼロから始まってゼロに帰すること、すなわち、元に戻る universe の原理を教えているのではないだろうか。
本声明は、ゼロの心境が大事なこと を述べている。
また、始めが大事であること を述べている。
以 上
再生核研究所声明254 (2015.11.2) 愛が無ければ観えない ― について、 更に
既に、
再生核研究所声明173(2014.8.6) 愛が無ければ観えない
2013.2.26.11:15:
で、愛が無ければ、見えない、 関心が無ければ、進まない、できると考えなかった。
何と 15年も前から、 考え、 3人の学位論文の素材になり、 2冊の著書でも扱い、 S先生やF先生も講究録で触れている。 それなのに馬鹿みたいなことに気付かなかった。
と述べている。要するにある結果に気づいたのであるが、先が有ると思わなかったので、関心をもって考えなかったので、長い間 基本的な結果に気づかず、通り過ぎていた、事を示している。
さらに、最近のゼロ除算100/0=0,0/0=0の結果の場合は 凄い歴史的な事件と言える。すなわち、ゼロ除算100/0=0は割り算を掛け算の逆と考えると、不可能であることが証明されるので、不可能の烙印を押されていた。しかし、物理学などでは重要な問題が絡んでいるにも関わらず、何百年間も人は、新しい考え方に関心を抱かず、不明のままで年を重ねてきた。それが、偶然ちょっとしたきっかけで、解決をもたらした(再生核研究所声明171参照)。
興味、関心、愛が無ければ、何も気づかず、発見もせず、認知さえしないで、空しいものになる。
と言及している。
さらに、そもそも人間とは何者かと問い
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている― 再生核研究所声明148
そこまでは行かなくても、 人間が何に関心を抱くは 極めて興味深い、人間研究の課題である。実に多種多様であり、世間を見てもその多様性には驚かされる。その多様性こそ人間社会の豊かさの表れであると評価される。生まれながらの性格、能力、幼児時の育ち、教育など、どうして興味の対象、関心を抱く対象が決まるかは 今後の大きな課題である。 一般には、関心や愛情はどんどん深まって、成長、発展する性格があり、人生の晩年までには名人や、達人の域にまで成長する例は世に多い。 多くの数学者が、子供の頃将棋や碁で遊んでいたなどの話しを交わしたことが有るが、興味深い例である。一流のスポーツマン、イチロー選手などいろいろな有名選手の生い立ちと名前が思い出される。
愛を抱く、興味を持つ、関心を持つは、人間らしい人間を育てる基本であるから、知識偏重、詰め込み教育ではなくて、 みずみずしい愛、意欲が湧く、情念が生命力とともに湧いてくるような 全人的な教育が大事ではないだろうか。
心身を大事にすることともに、真理、真智を愛する精神こそ、大事ではないだろうか。
何のために、何故か? ― 人間らしい、人生を送るためにである。
と結んでいる。
愛とは 共生感に基づく喜びの感情であると 表現した。 全く経験したことのない世界に触れると、全然、共感、共鳴しないで、ただ暗号が並んでいるように感じることがある。 純粋数学などでは純粋な抽象理論であるから 顕著に遭遇することがある。専門外だと始めから最後まで、殆ど何も分からない研究発表も珍しくはない。 共感、共鳴が、更に愛の感情まで高まるには相当な経験に基づいた共通の基盤が必要ではないだろうか。 民族の文化や、男女関係の愛の問題についても言える。愛の素である共生感が深まるための背景について言及している。最近のゼロ除算の理解の仕方から実感してきた感情である。
ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるとされ、ゼロで割れないことは定説である。 そこで、突然、ゼロ除算が可能であると言い出され、可能であると言われたとき、人はそんな馬鹿な、今更何を言っているのか? また結果が、従来の数学と全然違う、強力な不連続性を述べていることに触れられると、そんな数学は始めから、正しくとも興味がないと発想するは多い。 全く新しい結果となると、共感も、共鳴もなく、愛着も湧かないのは 我々の心の仕組みからも言えるのではないだろうか。
他方、客観的には何の、あるいは大した意味や、動機が無くても、いわゆる未解決問題として提起された問題などで、永く挑戦を続けていると どんどん愛着、愛情が深まり、湧いてきて、いわば問題にハマって行く状況は 数学界などで、個人や、グループとしてもよく見られる現象である。― 不可能、未解決と言われると、挑戦したいという心情と 解いて、いわば競争に勝ちたい という心情が湧くのは当然で、結構数学の研究を推進する原動力になっているのではないだろうか?
この声明の趣旨は、愛は 共通の基盤、経験、関わりの深さで深まり、我々の心は、生命のあるべき方向での 関わりの深さで 愛も深まるという 観点に想いを致すことである。
以 上
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