2016年7月20日水曜日

冥王星、探査から1年でわかった5つの事実 地質活動は存在する、大気は予想外、衛星は奇妙 2016.07.20

冥王星、探査から1年でわかった5つの事実
地質活動は存在する、大気は予想外、衛星は奇妙
2016.07.20



このエントリーをはてなブックマークに追加 


小さな冥王星には大きなハートマークがついている。ニューホライズンズが撮影した高解像度カラー画像(PHOTOGRAPH BY NASA/JHUAPL/SWRI)
[画像のクリックで拡大表示]
 1930年の発見以来、人類は数十億キロのかなたにある冥王星に魅せられてきた。

 そして1年前の2015年7月14日、NASAの無人探査機ニューホライズンズが冥王星への接近通過に成功し、私たちはその姿を初めて間近から見ることになった。

 小さな冥王星の横を探査機が通過するのに要した時間はわずか3分だったが、冥王星と、その巨大な衛星カロン、4つの小さな衛星ステュクス、ニクス、ヒドラ、ケルベロスを擁する冥王星系全体は、もっと長く、じっくりと観察することができた。(参考記事:「冥王星“接近通過”をめぐる10の疑問に答える」)

 その際に収集されたデータは、今でも科学者を驚かせ、当惑させているが、冥王星は巷ではすっかり人気者となり、1991年に米国でつくられた「冥王星は未探査」とタイトルを打った記念切手が、「冥王星は探査済み」と修正されて発行されたほどだ。

 ニューホライズンズからのデータ送信はまだ続いているが、科学者たちがこれまでに明らかにした、驚きの事実のほんの一部をご紹介しよう。(参考記事:「冥王星に信じがたい5つの新事実発覚」)

【フォトギャラリー】冥王星の写真の変遷を見てみよう、15点

詳しくはこちら
冥王星は生きている

 冥王星には、メタンの氷がヘビの鱗状に覆った広大な平原をはじめ、太陽系屈指の奇妙な地形が見られる。しかし、その地下ではさらに、氷の天体の概念を根底から覆すような、地質活動が起こっているのだ。

 それまで科学者たちは、太陽系の端にあるこの極寒の天体に、ほとんど地質活動はないと考えてきた。

 地球からの観測によって、冥王星の表面で季節ごとに氷が移動している可能性は指摘されてはいたが、今回ニューホライズンズのデータからは、想定外の事実が明らかになった。冥王星は今も(あるいはつい最近まで)地質学的に“生きている”のだ。内部の熱の作用で、その表面の物質に動きが起きているという。

 米サウスウエスト研究所のキャシー・オルキン氏は、スプートニク平原と呼ばれる直径1200キロほどの広大な氷原に言及し、「太陽からこんなに離れた冥王星に地質活動があるとは、本当に驚きでした」と言う。

 なめらかなその平原は多角形のパターンに分割されている。それはすなわち、新しい氷が下からゆっくりわき上がってくることを示している。その表面の氷は地質学的に驚くほど新しいもので、50万~100万年ほどで置き換わるという。(参考記事:「冥王星、氷が絶えずわき上がる意外な地質運動が判明」)

 米航空宇宙局(NASA)エイムズ研究センターのオリバー・ホワイト氏は、「冥王星が太陽の周りを公転する際、表面と大気の相互作用に関連した活動があるのではと思っていましたが、こんなに広範囲にわたって窒素の氷の塊が対流していたとは!」と驚く。

窒素の氷河と漂う氷山

 スプートニク平原には窒素が凍った氷からなる氷河が流れ込んでいて、その動きは地球の氷河に似ている。平原には水が凍ってできた巨大な氷山が漂っているが、窒素の氷河はその水の氷山の傍らを流れることで氷のかけらを運び、冥王星の表面に溝を刻んでいる。

 液体が表面の溝を刻んでいる可能性もあるが、米ローウェル天文台のウィル・グランディ氏は、まだわからないと言う。冥王星の地下に海などがあるかどうかは、謎のままだ。

 もう1つの謎は、頂上にくぼみがあるライト山とピカール山だ。2つとも巨大な氷の火山で、灼熱の溶岩ではなく、窒素、一酸化炭素、あるいは水の氷が混ざったものを噴き出していると、考えられている。

 「何かを初めて間近に見るときには、答えよりはるかに多くの謎が見つかるものです」とグランディ氏は言う。「少なくとも、今回はそのようです」

カロンは死んでいない

 冥王星の成果だけでもミッションは大成功だったといえそうだが、ニューホライズンズが見てきたのは冥王星だけではない。

 冥王星の巨大な衛星カロンも、素晴らしく奇妙な天体であることが判明した。衛星というよりも、冥王星との二重天体と考えられるほどの大きさをもつカロンは、多くの科学者が予想していたようなクレーターだらけの死んだ天体ではなかった。

「私はカロンのことを、土星の衛星レアのような、クレーターだらけの退屈な灰色の天体だと思っていましたが、読みが甘すぎました」と、サウスウエスト研究所のカーリー・ハウェット氏は言う。

 確かにカロンにもクレーターはあり、その数は冥王星より多かったが、予想を下回るものだった。カロンは冥王星に比べて全体的に黒っぽく、その極地方には謎めいた暗赤色の領域があり、「モルドール・マキュラ」と呼ばれている(モルドールは、トールキンの小説『指輪物語』に登場する冥王サウロンの王国で、『黒の国』という意味)。この領域は、冥王星から飛んできた分子が堆積して色がついたと考えられている。(参考記事:「冥王星の衛星カロンに謎の黒い領域」)

 カロンには深いひび割れも走っている。科学者たちはその理由をまだ説明できていないが、地下の海が凍結して膨張し、表面を引き裂いた可能性がある。冥王星と同じく、カロンの表面にも、驚くほどなめらかで、地質学的にまだ新しいと見られる部分がある。

「おそらく、カロンが形成されてから冷却されるまでに、私たちが予想したより長い時間がかかったのでしょう」と、ハウェット氏は語る。「あるいは、カロンに衝突した天体に関する私たちの理解が間違っていて、その表面は、私たちが最初に考えたほど新しくないのかもしれません」

奇妙な軌道を回る衛星

 科学者たちはカロンの謎に頭を悩ませながら、二重天体系の成り立ちを理解するためのヒントも探している。現時点では、地球の月と同じように、巨大な天体の衝突によって形成されたのではと考えられている。この衝突に関する手がかりは、冥王星とカロンだけでなく、小さな衛星ステュクス、ニクス、ケルベロス、ヒドラにも隠されている。

 サウスウエスト研究所のサイモン・ポーター氏の説明によると、4つの小さな衛星は、カロンを形成した衝突の際に宇宙空間に放り出された破片だったとする説が、今のところ有力だという。

 問題は、4つの衛星の動きが、衝突仮説ときれいに合わないことだ。

 サウスウエスト研究所のケルシー・シンガー氏は、「これらの衛星の軌道は、私たちが考えていた以上に奇妙なのです」と言う。

 一部の衛星は同期せずに高速で回転し、傾いた軌道に沿って動いている。色もおかしく、カロンより明るい色をしている。ニクスには赤っぽい色のクレーターがあり、ヒドラは2つの破片が衝突してくっついたような形をしている。

 冥王星の小さな衛星は、雑多な天体の寄せ集めのようにしか見えないのだ。

 サウスウエスト研究所のアレックス・パーカー氏は、「これらの衛星の起源は、ニューホライズンズの接近通過の前から謎でしたが、私たちが収集した観測データはその謎を深めたにすぎません」と言う。

仮説を覆した冥王星の大気

 ニューホライズンズは、冥王星系を猛スピードで通過した後、振り返って冥王星とカロンのシルエットを撮影した。冥王星の輪郭の画像を受け取った地上の科学者たちは目を見張った。太陽を背にした冥王星は、不気味な青い光の輪に包まれていたのだ。

 さらにその光のもやは何層にも分かれており、科学者たちは現在、その解明に取り組んでいるところだ。

 冥王星が窒素の分厚い大気をもつことは、その中を通ってくる遠方の星の光の分析により、1988年に明らかになっていた。だが、その大気が地球の何倍もあることは、20年以上にわたり科学者たちを悩ませてきた。それまでは、冥王星が太陽から遠ざかった際、大気が凍結して表面に降り積もったのではないかという仮説が立てられていた。

 だが、そうではなかった。地球から見る限り、大気はどんどん分厚くなっていったからだ。

 地球からの数十年間の観測による結果は、大量の分子が冥王星の重力を振り切って宇宙空間に出ていくことを示唆していた。

 ところがニューホライズンズの接近通過により、冥王星の大気は予想ほど厚くなかっただけでなく、分子はほとんど出ていっていないことが明らかになった。シンガー氏によると、科学者たちは現在、冥王星の大気は「未知の予想外の原因」により低温に保たれ、比較的安定していると考えているそうだ。

 わずか数分間の接近観測で、数十年間積み上げてきた観測データに疑問が投げかけられてしまうのは理不尽に思われるかもしれないが、科学者たちはそれをむしろ喜んでいる。

 パーカー氏は、「今回の接近通過で、冥王星の大気のもやの多層構造や、スプートニク平原の多角形のパターンなどが観察されたことで、冥王星がダイナミックに変化する天体であることがよくわかりました」と言う。ただ、冥王星がどの程度の時間スケールで変化していくのかは明らかになっていない。「瞬間を切り取ったスナップショットしかないなか、そこから冥王星の変化を詳細に推測しなければならないのです」

冥王星研究の未来

 ニューホライズンズは現在、次のターゲットであるカイパーベルト天体(暫定的に2014 MU69と呼ばれている)に向かって飛行しながら、冥王星の観測データを地球に送信し続けている。

 こうしたデータにより、冥王星の残りの謎のいくつかは、今後数年で明らかになるかもしれない。それでも、科学者たちが冥王星に探査機をもう1機送り込みたい、できれば軌道を周回させたいと願うほどの謎が残ることだろう。

 ニューホライズンズは冥王星に接近しながら素晴らしい眺めを見せてくれたが、高解像度で記録できたのは片方の半球だけで、残りの半球はまだ謎に包まれている。

 将来のミッションにより、冥王星の活動の歴史が解明され、太陽系が誕生した当初の、冥王星が太陽にもっと近い軌道を回っていた頃の様子なども明らかになるかもしれない。

「その頃の冥王星は、どんな天体だったのでしょうか?」と、米ワシントン大学のマッキノン氏は言う。「冥王星の表面には、こうした『昔』の記録が保存されているのでしょうか? そうでないなら、異常に活発な地質活動があった過去の証拠をどのように説明すればよいのでしょうか?」

 冥王星は再び独りぼっちになったが、もはや得体の知れない天体ではない。冥王星をめぐって今後も論争が続くだろうが、惑星と呼ぶにせよ準惑星と呼ぶにせよ、冥王星は予想よりはるかに面白い天体であることが明らかになったからだ。

文=Nadia Drake/訳=三枝小夜子http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/071900267/

再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場

今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:

特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能

ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):

0.999…. = 1 の意味は、何か

当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。

以 上

再生核研究所声明286(2016.02.11) 細分化、専門家、単細胞、孤立化から総合化、統一へ
平和が長く続けば、社会は発展して自由な活動が進み、人々はおのれの関心、興味に従ってどんどんおのが世界を深化、拡大できる。社会が貧しければ、人間は居・食・住など,生物の基本的な欲求を満たす努力に多くの労力を掛けざるを得ない。世界史を顧みれば、愚かな人類史、闘争、戦争等のために如何に大きな労力を払ってきたかを 人類の愚かさの象徴として理解できよう。
個性に基づく、道の追求、興味の追求は 研究の発展と同様、細分化、専門化を多くの場合招き、相互の共感、共鳴、理解を得るのが難しくなる。数学などの抽象的な理論の世界など典型であるが、宗教、茶道、芸術などにも世に多いが、分からなくても理解し易い世界も、スポーツや音楽、美術など世に多い。理解しやすい分野では、評価もしやすく、社会的に大きな影響を与える現実がある。
スポーツなど内実的にはそれほどの深い意義があるわけではないが、関与している人々が所謂有名人になる要素が強いために、発言の影響力が大きい現実がある。それらの延長で、政界への出進も世情をににやかにしている。有名人でなければ、大統領候補にもなれない現実は 民主国家では基本的に存在する。
政治は大きな世界であり、個々の人生、世界を結びつける外面的には中心的な課題ではないだろうか。
専門家、個別化、趣味の世界に深まっても政治の大事な問題については、共通の話題の世界として、重視して行きたい。政治とは 国家とはどのようにあるべきか、社会はどのようにあるべきか の問題と理解できる。
個人の問題では、人生、世界、生命、宗教など共通の基本的な関心が深いが、 それらは人間の真智への愛に基づく共感、共鳴が個々の人間を結びつける素になるのではないだろうか。 実際、 人間の共通の真の話題とは、生物的な本能を超えては、次のようになるだろう:
人間と人生についても、人間存在の原理として、人間とは 知り、求めていく存在であるとして、
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
 人間は何でも知りたい、究めたい、それが本能である。これは要するに 神の意思を知りたい ということである。
人間は 所詮は個人としては、単細胞的能力、視野、独断と偏見に満ちた存在であるが、上記2面の共通の課題についても、自分の世界を超えて、関心、興味を抱いて行きたい。

以 上

再生核研究所声明296(2016.05.06)   ゼロ除算の混乱

ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:

再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題 
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める

我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。

以 上


考えてはいけないことが、考えられるようになった。 
説明できないことが説明できることになった。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf

再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算

表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:



再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)

まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9

アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%

非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。



ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。

ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。

この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。

ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。

何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。

もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。

そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。

ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。

この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。

平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。

一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。

ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。

                                     

以上



上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。

この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。

ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。

以 上


Matrices and Division by Zero z/0 = 0
http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf


再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.

0 件のコメント:

コメントを投稿