新国立、聖火台の置き場なし 場外案に組織委反発
阿久津篤史、野村周平2016年3月3日22時35分
新国立競技場の聖火台設置案と問題点
2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場内に、聖火台を置く場所がないことが明らかになった。事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は競技場外に置く案を示したが、大会組織委員会は反発。3日夜、遠藤利明五輪担当相を座長とする検討チームを発足させ、大型連休前をめどに設置場所や設置主体、費用負担の案を出すことになった。
新国立競技場問題まとめ読み
国際オリンピック委員会(IOC)は、聖火台は原則としてスタジアム内の全ての観客から見える場所に設置すべきだと定めている。
しかし、昨年12月に採用された建設案では聖火台を置く空間がない。JSCは屋根で覆うザハ・ハディド氏監修の旧計画でも外に置くことを想定しており、「組織委から聞き取った要望の中に、聖火台を競技場内に置くという話はなく、(白紙撤回後の)公募時にも設置場所は想定しなかった」(幹部)。http://www.asahi.com/articles/ASJ334H58J33UTQP00Y.html
再生核研究所声明 110(2013.2.12) 東京オリンピック開催どころではない、日本の国情 ― 大震災、放射能、原発事故対策、生活・教育・研究基盤などの内実に力を注げ
世界の世論を無視して ブラジル オリンピック開催と エゴむき出しで争った東京、今回も、大震災、原発事故や放射能対策で大変な折り、全く エゴ丸出しで東京オリンピック開催を考えている。幾ら、お祭り騒ぎが好きだからと言っても、不見識、非常識とか言いようがない。大震災、原発事故、放射能汚染問題などで、今なお、世界に心配をかけ、騒がせていることなど、無視しているように見える。
歴史的な大震災、困難で苦しい永い戦い、努力が要求されている放射能対策、原発事故対策の重要性を真面目に考え、震災に遭って苦しんでいる人、放射能の影響を畏れている多くの人を思えば オリンピックなどの大きな事業を考えるだけでも、 誠に不適切ではないだろうか。 大きな事業を考えれば それだけ、それらに集中できる力を削ぐことになることは 明らかである。
更に、放射能の災害が 首都東京にも及ぶとの観測は、世界的に不安を与え、尖閣諸島の領有権問題とともに暗い影を落としていると考えられる。また、特にイスタンブールは アラブ諸国での 最初の開催国になる可能性が 高いと期待されているという。ブラジルやトルコが 日本と特別に友好な関係にある国であることにも 留意する必要がある。
東京が進化した、美しい近代都市であることは良く理解できるが、逆に考えれば日本が、東京一極に集中し過ぎているとの弊害も否定できない。オリンピック開催が、この一極集中の傾向を加速させることも危惧される。東京大震災対策も広く進める必要性がある。大震災復興対策、放射能対策、原発事故対策をしっかりとやる立場からも、また、教育や研究、社会基盤の弱体化を招いている日本国の現状を考えれば、大きな派手な、事業よりも 真面目に内実に力を注ぐべきである。 そこで、東京オリンピック開催の申請を取り止めるように 提案したい。あるいは 他国に譲るような柔軟な姿勢が求められる。
もちろん、美しい日本国で、 オリンピックを開催したいとの 世界の世論が高まるのであれば、世界の平和を希求し、文化国家を目指している、日本として、協力するのは良いことである。 しかしながら、それには 原発事故対策、放射能対策をしっかりと行い、 尖閣諸島問題でも 和の精神で治め、近隣諸国と良い関係を築くことは、オリンピック開催の基礎作りにも大事ではないだろうか。
以 上
追記
美しい国、日本
日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。
日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。
日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。
京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。
日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。
これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
http://irorio.jp/mayfly/20130714/68903/
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
http://www.cnn.co.jp/business/35035799.html
再生核研究所声明 133 (2013.9.11): 2020年 東京オリンピックとパラリンピックの開催について - オリンピックを成功させ、平和憲法の精神の下で、日本は進化を
オリンピックの開催地が 東京都と決定した。明暗、賛否の意見が広く有るのは世の常であり、健全で多様な意見が交わされたことを高く評価し、また開催地選定に努力された人々に 祝意を表したい。
大局的には 放射能の影響の心配の下、イスタンブール開催が広く期待されていたにも関わらず、シリア問題の勃発で実現できなかったのは、痛切残念であると言わなければならない。また マドリードも立派な伝統ある都市 なぜ東京が優先したかは理解に苦しむところである。東京開催では 何よりも原発事故の対策、放射能の影響が心配されるが、それらの実態については 再生核研究所は 知る能力を有していない。― 素人として 何時も真剣に取り組んで欲しいと、東電と政府を励ましてきた立場である。単なる批判に対しては、逆に批判してきている(再生核研究所声明 62:福島原子力発電所事故とその対応、対策、取り組みについて;再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論; 再生核研究所声明78:無責任な 原発反対と増税反対 ― 実状が分からないで意見を表明していないか?;再生核研究所声明79:福島原発事故 とは 何か)。
ともあれ、世界の平和の祭典、行事、日本国は 一致団結して成功させ、日本国の尊厳と名誉を高めたいものである。1964年の東京オリンピックが 明るい 好印象を世界的に与えたと同じような 輝かしいものにしたい。
ここでは、東京開催の明るい面を期待して、希望を 簡潔に述べて置きたい。
まず、第一には、国家は、安倍首相の言明を実現すべく、原発事故の鎮圧と放射能対策をしっかりと行うこと。心配されて、オリンピック開催に反対された人々の意見はもっともなもののようにみえるが、これは逆に見ると、世界中が注目する中、それらの対策に真剣にならざるを得ない状況をもたらし、逆に効果が期待できると評価できる。日本国民は勤勉で、有能だから、夢の祭典に 明るい希望を擁いて、邁進できると考える。
次の観点が極めて大事である。日本には、いわゆる右傾化、憲法改正や軍事重視などのおかしな世相が巻き起こっている。安倍首相は今回、オリンピック開催地問題に関して、極めて良く努力され、大きな指導力を発揮され、政権担当に相当自信を深められたのではないだろうか。そこで、オリンピックと言えば、世界平和の祭典、世界中が注目する中で、上記世相は 世界史の進化に著しく反するものであるから、上記世相を正して、平和憲法の精神に回帰し、原発事故・放射能対策、オリンピック開催、民生・経済の立て直しなどに全力を注がれ、日本史上で 高く評価される首相に成って頂きたく 大きな期待を表明したい。
国際平和の精神に反する行為などは、オリンピック開催を控えている国として、特に慎み 世界の平和を志向する国家として、範を示して頂きたい と考える。
良いことに集中していれば、悪いことをする余裕が無くなるとは トルストイの言葉ではないだろうか。誰の言葉であっても 至言であると考える。
以 上
再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:
論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。
直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday
詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
以 上
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。
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