リーマン球面
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リーマン球面は、複素平面で包んだ球面(ある形式の立体射影による ― 詳細は下記参照)として視覚化できる。
数学においてリーマン球面(リーマンきゅうめん、英語: Riemann sphere)は、無限遠点を一点追加して複素平面を拡張する一手法であり、ここに無限遠点
1/0 = ∞
は、少なくともある意味で整合的かつ有用である。 19 世紀の数学者ベルンハルト・リーマンから名付けられた。 これはまた、以下の通りにも呼ばれる。
複素射影直線と言い、CP1 と書く。
拡張複素平面と言い、\mathbb{\hat{C}} または C ∪ {∞} と書く。
純代数的には、無限遠点を追加した複素数全体は、拡張複素数として知られる数体系を構成する。無限を伴う算術は、通常の代数規則すべてに従う訳ではないので、拡張複素数全体は体を構成しない。しかしリーマン球面は、幾何学的また解析学的に無限遠においてさえもよく振舞い、リーマン面とも呼ばれる 1-次元複素多様体をなす。
複素解析において、リーマン球面は有理型関数の洗練された理論で重要な役割を果たす。 リーマン球面は、射影幾何学や代数幾何学では、複素多様体、射影空間、代数多様体の根源的な事例として常に登場する。 リーマン球面はまた、量子力学その他の物理学の分野等、解析学と幾何学に依存する他の学問分野においても、有用性を発揮している。
目次 [非表示]
1 拡張複素数
1.1 演算
1.2 有理関数
2 複素多様体としてのリーマン球面
3 複素射影直線としてのリーマン球面
4 球面としてのリーマン球面
5 計量
6 自己同型
7 応用
8 外部リンク
拡張複素数[編集]
拡張複素数 (extended complex numbers) は複素数 C と ∞ からなる。拡張複素数の集合は C ∪ {∞} と書け、しばしば文字 C に追加の装飾を施して表記される。例えば
\hat{\mathbf{C}},\quad\overline{\mathbf{C}},\quad\text{or}\quad\mathbf{C}_\infty.
幾何学的には、拡張複素数の集合はリーマン球面 (Riemann sphere) (あるいは拡張複素平面 (extended complex plane))と呼ばれる。
演算[編集]
複素数の加法は任意の複素数 z に対して
z + \infty = \infty
と定義することで拡張され、乗法は任意の 0 でない複素数 z に対して
z \cdot \infty = \infty
とし、∞ ⋅ ∞ = ∞ と定義することで拡張される。∞ + ∞, ∞ – ∞, 0 ⋅ ∞ は未定義のままであることに注意せよ。複素数とは違って、拡張複素数は体をなさない。∞ は乗法逆元をもたないからだ。それでもなお、C ∪ {∞} 上の除法を次のように定義するのが習慣である。0 でないすべての複素数 z に対して
z / 0 = \infty\quad\text{and}\quad z / \infty = 0,
∞/0 = ∞ そして 0/∞ = 0。商 0/0 および ∞/∞ は定義されないままである。
有理関数[編集]
任意の有理関数 f(z) = g(z)/h(z) (言い換えると、f(z) は複素係数の z の多項式関数 g(z) と h(z) であって共通因子をもたないようなものの比である)はリーマン球面上の連続関数に拡張できる。具体的には、z_0 が分母 h(z_0) が 0 だが分子 g(z_0) が 0 でないような複素数であれば、f(z_0) は ∞ と定義できる。さらに、f(∞) は f(z) の z → ∞ における極限として定義できる。これは有限かもしれないし無限かもしれない。
複素有理関数全体の集合は、その数学的記号は C(z) であるが、リーマン球面をリーマン面と見たときに、すべての点で値 ∞ をとる定数関数を除いて、リーマン球面からそれ自身へのあらゆる正則関数をなす。C(z) の関数たちは代数体をなし、球面上の有理関数体 (the field of rational functions on the sphere) として知られている。
例えば、関数
f(z) = \frac{6z^2 + 1}{2z^2 - 50}
が与えられると、z = 5 で分母が 0 なので f(5) = ∞ と定義でき、z → ∞ のとき f(z) → 3 なので f(∞) = 3 と定義できる。これらの定義を用いて、f はリーマン球面からそれ自身への連続関数になる。
複素多様体としてのリーマン球面[編集]
リーマン球面は 1-次元複素多様体として、どちらも定義域が複素平面 C に一致する 2 つの局所座標系により記述できる。 ζ と ξ を C 上の複素座標とする。 非零複素数 ζ と非零複素数 ξ を、以下の推移写像(すいいしゃぞう、英:transition function)による等式で関係付ける。
ζ = 1/ξ
ξ = 1/ζ
推移写像は正則であることから、これによりリーマン球面と呼ばれる複素多様体が定義できる。
直感的には、推移写像は、二つの平面をどの様に貼り付けてリーマン球面を作るかを示している。 二つの平面は「表裏反対」に貼り付けられ、各平面の一点(原点)を除き、他の至る部分が互いに重なり合う。 つまり、リーマン球面のほとんど全ての点は、ζ-値と ξ-値の双方を有し、両値は ζ = 1/ξ の関係を有する。 従って、ξ = 0 の点は "1/0" の ζ-値を持つ。 この意味で、ξ-局所座標系の原点は、ζ-局所座標系において "∞" の役割を有する。 対称的に、ζ = 0 の点は 1/0 の ξ-値を持ち、ζ-局所座標系の原点は、ξ-局所座標系に関し ∞ の役割を有する。
位相幾何学的には、結果として得られるリーマン球面は、平面を一点コンパクト化し球面にしたものである。 しかし、リーマン球面は単なる位相的球面ではない。リーマン球面は上手く定義された複素構造を持つ球面であり、球面上の任意の点は、C と正則同相な近傍を有する。 他方、リーマン面の分類論の中心的な結果である一意化定理によれば、単連結な 1 次元複素多様体は、複素平面、双曲平面、リーマン球面の何れかしかない。 勿論、リーマン球面は、閉曲面(境界がないコンパクト曲面)としては唯一のものである。 したがって、2 次元球面には、1 次元複素多様体としての複素構造が一意に存在する。
複素射影直線としてのリーマン球面[編集]
リーマン球面は、複素射影直線(ふくそしゃえいちょくせん、英:complex projective line)としても定義することができる。 これは、双方が零ではない複素数の対 (α, β), (α′, β′) に対し、任意の非零複素数 λ によって同値関係
(α, β) ∼ (α′, β′) ⇔ (α′, β′) = (λα, λβ)
を定義し、C2 の部分集合であるこの様なすべての対全体の集合に関して商をとった空間である。 座標 ζ を有する複素平面 C は
(α, β) = (ζ, 1)
により複素射影直線の中に写像される。 座標 ξ を有するもう一つの複素平面 C は
(α, β) = (1, ξ)
により複素射影直線の中に写像される。この 2 つの複素局所座標系は、射影直線を被覆する。 非零な ξ、ζ に対し、恒等式
(1, ξ) = (1/ξ, 1) = (ζ, 1)
により、上記のとおり ζ = 1/ξ および ξ = 1/ζ が推移写像であることがわかる。 この様に取り扱うことにより、リーマン球面は射影幾何学に最も容易に関係付けられる。 例えば、複素射影平面における任意の直線(または滑らかな円錐曲線)は、複素射影直線に正則同相である。 これはまた、この記事の後半に登場する球面の自己同型の研究において便利である。
球面としてのリーマン球面[編集]
複素数 A をリーマン球面上の一点 α に写す立体射影
リーマン球面は、3 次元実空間 R3 内の単位球面 x2 + y2 + z2 = 1 として視覚化できる。 そのため、点 (0, 0, 1) を除いた単位球面から平面 z = 0 への立体射影を考え、ζ = x + iy により複素平面と同一視する。 直交座標 (x, y, z) と球座標 (φ, θ) (φ は天頂角、θ は方位角) により、立体射影は、以下のとおり書ける。
\zeta = \frac{x + i y}{1 - z} = \left( \cot \frac{\phi}{2} \right) e^{i \theta}
同様に、点 (0, 0, -1) から平面 z = 0 への立体射影は、ξ = x - iy によりもう 1 つの複素平面の複写と同一視し、
\xi = \frac{x - i y}{1 + z} = \left( \tan \frac{\phi}{2} \right) e^{-i \theta}
と書ける。 (二つの複素平面は、平面 z = 0 と異なる方法で同一視される。 球面上の向きを整合的に保つため、双方の向きを反対にすることが必要であり、特に、複素共軛は推移写像を正則にする。) ζ-座標と ξ-座標の推移写像は、一方の射影と他方の逆数を組み合わせて得られる。 これは、上記のとおり ζ = 1/ξ および ξ = 1/ζ である。 この様にして、単位球面はリーマン球面に可微分同相である。
この可微分同相により、ζ-局所座標系の単位円、ξ-局所座標系の単位円、単位球面の赤道は、すべて同一視される。 単位円盤 |ζ| < 1 は南半球 z < 0 と同一視され、単位円盤 |ξ| < 1 は北半球 z > 0 と同一視される。
計量[編集]
リーマン球面には特定のリーマン計量が標準的に備わっている訳ではない。しかしリーマン球面の複素構造は、等角同値を除き一意に計量を決定する(二つの計量は、正値の滑らかな関数を掛けただけしか差がないとき、等角同値という)。 逆に、向きの付いた曲面上の任意の計量は複素構造を一意に決定する。これは等角同値を除き計量に完全に依存して定まる。従って、向きの付いた曲面上の複素構造はその曲面上の計量の等角同値類と一対一に対応する。
ある等角同値類の中で、便利な特性を有する計量を代表元として選ぶために、等角対称性を使うことができる。特に、任意の等角同値類には定曲率の完備な計量が常に存在する。
リーマン球面の場合には、ガウス・ボンネの定理により、定曲率計量は、必ず正の曲率 K を有することが帰結される。 そこでこの計量は、立体射影を通じて R3 内の半径 1 / \sqrt K の球面の距離を保たなければならない。 リーマン球面の ζ-局所座標系では、K = 1 である計量は、以下により与えられる。
ds^2 = \left(\frac{2}{1+|\zeta|^2}\right)^2\,|d\zeta|^2 = \frac{4}{\left(1 + \zeta\bar{\zeta}\right)^2}\,d\zeta d\bar{\zeta}.
実座標 ζ = u + iv において、この式は、以下のとおりとなる。
ds^2 = \frac{4}{\left(1 + u^2 + v^2\right)^2} \left(du^2 + dv^2\right).
定数因子を除き、この計量は複素射影空間(リーマン球面はその一例である)のフビニ・スタディー計量に一致する。
逆に、S を(抽象的な微分多様体または位相多様体としての)球面とする。 一意化定理により、S には複素構造が一意に存在する。 S 上の任意の計量は、円形計量(英:round metric)に共形同値である。 これらすべての計量は、同一の共形幾何学を決定する。 従って「円形性」は共形幾何学の不変量でないので、円形計量はリーマン球面にとって内在的なものではない。 リーマン球面は単に共形多様体に過ぎず、リーマン多様体ではない。 しかし、リーマン球面上でリーマン幾何学をする必要があるのであれば、円形計量は自然な選択である。
自己同型[編集]
立体射影により球面上および平面上に作用する一次分数変換
あらゆる数学的対象の研究は、自己同型群、つまりその対象から自身への写像であって、同対象の主要な構造を保存するものがなす群を理解することにより促進される。 リーマン球面の場合、自己同型は、リーマン球面から自身への可逆な双正則写像である。 このような写像は、メビウス変換(英:Möbius transformation)とも呼ばれる一次分数変換のみであることが知られている。一次分数変換は
f(\zeta) = \frac{a \zeta + b}{c \zeta + d}
なる形に書かれる関数である。ここに a, b, c, d は ad - bc ≠ 0 を満たす複素数である。一次分数変換には、伸縮と回転(ζ → aζ)、平行移動(ζ → ζ + b)、相似・実軸対称(ζ → 1/ζ)等がある。実際のところ、任意の一次分数変換はこれらの合成により記述できる。
一次分数変換は複素射影曲線上の変換と見るとわかり易い。変換 f は射影座標により
f(\alpha, \beta) = (a \alpha + b \beta, c \alpha + d \beta) = \begin{pmatrix} \alpha & \beta \end{pmatrix} \begin{pmatrix} a & c \\ b & d \end{pmatrix}
と書くことができる。 この様に、一次分数変換は、2-次複素正則行列により記述することができる。 ここで、二つの行列は、それらが非零定数倍だけ異なるとき、かつその場合に限り、同一の一次分数変換を表す。したがって、一次分数変換の全体は射影線型変換の全体 PGL2(C) に完全に一致する。
リーマン球面にフビニ・スタディー計量を入れると、全ての一次分数変換が等長になるとは限らない。 例えば、伸縮と平行移動はそうでない。 等長写像全体は PGL2(C) の真の部分群 PSU2 を形成する。この部分群は回転群 SO(3), つまり R3 内の単位球面の等長変換群と同型である。
応用[編集]
複素解析で、複素平面(またはリーマン球面)上の有理型関数とは、正則関数 f と g の比 f/g である。 複素数全体への写像としては、g = 0 である限り、これは定義されない。 しかし、g = 0 であっても、複素射影直線への正則写像 (f, g) は整合的に定義され、これを含む。 この構成法は正則および有理型関数の研究に有用である。 例えば、コンパクトなリーマン球面上には定数でない複素数値正則写像が存在しないが、複素射影直線への正則写像は沢山存在する。
リーマン球面は物理学で多くの応用を有する。 量子力学において、複素射影直線上の点は、光子の偏光状態、スピン 1/2 の有質量粒子のスピン状態、および一般に 2 状態の粒子の自然な値を示す。 リーマン球面は、天球の相対論的モデルに使用することも推奨されてきた。 弦理論 では、弦の世界面 (worldsheet) はリーマン球面であり、最も単純なリーマン面としてのリーマン球面は重要な役割を演じる。 これは、ツイスター理論においても重要である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E7%90%83%E9%9D%A2
再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf Traduzir esta página
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:
ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。
以 上
再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:
論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。
直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday
詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
以 上
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。
再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)―
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上
1+0=1 1ー0=0 1×0=0 では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0??? 本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・
1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。
小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
https://www.pinterest.com/pin/234468724326618408/
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849/a37209195?sort=1&fr=chie_my_notice_canso
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
アラビア数字の伝来と洋算 - tcp-ip
http://www.tcp-ip.or.jp/~n01/math/arabic_number.pdf
明治5年(1872)
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞ 若しくは未定義 →1/0=0
地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか? 2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?
リーマン球面における無限遠点は、実は、原点0に一致していました。
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
http://refully.blogspot.jp/2012/05/einsteins-only-mistake-division-by-zero.html
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and ...
gsjournal.net/Science-Journals/.../Download/2084
このページを訳す
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and Newton's Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com. Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India.
http://gsjournal.net/Science-Journals/Research%20Papers-Relativity%20Theory/Download/2084
Reality of the Division by Zero $z/0=0$
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_
地球平面説→地球球体説
地球が丸いと考えた最初の人-ピタゴラス
地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン
地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス
天動説→地動説 アリスタルコス=ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9 …
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか???
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか???
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。
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