2015年12月15日火曜日

記事 橋下徹2015年12月13日 07:36反橋下の学者の決まり文句は、橋下は嘘つき、詐欺師。挙句の果てには大阪府民、市民はバカだ、と。どこまで自分を神と思っているのか - 12月13日のツイート 1/3

記事
橋下徹2015年12月13日 07:36反橋下の学者の決まり文句は、橋下は嘘つき、詐欺師。挙句の果てには大阪府民、市民はバカだ、と。どこまで自分を神と思っているのか - 12月13日のツイート 1/3




おおさか維新の方針です! RT @YoichiTakahashi: 社会保障を望めば増税を飲め、軽減税率には「財源」が必要だ、なしなら社会保障を切る、など阿漕な恫喝が横行する。消費税を地方税にして軽減税率なし、社会保障は保険料+所得税、弱者対策は所得税+給付金なら筋が通る

来夏の参院選挙の争点は明確だ。1、消費税増税の延期 2、憲法改正 3、安全保障法制の範囲の厳格化。国民の選択が日本の将来を決める、ワクワクする選挙になることは間違いない。投票率が低い、とにかく投票を!とメディアや自称インテリは言うが、しょうもない選挙には誰も行かない。

争点を明確化し、国民に重大な判断を求める選挙にすることが、政治家とメディアの役割だ。来夏の参院選挙は、これまでの選挙の歴史の中で最も争点が明確化し、職場でも飲み屋でも、家庭の食卓でも、政治論議が行われる選挙になり得る。まさに大阪都構想の住民投票と同じ状態になり得る。

ただし来夏の参院選挙が、そんなワクワクする選挙になるかどうかは、全ては政治家とメディアが論点を適切に明確化できるかどうか。それは徹底した政治的「対立」が必要になる。自称インテリが言っているような「対話と協調」では争点が明確化しない。争点については徹底的にケンカをしなければならない

1、将来消費税の増税は必要だが、現在既定路線となっている2017年4月の消費税増税は延期すべきだ。2、憲法改正は絶対に必要だ。3、安全保障法制については廃案ではない。範囲を厳格化すべきだ。来夏の参院選挙の争点はこの3点で十分。

1、増税はタイミングが最も重要。今やるべきではない。税収も伸び出し、国債依存率は低くなり始めている。もっと多角的に国家財政の状況、動きを分析して判断すべきだ。何よりも消費税は地方税化すべき。軽減税率は止めて、低所得者対策はベーシックインカムや負の所得税的思想で対応すべき。

増税は国民が最も影響を受ける政策。もっと詰めた方がいい。今の国会議員の議論は粗すぎる。消費税の地方税化と同時に地方交付税を抜本的に縮減(究極は廃止)して、国の安定財源を確保すれば良い。とにかく今回の自公での軽減税率の決着は粗すぎる。ゆえに消費税増税はいったん延期だ。

今回自公によって軽減税率の決着となったが、この無茶な軽減税率の制度を吹き飛ばすには、消費税増税の延期だ。政府には通貨(紙幣)発行益(シニョレッジ)を得る権利がある。この点勉強不足で今勉強中だが、国会議員の間でこんな議論を聞いたことがない。シニョレッジの議論なくして増税の議論はない

憲法改正は絶対に必要だが、あの悪夢のような古臭い自民党憲法改正案や産経新聞案は絶対にダメだ。憲法を改正するかどうかではなく、中身の問題だ。ここで自民党・産経新聞と徹底的に論戦すれば良い。憲法改正は目的ではない。手段だ。手段としての憲法改正。

激しい国際競争と少子高齢化時代を乗り切り、国民が安心して暮らすことができる日本にするためには、どんな国の仕組み・システムがいいのか。すなわち統治機構改革論だ。特定の価値観を憲法に入れる必要はない。憲法は思想書や宗教教義ではない。役所の仕組み、権力機構の設計図だ。

大阪都構想議論で、役所の仕組みは関係ない、制度より中身、政策だ、と言っていた者は政治家を辞めた方がいい。憲法論議は、まさに役所の仕組み、制度論だ。安全保障法制は廃案ではない。範囲・射程の厳格化だ。今の憲法下では自衛隊員の安全が守られない。そして何よりも国会議員がバカすぎる。

今の安全保障法制だと、国会議員のバカさ加減によって、自衛隊員や国民の命が危険に晒される。国会の様子をまじかに見てよく分かった。単なる理想や理論だけじゃダメだ。現実を見ないと。今の国会議員の集団には防衛出動を適切に判断できる能力はない。

だから日米同盟やその他日本の防衛のために必要な範囲で集団的自衛権を認めれば良い。今の安全保障法制では射程範囲が広すぎる。1、消費税増税の延期、2、憲法改正、3、安全保障法制。この3点で、自公・おおさか維新・民主で明確な違いが出るだろう。あとは国民の選択だ。

財政支出のやり方も、争点化になればいい。おおさか維新の会は教育費の無償化だ。幼稚園と保育所を無償化するにはたった1兆円の追加財源でできる。生まれてから大学まで無償化しても5兆円だ。教育の無償化は、国を強くし、少子高齢化対策の切り札であり、内需拡大にもつながる。たった5兆円。

国と地方が半分ずつ負担して2・5兆円。たった2・5兆円の負担で生まれてから大学まで教育費が無償になる。こんなの公務員の人件費の適正化や地方交付税制度の改革で楽勝にできる。財政支出のやり方も、公共工事中心の自公と教育費無償化のおおさか維新の会で対立軸を設定すべきだ。

メディアや自称インテリは、対話と協調と言っておけばインテリ集団の中ではかっこよかったので、そう言い続けてきた。しかし対話と協調だけでは民主主義が機能しないことが明らかとなってきて自称インテリは大混乱している。安保法制で徹底的に対立を煽っているのは対話と協調が大好きな朝日と毎日。

テロ活動も活発化してきている。ロシアや中国はポストモダンの現在においても、まだ力による国家主権行使に挑む。これでも「対話と協調」だけで乗り切ると言うのか。政治を当事者としてやってみて本当に勉強になった。何事も理想と現実のバランス。自称インテリは理想論だけの子羊ちゃん。

選挙・民主主義を機能させるためには、「対話と協調」だけでなく「対立と選挙」も必要だ。来夏の参院選挙に向けて必要な論点については徹底した政治的対立を行うべき。そして選挙で決める。また政治的対話には「力の背景」が必要だ。現状を変えるにはくその役にも立たない思想家の議論との決定的違いだ

税率がバラバラにならない制度にすればいいだけ。現実に責任を負う政治家は池田さんより高橋さんを頼りにする RT @ikedanob: 消費税を地方税にして税率がバラバラになったら、軽減税率よりもっとひどいことになる。そんなバカなことを提案している財政学者はいない。

消費税を地方税化すれば税率がバラバラになるという批判は、大阪都構想になれば特別区間で税収格差が生じるという批判と同じ程度にレベルの低い論。課題に対応する制度を作れば良いだけ。大阪都構想では特別区間の財政調整制度を作った。議論の本質を見誤るとこのようなレベルの低い批判になる。

消費税の地方税化は、国の地方交付税制度を縮減・廃止するための策。国が地方を養うのか、地方に自立させるのか。ここが本質的なテーマ。もし地方に自立させ、地方交付税の財源を国の財源とするということにすれば、消費税を地方税化するしかない。そこで出てくる課題には制度で対応すればいいだけ。

国は地方交付税として16兆円の予算を組んでいる。社会保障費に次ぐ規模だ。この地方交付税制度で地方の改革は全く進まないし、地方の活性化が阻まれている。国を作り直す視点でいけば消費税の地方税化。表層的な評論をするなら税率がバラバラになるとの批判。

消費税の地方税化は、税源移譲論。税率決定の仕組みは、弊害が生じないように制度化すれば良い。さしあたっては地方六団体を一つに束ねた機構を作って決定権を与えればいいだけ。事務局は総務省の地方交付税担当を横滑り。住民に近いほど消費税は上げられない。地方は行革をやらざるを得なくなる。

評論家・思想家の論よりも、実際に行政機構の中で当事者として行政を動かしたことのある者の論の方が、現実に責任を負う者にとっては頼りになる。池田氏より、高橋氏の方が責任を負う政治家にとっては頼りになる。

池田氏は、大阪都構想反対の識者と同じように、感情的に高橋氏や金融緩和論に反対している。合理的なロジックになっていない。最低賃金の引き上げについて、需要供給曲線を用いて、失業者が増えると解説していたが、愕然とした。もうとにかく何でも反対。

最低賃金決定メカニズムも市場を完全に無視しているわけではない。市場での賃金額よりもほんの少し上のところターゲットに設定するのが最低賃金決定の妙。そして何よりも需要が増えれば失業者も増えない。現実、失業率はもう下がり様のないところまで来始めている。だから最賃を上げていく。

現実の行政をやったことのある者はこの最賃決定の実際を知っているので、失業率が上がるような最賃決定などやらないことは当然の前提。ところが現実の行政をやったことのない者は、カビの生えた需要供給曲線で最賃上げを批判する。池田さん、高橋さんの人格攻撃は止めてもう少し冷静な議論をすべき。

僕はこちらから私人個人に対して人格攻撃はしない。メディアや公人などにはバカと言うが、私人個人には言わない。ただし相手から人格攻撃をしてくればやり返す。僕が激しく批判をしている学者連中は、上から目線で、人をバカにしたような批判を先にしてきた連中。人格攻撃をしてきたバカ学者もいた。

池田氏も、嘘つきとか、そんな言い方は止めた方がいい。反橋下の学者の決まり文句は、橋下は嘘つき、詐欺師。挙句の果てには大阪府民、市民はバカだ、と。どこまで自分を神と思っているのか。池田氏の論は傾聴に値する。しかし僕は高橋氏の論に分があると判断した。それだけ。

僕の判断について合理的な批判をすることは良いが、高橋氏が嘘つきだとか、橋下は権力がなくなったから大人しくしておけとか、そういう下らない主張は止めた方がいい。経済に詳しい池田氏だから、それだったら日銀保有国債とシニョレッジの関係を教えてもらいたい。今、高橋氏に教えてもらっている。

ここはその通りだと思います。目標達成していません。ただ失業率は下がり、株価も2万円台。最賃は上がり、給与ボーナスも国民全員ではないが一部上がり始めています。国も地方も税収が伸び始めました。以前よりましにするのが政治です RT @ikedanob: 「マネタリーベースを増やせば2%

ただ失業率は下がっています。 RT @ikedanob: 最賃については、山ほど実証研究がある。例外もあるが、日本では正社員が得してパート・アルバイトが切られるだけ。RT 最低賃金の引き上げは雇用に悪影響をもたらすhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51964481.html@t_ishin

http://blogos.com/article/149627/

橋本氏は、現実をよく知っている強みがあるのでは。批判する側が、議論上で負けていると考えられる面が多いのでは。野党についても言えますが、現実に政治を動かす 能力に欠けているように 多くの人は感じているのでは?


再生核研究所声明261 (2015.12.08) 全面的な批判は慎もう ー 批判は具体的に、建設的に

具体例を上げて議論しよう。最近起きたパリのテロ事件で、オランド大統領は これは戦争だと公言してISへ爆撃を開始した。これは適切であろうか。テロの背後、責任を有する者への懲罰としての攻撃になるだろうか。― もっともそのような発想は 既に間違いであるが

(再生核研究所声明 130 (2013.9.1): 復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間))― 

同じように発想した 9.11ニューヨーク テロ事件の報復爆撃で、テロが逆に拡大した事実もあるのではないだろうか。多数の関係のない者を巻き込み、犠牲にしてはいないだろうか。また、マイナンバー制度など 行政の無駄を省き 公正な社会の実現のためには 導入は当然であるにも関わらず、管理される事を嫌って、拒否運動が起きている。さらに一部の事実、報道をもって、受信料支払い拒否や、新聞購読の中止等呼びかけている者もいる。また、個人が犯した犯罪に対して、国家や国民への憎しみを増長させる悪しき意見表明も広がっている。
これらは、小さな部分を見て、それが全体のように誤解して批判を大きくしているとは言えないだろうか。 そもそも、個人の視野、能力は極めて限られていて、部分を見てそれを全体だと誤解しやすい状況は根元的に存在する。個人は所詮、単細胞的存在であることを肝に銘じたい(再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考)。
特に他を批判するときには、謙虚さを持って、批判は具体的、批判が相手に対して、参考になり、反省できるような形で行いたい。いわば揚げ足取りのような批判は所詮小者の卑小な人物のすることではないだろうか。無節制に批判を行えば、社会は暗いものになり、共生感に基づく喜びの感情、愛に満ちた美しい社会とは言えない。
特に、国家や民族を侮辱し、全面的な否定を意味するような言動は 厳に慎むべきである。どの様な国家にも民族にも多様な人々が存在していて、自分たちと同じような夢を描き、幸せを求めている事をしっかりと理解すべきである。友人や隣人、隣国を侮り、批判する世相は 美しい風土、自然環境、文化を有する日本国に ふさわしいものではないと考え、日本の一部の異常な意見表明に 嫌な感じを抱いている。

より良い社会を築く原理は 相手の立場、気持ちに思いを致すことであると再生核研究所声明1で言明している ― 公正の原則。命を掛けて抵抗する者の気持ちを無視して、侮り、それを抹殺しようとすれば、逆にテロによって人類が絶滅する危険性もあるのではないだろうか。地球も人類も絶対ではなく、動物よりも劣る人類は 外なる原因ではなく、環境汚染や人口の爆発、テロなどによる自業自得による自滅の可能性が高いのではないだろうか。恥ずべき世界史を変え、夜明けを迎えたい。
以 上


再生核研究所声明209(2015.2.15) 政治的な配慮 ― 悪の素 ―社会の進歩とは
(昼食後の 何時もの散歩の折り、ひとりでに考えが湧いたものである)

世の秩序を考えれば、あるいは社会の法則として 次の公正の原則を 基本に考えれば 大抵の問題は解決できると述べてきた:

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
(再生核研究所声明1)。

相当にしっかりした、上記基準に基づいた判断に いわゆる 手心を加える、それを政治的な判断と 世では 言うのではないだろうか。上記の基準で判断できるものに対して、 配慮するとは 一部の人や、グループ、あるいは自己の立場を有利にしようとする いわば 悪の素と言えるのが 政治的な判断である。
実際、世の多くの問題について、公正の原則で 解決できるものならば、その解決は言わば科学的であり、客観的な判断で 社会の多くの問題は解決できる。政治的な判断が出来る要素は どんどん少なくなり、社会は進化し、政治家の役割は どんどん減少して、科学的に 官僚機構が社会を動かして行くようになるだろう。― 実際、世界史の進化は どんどんそのような方向に進んでいると言えよう。古くは王などが 直接政治を指導して王権が大きな力を持ち、実際に動かしていたものが、どんどん役割を減少させ、官僚機構が実際の多くの部分を動かすように進化してきている。経済政策などでも 科学的に客観的に対処する方向で 進んで行くであろう。
権力者や、実際の責任者が、上記公正の原則に反して、一部の利益、立場を優遇させれば、それは悪の素であり、社会正義に反するものである。されば、政治家は 多くは公正を重んじる裁判官のような役割を果たすようになり、政策の方向性は、多くは官僚機構が進めることになるだろう。民主主義の考えの下で、多数による決定は非科学的であり、本質的に望ましいものではなくて、民主主義の良い点は、いろいろな意見を自由に出せること、そして、変な政治家を排除できるところにある。民主主義は 多数決で決定するところにあるのではない と考えるのが妥当である。 多数決による決定は、衆愚の決定そのものである。
国家や社会は、多数の人々の自由な意見表明を、言論界やマスコミ関係者が議論させ、政治家が それらの状況を判断して 導いていくと考えるのが、妥当ではないだろうか。
結論は、政治的な判断を 少なくして行くことこそ、社会の進歩の原理であると考える。

以 上


再生核研究所声明84(2012.4.20)
国会審議における心得 - 討論、議論、批判における心得

国の最高機関である国会審議の様を見ていると、見るに堪えないような状況が有るので、意見表明し、また、世情における討論、議論、批判の在りようについても、自戒の念を込めて省察しておきたい。
まず、国の最高機関である国会は、国の在りようを決定する 国の最高機関であるから、国会審議、討論は 国家の在りようという視点を原点にして 行われるべきである。 ところが、政党政治では、批判のための批判、相手を攻撃して、政権を奪いとるのが 国会の場 と勘違いしているようにさえ見える有様である。 ひどい場合には いろいろ調べてきて、大臣や首相を国会の場で辱め 喜んでいる、得意がっている風潮さえ見うけられる。自分を売り込む場である、宣伝の場であると考えているようにも見える。 恥ずべきことである。膨大な国費をかけて、国の重要な公の場を 卑小な題材で、自己宣伝の場と考えられては、国民は堪えられないであろう。ところが、そのような浅ましい情景を喜んでいる大衆がいることも、また派手に、軽薄にも報じているマスコミの精神も情けない。
国益大事、国家のためには の精神 を徹底させ、そのような卑小なことを問題にせず、自ら選出した日本国の最高責任者を軽々しく批判せず、首相を助け、日本国を良くするために 首相、大臣たちに知恵を与えて、国家に貢献すべきである。よって、礼を弁え、国のために知恵を出し、日本国を代表する立場の首相、内閣を支えるべきである。 特に、自ら選出した日本国の最高責任者、首相は、日本国の国益を背負っている大事な存在であるから、首相に対しては アメリカ大統領など外国の元首以上の処遇で当たるべきである(再生核研究所声明73: 日本国首相の役割 参照)。

 簡潔に纏めておこう:
1) 自己や、政党の立場ではなくて、国家のための議論を行う。
2) 批判ではなく、具体的に問題点を明らかにして、建設的な在り様を提案する。国に知恵を与える視点を重視する。
3) 国の最高機関の構成員であることを自覚して、何時も国のためには、世界のためには の視点をもち、各論的な問題にとらわれない態度を保つように心がける。

世情における、討論、議論、批判における問題点を 次のように注意したい:
1)賛成派と反対派に分けたような色分けを行い、議論の背景や立場を無視して、一方的に あたかも敵、味方のように 有無も言わさず相手を批判するような傾向が有って、実りある議論になっていない状況が広く見られる。これを是正する。
2)上記国会審議と同様、良い国、良い社会を作るには どうしたらよいかの原点をしっかりと確認して、議論、討論、意見表明を、是是非非の立場、公正の原則の立場 から 行うべきである。
3)近年みられるのは、在るべき考えではなくて、利害関係で 特定の方向性を定めてキャンペーンを張っているような場面が多く、そのような立場は世に多いから、それはそれと理解して、対応して、自由な議論によって、実りある討論ができる相手か否かを見破らなければ、深入りの議論は 空しい議論に陥るであろう。
4) この観点において、第3者の立場の意見 を大いに参考,重視すべきである。
5) 特に批判する場合には、具体的な点を明確にして、きちんと理由を付けて、建設的な提案をするように心がけたい。

大局的には 視野が狭く、一面的、局所的、単細胞的な批判が多く 文化レベルの低さ、野蛮性を反映していると言える(再生核研究所声明 69:単細胞人間 ― 単細胞的思考)。

討論、議論、批判は 多様な視点、在りようの意見を出し合って、より良い在りようを探り、視野を広め、文化を向上させ、より良い人生、社会を営めるようにするのが基本である。そのためには、真実を尊重、真理を追究し、良い意見を積極的に取り上げ、より良い社会を作るには どうしたらよいかの根本精神から、活かし またこのような精神を常に確認することが肝要である。折角のインターネットの世界、汚い、低級な罵りで汚したくはない。 進化した未来人の書く、世界史に耐えられるにしたい(再生核研究所声明83:   再生核研究所声明とは 何か; 再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判
)。
そのためには、それらは、争いではなく、相手を論破したり、論戦で勝つなどの 卑小な精神を克服して、お互いに高め合って、人生、社会を楽しいものにしていきたいとの存念を擁くこと が大事である。

以 上

日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
http://irorio.jp/mayfly/20130714/68903/
ウイキペディアより:

マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。

「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97 より


再生核研究所声明 129 (2013.8.28): 
美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか

(2013.8.22 零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。)

再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:

(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。
一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。
平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。
1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。
現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。)

そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。
まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。
政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治

権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。
それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。
政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。
公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。
日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。
そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。

以 上

追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45









AD

0 件のコメント:

コメントを投稿