天文学(てんもんがく、英:astronomy, 独:Astronomie, Sternkunde, 蘭:astronomie (astronomia)[1], sterrenkunde (sterrekunde)[1], 仏:astronomie)は、天体や天文現象など、地球外で生起する自然現象の観測、法則の発見などを行う自然科学の一分野。主に位置天文学・天体力学・天体物理学などが知られている。宇宙を研究対象とする宇宙論(うちゅうろん、英:cosmology)とは深く関連するが、異なる学問である[2]。
天文学は、自然科学として最も早く古代から発達した学問である[3]。先史時代の文化は、古代エジプトの記念碑やヌビアのピラミッドなどの天文遺産を残した。発生間もない文明でも、バビロニアや古代ギリシア、古代中国や古代インドなど、そしてイランやマヤ文明などでも、夜空の入念な観測が行われた。
とはいえ、天文学が現代科学の仲間入りをするためには、望遠鏡の発明が欠かせなかった。歴史的には、天文学の学問領域は位置天文学や天測航法また観測天文学や暦法などと同じく多様なものだが、近年では天文学の専門家とはしばしば天体物理学者と同義と受け止められる[4]。
天文学(アストロノミー)を、天体の位置と人間界の出来事には関連があるという主張を基盤とする信念体系である占星術(アストロロジー)と混同しないよう注意が必要である。これらは同じ起源から発達したが、今や完全に異なるものである[5]。
目次 [非表示]
1 概説
1.1 位置天文学・天体力学・天体物理学
2 歴史
2.1 科学革命
3 天文学と人々の関係
4 用語
5 天文学の各種分野
5.1 研究対象に基づく分類
5.2 観測媒体による分類
5.3 関連分野
5.4 学際分野
6 脚注
7 参考文献
8 関連文献
9 関連項目
9.1 宇宙の構成要素
9.2 学問分野の構成
9.3 研究の手段
9.4 研究機関及び研究者
9.5 人類の宇宙への挑戦
9.6 その他
10 外部リンク
10.1 天文学活動関連
10.2 天文学資料関連
10.3 教育関連
概説[編集]
基本的に天文学は、研究者が対象に直接触ったり取り扱ったりすることができず、また実験を行うことができないものと考えられる。ところが近年は探査機が資料を持ち帰る時代になり、そのため太陽系の天体は純粋な天文学の対象から惑星物理学の領域に移りつつある[6]。この例を除けば、天文学が基本的に用いる手段は電磁波を受信するリモートセンシングが中心となる[6]。
天文学の研究には2つの側面がある。宇宙には地球のどんな実験室でも実現が難しい超高温・超高密度の領域がさまざまな所にあり、このような極限状態でも地上の物理法則が適応できる事を確認してその普遍性を検証する点がその第1である。これは惑星運動を物理法則で説明した試みが嚆矢に当たる。もうひとつは人類が宇宙の中でどのような位置づけにあるかを考える事であり、いわゆる宇宙観の形成と言える。大抵の場合、天文学の研究にはこの両者が含まれる[6]。
位置天文学・天体力学・天体物理学[編集]
一般的に、「天文学」(astronomy) もしくは「天体物理学」 (astrophysics) という単語が使われる[7][8][9]。厳密な辞書的に定義すると、天文学は「地球大気の外にあるモノやコトについての物理・化学的性質に対する研究」であり[10]、天体物理学は「天体や現象のふるまいや物理的性質そして動力学的過程」を取扱う天文学の一分野である[11]。例えば、フランク・シュー(英語版)が著した入門書『The Physical Universe』の導入部には、天文学は対象の質的研究を指し、天体物理学が取り扱う対象は物理学的志向が高いという[12]。しかし、最新の天文学的研究はほとんどが物理学的対象を取扱うようになり、天文学は事実上天体物理学とみなされるようになった[7]。観測天文学のような数少ない分野が、天体物理学よりも純粋な天文学に当る。天体にかかわる研究を行う様々な分野では両方の単語が用いられ、その分野が歴史的に物理学の一部に相当するかによって決まることもある[8]。そして多くの専門的な天文学者は天文学でなく物理学の学位を取得している[9]。
位置天文学は天体の位置を、天体力学は天体の運動を研究する学問で、天文学の中でも古典分野とみなされている。
歴史[編集]
詳細は「天文学史」を参照
ドイツの地図製作者フレデリック・デ・ウィット(英語版)17世紀作の天球図
はるか昔、天文学は肉眼による天体の観察と位置の予測だけであった。ときにストーンヘンジのような巨大な人工物がこの目的のために作られることもあり、それは儀式の舞台だけでなく、季節を知り植物の種まきをする時期を定めるために1年の長さを決定する天文台の役割を果たした[13]
望遠鏡が発明される前、初期の研究は肉眼でも見やすいように高い建造物の上や高地のような場所で行われた。文明が発達するとともに、バビロニア・中国・エジプト・ギリシア・インド・中央アメリカなどで天文台が建設され、宇宙の根元についての考察が発展を始めた。ほとんどの初期天文学は、恒星や惑星の位置を記す、現在では位置天文学と呼ばれるものだった。これらの観測から、惑星の挙動に対する最初のアイデアが形成され、宇宙における太陽・月そして地球の根源が哲学的に探求された。地球は宇宙の中心にあり、太陽・月・星々が周囲を廻っていると考えられた。これは、クラウディオス・プトレマイオスから名を取ってプトレマイオス・システム(天動説)と呼ばれる[14]。
数学的または科学的な天文学は、初期段階における非常に重要な進展だった。これらはバビロニア人によってもたらされ、後に多くの文明へと展開してゆく天文学の潮流を創り上げたものだった[15]。バビロニアの天文学では、月食が一定の期間で再度起こることをサロス周期として発見した[16]。
ギリシアの赤道日時計。紀元前2-3世紀。現在はアフガニスタンにアイ・ハヌムにある。
バビロニアの後、古代ギリシアとヘレニズム世界において天文学はさらに進歩した。ギリシア天文学はその初期段階から、天球における天体の回転運動を物理的に説明すること目指した点を特徴とした[17]。紀元前3世紀、アリスタルコスは地球の大きさと、月や太陽の大きさと距離を計算し、地動説による太陽系モデルを提案した。紀元前2世紀にはヒッパルコスが歳差を発見し、月の大きさと距離を計算し、アストロラーベのような初期の天文学装置を発明した[18]。ヒッパルコスはまた、1020個の星とギリシア神話の神々の名に由来する北半球の星座のほとんどについて、詳細なカタログを作成した[19]。紀元前150-80年頃制作のアンティキティラ島の機械は、特定の日における太陽や月および星々の場所を計算するよう設計された、初期のアナログ計算機である。ヨーロッパにおいて、これに匹敵する制作技術の再興は14世紀の機械式天文時計の登場を待たなければならなかった[20]。
中世の時代、天文学は少なくとも13世紀になるまでヨーロッパでは停滞し、替わってイスラム世界など他の地域で発展した。イスラムでは、9世紀初頭までに建設された最初の天文台が寄与した[21][22][23]。964年にはアブドゥル・ラフマーン・スーフィーによって局部銀河群最大の銀河であるアンドロメダ銀河が天の川の中から発見され、著作『星座の書(英語版)』に記録された[24]。1006年、非常に明るい等級で輝いた超新星SN 1006は、エジプトのアラビア人天文学者アリ・イブン・リドワンや、中国の天文学者らによって記録された。バッターニー、サービト・イブン・クッラ、アブドゥル・ラフマーン・スーフィー、アブー・マーシャル、アブー・ライハーン・ビールーニー、ザルカーリー、ビリジャンディー(英語版)らイスラム世界の天文学者(ほとんどがペルシャやアラブ人)や、マラーゲ天文台(英語版)、ウルグ・ベク天文台などは、科学の発展に大きく寄与した。彼らが用いた星の名は、おおくが現在に引き継がれている[25][26]。
これらの他にも、グレート・ジンバブエ遺跡やトンブクトゥに[27]天体観察をする建物があったという推察もある[28]。以前、ヨーロッパ人は植民地化される前のブラックアフリカでは天文観察は行われなかったと考えていたが、近年の発見はこの思い込みを覆しつつある[29][30][31]。
科学革命[編集]
ガリレオ・ガリレイが観察し描いたスケッチは、月の表面に山脈があることを明らかにした。
スペースシャトル ディスカバリー号から見たハッブル宇宙望遠鏡
ルネッサンスの頃、ニコラウス・コペルニクスは地動説による太陽系を提唱した。彼の説はガリレオ・ガリレイとヨハネス・ケプラーの支持を得た。ガリレオは望遠鏡を使う事で観測に革新をもたらした[32]。
ケプラーは初めて太陽を中心とした惑星の各運動について、その詳細を説明することに挑んだが、理論を構築するまでには至らなかった[33]。これは、アイザック・ニュートンが天体力学と重力の法則を導き出し、最終的に成立した。ニュートンはまた反射望遠鏡も発明した[32]。
さらなる発見には、望遠鏡の大きさと性能の向上が寄与した。大規模な星の一覧はニコラ・ルイ・ド・ラカーユが作成した。ウィリアム・ハーシェルは星雲と星団の詳細な一覧を纏め上げ、1781年には天王星新発見を成し遂げた。[34]。初めて星までの距離測定は、1839年にフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが視差を用いてはくちょう座61番星までの距離を求めたことに遡る[35]。18-19世紀には、レオンハルト・オイラー、アレクシス・クレロー、ジャン・ル・ロン・ダランベールが三体問題へ取り組み、月や惑星の動きに関する予測精度が増した。この仕事はジョゼフ=ルイ・ラグランジュとピエール=シモン・ラプラスによってより洗練され、月や惑星の摂動からこれらの質量を計算可能とした[36]。
分光器と写真など新技術の導入によって、天文学はさらなる大幅な進歩を遂げた。1814-15年にヨゼフ・フォン・フラウンホーファーは、分光した太陽光線の中に約600の帯を発見し、1859年にはグスタフ・キルヒホフによってこれらから異なる元素が存在することを説明した。夜空の星々が太陽と同じ恒星であることも明らかになったが、それらの温度や質量そして大きさは広い範囲に分布する事も分かった[25]。こうした分光学の発展は、のちに天体物理学へと発展する基礎となった。
地球が存在する天の川銀河が、他から切り離されたある星の集団ということが判明したのは1924年のエドウィン・ハッブルによってであり、その外には無数の銀河が存在すること、そして1929年には同じくハッブルによって宇宙が膨張していることが次々と分かり、人類の宇宙に対する認識がどんどん変革した[37]。1958年にはヤン・オールトによって、天の川銀河が渦巻き状をしていることが判明した[38]。
1957年にはスプートニク1号が人類史上はじめて宇宙へと打ち上げられた人工衛星となり、これ以降人類は大気圏外の事象を直接観測する手段を手に入れた。こののちアメリカ合衆国とソヴィエト連邦によって宇宙開発競争がはじまり、1960年代から1970年代にかけては両国の人工衛星が続々と打ち上げられ、宇宙空間の知見が急速に集積した。1959年にはソヴィエトがルナ1号によって月探査を初めて成功させ、ついでアメリカのマリナー計画やソヴィエトのベネラ計画、マルス計画などによって内太陽系の調査は徐々に進んでいった。外太陽系も、1973年にはパイオニア10号が木星を初探査、1979年にはパイオニア11号が土星を初探査した。1977年に打ち上げられたボイジャー2号は1986年に天王星、1989年に海王星を初探査し、この両惑星における貴重なデータをもたらした。1990年には初の地球大気圏外の望遠鏡としてハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられ、これにより地上での観測よりもはるかに詳細なデータの入手が可能になった[39]。
天文学と人々の関係[編集]
天文学は、数ある科学のなかでもアマチュアが活発に活動している数少ない分野である。特定の天体を追跡したり、彗星や小惑星などの新たな星を発見するといった、様々な形でアマチュアによる活動が行われており、プロの研究者へのフィードバックや連携活動も珍しくない。なかでももっともアマチュア天文家の活躍した分野は彗星の発見であり、コメットハンターと呼ばれる熱心なアマチュア天文家の手によって多くの彗星が発見されたが、1995年の地球近傍小惑星追跡(NEAT)や1998年以降のリンカーン地球近傍小惑星探査(LINEAR)といった自動捜索プロジェクトの始動によって目視による彗星発見は激減し、かわってインターネット上などで公開されたデータをもとに彗星を発見する方法が主流となった。その後もアマチュア天文家が大きな発見をするケースは多く、2012年には4つの太陽を持つ惑星がアマチュア天文家と天文学者のチームによって発見された[40]。
用語[編集]
astronom-
ヨーロッパの言語に見られる astronom- (例えば、英語の astronomy)は、古フランス語 astronomie、ラテン語 astronomia を中立ちとして、ギリシア語 άστρονομία (astronomía) に遡る。άστρονομία は、「星」を意味する άστρων (astrōn) と「法則」を意味する νόμος (nómos)[41] との複合語である[42][43]。
天文
中国や日本で使われていた、漢語としての「天文」という言葉には、古くから陰陽道や暦学など天体の動きの変化から未来を予測する占い分野で用いられてきたという迷信的な側面があった[44](天文道・暦道)。江戸期に洋学が盛んになると、オランダ語の sterre(n)kunde の訳語として暦学[45]や星学[46]が用いられた。明治期になると、英語の astronomy やドイツ語の Astronomie の訳語として「星学」が採用された。1878年には、東京帝国大学に「星学科」が設立された。大正期になると、研究対象が星のみならず宇宙空間やその他の事象にも及ぶことから、「天文学科」と改称された。ここで「天文学」が見えるが、誰がどのような理由で制定したのかわかっていない。これと同時期の1921年には、関西の京都帝国大学では新しい astrophysics を講義すると言うことで、新城新造の提案でその訳語から「宇宙物理学教室」が設立された[47][48]。そのため、現在でも京都大学出身の天文学者は肩書きとして「宇宙物理学者」を使用している。ただし、astrophysics は現在では天体物理学と訳されている[49]。なお、天文学の分野以外ではしばしば「天文物理学」という表現が見られるが、そのような分野は存在しない[48]。
また、明確な定義はないが、主に探査機によって得られたデータを用いる分野を宇宙科学と呼ぶこともある[48][50]。
今日では、「天文」と言えば本来の迷信的要素は忘れられ、東洋天文学史を除いては専ら自然科学としての天文学を指している。
江戸幕府によって設置されていた観象台は、現在の気象台と国立天文台を併せ持つ機関として運営が行われていた。その目的は、暦の編纂、気象観測などを行うことであった。
天文学の各種分野[編集]
天文学は、天文現象へのアプローチの仕方によって大ざっぱにいって、観測天文学と理論天文学に分けることができる。観測天文学では、天体の現象を観測し、膨大なデータを収集する。理論天文学では、それらの現象を説明するモデルや理論、原理などを発見したり、作り出したりする。1980年代以降、大学や研究所の大型計算機センターに設置されたスーパーコンピュータを用いて、惑星や銀河の生成理論などにおいてはコンピュータによるシミュレーション実験も多用される。近年は、シミュレータそのものの専用計算機が開発され、多くの研究室で実験に供されるようになってきている。
より一般的には、それぞれの研究者の扱う研究対象や手法によって分野が分けられる。たとえば、銀河の挙動を中心に研究する銀河天文学など宇宙の特定の天体を扱うもの、宇宙論や星形成論など特定の問題を扱うもの、電波天文学や光赤外天文学など天体を観測する手法による分類などができる。
研究対象に基づく分類[編集]
暦 - 位置天文学 - 天体力学
宇宙論 - 天体物理学
銀河 - 銀河天文学 - 銀河進化論 - 銀河形成論
恒星 - 恒星天文学 - 恒星物理学 - 恒星進化論 - 星形成論
星雲・星団 - 星間物理学
惑星 - 惑星科学 - 惑星物理学 - 惑星形成論
地球 - 地球物理学 - 地球化学
本分類は、歴史的発展に基づき作成したものである。天文学分野で最初に研究が行われたのは、暦を研究する暦学であり、そこから、海上を移動する際に現在位置を知るために発展した位置天文学へと繋がる。そして、その位置天文学に基づく観測の結果から天体力学へと発展を遂げたものである。また、宇宙論は、神話や宗教等によって、それらは様々な伝承などの形で現在に至っている。宇宙論が、きちんと物理学的に探求されるようになったのは、近代に入ってからである。その他の、観測分野にしても同様であり、天体観測が系統的に行われるようになってからのことである。
本分類は、観測対象=研究対象という意味もある。暦の場合には、地球の自転についての研究である。そこから発展する形で、惑星運動の研究が行われた(ケプラーの法則)。宇宙論に関しては、仮説から観測によって、ビッグバン宇宙論が確立し現在に至っている。銀河の観測については、彗星ハンターと呼ばれる人々によって開始され、大型の観測装置が設置されることになってから詳しく研究が行われるようになったものである(シャルル・メシエ、ウィリアム・ハーシェル)。最後に地球に関しては、様々な神話の時代から探求が行われ、地上で起こる現象や地理学的な知見によって、地球物理学が発展してきたものである(関連項目:地震学)。地球化学に関しては、地球全体における化学的収支を明らかにするために、研究が行われている分野である(関連項目:環境問題)。
このように、地球-地球・月系-太陽系-銀河系-宇宙の大規模構造-宇宙誕生そして進化にいたる、幅広い研究領域を扱う学問である。
観測媒体による分類[編集]
電磁波を用いる天文学 天文学では、天体などの基本的情報を可視光線や、より多くを電磁波から得る[51]。一般に温度(エネルギー)の高い物体からは波長の短い電磁波が放射されるので、短い波長を用いれば、エネルギーの高い天体現象を観測することができる。天文学を以下に波長によって分類する。なお、宇宙膨張に伴い、宇宙誕生初期に発生した光などは、より長い波長の光や赤外線、サブミリ波で観測される(関連項目:ドップラー効果)。恒星や惑星、衛星や星間ダストの出す放射スペクトルは、一般に黒体輻射の法則に従う(関連項目:ボルツマン定数)。
電波天文学
赤外線天文学
可視光天文学
紫外線天文学
X線天文学
ガンマ線天文学
電磁波以外の媒体を用いる天文学
ニュートリノ天文学 (2007年までにニュートリノで観測された天体は太陽とSN 1987Aの2天体のみ)
重力波天文学 (2007年現在、重力波で観測された天体はない)
コンピュータ機器を用いる天文学
シミュレーション天文学(観測媒体というより、物理学現象による小宇宙を電算機内に構築し、シミュレーションによって検証する天文学)
関連分野[編集]
宇宙化学 - 大型望遠鏡によって発展してきた分光学を支える学問分野。暗黒星雲内の化学研究や惑星探査機による惑星大気観測などの研究が行われている。
宇宙医学 - 宇宙飛行士による、長期滞在実験(ソユーズ計画、スカイラブ計画、サリュート計画、ミール計画、スペースシャトル計画、国際宇宙ステーション(ISS))によって、現在も研究が進められている。この目的は、当面は月への恒久基地建設に伴う長期滞在、火星への有人探査計画であるが、将来的には人類の宇宙活動が、生産や居住等にまで拡大した時代を見越して研究が進められている。
宇宙生物学 - アストロバイオロジーともいう。比較的新しい分野であるが、地球以外の星に生命が存在する可能性の研究や、宇宙由来のたんぱく質やDNA(まだ見つかっていない)等の研究を行う分野である。
学際分野[編集]
以上、通例、単に天文学と言えば数理天文学のことを指すが、学際的な分野、文科的 (cultural) な分野、史的 (historical) な分野も存在する。こうした文科的・史的天文学は、数理天文学に対して天文学の傍径 (byway astronomy) と扱われており[52]、占星術や天文考古学、天文民俗学のように、数理天文学者からは疑似科学とみなされている分野もある[53]。
宇宙形状論 (cosmography)
古天文学 (palaeoastronomy)
星座の記述 (uranography)
星図の作成 (celestial cartography)
星名の研究 (astronymy)
占星術 (astrology)
天文学史 (history of astronomy)
天文考古学 (archaeoastronomy)
天文民俗学 (astronomical folklore)
脚注[編集]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%AD%A6
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
再生核研究所声明259 (2015.12.04) 数学の生態、旬の数学 ―ゼロ除算の勧め
数学とは何だろうかと問うてきたが(No.81, May 2012(pdf 432kb) www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)違う観点から、はじめに数学の生態について外観して、ゼロ除算の研究の勧めを提案したい。
純粋数学の理論は 恰も人間とは無関係に存在して、まるで神の言語のように感じられるが、しかしながら、生活している人間、関与している人間、またそれらを支えている社会が数学の発展の行くすえ、成長の生態に反映されているのは事実である。実際、最も古く、超古典のユークリッド幾何学の発展、現状を見れば、数学の生態の様を見ることができる。その幾何学は 素朴に土地を測るという、現実の要求から生まれ、知的要求で言わば社会との関わりを有しないレベルまで発展して、膨大な理論体系が作られたが、現在では研究の専門家がいない程に確立した理論とされている。研究課題としては終わっていると考えられる。多くの数学も同様な経過を辿っている様を見ることができる。多くは物理学やいろいろな現象から新しい数学が生まれた例は多いが、ここは、素朴な数学の具体例、基本的な問題から、新しい数学が生まれ、発展して、やがて、細分化、孤立化した結果に至って 衰退している様を 数学の生態として捉えることができるだろう。社会との関係が薄く、興味を抱く人が少なくなれば、その数学は衰退すると ―すなわち 誰もやらなくなり、殆ど忘れされていくことになるだろう。この意味で、多くの数学も、花の命や人の一生のように 夢多き時期、華やいだ時期、衰退して行く時期といろいろな時期があると考えるのが妥当ではないだろうか。基本的で、新規な結果がどんどん展開されるときは、その数学の発展期で、活動期にあると考えられる.他方、他との関係が付かず、興味、関心を抱く者が少なくなれば、既に衰退期にあり、研究は労あって成果は小さいと言えよう。
数学を言わば輸入に頼っている国では、価値観も定かではなく、権威ある、あるいは数学の未解決問題の解明や小さな部分の形式的な拡張や精密化に力を入れている現実がある。見るだけでうんざりしてしまう論文は 世に多いと言える:
再生核研究所声明128 (2013.8.27): 数学の危機、 末期数学について
(特に純粋数学においては、考えられるものは何でも考える自由な精神で真理の追究を行なっているから(再生核研究所声明36:恋の原理と心得)、一旦方向が、課題が定まると、どんどん先に研究が進められる。基本的な精神は 内部における新しい概念と問題の発掘、拡張、すなわち一般化と精密化、そして他の数学との関係の追求などである。それらがどんどん進むと、理解出来る者、関心を抱く者がどんどん少なくなり、世界でも数人しか興味を抱く者がいないという状況になり、そのような状況は 今や珍しくはないと言える。 ― 興味以前に分からない、理解できないが 殆どであると言える。 また、何のための結果かと問われる結果が 現代数学の大部分を占めていると言えるだろう。特に数学内部の興味本位の結果は そのような状況に追い込まれ、数学の末期的状況の典型的な形相と言えるだろう。実際、相当なブームに成っていた数学の分野が、興味や関心を失い、世界でも興味を抱く者が殆どいなくなる分野は 結構実在する。それらの様は、さまざまな古代遺跡のように見えるだろう。― 夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもがゆめのあと):松尾芭蕉。
もちろん、数学は、時間によらないようであるから、オイラーの公式のように、基本的で美しく、いろいろ広く関係しているような結果は、普遍 (不変) 的な価値を 有すると言える。)
どの辺の数学に興味を抱くは、個人の好みであるが、最近考えられているゼロ除算は極めて初期の段階にあり、夢多き段階にあると見られので、広く世に状況を公表して、ゼロ除算の研究を推進したい。
ゼロ除算は、西暦628年インドでゼロが記録されて以来の発見で、全く未知の新しい数学、前人未到の新世界の発見である。すなわち、ゼロで割るは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたところ、ゼロで割ることができるとなったのであるから、全く未知の世界を探検できる。 既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。 最近、素人にも分かるような例が結構発見されてきたので、 広く 世にそのような面白い新しい現象の発見を呼びかけたい。まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、 中心の特異性などの現象を記述していることである。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。
現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙して置こう:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は 光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; 代数的には ゼロ除算z/0=0を含む簡単な体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であると考えられること; 点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にも明確に現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると,円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。 Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。 このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は まず 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究ではないだろうか。 実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、 ゼロ除算の物理学への影響である。 これは、ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れているので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the realand complex fields, Tokyo Journal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる全く新しい研究分野と言える。
全く、新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、 よく理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる方は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関係が出てくるのが、数学の研究の楽しさであると言える面は多い。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、 ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学である。専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。
次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233) ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8) 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28) 私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
以 上
追記: ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
天文学は、自然科学として最も早く古代から発達した学問である[3]。先史時代の文化は、古代エジプトの記念碑やヌビアのピラミッドなどの天文遺産を残した。発生間もない文明でも、バビロニアや古代ギリシア、古代中国や古代インドなど、そしてイランやマヤ文明などでも、夜空の入念な観測が行われた。
とはいえ、天文学が現代科学の仲間入りをするためには、望遠鏡の発明が欠かせなかった。歴史的には、天文学の学問領域は位置天文学や天測航法また観測天文学や暦法などと同じく多様なものだが、近年では天文学の専門家とはしばしば天体物理学者と同義と受け止められる[4]。
天文学(アストロノミー)を、天体の位置と人間界の出来事には関連があるという主張を基盤とする信念体系である占星術(アストロロジー)と混同しないよう注意が必要である。これらは同じ起源から発達したが、今や完全に異なるものである[5]。
目次 [非表示]
1 概説
1.1 位置天文学・天体力学・天体物理学
2 歴史
2.1 科学革命
3 天文学と人々の関係
4 用語
5 天文学の各種分野
5.1 研究対象に基づく分類
5.2 観測媒体による分類
5.3 関連分野
5.4 学際分野
6 脚注
7 参考文献
8 関連文献
9 関連項目
9.1 宇宙の構成要素
9.2 学問分野の構成
9.3 研究の手段
9.4 研究機関及び研究者
9.5 人類の宇宙への挑戦
9.6 その他
10 外部リンク
10.1 天文学活動関連
10.2 天文学資料関連
10.3 教育関連
概説[編集]
基本的に天文学は、研究者が対象に直接触ったり取り扱ったりすることができず、また実験を行うことができないものと考えられる。ところが近年は探査機が資料を持ち帰る時代になり、そのため太陽系の天体は純粋な天文学の対象から惑星物理学の領域に移りつつある[6]。この例を除けば、天文学が基本的に用いる手段は電磁波を受信するリモートセンシングが中心となる[6]。
天文学の研究には2つの側面がある。宇宙には地球のどんな実験室でも実現が難しい超高温・超高密度の領域がさまざまな所にあり、このような極限状態でも地上の物理法則が適応できる事を確認してその普遍性を検証する点がその第1である。これは惑星運動を物理法則で説明した試みが嚆矢に当たる。もうひとつは人類が宇宙の中でどのような位置づけにあるかを考える事であり、いわゆる宇宙観の形成と言える。大抵の場合、天文学の研究にはこの両者が含まれる[6]。
位置天文学・天体力学・天体物理学[編集]
一般的に、「天文学」(astronomy) もしくは「天体物理学」 (astrophysics) という単語が使われる[7][8][9]。厳密な辞書的に定義すると、天文学は「地球大気の外にあるモノやコトについての物理・化学的性質に対する研究」であり[10]、天体物理学は「天体や現象のふるまいや物理的性質そして動力学的過程」を取扱う天文学の一分野である[11]。例えば、フランク・シュー(英語版)が著した入門書『The Physical Universe』の導入部には、天文学は対象の質的研究を指し、天体物理学が取り扱う対象は物理学的志向が高いという[12]。しかし、最新の天文学的研究はほとんどが物理学的対象を取扱うようになり、天文学は事実上天体物理学とみなされるようになった[7]。観測天文学のような数少ない分野が、天体物理学よりも純粋な天文学に当る。天体にかかわる研究を行う様々な分野では両方の単語が用いられ、その分野が歴史的に物理学の一部に相当するかによって決まることもある[8]。そして多くの専門的な天文学者は天文学でなく物理学の学位を取得している[9]。
位置天文学は天体の位置を、天体力学は天体の運動を研究する学問で、天文学の中でも古典分野とみなされている。
歴史[編集]
詳細は「天文学史」を参照
ドイツの地図製作者フレデリック・デ・ウィット(英語版)17世紀作の天球図
はるか昔、天文学は肉眼による天体の観察と位置の予測だけであった。ときにストーンヘンジのような巨大な人工物がこの目的のために作られることもあり、それは儀式の舞台だけでなく、季節を知り植物の種まきをする時期を定めるために1年の長さを決定する天文台の役割を果たした[13]
望遠鏡が発明される前、初期の研究は肉眼でも見やすいように高い建造物の上や高地のような場所で行われた。文明が発達するとともに、バビロニア・中国・エジプト・ギリシア・インド・中央アメリカなどで天文台が建設され、宇宙の根元についての考察が発展を始めた。ほとんどの初期天文学は、恒星や惑星の位置を記す、現在では位置天文学と呼ばれるものだった。これらの観測から、惑星の挙動に対する最初のアイデアが形成され、宇宙における太陽・月そして地球の根源が哲学的に探求された。地球は宇宙の中心にあり、太陽・月・星々が周囲を廻っていると考えられた。これは、クラウディオス・プトレマイオスから名を取ってプトレマイオス・システム(天動説)と呼ばれる[14]。
数学的または科学的な天文学は、初期段階における非常に重要な進展だった。これらはバビロニア人によってもたらされ、後に多くの文明へと展開してゆく天文学の潮流を創り上げたものだった[15]。バビロニアの天文学では、月食が一定の期間で再度起こることをサロス周期として発見した[16]。
ギリシアの赤道日時計。紀元前2-3世紀。現在はアフガニスタンにアイ・ハヌムにある。
バビロニアの後、古代ギリシアとヘレニズム世界において天文学はさらに進歩した。ギリシア天文学はその初期段階から、天球における天体の回転運動を物理的に説明すること目指した点を特徴とした[17]。紀元前3世紀、アリスタルコスは地球の大きさと、月や太陽の大きさと距離を計算し、地動説による太陽系モデルを提案した。紀元前2世紀にはヒッパルコスが歳差を発見し、月の大きさと距離を計算し、アストロラーベのような初期の天文学装置を発明した[18]。ヒッパルコスはまた、1020個の星とギリシア神話の神々の名に由来する北半球の星座のほとんどについて、詳細なカタログを作成した[19]。紀元前150-80年頃制作のアンティキティラ島の機械は、特定の日における太陽や月および星々の場所を計算するよう設計された、初期のアナログ計算機である。ヨーロッパにおいて、これに匹敵する制作技術の再興は14世紀の機械式天文時計の登場を待たなければならなかった[20]。
中世の時代、天文学は少なくとも13世紀になるまでヨーロッパでは停滞し、替わってイスラム世界など他の地域で発展した。イスラムでは、9世紀初頭までに建設された最初の天文台が寄与した[21][22][23]。964年にはアブドゥル・ラフマーン・スーフィーによって局部銀河群最大の銀河であるアンドロメダ銀河が天の川の中から発見され、著作『星座の書(英語版)』に記録された[24]。1006年、非常に明るい等級で輝いた超新星SN 1006は、エジプトのアラビア人天文学者アリ・イブン・リドワンや、中国の天文学者らによって記録された。バッターニー、サービト・イブン・クッラ、アブドゥル・ラフマーン・スーフィー、アブー・マーシャル、アブー・ライハーン・ビールーニー、ザルカーリー、ビリジャンディー(英語版)らイスラム世界の天文学者(ほとんどがペルシャやアラブ人)や、マラーゲ天文台(英語版)、ウルグ・ベク天文台などは、科学の発展に大きく寄与した。彼らが用いた星の名は、おおくが現在に引き継がれている[25][26]。
これらの他にも、グレート・ジンバブエ遺跡やトンブクトゥに[27]天体観察をする建物があったという推察もある[28]。以前、ヨーロッパ人は植民地化される前のブラックアフリカでは天文観察は行われなかったと考えていたが、近年の発見はこの思い込みを覆しつつある[29][30][31]。
科学革命[編集]
ガリレオ・ガリレイが観察し描いたスケッチは、月の表面に山脈があることを明らかにした。
スペースシャトル ディスカバリー号から見たハッブル宇宙望遠鏡
ルネッサンスの頃、ニコラウス・コペルニクスは地動説による太陽系を提唱した。彼の説はガリレオ・ガリレイとヨハネス・ケプラーの支持を得た。ガリレオは望遠鏡を使う事で観測に革新をもたらした[32]。
ケプラーは初めて太陽を中心とした惑星の各運動について、その詳細を説明することに挑んだが、理論を構築するまでには至らなかった[33]。これは、アイザック・ニュートンが天体力学と重力の法則を導き出し、最終的に成立した。ニュートンはまた反射望遠鏡も発明した[32]。
さらなる発見には、望遠鏡の大きさと性能の向上が寄与した。大規模な星の一覧はニコラ・ルイ・ド・ラカーユが作成した。ウィリアム・ハーシェルは星雲と星団の詳細な一覧を纏め上げ、1781年には天王星新発見を成し遂げた。[34]。初めて星までの距離測定は、1839年にフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが視差を用いてはくちょう座61番星までの距離を求めたことに遡る[35]。18-19世紀には、レオンハルト・オイラー、アレクシス・クレロー、ジャン・ル・ロン・ダランベールが三体問題へ取り組み、月や惑星の動きに関する予測精度が増した。この仕事はジョゼフ=ルイ・ラグランジュとピエール=シモン・ラプラスによってより洗練され、月や惑星の摂動からこれらの質量を計算可能とした[36]。
分光器と写真など新技術の導入によって、天文学はさらなる大幅な進歩を遂げた。1814-15年にヨゼフ・フォン・フラウンホーファーは、分光した太陽光線の中に約600の帯を発見し、1859年にはグスタフ・キルヒホフによってこれらから異なる元素が存在することを説明した。夜空の星々が太陽と同じ恒星であることも明らかになったが、それらの温度や質量そして大きさは広い範囲に分布する事も分かった[25]。こうした分光学の発展は、のちに天体物理学へと発展する基礎となった。
地球が存在する天の川銀河が、他から切り離されたある星の集団ということが判明したのは1924年のエドウィン・ハッブルによってであり、その外には無数の銀河が存在すること、そして1929年には同じくハッブルによって宇宙が膨張していることが次々と分かり、人類の宇宙に対する認識がどんどん変革した[37]。1958年にはヤン・オールトによって、天の川銀河が渦巻き状をしていることが判明した[38]。
1957年にはスプートニク1号が人類史上はじめて宇宙へと打ち上げられた人工衛星となり、これ以降人類は大気圏外の事象を直接観測する手段を手に入れた。こののちアメリカ合衆国とソヴィエト連邦によって宇宙開発競争がはじまり、1960年代から1970年代にかけては両国の人工衛星が続々と打ち上げられ、宇宙空間の知見が急速に集積した。1959年にはソヴィエトがルナ1号によって月探査を初めて成功させ、ついでアメリカのマリナー計画やソヴィエトのベネラ計画、マルス計画などによって内太陽系の調査は徐々に進んでいった。外太陽系も、1973年にはパイオニア10号が木星を初探査、1979年にはパイオニア11号が土星を初探査した。1977年に打ち上げられたボイジャー2号は1986年に天王星、1989年に海王星を初探査し、この両惑星における貴重なデータをもたらした。1990年には初の地球大気圏外の望遠鏡としてハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられ、これにより地上での観測よりもはるかに詳細なデータの入手が可能になった[39]。
天文学と人々の関係[編集]
天文学は、数ある科学のなかでもアマチュアが活発に活動している数少ない分野である。特定の天体を追跡したり、彗星や小惑星などの新たな星を発見するといった、様々な形でアマチュアによる活動が行われており、プロの研究者へのフィードバックや連携活動も珍しくない。なかでももっともアマチュア天文家の活躍した分野は彗星の発見であり、コメットハンターと呼ばれる熱心なアマチュア天文家の手によって多くの彗星が発見されたが、1995年の地球近傍小惑星追跡(NEAT)や1998年以降のリンカーン地球近傍小惑星探査(LINEAR)といった自動捜索プロジェクトの始動によって目視による彗星発見は激減し、かわってインターネット上などで公開されたデータをもとに彗星を発見する方法が主流となった。その後もアマチュア天文家が大きな発見をするケースは多く、2012年には4つの太陽を持つ惑星がアマチュア天文家と天文学者のチームによって発見された[40]。
用語[編集]
astronom-
ヨーロッパの言語に見られる astronom- (例えば、英語の astronomy)は、古フランス語 astronomie、ラテン語 astronomia を中立ちとして、ギリシア語 άστρονομία (astronomía) に遡る。άστρονομία は、「星」を意味する άστρων (astrōn) と「法則」を意味する νόμος (nómos)[41] との複合語である[42][43]。
天文
中国や日本で使われていた、漢語としての「天文」という言葉には、古くから陰陽道や暦学など天体の動きの変化から未来を予測する占い分野で用いられてきたという迷信的な側面があった[44](天文道・暦道)。江戸期に洋学が盛んになると、オランダ語の sterre(n)kunde の訳語として暦学[45]や星学[46]が用いられた。明治期になると、英語の astronomy やドイツ語の Astronomie の訳語として「星学」が採用された。1878年には、東京帝国大学に「星学科」が設立された。大正期になると、研究対象が星のみならず宇宙空間やその他の事象にも及ぶことから、「天文学科」と改称された。ここで「天文学」が見えるが、誰がどのような理由で制定したのかわかっていない。これと同時期の1921年には、関西の京都帝国大学では新しい astrophysics を講義すると言うことで、新城新造の提案でその訳語から「宇宙物理学教室」が設立された[47][48]。そのため、現在でも京都大学出身の天文学者は肩書きとして「宇宙物理学者」を使用している。ただし、astrophysics は現在では天体物理学と訳されている[49]。なお、天文学の分野以外ではしばしば「天文物理学」という表現が見られるが、そのような分野は存在しない[48]。
また、明確な定義はないが、主に探査機によって得られたデータを用いる分野を宇宙科学と呼ぶこともある[48][50]。
今日では、「天文」と言えば本来の迷信的要素は忘れられ、東洋天文学史を除いては専ら自然科学としての天文学を指している。
江戸幕府によって設置されていた観象台は、現在の気象台と国立天文台を併せ持つ機関として運営が行われていた。その目的は、暦の編纂、気象観測などを行うことであった。
天文学の各種分野[編集]
天文学は、天文現象へのアプローチの仕方によって大ざっぱにいって、観測天文学と理論天文学に分けることができる。観測天文学では、天体の現象を観測し、膨大なデータを収集する。理論天文学では、それらの現象を説明するモデルや理論、原理などを発見したり、作り出したりする。1980年代以降、大学や研究所の大型計算機センターに設置されたスーパーコンピュータを用いて、惑星や銀河の生成理論などにおいてはコンピュータによるシミュレーション実験も多用される。近年は、シミュレータそのものの専用計算機が開発され、多くの研究室で実験に供されるようになってきている。
より一般的には、それぞれの研究者の扱う研究対象や手法によって分野が分けられる。たとえば、銀河の挙動を中心に研究する銀河天文学など宇宙の特定の天体を扱うもの、宇宙論や星形成論など特定の問題を扱うもの、電波天文学や光赤外天文学など天体を観測する手法による分類などができる。
研究対象に基づく分類[編集]
暦 - 位置天文学 - 天体力学
宇宙論 - 天体物理学
銀河 - 銀河天文学 - 銀河進化論 - 銀河形成論
恒星 - 恒星天文学 - 恒星物理学 - 恒星進化論 - 星形成論
星雲・星団 - 星間物理学
惑星 - 惑星科学 - 惑星物理学 - 惑星形成論
地球 - 地球物理学 - 地球化学
本分類は、歴史的発展に基づき作成したものである。天文学分野で最初に研究が行われたのは、暦を研究する暦学であり、そこから、海上を移動する際に現在位置を知るために発展した位置天文学へと繋がる。そして、その位置天文学に基づく観測の結果から天体力学へと発展を遂げたものである。また、宇宙論は、神話や宗教等によって、それらは様々な伝承などの形で現在に至っている。宇宙論が、きちんと物理学的に探求されるようになったのは、近代に入ってからである。その他の、観測分野にしても同様であり、天体観測が系統的に行われるようになってからのことである。
本分類は、観測対象=研究対象という意味もある。暦の場合には、地球の自転についての研究である。そこから発展する形で、惑星運動の研究が行われた(ケプラーの法則)。宇宙論に関しては、仮説から観測によって、ビッグバン宇宙論が確立し現在に至っている。銀河の観測については、彗星ハンターと呼ばれる人々によって開始され、大型の観測装置が設置されることになってから詳しく研究が行われるようになったものである(シャルル・メシエ、ウィリアム・ハーシェル)。最後に地球に関しては、様々な神話の時代から探求が行われ、地上で起こる現象や地理学的な知見によって、地球物理学が発展してきたものである(関連項目:地震学)。地球化学に関しては、地球全体における化学的収支を明らかにするために、研究が行われている分野である(関連項目:環境問題)。
このように、地球-地球・月系-太陽系-銀河系-宇宙の大規模構造-宇宙誕生そして進化にいたる、幅広い研究領域を扱う学問である。
観測媒体による分類[編集]
電磁波を用いる天文学 天文学では、天体などの基本的情報を可視光線や、より多くを電磁波から得る[51]。一般に温度(エネルギー)の高い物体からは波長の短い電磁波が放射されるので、短い波長を用いれば、エネルギーの高い天体現象を観測することができる。天文学を以下に波長によって分類する。なお、宇宙膨張に伴い、宇宙誕生初期に発生した光などは、より長い波長の光や赤外線、サブミリ波で観測される(関連項目:ドップラー効果)。恒星や惑星、衛星や星間ダストの出す放射スペクトルは、一般に黒体輻射の法則に従う(関連項目:ボルツマン定数)。
電波天文学
赤外線天文学
可視光天文学
紫外線天文学
X線天文学
ガンマ線天文学
電磁波以外の媒体を用いる天文学
ニュートリノ天文学 (2007年までにニュートリノで観測された天体は太陽とSN 1987Aの2天体のみ)
重力波天文学 (2007年現在、重力波で観測された天体はない)
コンピュータ機器を用いる天文学
シミュレーション天文学(観測媒体というより、物理学現象による小宇宙を電算機内に構築し、シミュレーションによって検証する天文学)
関連分野[編集]
宇宙化学 - 大型望遠鏡によって発展してきた分光学を支える学問分野。暗黒星雲内の化学研究や惑星探査機による惑星大気観測などの研究が行われている。
宇宙医学 - 宇宙飛行士による、長期滞在実験(ソユーズ計画、スカイラブ計画、サリュート計画、ミール計画、スペースシャトル計画、国際宇宙ステーション(ISS))によって、現在も研究が進められている。この目的は、当面は月への恒久基地建設に伴う長期滞在、火星への有人探査計画であるが、将来的には人類の宇宙活動が、生産や居住等にまで拡大した時代を見越して研究が進められている。
宇宙生物学 - アストロバイオロジーともいう。比較的新しい分野であるが、地球以外の星に生命が存在する可能性の研究や、宇宙由来のたんぱく質やDNA(まだ見つかっていない)等の研究を行う分野である。
学際分野[編集]
以上、通例、単に天文学と言えば数理天文学のことを指すが、学際的な分野、文科的 (cultural) な分野、史的 (historical) な分野も存在する。こうした文科的・史的天文学は、数理天文学に対して天文学の傍径 (byway astronomy) と扱われており[52]、占星術や天文考古学、天文民俗学のように、数理天文学者からは疑似科学とみなされている分野もある[53]。
宇宙形状論 (cosmography)
古天文学 (palaeoastronomy)
星座の記述 (uranography)
星図の作成 (celestial cartography)
星名の研究 (astronymy)
占星術 (astrology)
天文学史 (history of astronomy)
天文考古学 (archaeoastronomy)
天文民俗学 (astronomical folklore)
脚注[編集]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%AD%A6
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
再生核研究所声明259 (2015.12.04) 数学の生態、旬の数学 ―ゼロ除算の勧め
数学とは何だろうかと問うてきたが(No.81, May 2012(pdf 432kb) www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)違う観点から、はじめに数学の生態について外観して、ゼロ除算の研究の勧めを提案したい。
純粋数学の理論は 恰も人間とは無関係に存在して、まるで神の言語のように感じられるが、しかしながら、生活している人間、関与している人間、またそれらを支えている社会が数学の発展の行くすえ、成長の生態に反映されているのは事実である。実際、最も古く、超古典のユークリッド幾何学の発展、現状を見れば、数学の生態の様を見ることができる。その幾何学は 素朴に土地を測るという、現実の要求から生まれ、知的要求で言わば社会との関わりを有しないレベルまで発展して、膨大な理論体系が作られたが、現在では研究の専門家がいない程に確立した理論とされている。研究課題としては終わっていると考えられる。多くの数学も同様な経過を辿っている様を見ることができる。多くは物理学やいろいろな現象から新しい数学が生まれた例は多いが、ここは、素朴な数学の具体例、基本的な問題から、新しい数学が生まれ、発展して、やがて、細分化、孤立化した結果に至って 衰退している様を 数学の生態として捉えることができるだろう。社会との関係が薄く、興味を抱く人が少なくなれば、その数学は衰退すると ―すなわち 誰もやらなくなり、殆ど忘れされていくことになるだろう。この意味で、多くの数学も、花の命や人の一生のように 夢多き時期、華やいだ時期、衰退して行く時期といろいろな時期があると考えるのが妥当ではないだろうか。基本的で、新規な結果がどんどん展開されるときは、その数学の発展期で、活動期にあると考えられる.他方、他との関係が付かず、興味、関心を抱く者が少なくなれば、既に衰退期にあり、研究は労あって成果は小さいと言えよう。
数学を言わば輸入に頼っている国では、価値観も定かではなく、権威ある、あるいは数学の未解決問題の解明や小さな部分の形式的な拡張や精密化に力を入れている現実がある。見るだけでうんざりしてしまう論文は 世に多いと言える:
再生核研究所声明128 (2013.8.27): 数学の危機、 末期数学について
(特に純粋数学においては、考えられるものは何でも考える自由な精神で真理の追究を行なっているから(再生核研究所声明36:恋の原理と心得)、一旦方向が、課題が定まると、どんどん先に研究が進められる。基本的な精神は 内部における新しい概念と問題の発掘、拡張、すなわち一般化と精密化、そして他の数学との関係の追求などである。それらがどんどん進むと、理解出来る者、関心を抱く者がどんどん少なくなり、世界でも数人しか興味を抱く者がいないという状況になり、そのような状況は 今や珍しくはないと言える。 ― 興味以前に分からない、理解できないが 殆どであると言える。 また、何のための結果かと問われる結果が 現代数学の大部分を占めていると言えるだろう。特に数学内部の興味本位の結果は そのような状況に追い込まれ、数学の末期的状況の典型的な形相と言えるだろう。実際、相当なブームに成っていた数学の分野が、興味や関心を失い、世界でも興味を抱く者が殆どいなくなる分野は 結構実在する。それらの様は、さまざまな古代遺跡のように見えるだろう。― 夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもがゆめのあと):松尾芭蕉。
もちろん、数学は、時間によらないようであるから、オイラーの公式のように、基本的で美しく、いろいろ広く関係しているような結果は、普遍 (不変) 的な価値を 有すると言える。)
どの辺の数学に興味を抱くは、個人の好みであるが、最近考えられているゼロ除算は極めて初期の段階にあり、夢多き段階にあると見られので、広く世に状況を公表して、ゼロ除算の研究を推進したい。
ゼロ除算は、西暦628年インドでゼロが記録されて以来の発見で、全く未知の新しい数学、前人未到の新世界の発見である。すなわち、ゼロで割るは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたところ、ゼロで割ることができるとなったのであるから、全く未知の世界を探検できる。 既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。 最近、素人にも分かるような例が結構発見されてきたので、 広く 世にそのような面白い新しい現象の発見を呼びかけたい。まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、 中心の特異性などの現象を記述していることである。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。
現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙して置こう:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は 光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; 代数的には ゼロ除算z/0=0を含む簡単な体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であると考えられること; 点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にも明確に現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると,円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。 Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。 このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は まず 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究ではないだろうか。 実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、 ゼロ除算の物理学への影響である。 これは、ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れているので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the realand complex fields, Tokyo Journal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる全く新しい研究分野と言える。
全く、新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、 よく理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる方は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関係が出てくるのが、数学の研究の楽しさであると言える面は多い。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、 ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学である。専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。
次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233) ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8) 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28) 私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
以 上
追記: ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
https://notevenpast.org/dividing-nothing/
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