2015年2月4日水曜日

裁判員裁判の死刑判決 認めず

裁判員裁判の死刑判決 認めず
東京と千葉で起きた強盗殺人事件を巡り、裁判員裁判の死刑判決が妥当かどうかが争われた2つの裁判で、最高裁判所は死刑を選択するには過去の裁判例を踏まえて判断しなければならないとする決定を出しました。
決定は裁判員裁判においても死刑の判断に慎重さと公平性を求めたもので、いずれも2審の無期懲役が確定することになりました。
最高裁判所で審理されていたのは6年前に東京・港区と千葉県松戸市で起きた2つの強盗殺人事件の裁判で、いずれも1審の裁判員裁判は死刑、2審は無期懲役と判断が分かれていました。
最高裁判所第2小法廷の千葉勝美裁判長は決定で、「死刑は被告の生命を永遠に奪い去る究極の刑罰で、慎重さと公平性を確保しなければならない。そのためには、これまで積み重ねられてきた過去の裁判例で、犯行の性質や計画性などといった判断要素がどのように考慮されてきたのかを踏まえた議論が不可欠だ。これは裁判官のみの裁判でも裁判員裁判でも変わるものではない」と述べました。
そのうえで、1審の死刑判決は過去の裁判例と判断が異なるのに具体的で説得力のある根拠が示されていないと指摘しました。
この決定により、いずれも2審の無期懲役が確定することになりました。
過去の裁判例を踏まえるよう強く求めた今回の決定は、裁判員裁判であっても死刑の適用には慎重さと公平性を保つ必要があることを示したもので、今後の裁判に大きな影響を与えるとみられます。
最高検「主張認められず残念」
2つの裁判で死刑判決を求めていた最高検察庁の三浦守公判部長は「いずれの事件も1審で裁判員も加わって慎重に検討されたうえで死刑が言い渡された。その判断が適切なものだという検察の主張が認められず残念だが、最高裁判所の判断なので真摯(しんし)に受け止めたい。決定の指摘も踏まえ、今後とも裁判員裁判において適切な刑が実現されるよう努めてまいりたい」というコメントを出しました。
東京・港区の強盗殺人事件
平成21年に東京・港区のマンションで当時74歳の男性が包丁で刺されて殺害された事件では無職の伊能和夫被告(64)が強盗殺人などの罪に問われました。
被告にはかつて妻と娘の2人を殺害した前科があり、1審と2審はこの前科をどう考慮するかで判断が分かれました。
1審の裁判員裁判は、「強盗の目的を遂げるため、抵抗できない被害者を一撃で殺害するなど冷酷非情な犯行だ。妻と娘の2人を殺害し20年間服役した前科がありながら、出所後わずか半年で強盗殺人事件を起こしたことを刑を決めるうえで特に重視すべきだ」と指摘して死刑を言い渡しました。
これに対して2審は、「過去に前科を重視して死刑が選択された事件は、無期懲役の仮釈放中に同じような犯行を起こしたケースなどだ。今回の強盗殺人と口論から妻を殺害した末、娘と無理心中しようとした被告の前科は関連性が薄い」と指摘して、1審の死刑を取り消し、無期懲役を言い渡しました。
千葉県松戸市の女子大生殺害事件
平成21年に千葉県松戸市のマンションで、大学4年生の女性(当時21)が殺害され、部屋が放火された事件で無職の竪山辰美被告(53)が強盗殺人などの罪に問われました。
1審と2審は殺害の計画性が認められない一方で、この事件の前後に別の強盗傷害事件などを繰り返していたことをどう考慮するかで判断が分かれました。
1審の裁判員裁判は「殺害された被害者は1人で計画性は認められないが、被告は短期間のうちに悪質な強盗傷害事件を立て続けに起こしている。どの事件も被害者の生命に危害が及ぶおそれがあったことを考慮すると死刑を回避する決定的な事情にはならない」と判断し死刑を言い渡しました。
これに対して2審は、「過去の裁判例では被害者が1人の強盗殺人事件で計画性がない場合は死刑が選択されない傾向がある。女子大学生の事件以外は人の生命を奪おうという事件ではなく死刑を選択することが本当にやむを得ないとまでは言えない」と指摘して1審の死刑を取り消し、無期懲役を言い渡していました。


再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める
素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると
(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。
上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。

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