2015年2月13日金曜日

記事 NewSphere2015年02月08日 11:00北海道の「ゲーム禁止日」、意図伝わらず海外に拡散 “ゲームを悪者にしないで…”

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NewSphere2015年02月08日 11:00北海道の「ゲーム禁止日」、意図伝わらず海外に拡散 “ゲームを悪者にしないで…”



北海道の「ゲーム禁止日」、意図伝わらず海外に拡散 “ゲームを悪者にしないで…”
 2月から、北海道で「ゲーム禁止日」が開始される。北海道教育委員会が開始するこの取り組みでは、月に2日、子どもたちがゲームで遊ぶのを禁止する。代わりに友達や家族と過ごす時間を増やしていくという狙いがある。
 NHKでは、この「ゲーム禁止日」について伝える際、北海道の生徒の学力テストのスコア低下にも言及。 海外メディアでもこの取り組みとNHKの報道が取り上げられ、 ゲームの禁止と学力に関係があるとは思えないという意見、具体的なテストのデータを取り上げ、相関が見られるとする意見など、さまざまな反応を見せている。
◆ 他の都道府県の子どもたちだってゲームしているはず
 『Kotaku』の記事では、NHKの報道に言及しながら、 「PTAと北海道教育委員会がTVゲームに責任をなすりつけているように聞こえる。他の都道府県の子供たちがそんなに多くのゲームをしていないという誤った想定をしたのはどちらだろうか?」とし、ゲームが結局悪者になってしまうこと に疑問を呈している。
 
 電子製品情報サイト『Ubergizmo』でも、NHKの報道に言及しつつ 「テストのスコア低下の責任が何にあるのかわからないながら公的機関がゲームに責任があると決めているように思える」と言及している。続けて、子供たちのほうがよりゲームをプレイしているという事実から、彼らはそう結論付けたのだろうと公的機関の結論にやや寄り添いながらも、「もちろん、日本の他の地域の生徒が少なくとも同じくらいゲームをプレイしていることは確実であるので、これにはやや不備がある。」とKotakuの記事と同じ視点で疑問を呈している。
◆気になる学力とゲームプレイ時間との相関関係は?
 北海道教育委員会のホームページでは、この取り組みの狙いを「ゲームをしないで、『家族の団らん』を大切に『体験活動』や『読書活動』に親しみ、学校、家庭、地域における望ましいネット利用に向けたルールづくりの促進を図るものです。」としている。特に学力向上に関しては言及していない。そんな中、海外では次のような報道もあった。  
 英デイリー・テレグラフ紙(電子版)では、この取り組み、またNHKの報道 に関して、ネットを長時間する子どもの成績とあまりネットをしない子どもの成績を比較したデータを取り上げている。同紙では教育委員会からのコメントを取り上げ、趣旨を紹介しているが、調査ではネットサーフィンやゲームのプレイ時間とテスト結果に明白な関係があるとされているとし、学力とゲームプレイ時間との相関関係に言及していく。 去年の日本の文部科学省の研究では、中学生のなかで、1日に4時間以上ネットを使うことを許された生徒は、数学のテストで平均68点を獲得し、対して1時間以下の生徒は平均79.5点を獲得したと伝えている。
◆コメント欄も盛り上がる
 『Kotaku』 のコメント欄やレディットにも多くの意見が寄せられている。3500以上もリツイートされた、日本語でのツイートにも注目が集まっている。このツイートの内容は、とある親子の会話で「禁止しても馬鹿は馬鹿だよね」、「決めた奴、馬鹿じゃないの?」という子供の言葉に「正論なんだが、小6に言われるとなんかムカツク。」と親が感想を持つ、というものだ。翻訳されたものに対し、「賢い子供だ」、「はは。最後が特に好き。翻訳、ポストありがとう」、「良い説明」などの反応が寄せられている。
 また、「ノーゲームデー」ではなく「ソーシャルデー」、「ハングアウトデー(遊びの日)」にすればいい、という提案や、「悪い考えだとは思わないな。公園に行ってただニンテンドー3DSのゲームで遊んでいる子どもを見るし」といった取り組みに対する賛成の声も見られた。
 今回の教育委員会の取り組みの狙いは、ゲームから離れる日を作ることによって、家族の団らんや望ましいネット利用を生み出すことだ。海外メディアではゲームを禁止することそのものに注目が集まっており、この狙いが十分に伝わっていないことがやや伺える状況であったが、禁止だけでは何も改善しないのでは、という「ゲーム禁止」に疑問を呈するスタンスのコメントが目立っている。ゲームから離れる日を作ることがより豊かな子どもの生活につながるか。 今回の取り組みの結果で明確になることも多そうだ。取り組みの成果に注目したい。
※本文中「北海道教育委員会は、子供たちの学力テストのスコアに低下が見られた結果、この取り組みを開始した」としておりましたが、同教育委員会のHPには「ノーゲームデー」の目的についてそのような記載はないため、内容を修正しております。また「ノーゲームデー」の目的について加筆を行っております。(2/9)http://blogos.com/article/105213/

意図を実現させようとしても、賢明な有り様とは言えず、行き過ぎでは?
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
(これは、最近、夢中になっているゼロ除算の発想から湧いた、逆思考である。要するに遠い将来から、人生や世界をみたら、考えたら、どのようになるかという視点である。)
主張が明確に湧いたので、結論、趣旨から述べたい。人は我々の目標や希望が未来にあり、そのためにその目標に向かって、努力、精進などと志向しているは 多いのではないだろうか。そのような意味で、我々の関心が、先に、先に有るように感じるのではないだろうか。これは自然な心情であろうが、別の視点も考えたい。成長や発展、変化には適切な有り様が有って、早ければ良い、急いで進めれば良いとはならないということである。現在は、未来のためにあるのではなく、現在、現状はそれ自体尊いという視点である。先、先ではなく、 いま、いまが大事であるという視点である。生物の成長には固有のリズム、
成長のペースがあるということである。我々は、生物としての枠、構成されている状況によって制限があり、適切な有り様が存在する:
再生核研究所声明85(2012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること
理想的な有り様には 自然な終末もあり、大局的にみれば、大きな流れにおける調和こそ
大事ではないだろうか。次の声明
再生核研究所声明144(3013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
の題名も真実だろうが、そこで述べた、
そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、慌てず、 自分の心の状態を尊重する ということである。人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
は真実としても、活動を進める情念も結局、自己のペースが大事であって、あまり外の影響を強く受けるべきではないと言う、視点が大事ではないだろうか。
言いたいことは、個人の心持ちもそうであるが、経済活動、社会活動、科学の進歩も、全体的な流れにおける調和が大事であるということである。例えば
磁気浮上式電車の開通の是非は 妥当であろうか。
原子力発電所の開発促進は適切であろうか。
グローバリゼーションは 急ぎ過ぎではないだろうか。
成果主義は行き過ぎではないだろうか。
経済の成長、発展 優先も大いに気になる。
などと難しい問題に対する広く、深い、総合的な評価の検討も要請したい。 次の声明も参照:
再生核研究所声明117(2013.5.10): 時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題。
以 上

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