2015年2月24日火曜日

電卓(でんたく)

電卓(でんたく)
2015年02月24日(火)
テーマ:数学
電卓(でんたく)は、計算機の一種で電子(式)卓上計算機(でんししきたくじょうけいさんき)の略である。JISの用語では、1979年(昭和54年)にJIS B0117で「電卓」が使われるようになった。名前の通り、電子回路によって計算を行い、卓上で使用できる(ないし、より小さい)サイズである。
英語版Wikipediaの記事名はCalculatorとなっているが、日本語の「電卓」に相当するものを指す語としては、単にcalculatorとするより、electronic calculator(電子-)やpocket calculator(ポケット-)[1]のほうが近い(後者には、ポケットサイズでない「卓上」に相当するものは含まれないが)。
目次 [非表示]
1 概要・種類
1.1 普通電卓
1.2 事務用電卓
1.3 テンキー電卓
1.4 関数電卓
1.5 プログラム電卓
1.6 グラフ電卓
1.7 学習用電卓
1.8 計算ドリル内蔵電卓
2 構成
2.1 形状
2.2 操作部
2.2.1 記号
2.2.2 操作方法
2.3 表示部
2.4 電源
3 歴史
3.1 電卓の歴史における重要なトピック
3.2 電卓以前
3.3 電卓の登場 - 1960年代前半
3.4 ICの採用、LSIの採用 - 1960年代後半
3.5 価格破壊の進行 - 1970年代前半
3.6 高付加価値化 - 1970年代後半
3.7 現代 - 1990年代以降
4 関連項目
4.1 機種関係
4.2 操作
4.3 人物
4.4 その他
4.5 一覧
5 脚注
6 外部リンク
概要・種類[編集]
名前のとおり机の上で使うのに適した大きさの小型計算機である。カード型のものが現れたり、また「電卓」という名前のソフトウェアがパソコンや携帯電話に搭載されるなどしたりして、現在では必ずしも「卓上」ではなくなっている。消費税の導入後には消費税の計算を簡単にワンタッチでできる機能なども付加されるようになった。普段は慣用的に「電卓」と呼ばれる。
普通電卓[編集]
四則演算や百分率の計算ができる電卓。一般に使われている電卓の多くはこれである。8桁以上の計算ができる機種が多い。ルートキーのある機種とない機種に分かれる。また税抜キーや税込キーがあるものもある。たとえば日本(消費税率:8%)の電卓の場合、数字を入力して税抜キーを押すと1.08で割った値が表示される。同じように税込キーを押すと1.08を掛けた値が表示される。将来の消費税率の変更に備え、税率設定が変更できるようになっているものが多い。時間計算(60進法の計算)や商売計算(原価、売価、利益率のうち2つから残る1つの値を求める)ができるものもある。大きさは手帳程度が一般的だが、中にはキーリングつきで数センチのものもある。
事務用電卓[編集]
大量の事務計算を素早く正確に行うことを目的とした電卓。表示桁数は10桁から12桁程度のものが多い。数字入力の効率化のため「00」「000」キーがあったり、「+」キーが大型であったり、その他のキーや表示も大きくなっている。伝票計算などで確認がしやすいように、1度目の計算の際に入力値を保存しておき、2度目の計算の時に保持している値と入力中の値に食い違いがないかを比較してくれる機種もある。普通電卓と同じく時間計算や商売計算に対応したもの、入力した値や計算結果を紙に印字するプリンターを内蔵したものもある。
また、事務用電卓独特の操作方法として加算器方式を採用しているものがある。加算器方式の電卓では[=]キーの代わりに[+=]、[-=]キーがあり、加算の場合は[+=]キーを加数の後に入力し、減算の場合は[-=]キーを減数の後に入力する。3-2+6を計算するとき、通常の電卓では3[-]2[+]6[=]と入力するが、加算器方式の電卓では3[+=]2[-=]6[+=]と入力する。乗算、除算の場合は通常の電卓と同じく[×]、[÷]キーを乗数または除数の前に入力し、[=]キーの代わりに[+=]キーを入力する。7×8÷2を加算器方式の電卓で計算する場合は、7[×]8[÷]2[+=]と入力する。
テンキー電卓[編集]
外見は通常の電卓とほとんど変わらないが、USBケーブルでPCに繋げることでテンキーとしても使用できる。また、電卓モードとテンキーモードを切り替えながら使うことで、計算結果をPCへ送信することも可能。なお、テンキー電卓には普通ルートキーは存在しない。この分野では多様な商品が発売されている。ポケットに入るような小型なもの、通常のテンキーのサイズのもの、卓上型電卓くらい大きいもの。さらには、付加機能として、ワイヤレスで接続できるタイプや、トラックボール機能を搭載し電卓、テンキー、マウスの1台3役の機能を持つものなどがある。
関数電卓[編集]
詳細は「関数電卓」を参照
関数電卓の例 カシオFX-85WA
関数電卓は三角関数、対数など、主に科学・工学系の技術分野で必要な計算機能のある電卓[2]。関数電卓の登場によって計算尺が駆逐され、またたいていの計算では数表を繰る必要もなくなった。数学関数以外にも統計計算や2進計算、60進計算、分数計算などの機能を持つものが多い。通常の電卓と違い、数値が指数部を持っており、括弧の処理ができ、加減算より乗除算を優先する。表示桁以上の精度で計算し結果が丸められて表示されるため、機種によっては 1÷3×3 のように計算途中で誤差が発生する計算が表示上正しく表示される。簡易プログラム機能を有するものや、紙に書くような数式で表示されるものや、グラフ表示が可能なものもある。
プログラム電卓[編集]
詳細は「プログラム電卓」を参照
関数電卓のプログラム機能をさらに発展させた電卓。複雑な定型計算を複数記憶することができる。プログラム電卓からさらにコンピュータ寄りに進化したものが、ポケットコンピュータである。
グラフ電卓[編集]
関数電卓やプログラム電卓に数式処理やグラフ処理能力を加えたのがグラフ電卓である。関数電卓を電卓として更に進化させたものといえよう。関数電卓・プログラム電卓の基本機能に加え、数式処理やグラフ描写などを行う事ができる(グラフ描写しか行えない機種も存在する)。数式処理システムにより因数分解や微積分などの数式を直接計算することが可能であり(他の電卓は数値的にしか処理できない。グラフ電卓では数値的にも解析的にも取り扱える)、プログラム機能では数式処理に用いる組み込み関数を用いて高度なプログラムを簡単に組むことが出来る。入力もGUIから入力できるので初心者でも比較的簡単に扱え、CUI風の入力でも計算できるのでコマンドを暗記した上級者は更に簡単に扱えるわけである。しかも任意の精度で計算することが可能である(計算精度を設定可能)。このため科学技術分野などの高度な数学的計算を行うことに優れている。日本ではほとんど開発されておらず、おもにアメリカのテキサス・インスツルメンツなどが開発している。数式処理システムも参照のこと。
学習用電卓[編集]
小学校の算数の授業で用いることを目的に、他の電卓では関数電卓などにしか見られない有理数の機能などを持っており、余りのある除算や分数の加減乗除、約分や仮分数と帯分数の相互変換などを行うことができる。
計算ドリル内蔵電卓[編集]
一般の電卓は計算式を入力すれば自動で答えが計算されるが、計算ドリル内蔵電卓では計算ドリルモードにすると自動で計算式が表示され、暗算によって計算し、答えを電卓に入力しなければならない。携帯ゲームの一種とも言える。いわゆる百ます計算に対応している機種、脳年齢が測定できる機種なども存在する。
構成[編集]
形状[編集]
電卓は長方形の形状をしていることが多く、縦長が基本だが、事務用の一部や折りたたみタイプ・カードタイプのものには横長のものも存在する。表示部に傾きが付いていることが多く、傾き角度を変えることができるものもある。
電卓はサイズの違いによりそれぞれ名称が付いているが、メーカーによって名称が異なる。
デスクタイプ・デスクトップタイプ - 概ね縦210mm、横150mm以上。
セミデスクトップタイプ - 概ね縦200mm、横135mm程度。
ジャストタイプ・ナイスサイズ - 概ね縦180mm、横110mm程度。
ミニジャストタイプ・ミニナイスサイズ - 概ね縦145mm、横105mm程度。
手帳タイプ・ハンディタイプ・ミニミニナイスサイズ - 概ね縦120mm、横70mm程度。このサイズから「00」キーはなくなり、また「+」キーも他のキーと同じ大きさになる事が多い。
折りたたみ手帳タイプ - 概ね縦110mm、横90mm程度(開いたときの大きさ)。
カードタイプ - 概ね縦90mm、横60mm程度。
極端に小さいものでは縦50mm程度で小判型のキーホルダーとなっている製品もある。
操作部[編集]
ごく初期には数字の桁毎に10個の数字キーを備えたものもあったが、現在ではすべてテンキー形式となっている。
キー配列はセミデスクトップタイプ以上では横に6列、ジャストタイプ以下では横に5列が標準で、縦はどの大きさでも6段か5段が標準である。
また、同じメーカーのものであれば、電卓のキー配列が大きく変わることは少ない。これは、キー配列が大きく変わるとユーザーが再度キー配列を覚えなおさなければならないことを考慮したためである。
記号[編集]
単純な加減乗除以外の機能を実行するためのキーが備えられている。
M+ (Memory Plus): メモリ上の値に表示中の値を足して、メモリに記憶させておく。
M- (Memory Minus): メモリ上の値から表示中の値を引いて、メモリに記憶させておく。
GT (Grand Total): 総計。今まで出した合計の総合計が計算ができる。
AC (All Clear): オールクリアの略で、メモリ以外の全て(一部電卓ではメモリも)を消す。
C (Clear): 「AC」と違い計算又は数だけを消す。CE(クリア・エントリ [Clear Entry])となっているものもあり、その場合はオールクリアが「C」になっている。
MC (Memory Clear): メモリクリアの略。メモリの記憶を全部消す。
MR (Memory Recall): 現在のメモリの値を呼び出す(M+とM-で入れた数の合計)。
このような電卓の記号は電卓検定ではよく用いられている。
操作方法[編集]
電卓の操作方法は、四則演算については各メーカーとも共通だが、定数計算や百分率計算についてはカシオとシャープ、キヤノン、シチズン、HPなどのカシオ以外のメーカーや入力方式で大きく異なる。以下に操作方法の違いを挙げる。
カシオ シャープなど HP(逆ポーランド記法)
定数計算
2+3=5
6+3=9 3[+][+]
2[=]
6[=] K 3.
K 5.
K 9. 2[+]3[=]
6[=] 5.
9. 3[Enter][Enter][Enter]
2[+]
[CLx]
6[+]
5.
0.
9.
百分率計算
500の5%増しを求める 500[×]5[%][+] 525. 500[+]5[%] 525. 500[Enter]5[%][+] 525.
カシオの場合、定数計算は加数、減数、乗数、除数のうちいずれかを先に入力し、それに対応する[+]、[-]、[×]、[÷]のうちのキーを続けて2回押すと定数計算モードになり、Kの文字が表示される。シャープなどの場合、通常通りに入力し、[=]キーを押すと自動で定数計算モードになり、加数(減数、被乗数、除数)が定数となる。
HPの場合、定数計算モードは存在しないが、Tスタックを定数の保持に利用することにより、加数、減数、乗数、除数を再設定することなく、そのまま加算/減算/乗算/除算が可能である。なお、定数による減算/除算を行う場合は、[x⇔y]でXレジスタとYレジスタを入れ替えればよい。
表示部[編集]
古くはニキシー管から蛍光表示管やLEDとなり、現在では液晶ディスプレイ表示のものがほとんどとなっている。7セグメント方式のものが多いが、ドットマトリクス表示の製品もある。
電源[編集]
初期の電卓は商用電源であったが、数字表示がニキシー管から蛍光表示管や LED となり回路の集積回路化が進むことによって消費電力が減り、乾電池での動作が可能となった。その後、CMOS 型集積回路と液晶ディスプレイ表示の採用により劇的に消費電力を抑えることに成功し、本体の小型化に合わせて使用する電池も単3型から単4型、ボタン型電池へと小型化された。さらには太陽電池の採用により、電池交換不要のものが多くを占めるようになっている。一部の太陽電池方式電卓にはボタン電池を内蔵したものがあり、低照度時の利用・次回使用時までのデータ保持を可能にしている。プリンター内蔵タイプでは乾電池やAC電源が必要となる。
歴史[編集]
Gnome-globe.svg この節はその主題が日本に置かれた記述になっており、世界的観点からの説明がされていない可能性があります。ノートでの議論と記事の発展への協力をお願いします。(2008年1月)
電卓の歴史における重要なトピック[編集]
電卓の歴史の中で重要な点に、以下がある。
電卓の発展がトランジスタからIC、ICからLSIへと至る半導体の発展の歴史と歩調を合わせる形で進行した。
特に、従来のメインフレームやミニコンピュータの主流がTTLやECLであったのに対し、後にパーソナルコンピュータで多用されるようになるMOS ICの需要を先導した。
同時に1960年代後半から1970年代前半にかけて、電卓戦争と呼ばれる激しい価格破壊と技術革新による競争。
従来は、軍事・宇宙産業の需要や高価なコンピュータ向けの需要が中心であったICに膨大な民需をもたらし、半導体産業を一段と発展させるとともに、日本の半導体技術の向上にも影響を与えた。
電卓戦争の過程で、世界初のマイクロプロセッサであるインテル 4004が誕生した。
液晶や太陽電池が本格的に商業的に実用化された(シャープ)。
電卓の発展がその後の電子辞書や携帯情報端末 (PDA) に代表される携帯情報機器へとつながった。
低価格化が進みコモディティ化により、100円ショップ等でも販売されるようになった。
1960年代に登場した電卓は重量が20-30kgもある大型のものもあったが、その後、演算を行う素子を当初の真空管からトランジスタを経て集積回路へと世代交代させ、また表示装置も蛍光管やニキシー管から液晶パネルに置き換えることで急速にコンパクト化していった。1970年代前半には重量1kg程度で電池駆動も可能な電卓が現れ、1980年代になると太陽電池で駆動可能なカードサイズ大の超小型・超薄型の電卓も現れる。この時期はちょうど半導体産業が発展していく時期とも重なっている。
また、部品を小型化・高集積化することはコストを下げる効果もある。初期には軍事用など特殊な用途にしか使えなかったものも、次第に企業の業務用にも使えるものになり、さらには一家に一台、個人に一個という具合に身近に利用することのできる道具となった。この循環は、コンピュータや現在のパソコンにも見られる大きな要素である。
当初は個別の電卓製品毎に専用の集積回路を設計、製造していたが、日本計算器販売(のちのビジコン)がプログラマブルな電卓の開発を企図し、その過程でインテルがはじめて製作したマイクロプロセッサである4004が生み出された。その後、同社のプロセッサはパーソナルコンピュータのCPUとして世界に大きな影響を与えることになった。4004を用いた電卓はCPU、読み書き可能メモリ、プログラムを格納するROM、入力部であるキー、出力部である表示装置(およびプリンター)からなり、その構成はコンピュータそのものである。マイクロプロセッサを用いた電卓は、電卓に特化した専用のハードウェアを用いるのではなく、ハードウェアは汎用のものを利用し、プログラム(ソフトウェア)によって計算機の機能を実現している点で従来の電卓とは異なる。1971年に電卓市場に価格破壊をもたらしたTIのTMS-0105は、同様の構成をチップに集積したもので、マイクロコントローラの初期のものである。
この意味では、電卓はそれまでコンピュータに縁のなかった人々が初めて身近に手にしたコンピュータ製品であるという側面も持っている。
電卓以前[編集]
カシオ リレー式計算機 14-A(国立科学博物館の展示)
電卓以前の計算機械の歴史などについては計算機の歴史や機械式計算機の記事を参照のこと。ここではそれらであまり触れられていない点について述べる。
19世紀に機械式のキャッシュレジスターが発明され、店頭の代金の勘定のような簡単な処理が機械で行われるようになった。のちに電動化され、高級モデルは電動となる。
今日の電卓のような、ポケットに入る計算機器には、クルタのような特別に小型の機械式計算機の他に、計算尺やen:Addiatorのような器具があった。
電卓と同程度のスペックの機械としては、電子式以前にリレー式のものがあった。日本では、カシオ計算機がまず機械電磁式の計算機を開発するが商品化には至らず[3]、その後1957年に完成させた14-Aが最初に商品化されたリレー式の計算機である。これは机程度の大きさであった。リレー式の計算機はその後、タイプライタと連動し伝票を打ち出す「作表計算機」TUC、計算手順を自動実行できるAL-1など、電卓登場以前の一時代を築いた[3]。
大井電気はパラメトロンを使った計算機[4](筐体の1辺が500mm程)を作っており、1963年夏に試作完成させている。
電卓の登場 - 1960年代前半[編集]
キヤノンcanola161 福山自動車時計博物館所蔵 2005年8月撮影
シャープMICRO COMPET 福山自動車時計博物館所蔵 2005年8月撮影
1960年代に登場した電卓は、重量が15kgから20kg以上、消費電力も50Wから100Wを超える大型の卓上計算機だった。また、当時の物価からすると電卓はまだ高価なもので、1964年頃の製品は車1台分の値段だった。電卓は、1970年頃までは主に企業向けに販売された。1970年頃から激化した電卓戦争により価格が急激に下落し、個人でも手にすることのできる製品となった。
1963年 - 世界初の電卓 Anita Mark8(en)/英 Bell Punch and Sumlock-Comptometer(en)
Mark8は真空管式の電卓。日本のメーカー数社はこれを輸入し分解・研究した。他にブラウン管表示のFriden EC-130がありそちらはトランジスタ。
1964年 - 日本の電卓元年。以下、特記あるものを除き、どれも(表示管などを除き)オールトランジスタである。
シャープ(早川電機)がCS-10Aを3月に発表、1964年6月に発売した。価格は535,000円で、これは当時の普通乗用車1台分ぐらいである(当時はどの会社も総務部長決裁の上限額が50万円で、その目標は達成できなかったが、定価535,000円なら一割引で50万を切るからOKという次第[5])。テンキー式ではなく各桁毎に1~9の数字が並ぶフルキー方式だった。また、まだ試作品であったがソニーが MD-5 を新聞発表したのはCS-10Aのそれと同日であった[3]。なお、ソニーが「Sobax」として市場投入したのは1967年であった。(こういったものは、各社とも「完成」「公開」「発売」等のそれぞれで自社が早かったものをとりあげて「世界初」を謳うのが専らなので、注意が必要である)
同年5月のビジネスシヨウではキヤノンと大井電気(これは前述のパラメトロン式)も展示している。
キヤノンには社内にレンズの光学計算という需要があった。前年に試作機を完成し、展示会で好評のため商品化に踏み切り、64年秋からCanola 130を販売した。同機はテンキー方式を採用し、現在に近い操作性をもっているのが大きな特徴である。
前述の大井電気のパラメトロン式計算機は1964年4月から販売された。高価格(80万円)で消費電力が大きい(300W)という問題もあり、3号モデルまで改良されたが撤退した。[3]
1965年 - カシオも電卓に参入、カシオ001型を9月に発売、380,000円。同社のリレー式計算機と同様の定数機能を持っており、電卓では初。カシオは「究極のリレー式」と言えるようなモデルの開発を進めていたが、同年5月に代理店を集めて発表した際の代理店担当者の失望を見て、急遽試作中の電子計算機を見せ[6]、切り替えを決断。3箇月で電子式を完成させ製品化した。
1966年7月 - 日本計算器販売(1970年ビジコンに社名変更)、Busicom 161発売。記憶にトランジスタを直接使うのではなく、コアメモリを採用することで298,000円の価格設定に成功。価格の安さで大ヒット商品となり、たちまち電卓市場の10%のシェアを確保するが、三菱電機のダイオードの供給によって制限がかかり、それ以上シェアが伸びなかった[5]。
電卓市場に価格破壊の第1波をもたらす。ビジコンは電卓の風雲児として名をはせることになった。その後も洗練されたポータブルなポケット電卓を登場させたり、4004の開発にも関わるなど、異彩を放った。
ICの採用、LSIの採用 - 1960年代後半[編集]
この頃は、名称もまだ一定していなかった。「電卓」という語については日本国語大辞典が1970年の用例を収録している[7]が、その一方で1970年代前半の製品でも「電子計算尺」「電子ソロバン」といった名称のものがあった[8]。
1966年 - IC を一部採用した電卓が現れる。
電卓の価格引下げと小型化には従来のトランジスタとダイオードを用いた製品では限界があり、ここで IC が注目されることになった。IC を採用することで、部品点数を減らし、コストを低減することが可能になった。このようにICやLSIに多くの機能を集積し、高機能化と小型化・低価格を進めていく考え方は、現在のパーソナルコンピュータでも生きている重要な考え方である。
1967年 - アメリカのテキサス・インスツルメンツが携帯型電卓Cal-Techを開発。
ICを使用し、重量1.28kgと従来の電卓に比べて小型化した。このときは商品化されず試作にとどまったが、1970年10月にCal-Techをベースに改良したものがキヤノンから製品化された (Pocketronic)。
価格破壊の進行 - 1970年代前半[編集]
価格の下落とともに、電卓は企業で使用される業務用計算機から個人が所有する身近なツールへとすそ野を広げていった。また、この過程で世界初とされるマイクロプロセッサのひとつで、インテルのCPUのルーツである4004、マイクロコントローラの先祖とされるTIのTMS1000、フェアチャイルドPPS25などが誕生している。
1969年 - シャープが世界初のLSI電卓「QT-8D」を開発。
LSI4個、IC2個、幅135mm、奥行247mm、厚さ72mm、1.4kgで構成された(電池駆動はできない)。価格も99,800円と10万円を切ったことで、当時、爆発的なヒット商品になった。同時期はアメリカでアポロ宇宙船が人類初の月面着陸を実現した頃で、アポロ宇宙船に搭載された機器の集積回路に採用されたMOSをQT-8Dも使用したので、「アポロが生んだ電子技術」というキャッチフレーズがついた。このLSIの製造はロックウェル・インターナショナルが担当した。
1971年1月 - ビジコン ワンチップポケット電卓「BUSICOM LE-120A」発売。
単3電池による電池駆動、64mm×22mm×123mm、重量わずか300g(電池を含む)、洗練されたデザインをもつポケットサイズ電卓。89,800円。パーソナル電卓の時代の到来を予感させる製品。愛称「てのひらこんぴゅうたぁ」、小林亜星をテレビコマーシャルに起用、これが彼の初テレビコマーシャル出演。
1971年 - 電卓戦争が激化、価格破壊の波が押し寄せる。
米テキサス・インスツルメンツ (TI) のLSI「TMS-0105」を採用した電卓が登場した。TMS-0105は、4ビットMPUとメモリであるRAMやプログラムを格納するROMをワンチップ化した製品であるTMS1000シリーズに電卓用のプログラムを搭載したもので、マイクロコントローラの祖先にあたる。キー入力処理から演算、表示制御までを1つのLSIでこなせる製品だった。このため、ちょっとした製造技術があれば、キーと表示装置と電源をつけることで簡単に自作の電卓が作ることができるようになった。ちょうど、自作パソコンを作るのと似たような感覚である。このLSIの登場で、電卓の組み立てと販売だけを手がけるメーカーが乱立し、電卓の価格は一気に半減し、電卓市場の価格破壊が進んだ。当時、立石電機(現在のオムロン)が5万円を下回る電卓を発売し「オムロンショック」と呼ばれた、という記述も見られる。
1971年10月 - ビジコン 141-PF発売。
世界初のマイクロプロセッサ・インテル4004の開発のきっかけとなった電卓。電卓も用途によってさまざまな仕様の要求があり、細かい仕様ごとにそれぞれ専用のLSIを製作していたのでは開発の労力やコストも大きなものになる。そこで、汎用のマイクロプロセッサを用い、計算プログラムで計算機の機能を実現させ、プログラムを入れ替えることで細かな要求に対応しようとする考え方が生まれた。この過程で4004が誕生する。
HP-35 (1972)
1972年 - ヒューレット・パッカード HP-35。
ポケット関数電卓。この年カシオも同社初の関数電卓FX-1を発売(ポケットサイズではないが)。関数電卓により、機械式計算機に続き計算尺も置き換えられてゆくことになる。
1972年8月 - カシオ カシオミニ、12,800円。
低価格でパーソナル向けで大ヒットした。電卓の価格破壊とパーソナル化を象徴する製品。発売から1年5ヶ月ほどの間に200万台販売し、電卓は個人でも手軽に手にすることのできる時代となった。この後も、電卓の価格破壊は進み、1975年には5,000円を下回るようになった。この間に価格下落に伴うメーカーの撤退や倒産が相次ぎ、市場淘汰が進んだ結果、シャープ、カシオなど主だったメーカーに集約された。
高付加価値化 - 1970年代後半[編集]
価格下落が一段落してくると、価格競争とは別に使い勝手をよくする高付加価値化の方向でさまざまな試みが行われ、実用化されていった。液晶の採用、超小型化・薄型化(カードサイズ電卓)、太陽電池の採用、高機能化(電子辞書、電子手帳、後には携帯情報端末 (PDA)へと発展した)などがある。
1971年 - ビジコンが世界初の液晶表示を採用したLC-120を1月に発表。しかし液晶の安定化に手間取り、製品化されることはなかった。
1972年 - ビジコンがLE-120Gを発売。ハードウェアはLE-120Aと同等仕様だが、筐体に純金メッキを施した装飾品として販売された。このころから装飾としての付加価値をビジコンは模索していたらしく、同年三越デパート向けにLE-120Tという円形の装飾電卓を「はんさむこんぴゅうたぁ」という愛称で発売している。
1973年 - シャープで、鷲塚諫を中心とするグループが、液晶を表示装置に使った本格的な電卓、EL-805「エルシーメイト」を開発、商品化。
この頃には、電卓は重量わずか 200g と、初期の20kg-30kg もある電卓や1970年頃の1kgぐらいのポータブル電卓の時代から比べても一段と小型軽量化した。また、低消費電力化が進んだことで電池でも長時間の駆動ができるようになっていった。
1974年 - プログラム可能な電卓 HP-65。
1976年 - 太陽電池を搭載した電卓が現れる。
シャープ EL-8026。こちらは、充電式のボタン電池と併用するタイプの電卓。その後、太陽電池だけで駆動可能な電卓も現れた。
1976年 - 米テキサス・インスツルメンツ (TI) TI-30 25$
世界で最も多く販売された電卓と紹介されている。電圧 9V で駆動する関数電卓。→ TI-30(Wikipedia英語版)
超小型、薄型の電卓の登場。
1978年 - カシオ 名刺サイズ電卓「カシオミニカード」(LC-78) 発売。厚さ3.9mm、
1979年 - シャープ EL-8152。36g、厚さ 1.6mm。
1985年には厚さ0.8mm、重さ11gの電卓も出ている。すでに実用上の限界の域に到達した。
1980年 - カシオ MG-880「デジタルインベーダー」で「ゲーム電卓」のジャンルを新たに築く。当時の電子ゲーム流行の波に乗り、大手電卓メーカーから多数のゲーム電卓がリリースされた。
高機能化
1980年代には辞書機能やカロリー計算機能を搭載する電卓も現れた。その後、電話番号と名前が英数カナで登録できるデータバンク機能を搭載するカード型電卓が登場し、それが発展して電子手帳へ、さらにはパソコン用ソフトのアイディアも取り込みながら1990年代には携帯情報端末 (PDA) へと発展した。それとは別に電子辞書が、画面の大型化・収録コンテンツの多様化などで独自の発展を築いていった。
現代 - 1990年代以降[編集]
完全にコモディティ化する。
コンピュータのソフトウェアに「電卓」が現れる。小物アプリケーションとして、GUI環境のデスクトップという「卓上」で使われる。またそれにより携帯情報端末など持ち運べるコンピュータが電卓代わりになる。
携帯電話端末にも電卓機能を備えるようになった。
オフィス等において表計算ソフト等を使う機会が増え補助的に使われることが多くなりマウス、テンキー機能を搭載したものが発売されるようになった。
低価格化が進み日本メーカーでは海外生産品がほとんどとなり、100円ショップなどでもソーラー電池搭載モデルが販売されるようになった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%8D%93

再生核研究所声明202(2015.2.2)ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
ゼロ除算の発見、経過、解説などについては、結構な文献に記録されてきた:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9)ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。
ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説が地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。
以 上
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
  • \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上

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