2015年2月16日月曜日

数学の歴史2万年+αを250のマイルストーンでまとめてみた

数学の歴史2万年+αを250のマイルストーンでまとめてみた
数の道具箱
数学の営みは、我々が想像する以上に古く長い。
先史時代の遺物にも、計数の概念や天体観測に基づいた測時法があったことを示すものが発見される。

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今回は、可能な限り(というかやり過ぎなくらいに)遡り、専門研究から数学遊戯、ポピュラー文化まで渉猟し、数学の歴史を画するマイルストーン(画期的出来事)を見つけ出そうとするクリフォード・ピックオーバーのThe Math Bookが取り上げる項目を手掛かりに、人類(すらも踏み越えているのだが)の営む数学の歴史を振り返ってみる。

The Math Book: From Pythagoras to the 57th Dimension, 250 Milestones in the History of Mathematics The Math Book: From Pythagoras to the 57th Dimension, 250 Milestones in the History of Mathematics
(2009/09)
Clifford A. Pickover
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c. 150 Million B.C.
経路積分する蟻
Ant Odometer
サハラサバクアリCataglyphis fortisは、経路積分によって巣からの位置を把握する。回り道をしながら食べ物に辿り着いても最短距離で巣へ戻る。風のために砂丘の高さが変わっても、登りのために増えた分を差し引いて、巣までの水平距離を間違うことがない。

c. 30 Million B.C.
数える猿
Primates Count
サル目(霊長目)のサルは数の感覚をもっており、ヒト上科(類人猿)のサルは6まで数えることができる。

c. 1 Million B.C.
素数セミ
Cicada-Generated Prime Numbers
17年または13年で成虫になセミ。周期が素数であるため、同時発生する頻度が低く抑えられる。

c. 100,000 B.C.
結び目
Knots
結び目は人工物の端緒である。異なる素材を結え付けて武器やシェルターをつくったり、繊維を結び合わせて布を織り上げたり、そしてやがて数や出来事を記録したり(キープの項目を見よ)。

c. 18,000 B.C.
イシャンゴの骨
Ishango Bone
アフリカ・コンゴで発見された後期旧石器時代の骨角器。骨につけられてた刻み目の数が素数や掛け算を示している。

c. 3000 B.C.
キープ
Quipu
出来事や数値の記録のために用いた結び目による記録法。インカ帝国のものが有名だが、結び目のある繊維の断片が古代アンデス文明のカラル遺跡から発見され、これまで想定されていたよりもずっと古い起源をもつ可能性が出てきた。

c. 3000 B.C.
さいころ
Dice
最も長く使われる乱数発生装置。最古のものは、2004年に発掘されたイラン東部のShahr-e Sūkhté (ペルシャ語: شهر سوخته‎、焼かれた都市の意)遺跡で発見されたもの。

c. 2200 B.C.
魔方陣
Magic Squares
縦・横のどの列を合計しても、同じ数になるように、違った数を四角に並べた図形。ピックオーバーは、中国古代の伝説的な帝である禹が治水事業をしたとき,洛水から現れた亀の背にあらわれた洛書数を魔方陣の最古のものとしている。とてもナイーブ。

c. 1800 B.C.
プリンプトン322
Plimpton 322
バビロニア数学について記された粘土板の最も有名なものの1つ。バビロニアの60進法で記された4列15行にわたって記された数表であり、かつてはピタゴラスの定理を満たす数や三角関数が記されていると言われていたが、近年、逆数の組、平方完成、正則な共通因数での除算などの計算練習であるとの見解が出されている。

c. 1650 B.C.
リンド・パピルス
Rhind Papyrus
パピルスに記された古代エジプトの数学文書。モスクワ・パピルスと共に古代エジプト数学パピルスの好例として知られる。パンや大麦の分配や面積・容積を求める問題などが書かれる。

c.1300 B.C.
三目並べ
Tic Tac Toe
3×3の格子を交互に埋め、縦・横・斜めのいずれか1列に自分のマークを並べると勝ち。古代エジプトの時代から知られ、このゲームをすることはファラオの重要な日課だった。先手・後手ともに最善を尽くすと必ず引き分けとなることが証明される。

c. 600 B.C.
ピタゴラスの定理
Pythagorean Theorem and Triangles
直角三角形の斜辺の平方は他の二辺の平方の和に等しいという定理。実はピタゴラス以前から知られており、インドのバウダーヤナ・シャラウタ・スートラは紀元前8世紀頃のものと言われる。

548 B.C.
囲碁
Go
2人のプレイヤーが、碁石と呼ばれる白黒の石を、通常19×19の格子が描かれた碁盤と呼ばれる板へ交互に配置するゲーム。ゲーム中の考えうる局面数はオセロが10の60乗、チェスが10の120乗、将棋が10の220乗であるとされるのに対し、囲碁は10の360乗程度である。囲碁についての最古の記述は『春秋左氏伝』に見られる。

c. 530 B.C.
ピタゴラス教団
Pythagoras Founds Mathematical Brotherhood
哲学者のピタゴラスによって創設されたとされる同志団体・宗教結社。数学の研究を中心に据えた、おそらくは最初の団体。

c.440 B.C.
ゼノンのパラドックス
Zeno's Paradoxes
古代ギリシアの哲学者エレア派のゼノンの考えたパラドックス。「速いアキレスは遅い亀に追いつけない」など。結論はいかにも非現実的であるにもかかわらず、結論を導く論証過程自体は正しそうに見えることから、多くの哲学者がこのパラドクスを破ることに挑戦した。のちの級数(無限級数)や極限の概念につながる萌芽でもある。

c. 440 B.C.
ヒポクラテスの月形求積法
Quadrature of the Lune
厳密に証明された最初の曲線図形の求積(積分)。キオスのヒポクラテス(医者のヒポクラテスとは別人)は円積問題(定規とコンパスで与えられた円と同じ面積の正方形をつくる。1882年に実現不可能だと証明)を解く前段として、月形(二つの円弧で囲まれた領域)の求積を行った。この人はエウクレイデス(ユークリッド)の原論の元になった著作の作者と伝えられる。

c. 350 B.C.
プラトンの立体
Platonic Solids
すべての面が同一の正多角形で構成されてあり、かつすべての頂点において接する面の数が等しい凸多面体のこと。正多面体regular polyhedronともいう。は正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五種類しか存在しない。

c. 350 B.C.
アリストテレスのオルガノン
Aristotle's Organon
古代ギリシアの哲学者アリストテレスの論理学関係の著作群の総称。『カテゴリー論』『命題論』『分析論前書』『分析論後書』『トピカ』『詭弁論駁論』の6巻から成る。命題を構成するものは何か、命題をどう結合するか、学問の構成の出発点を公理と前提、定義とすることなど、その後の西洋の知識・学問に大きな影響を与えた。

c. 320 B.C.
アリストテレスの輪のパラドックス
Aristotle's Wheel Paradox
アリストテレスに擬された『機械学』(アリストテレス全集に入っているが、現在は異なる著者によるものとされる)の中にあるパラドクス。中心が同じ大小2つの円を固定して平面上を一回転させると、大小の円は円周の長さが異なるのにも関わらず、平行な直線の上を同じ長さだけ移動する。ここから大小の円の円周は等しい事になり、したがってすべての円の周の長さは等しいことになる。

300 B.C.
エウクレイデス(ユークリッド)の原論
Euclid's Elements
紀元前3世紀ごろにエジプトのアレクサンドリアで活躍した数学者エウクレイデス(英語式には Euclid(ユークリッド))によって編纂された数学書。定義・公準・公理を最初に置き、それらとすでに証明された命題だけを前提に定理とその証明を積み上げていく構成は以来数学書の典型とされた。

c. 250 B.C.
アルキメデスの砂の計算、牛の問題、ストマッキオン(小筥)
Archimedes: Sand, Cattle & Stomachion
アルキメデスは紀元前3世紀に活動した、古典古代最大の数学者・科学者。現代の積分法と同じ手法で無限小を利用した取尽法で円周率の近似値、放物線の面積、回転面の体積を求めているが、他にも多くの数学の問題を提示し、自ら取り組んだ。
砂の計算
 アルキメデスは宇宙空間を埋め尽くす砂粒の数を試算している。 牛の問題
 アルキメデスは太陽神ヘーリオスが持つ牛の群れが果たして何頭なのか、ディオファントス方程式の整数解を求める問題として提示した。この問題は現在ならx^2-4729494y^2=1という式で表せられるが、この式を満たす最小の整数は206,545桁もある。
アルキメデスの小筥
 正方形に組み立てられる14個のピースを研究し、何通りの組み合わせがあるかを考えていた。



c. 250 B.C.
円周率
π
どのような円をとっても,円周の長さの直径に対する比は一定である。この比の値を円周率といい,周を意味するギリシア語 perimetros の頭文字をとって π で表す。。π の近似値としては3が古くから用いられ,古代エジプトでは(4/3)4も用いられていた。250 B.C. 頃アルキメデスはは円周と直径の比と、円の面積と半径の平方の比が同じであることを証明し、さらに円に外接、内接するそれぞれの正 3×2n 角形の辺の長さについて漸化式を求め、これを計算することにより223/71 < π < 22/7となることを理論的に導いた。

c. 240 B.C.
エラトステネスの篩
Sieve of Eratosthenes
古代ギリシアの科学者、エラトステネスが考案した、指定された整数以下の全ての素数を発見するための単純な手続。世界最古のアルゴリズムであるとも言われる。

c. 240 B.C.
アルキメデスの半正多面体
Archimedean Semi-Regular Polyhedra
半正多面体(semi-regular polyhedron) は、アルキメデスの立体 (Archimedean solid) とも呼ばれ、凸な一様多面体のうち、正多面体以外のものである。また、対称性が低い (Dihedral) 角柱・反角柱・ミラーの立体も除く。全部で13種類ある。

225 B.C.
アルキメデスの螺旋
Archimedes' Spiral
アルキメデスが考案したといわれる揚水装置。「アルキメデスのポンプ」ともいわれる。構造は細長い円筒の中に、ねじ状に深い溝を刻み込んだ軸をぴったりはめ込んだもの。場所をとらないことから、近世初めのスペイン、ポルトガルその他の鉱山で盛んに使われた。日本へも中国を介して1637年(寛永14)に佐渡金山に導入され、竜尾車、水上輪などとよばれ、その後農業用に普及した。

c.180 B. C.
ディオクレスのシッソイド
Cissoid of Diocles
線分 OA を直径とする円 C および、点 A における円 C の接線 L を考える。点 O を通る直線と C, L との交点をそれぞれ K, N とし、OQ = KN を満たす点 Q を半直線 OK 上にとる。直線を動かしたときの点 Q の軌跡がシッソイドである。特に、C を円とし、O を C 上にとり、C′ を O の反対側における C の接線とした場合が冒頭に定義されたものであり、古代ギリシアの幾何学者にちなんで、ディオクレスのシッソイド (Cissoid of Diocles) とも呼ばれる。

c. 150
プトレマイオスの「アルマゲスト」
Ptolemy's Almagest
2世紀頃活躍したギリシアの天文学者プトレマイオス,が著した天文学書。彼以前の天文学をまとめ、自身の観測と合わせて、地球中心の宇宙体系と,離心円,周転円の組合せで諸惑星の運動を説明する精密な天動説理論を完成させた。

250
ディオファントスの「算術」
Diophantus's Arithmetica
図形幾何学が優勢な古代ギリシア数学において稀有な代数学書。マイナス、未知数、相等しい、累乗を表す記号を導入し、ら三次までの定方程式と不定方程式の問題と解を論じ、記号代数の域に達している。最終定理を含めてフェルマーが余白に書き込みをしたのは、この書のラテン語訳である。

c.340
パップスの定理
Pappus's Hexagon Theorem
3点A,B,C が直線 l に含まれ,3点 A',B',C' が直線 l' に含まれているとき,B と C' を含む直線および B' と C を含む直線の両方に含まれる点をP,C と A' を含む直線および C' と A を含む直線の両方に含まれる点を Q,A と B' を含む直線および A' と B を含む直線の両方に含まれる点を R とすれば,点 P,Q,R は共通の1直線に含まれることをいう定理。中線定理とも言われる。三角形OABにおいて点Mは辺ABの中点とすると、OA^2+OB^2=2(OM^2+Am^2)が成り立つことと同値である。4世紀の前半に活躍したアレキサンドリアのパップスにちなむ。

c.350
バクシャーリー写本
Bakhshali Manuscript
1881年、北西インドのバクシャーリで発見された写本で、当初は紀元3,4世紀のものだと考えられ、最古の負の数の使用を示すものと見なされた。その後8~9世紀のものと見直され、さらにその時代より後に書かれた証拠が発見されている。

415
ヒュパティアの死
The Death of Hypatia
ヒュパティアは、史上名の知られている最初の女流科学者。数学者アレクサンドリアのテオンの娘で,とくに哲学,数学,天文学,医学に通じていた。父を助けてプトレマイオス《アルマゲスト》の注釈の改訂版を完成し,ディオファントスやアポロニオスの注釈を書いたと言われている。彼女はアレクサンドリアの新プラトン学派の学校で教えたが,キリスト教の狂信者の一団により虐殺された。この死によって、多くの学者たちがアレクサンドリアを離れ、古代の学問の中心地であったアレクサンドリアの凋落し、古代ギリシア数学の伝統は断絶した。

c.650
零の発見
Zero
バビロニアとマヤ文明では、位取り記数法で空位を示す記号としての 0 が使われていた。バビロニアを含むメソポタミア文明は六十進法、マヤは二十進法を用いており、それぞれで位が 0 であることを示す独自の記号が発明された。しかし 0 そのものを数として扱ってはいなかった。一方、古代エジプト文明では 0 の存在を知っていたが発達せず、それを表す記号もなかった。0 を四則演算などで扱うと矛盾が生ずるので、無理数同様、受け入れられなかった。その後、インドで数としての 0 の概念が確立された。ブラーマグプタは、628年に著した『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』において、0 と他の整数との加減乗除を論じ、0 / 0 を 0 と定義した以外はすべて現代と同じ定義をしている。これが世界に広まっていったと考えられる。

c.800
アルクィンの「青年達を鍛える問題集」
Alcuin's Propositiones ad Acuendos Juvenes
アルクィンは、カール大帝に請われてその宮廷に仕え、教会と教育の改革に尽力した神学者。彼の算術問題集は、以後何百年に渡ってヨーロッパで使用された。

830
アル・フワリズミの計算の書
Al-Khwarizmi's Algebra
「al-jabr約分とalmuqabalah消約の演算について簡約化された本」。題名のはじめのal-jabrは「バラバラのものを再結合する」という意味の jabara を語根とする語で、「移項する」を原義とし、ヨーロッパで代数学Algebraの語源となった。

834
ボロメオの輪
Borromean Rings
二つの輪では結びつかず三つ目の輪が加わって初めて結び合わされる不思議な輪。イタリア・ルネッサンス時代有名なボロメオ家の紋章として用いられていたのでボロメオの輪と呼ばれた。この三つの輪は分けることは出来ないがどの二つをとってみても連結していない。

850
マハーヴィーラの「ガニタ・サーラ・サングラハ」
Ganita Sara Samgraha
題名は「計算・真髄・集成」の意味。インド数学の集大成であり、代数については、零に関する演算、除法、平方、平方根、立方、立方根、それから級数の総和などを扱う。幾何については四辺形の面積、直角三角形の辺の関係、円周率、球の体積の公式を与える。中国の数学を知っていたらしく、「九章算術」にある円弧の公式などを含む。

c.850
サービトの友愛数の公式
Thabit Formula for Amicable Numbers
友愛数(ゆうあいすう)とは、異なる2つの自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が、互いに他方と等しくなるような数をいう。ピタゴラス学派の時代にはすでに知られていたが、850年頃にアラビアの数学者・天文学者サービト・イブン=クッラ によって友愛数を求める事が出来る可能性のある関係式が導き出されていた。サービト・イブン・クッラサービトは母語のシリア語の他にギリシア語にも堪能であり、アポロニオスやアルキメデス、エウクレイデス(ユークリッド)、プトレマイオスの著書を訳し、古代ギリシア数学・科学をイスラムにもたらすのに活躍した。

c.953
アル・ウクリーディシーの小数
Kitab al-Fusul fi al-Hisab al-Hindi (The Arithmetic of Al-Uqlidisi)
アル・ウクリーディシー(ユークリッド派との意味をもつ呼称)が知られるまで、はじめて小数をつかったのはアル・カーシー(1172年)だと考えられていた。アル・ウクリーディシーは小数の概念をつかみ、また小数記号をつかった最初の人だと、彼の算術書の校訂者たちは主張する。但し、この30年アラビア数学史を刷新したロシュディー・ラーシッドは、先行者たちの勇み足を指摘し、この主張に留保をつけている。

1070
ウマル・ハイヤームの算術書
Omar Khayyam's Treatise
後世、詩人として知られるウマル・ハイヤームは、同時代的には数学者・天文学者として著名だった。彼の算術書は、三次方程式の解法や二項展開を含み、エウクレイデス(ユークリッド)の平行線公理を批判をする。後に再発見され、非ユークリッド幾何学が生まれる発端となった。

c. 1150
アル=サマウアルの「代数の驚嘆」
Al-Samawal's The Dazzling
アル=サマウアルが19歳で書き上げた数学書。0-a=-aや1^2+2^2+...+n^2=n(n + 1)(2n + 1)/6、そしてパスカルらに先んじて二項定理や数学的帰納法(アル・カーシーとともに、おそらく世界最初)の試みを含んでいる。

c. 1200
算盤
Abacus
珠を使って数を表したり計算をする方法は西洋東洋でも古くからありが、現在につながる算盤の起源となるとはっきりしない。北宋,1108年(大観2)の洪水のあとから,質屋の看板とともに木製の穴のあいた珠が見つかり、『静修先生文集』(1248‐93)に〈算盤〉の語が、また元代の『輟耕(てつこう)録』(1366)に〈擂盤珠〉〈算盤珠〉〈仏頂珠〉の語があり、さらに漢字を覚えるための絵本『魁本対相四言』(1371)には,今日の中国算盤と同じ絵が書かれていることなどから、少なくとも100年以上前にそろばんが普及していたと考えられる。

1202
フィボナッチの「算盤の書」
Fibonacci's Liber Abaci
はフィボナッチによって書かれた算術に関する歴史的な本。この作品においてフィボナッチはアラビア数学をヨーロッパに紹介した。商人や学者に説くことにより、新しい数学がこれまでの数学より優れたものであるということを人々に確信させた。算術だけでなく、ではユークリッド幾何学の証明や、連立一次方程式そしてディオファントス方程式についての研究についても述べられている。これらの知識はフィボナッチが父親のグリエルモ・ボナッチオと共に北アフリカに住んでいた時、アラブ人と学んだ。

1256
将棋盤問題
Wheat on a Chessboard
古代のインドのセーラムという王の家来、セッサ・イブン・ダヘルがチャトランガ(将棋やチェスの原型となったとされるゲーム)を発明した時、王はこれを喜び、望むだけの褒美を取らせる、と言った。この時の彼の希望は、「盤の最初の升目に一粒の小麦を置き、二升目には二粒、三升目には四粒と増やしていって、最後の升目の分だけを頂きたい」というものであった。この数は、2の63乗であるが、実際の小麦として計算すると、世界の小麦生産高の2500年分を越えるという。

c. 1350
調和級数の発散
Harmonic Series Diverges
等差級数の各項の逆数を項とする級数1+1/2+1/3+……を調和級数 harmonic series という。調和級数が発散することの最初の証明は14世紀のニコル・オレームによるものだが、これには誤りがあった。後に正しい証明がなされるのは17世紀、ピエトロ・モンゴリ、ヨハン・ベルヌーイ、ヤコブ・ベルヌーイらによってである。

c. 1427
余弦定理
Law of Cosines
平面上の三角法において三角形の辺の長さと内角の余弦の間に成り立つ関係を与える定理。ユークリッド原論にも余弦定理と本質的に同じ命題が示されているが、1427年頃、アル・カーシーが精密な三角関数表を作成し、余弦定理を三角測量に使いやすい形にした。このためフランスでは余弦定理の事を アル・カーシーの定理(Theore_ me d'Al-Kashi) と呼ぶ。

1478
トレヴィーゾ算術書
Treviso Arithmetic
西洋で最も初期に印刷された数学書として知られる(現在知られる最初に出版された数学の本は1472年のゲオルク・プールバッハの『惑星の新理論』)。独習用として、またヴェネツィア貿易への利用を目的とした実用的な本として利用された。

c. 1500
円周率の級数公式
Discovery of Series Formula for π
円周率は古来に円に外接、内接する多角形の辺の長さから計算されてきたが、インドのマーダヴァが無限級数1-1/3+1/5-1/7+1/9-……=π/4を発見した。これは後にヨーロッパでも再発見され、ライプニッツの公式と呼ばれることになる。

1509
黄金比
Golden Ratio
黄金比にあたるものは古代ギリシアより知られていたが、線分を分割するやり方に過ぎず(線分AB上にAB/AC=AC/CBとなる点Cは一つしかなく、このときのAB/AC=AC/CBの値が(1+√5)/2=1:1.6180339887……で黄金比にあたる)、美学や芸術と結びついたものではなかった。レオナルド・ダ・ヴィンチの友人だったルカ・パシオリは1509年、黄金比を含む「神の比率(Divina Proportione)」を出版した。「黄金比」という言葉は1835年に1835年刊行のドイツの数学者マルティン・オーム(オームの法則で有名なゲオルク・ジーモン・オームの弟)の著書『初等純粋数学』に登場する。1859年にピラミッドの構造を決めたという俗説が生まれた。長方形は縦と横との関係が黄金比になるとき安定した美感を与えるという説がが、グスタフ・フェヒナーの1867年の実験を論拠に唱えられたが、ジョージ・マルコフスキーの実験(1992)によれば、もっとも美しいと感じた長方形の縦横比は1.83だった。

1518
トリテミウスの多表式暗号
Polygraphiae Libri Sex
Johannes Trithemius(ヨハネス・トリテミウス、1462 - 1516)が著した『POLYGRAPHIE - libri sex』は、交換された最初の暗号学書。1518年(初版)、1550年(第2版) 多表式暗号(polyalphabetic cipher)を再発明している。

1537
航程線
Loxodrome
航程線は、地球面の各子午線に同一角度で交わる線。Mercátor tràckともいう。 船が航海する場合,出発地から到着地まで羅針盤上で一定の方位を保って航海するときのコースとなる線である。2点を結ぶ航程線は、2点間の最短線ではなく、また極の方に寄っている。このため地球を航程線に沿って航海すると,渦巻線となってやがて両極に収束する。ポルトガルの数学者ペドロ・ヌネシュはこのことに気づいた最初の人間である。Loxodromeの呼び名は、その後オランダの数学者W.スネル(光の屈折の法則、スネルの法則で有名。三角測量を用いた嚆矢)の『バタビアのエラトステネス』 Eratosthenes Batavus (1617)に 由来する。

1545
カルダーノの「大いなる術」
Cardano's Ars Magna
内に弟子の L.フェラリが発見した4次方程式の解法を含む。

1556
「簡潔な概要」
Sumario Compendioso
新大陸で発刊された最初の数学書。メキシコ・シティで聖職者であるフアン ディエツによって出版された。

1569
メルカトル図法
Mercator Projection
地理学者ゲラルドゥス・メルカトルが発表した世界地図に使われたことから有名になった地図投影法。等角航路が直線で表される唯一の地図投影法であり、世界中の海図に標準として用いる地図投影法となっている。国際水路機構の規程で,国際間で用いる海図の地図投影法に指定されている。

1572
虚数
Imaginary Numbers
負数の平方根。二乗して負になる数。1572年にラファエル・ボンベリが定義。なお虚数という呼び方は、1637年デカルトの『幾何学』のなかで、「想像上の数 (フランス語: nombre imaginaire)」と呼ばれたのが語源。

1611
ケプラー予想
Kepler Conjecture
球充填問題:同じ球を最も詰め込む並べ方に関する予想。1998年に証明された。

1614
対数
Logarithms
対数の概念は、16世紀末にヨスト・ビュルギ(1588年)やジョン・ネイピア(1594年)によって考案され、便利な計算法として広まった。対数によって積の計算を、より簡単な和の計算に置き換えることができるため、対数の近似値を表にした対数表を用いることにより煩雑な数値計算の労力を減らすことができる。ネイピアは、20年かけて対数表を作成し、1614年に発表した。

1620
計算尺
Slide Rule
ネイピアが対数を発表した6年後、イギリスのガンターが対数尺を考案した。これは数の対数や三角関数sin, tanの対数などを幾何的に配置したものであり、コンパスを利用して2つの目盛の長さの加減をしていた。現在の形式の計算尺、つまり複数の尺をずらして計算をするという形の計算尺は1632年オートレッドによる。小型ですばやく近似値を求める携帯計算器として、科学技術電卓が登場する1970年代まで、科学者・技術者に常用された。

1636
フェルマーの螺旋
Fermat's Spiral
極座標でr=±a√θ(r^2=a^2θ)で表される曲線。原点で滑らかに繋がる2本のらせんからなる。

1637
フェルマーの最終定理
Fermat's Last Theorem
3以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理。フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らくその証明も反例も知られなかったことからフェルマー予想とも称されたが、1993-94年アンドリュー・ワイルズによって完全に証明された。

1637
デカルトの「幾何学」
Descartes' La Géométrie
1637年に葉発表された『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』のうち、幾何学についての論考を指す。座標により図形を扱う方法を示し、後の解析幾何学の発展の基礎が築くとともに、アルファベットで未知数、既知数ともに表し、また文字の左側の数字で係数を、右肩の数でべき数を表す表記法を示し、記号代数への道を確かなものにした。

1637
カージオイド
Cardioid
極座標rθについての方程式r=a(1+cosθ)で表される曲線。心臓形ともいう。カージオイドは、一つの円の外部にあってこの円と半径の等しい円が、この円に接しながら滑ることなく転がるとき、この転円上の定点の軌跡として描かれる。

1638
対数螺旋
Logarithmic Spiral
等角螺旋(、equiangular spiral)、ベルヌーイの螺旋ともいい、「螺旋」の部分は螺線、渦巻線(うずまきせん)、匝線(そうせん)などとも書く。自然界のさまざまなところで観察される。例えば、軟体動物の殻、牛や羊の角、象の牙など、硬化する部位で、本体の成長に伴って次第に大きい部分を追加することで成長するような生物の器官において、対数螺旋が観察される。またハヤブサは獲物に近付くとき対数螺旋を描いて飛行するが、これは獲物を一定の角度で視認するためと考えられる。

1639
射影幾何学
Projective Geometry
フランスの数学者,建築技師デザルクは透視画法 (遠近法) の純粋幾何学的研究を企て,今日の射影幾何学の基礎をつくった。。デザルグの数学的業績のほとんどは,その主著『平面と円錐との出合いから生ずる出来事をとらえるための研究計画草案』 (1639) のなかに見出される。とくにデザルグの射影の方法は、パスカルに大きな影響を与えたが、それが真に評価されたのは、およそ 200年後のことである。

1641
トリチェリのトランペット
Torricelli's Trumpet
エヴァンジェリスタ・トリチェリが示した、y=1/xのグラフをx≧1の範囲についてx軸に沿って回転させてできるトランペット状の立体。この立体は、体積Vは有限(πになる)であるが、その表面積Sは無限となることを、微積分以前の無限小解析を使って示した。

1654
パスカルの三角形
Pascal's Triangle
二項展開における係数を三角形状に並べたもの。

1657
ニールの半立方放物線の長さ
The Length of Neile's Semicubical Parabola
直交座標でy=±a x^(3/2)で表される曲線を、指数3/2にちなんで半立法放物線(semi-cubical parabola)という。ウィリアム・ニールが弧の長さを計算する際に発見した。

1659
ヴィヴィアーニの定理
Viviani's Theorem
「正三角形内部の点から3辺に下ろした垂線の長さの和は一定である」という定理。

c. 1665
微積分の発見
Discovery of Calculus
17世紀半ば、ニュートン、ライプニッツの微分積分法の発見は独立になされたが、2人のうちどちらの発見が早かったのか、あるいは、どちらかは他の発見に負うているのではないかということをめぐって、イギリスと大陸の間で海を挟んで論争が起こった。

1669
ニュートン法
Newton's Method
方程式(系)を数値計算によって解くための反復法の一種。。解として試しに与えた初期値の周辺でのテイラー展開を元にして,初期値からより解に近い値を、逐次的に得ていく。対象とする方程式系に対する条件は、領域における微分可能性と2次微分に関する符号だけであり、非線形方程式にも用いることができ、また収束の速さも比較的速いことから、長く使用された。

1673
等時曲線問題
Tautochrone Problem
垂直な平面内に点 P,Q が与えられていて,質点 p が重力によって P から Q まである曲線に沿って運動するとき,その所要時間を最短にするためにはどのような曲線に沿って動けばよいかという問題。変分法の端緒となった。

1674
アステロイド
Astroid 158
平面曲線の一つ。xy座標についての方程式x^(2/3)+y^(2/3)=a^(2/3)で表される曲線。星芒形(せいぼうけい)ともいう。

1696
ロピタルの「無限小解析」
L'Hôpital's Analysis of the lnfinite Small(L'Analyse des Infiniment Petits pour l'Intelligence des Lignes Courbes)
ヨーロッパで最初の微分積分学のテキスト。ライプニッツ流の記号法を採用し、その後の微分積分学で、この記号法の優勢を決定づけた。 ド・ロピタルは序文にこう記す。「この計算法(微積分法)の適用範囲は広大なものである。力学的な曲線にも幾何学的な曲線にも適用される。根号も何の困難も起こさず、しばしば便利でさえある。望むだけの数の変数にも拡張される。あらゆる種類の無限小量の比較も容易である。その上、接曲線や接線、最大最小問題、曲線の変曲点や尖点、反射や屈折の焦点などなどに関する驚くべき発見を無数に生み出す。そのことを本書で見ていくことにしよう」。

1702
地球を巻くロープの問題
Rope around the Earth Puzzle
「地球の円周よりも1メートル 長いロープを地球の周りに巻くとすると、そのロープと地上との間にできる隙間はどれくらいになるか?」という、ニュートンを継いでルーカス教授職に就いた数学者ウィリアム・ホイストンが出した問題。

1713
大数の法則
Law of Large Numbers
ある事象 A の起る確率 p が,毎回の試行で一定値を示す場合,独立試行の回数 n を十分大きくすると,事象 A の起る回数 r と n との比,すなわち n 回の独立試行で A が起きた相対度数 r/n は,確率 p に近づいていくという法則。経験上の確率と理論上の確率が一致することを示す点で重要である。最初にJ.ベルヌーイによって定式化され、その死後 1713年に発表された。

1727
オイラー数
Euler's Number, e
オイラーの名前を冠した数はいろいろあるが、ここでは、自然対数の底に用いられる数のこと。た。オイラーは1727年からこの数を表すのに e という記号を使い始めた。

1730
スターリングの公式
Stirling's Formula
自然数 n が大きいときの n の階乗 n! の近似値を与える公式。

1733
正規分布
Normal Distribution Curve
統計的方法で最もよく用いられる連続型の確率分布。アブラーム・ド・モアブルによって1733年に最初に導入された。

1735
オイラー・マスケローニ定数
Euler-Mascheroni Constant
オイラーのγ (Euler's gamma) とも呼ばれる定数。

1736
ケーニヒスベルクの橋問題
Königsberg Bridge Problem
オイラーによって出された、グラフ理論の発端となった、一筆書きの問題。「ケーニヒスベルクの中央に流れる川に架かっている7つの橋を2度通らずに、全て渡って、元の所に帰ってくることができるか。ただし、どこから出発してもよい。」一筆書き可能な場合の必要十分条件を求め、この一筆書きが不可能なことを証明した。

1738
サンクトペテルブルクのパラドックス
St. Petersburg Paradox
サンクトペテルブルクに住んでいたダニエル・ベルヌーイが提示した次のような問題。偏りのないコインを表が出るまで投げ続け、表がでたときに、賞金をもらえるゲームがあるとする。もらえる賞金は1回目に表がでたら1円、1回目は裏で2回目に表がでれば倍の2円、2回目まで裏で3回目が表ならまたその倍の4円というふうに倍々で増える。このゲームには参加費が必要であるとしたら、参加費の金額が何円までなら払っても損ではないと言えるだろうか。 多くの場合、この種の問題では賞金の期待値を算出して、賭け金がそれ以下であれば良いとする。ところが、この問題で実際に賞金の期待値を計算してみると、その数値は無限大に発散してしまう。。したがって、期待値によって判断するならば、賭け金がいくら大金であっても参加すべきであるということになる。ところが実際には、このゲームでは 1/2 の確率で1円、1/4 の確率で2円、1/1024 の確率で512円の賞金が得られるに過ぎない(賞金が512円以下にとどまる確率が1023/1024)。したがって、そんなに得であるはずがないことは直観的に分かる。ゆえにこれはパラドックスとされる。

1742
ゴールドバッハの予測
Goldbach Conjecture
「4より大きい偶数が二つの奇素数の和で表せる」という予測。著名な未解決問題のひとつ。

1748
アーネシの曲線(魔女)
Agnesi's lnstituzioni Analitiche
直交座標の方程式 x^2 y=4a^2 (2a-y) によって表される曲線。18世紀イタリアの数学者マリア・ガエターナ・アニェージ(アーネシ)が研究したことからこの名がついた。「魔女」というのはイタリア語のVersiera「縄」を誤訳したもので意味はない。なおアニェージは、ヨーロッパで大学教授となった史上2人目の女性。

1751
オイラーの多面体定理
Euler's Formula for Polyhedra
表面がいくつかの多角形の面からなっている立体を多面体という。とくに,多面体の面を含む平面がこの面以外では多面体と交わらないようなものを凸多面体という。一つの多面体において,その頂点の個数を α0,辺の個数を α1,面の個数を α2とするとき,α0-α1+α2をその多面体のオイラー標数(種数)という。凸多面体ではオイラー標数はつねに2になることを示すのがこの定理。オイラーの多面体定理より正多面体はたかだか5種類しか存在しないことが容易に示される。    

1751
オイラーの多角形分割問題
Euler's Polygon Division Problem
1751年初秋に、オイラーは文通仲間であったゴールドバッハに「与えられた多角形を対角線により三角形に分割する仕方は何通りあるのか」という手紙を書いた。この問題は、与えられた凸多角形(便宜上n+2角形とする)を互いに交わらないn-1本の対角線によって、n個の三角形に分割する仕方は何通りあるかということである。オイラーの手紙に記載された問題に挑戦して、カタラン数と一致することを導いたのはセグナーである。さらに、この問題と括弧の付け方の問題の関連を見抜き、1838年に問題を完全に解決したのがフランスの数学者であるカタランである。

1759
ナイト・ツアー
Knight's Tours
チェスボード上のナイトを移動させ64マスすべてを一回ずつ通過させるにはどう動かせばいいかというパズル。「騎士の巡歴(じゅんれき)」「けいま拾い」ともいう。

1761
ベイズの定理
Bayes' Theorem
排反的な原因事象E1,…,Enの生起する確率(事前確率)と,各原因Eiから特定結果Eの生ずる確率が分っている場合に,結果Eの起きたことを知ったうえで各原因Eiの生起確率の修正値(事後確率)を与える定理。

1769
フランクリンの魔方陣
Franklin Magic Square
8X8の魔法陣。縦横の各々の行、列の和は260。フランクリンは20X20の魔法陣も完成させている。

1774
極小曲面
Minimal Surface
与えられた境界条件に対し面積を極小・最小にするような曲面である。カテノイド(懸垂面)やヘリコイド(常螺旋面)がその例。

1777
ビュフォンの針
Buffon's Needle
実験で円周率を求める方法。モンテカルロ法の先駆。

1779
36人の将校の問題
Thirty-Six Officers Problem
六つの連隊に所属する6階級の将校計36人を、縦横6人の正方形に整列させるとき、どの列にも同じ連隊、同じ階級の将校が重ならないように並べられることは可能か、というパズル。オイラーが挑んだ。

c. 1789
「神壁算法」
Sangaku Geometry
公刊された最初の算額集。藤田貞資が編集。

1795
最小二乗法
Least Squares
測定で得られた数値の組を、適当なモデルから想定される1次関数、対数曲線など特定の関数を用いて近似するときに、想定する関数が測定値に対してよい近似となるように、残差の二乗和を最小とするような係数を決定する方法。ガウスが天体の運動理論を展開するにあたって,多くの観測結果にもっともよく一致するよう軌道を決定するために考案した。

1796
正十七角形の作図
Constructing a Regular Heptadecagon
正十七角形がコンパスと定規で作図できることを、19歳のガウスが目覚めてベッドから起き上がる時に発見した。作図できる正(素数)角形は古来から知られていた正三角形と正五角形のみだと長らく考えられており、作図できる正多角形の種類が増えたのは約二千年ぶりのことだった。

1797
代数学の基本定理
Fundamental Theorem of Algebra
複素数の係数をもつ代数方程式は複素数の範囲で少なくとも 1 つの実数または複素数の根をもつことをいう定理。17世紀前半にアルベール・ジラールらによって主張され、18世紀の半ばからダランベール、オイラー、ド・フォンスネ、ラグランジュ、ラプラスらが証明を試みたが、どれも不完全なものであった。ガウスが学位論文でそれまでの証明の不備を指摘し最初の完全な証明を与えた。

1801
「ガウス整数論」
Gauss's Disquisitiones Arithmeticae
公刊されたガウス唯一の著作。24歳のとき出版されたが、17歳の時点で原稿は完成していたと言われる。ガウスの研究は数学はもとより、天文学、物理学、測地学と多分野にわたりかつきわめて多産であったが、その多くを発表しなかった。

1801
三桿分度器
Three-Armed Protractor
3点の目標から得た方位をもとに海図上へ位置を一度に作図するための分度器。角度の目盛りがついた円板の中心に、一つの固定アームと二つの可動アームがついている。

1807
フーリエ級数
Fourier Series
関数から導かれ、その関数自身に収束する三角級数。J.フーリエが熱伝導の問題を扱っているときに導入し、周期的な現象を研究するときに欠かせないもの。

1812
ラプラスの「確率論の解析理論」
Laplace's Thoriey Analytique des Probability
数学者ピエール=シモン・ラプラスによる、これまでの確率に関する数学的知見をまとめ、古典的確率論を完成させた書物。その後 100年以上にわたって,確率論の標準的テキストとなった。

1816
ルパート公の問題
Prince Rupert's Problem
立方体を、同じ大きさの穴に通すことができるか、という問題。この問題を提示し、賭けに勝ったルパート公(プリンス・ルパート・オブ・ザ・ライン)にちなんで名付けられた。ルパート公は、クロムウェルと戦った軍人であり、ハノーヴァー朝初代のイギリス王ジョージ1世の叔父であり、1660年にできた王立協会の創立メンバーとなった科学者でもあった。この問題はオランダの数学者ピーター·ニューランドによって解かれた。1辺の長さが1である立方体を通り抜けることのできる立方体の大きさは1辺3√2/4となり1より大きい。すなわち立方体を、同じ大きさ(か少し大きい)の穴に通すことができる。

1817
ベッセル関数
Bessel Functions
.ベッセルの微分方程式 z2y''+zy'+(z2-p2)y=0 の解として現れる関数。ラプラス作用素の軸方向を表わすので,応用数学において非常に重要な役割を演じる。

1822
バベッジの階差機関
Babbage Mechanical Computer
チャールズ・バベッジが王立天文学会に提出した「天文暦と数表の計算への機械の適用に関する覚え書き」という論文で示した、多項式の数表を作成するよう設計された機械式計算機。。英国政府は当初この計画に資金を提供したが、予算は膨れ上がり、機会は完成しなかった。

1823
コーシーの「無限小解析講義」
Cauchy's Le Calcul infinitésimal
それまで厳密な基礎付けを持たなかった微分積分に対して、極限と連続性の明確な概念に基づいて,論理的に厳密な方法で再構成した書物。以後の解析学の基本的スタイルを決定付けた。 19世紀から 20世紀へと続く厳密な数学の端緒ともなった。

1827
メビウスの「重心算法」
Barycentric Calculus
メビウスの輪(帯)で知られる、ドイツの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスの主著。1827年に出されたが、1843年に至って偶然師のガウスの目に留まるまでは注目されることがなかった。『重心算法』では重心の考えによって点の「斉次座標」を導入し、一つの平面(一般に空間)から他の平面へのアフィン変換、射影変換を考え、射影幾何学の基礎づけの先駆をなした。

1829
非ユークリッド幾何学
Non-Euclidean Geometry
ユークリッドの平行線公理,「Pを通って l と交わらない直線は1本,そしてただ1本だけ引ける」とのかわり、「Pを通って l と交わらない直線は無数に引ける」(ロバチェフスキーとボヤイ)、また「Pを通って l と交わらない直線は1本も引けない」(リーマン)と仮定しても,まったく矛盾のない幾何学を展開しうることを示された。これら非ユークリッド幾何学という。

1831
メビウス関数
Möbius Function
、数論や組合せ論における重要な関数である。メビウスの輪で有名なドイツの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウス (August Ferdinand M_bius) が1831年に紹介したことから、この名が付けられた。0 を含めない自然数において、メビウス関数 μ(n) は全ての自然数 n に対して定義され、n を素因数分解した結果によって -1、0、1 のいずれかの値をとる。

1832
群論
Group Theory
、群と呼ばれる代数的構造を研究する学問である。群の概念は抽象代数学における中心的な概念で、他の代数的構造、たとえば環・体・ベクトル空間などは、演算や公理が付与された群とみなすことができる。すでにJ.ラグランジュらによる高次方程式の代数的解法に関連して置換群の概念が導入されたいたが、やがて N.アーベルや E.ガロアによる代数方程式の研究において群の概念がその中心的な役割を果すこととなり,群の重要性が認識されるようになった。

1834
鳩の巣原理
Pigeonhole Principle
n 個の物を m 個の箱に入れるとき、n > m であれば、少なくとも1個の箱には1個より多い物が中にある、という原理である。別の言い方をすれば、1つの箱に1つの物を入れるとき、m 個の箱には最大 m 個の物しか入れることができない(もう1つ物を入れたいなら、箱の1つを再利用しないといけないから)、ということである。鳩の巣原理は数え上げ問題の例の一つで、一対一対応ができない無限集合など、多くの形式的問題に適用できる。

1843
四元数
Quaternions
W.R.ハミルトンにより、複素数の一つの拡張として考えだされた数である。四元数 α は2乗して-1になる三つの数 i,j,k によって,α=a+bi+cj+dk (a,b,c,d は実数)と表される。

1844
超越数
Transcendental Numbers
代数的無理数でない無理数,すなわち有理数を係数にもつ代数方程式の根とはなりえない無理数。,円周率 π=3.14159… ,自然対数の底 e=2.71828… ,10の累乗を除く整数の常用対数,θ° ( θ は整数値) の角の三角関数の大部分などは超越数である。超越数の存在は,J.リュービルによって,1831年に初めて証明され,e が超越数であることは,73年に C.エルミートによって,π が超越数であることは,82年に F.リンデマンによって証明された。なお 74年に,G.カントルは超越数は代数的数より多く存在することを示した。

1844
カタラン予想
Catalan Conjecture
次の不定方程式x^a - y^b = 1 (x, a, y, b > 1 )を満たす自然数解の組み合わせはx = 3, a = 2, y = 2, b = 3.だけであるという予想。1844年ベルギーの数学者カタランによって提唱され、2002年にプレダ・ミハイレスクによりその完全な証明が行われた。

1850
シルベスターの行列
The Matrices of Sylvester
行列matrixの概念は、中国の魔方陣にヒントを得たジェームズ・ジョセフ・シルベスターによって、1850年の論文"On a New Class of Theorems"ではじめて示された。シルベスターは、ケンブリッジのジョンズ・カレッジ卒業後、なんどか大学で教えたが、数学教師の職がなくなり、保険会社の外交員や個人教授などで生活を支えた(この頃ナイチンゲールを教えている)。その後、法律学校に学んで弁護士の資格を取り、ロンドンで弁護士を開業。このときの同僚がアーサー・ケーリーであり、この2人の弁護士仲間の手によって線形代数は建設されることとなる。固有値や階数など線形代数の基本的概念もまたシルベスターによるといわれる。

1852
四色定理
Four-Color Theorem
いかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗るには4色あれば十分だという定理。]。1852年に法科学生のフランシス・ガスリーが数学専攻である弟のフレデリック・ガスリーに質問したのを発端に問題として定式化された。

1854
ブール代数
Boolean Algebra
論理的な命題の真偽関係を演算形式で扱うこと.命題を抽象的な要素と考えて記号化し,その結合を代数演算として表わすもの。ブール(Boole,G.)が開拓したので,その体系をブール代数(Boolean algebra)と呼ぶ。

1857
ハミルトンの世界一周ゲーム
Icosian Game
正十二面体の20個の頂点を、稜を伝って1回ずつめぐって最初の頂点に戻る経路を見つけるパズル。

1857
ハーモノグラフ
Harmonograph
19世紀ヨーロッパで流行し1890年代には人気のピークを迎えたとされる、2つの振動の調和を視覚化できる装置。2つないし3つの振り子と、ペン、紙を組み合わせた単純な装置であるが多彩で美しい図像、いわゆるリサージュ曲線を生み出す。この名は、互いに直交する二つの単振動を順序対として得られる点の軌跡が描くこの平面図形を示した1855年にフランスの物理学者ジュール・アントワーヌ・リサジューに由来する。それぞれの振動の振幅、振動数、初期位相の違いによって、多様な曲線が描かれる。振動数の比が無理数の場合は閉曲線にはならず、軌道は有限の平行四辺形領域を稠密に埋める。

1858
メビウスの輪
The Möbius Strip
細長い矩形(くけい)ABCDの短い対辺ADとBCを貼(は)り合わせる。このときAとB、CとDを貼り合わせると普通の帯(円柱)ができるが、AとC、DとBを貼り合わせてできる図形がメビウスの帯である。メビウスの帯の上を矢印のついた小円板を転がして1回転してみると、矢印の向きが逆転する。もう1回回転すれば元に戻る。よってメビウスの帯は表裏のない曲面で不可符号曲面とよばれる。

1858
ホルディッチの定理
Holditch's Theorem
平面閉曲線Cがあり、内側にp+qという長さの線分を、両端点がCに接するようにすべらし、線分の端点からp(他の端点からはq)の点の軌跡をC'とするとき、CとC'で囲まれる部分の面積はpqπとなる、という定理。

1859
リーマン予想
Riemann Hypothesis
、ドイツの数学者ベルンハルト・リーマンによって提唱された、ゼータ関数の零点の分布に関する予想。数学上の未解決問題のひとつであり、クレイ数学研究所はミレニアム懸賞問題の一つとしてリーマン予想の解決者に対して100万ドルの懸賞金を支払うことを約束している。

1868
ベルトラミの擬球
Beltrami's Pseudosphere
面においては任意の直線にその直線上にない一点を通る平行線は一本しかないが、無限に開き続ける漏斗(もしくはラッパ)のようなものに表面においては、任意の直線にその直線上にない一点を通る平行線は無限に存在する。このような面はベルトラミの擬球(面)と呼ばれ、双曲幾何学(ボヤイ・ロバチェフスキー幾何学)の成立する面(双曲平面)の一種である。

1872
ワイエルシュトラス関数
Weierstrass Function
カール・ワイエルシュトラスにより提示された、実数関数で連続関数であるにもかかわらず至るところ微分不可能な関数である。「孤立点を除くと連続関数は微分可能である」という従来の考えに対して初めて挑戦したという点で、歴史的に重要な関数である。

1872
グロスのチャイニーズリングの理論
Gros's The'orie du Baguenodier
Baguenodierはチャイニーズリングとも呼ばれるパズル(一種の知恵の輪)。

1874
コワレフスカヤの博士号
The Doctorate of Kovalevskaya
ソフィア・コワレフスカヤはロシア出身の数学者。女性が大学で公に講義を聞けなかった時代に、ワイエルシュトラスの指導を受け、偏微分方程式に関する論文によって、ゲッティンゲン大学において学位を得た。この論文に示された成果は、コーシー=コワレフスカヤの定理と呼ばれ,今日に至るも偏微分方程式論における基本定理である。

1874
15パズル
Flfteen Puzzle
4×4のボードの上で15枚の駒を、空いたマス目を利用して動かし、目的の形にするパズル。。15パズルは任意の可能な配置へ80手以内で変形できるが、80手が必要な配置は存在する。なおn×nパズルにおいて、最短手数を求める問題はNP困難である。

1874
カントールの超限数
Cantor's Transfinite Numbers
カントールは、代数的数の全体は自然数全体と一対一に対応させうる(可算集合)が、実数全体はどんな可算集合とも一対一に対応できないことを示し(いわゆるを対角線論法)、超越数の存在を示した。

1875
ルーローの四面体
Reuleaux Triangle
正四面体の各頂点を中心とし、正四面体の辺長(以下 s とする)を半径とする、4つの球の積集合。は4つの頂点、6つの辺、4つの面を持ち、正四面体と同相である。しかし、面が平面ではなく膨らんでおり、各頂点を中心とし半径 s の球面の部分集合になっている。また辺も線分ではなく、各頂点を中心とし半径 s の円弧である。そのため、多面体ではない。

1876
ハーモニック・アナライザー
Harmonic Analyzer
ジェームズ・トムソンとその弟ケルヴィン卿が発明した、回転軸と円板を使って積分を行う機械式アナログコンピュータ

1879
リッティ兄弟のキャッシュ・レジスター
Ritty Model Cash Register
商品化された世界最初のキャッシュレジスター(金銭登録機)。

1880
ベン図
Venn Diagrams
論理における推論を図形的に表すもので、オイラーの図式を修正してベンJohn Venn(1834―1923)が導入した。

1881
ベンフォードの法則
Benford's Law
自然界に出てくる多くの(全てのではない)数値の最初の桁の分布が一様ではない、ある特定のものになっているというもの。この法則によれば、最初の桁が1である確率はほぼ3分の1にも達し、大きな数値ほど最初の桁に現れる確率は小さくなり、9になると最初の桁に現れる確率は20分の1よりも小さくなる。この直感に反するような結果は、電気料金の請求書、住所の番地、株価、人口の数値、死亡率、川の長さ、物理・数学定数、冪乗則で表現されるような過程(自然界ではとても一般的なものである)など、様々な種類の数値の集合に適用できることがわかっている。

1882
クラインの壺
Klein Bottle
境界も表裏の区別も持たない(2次元)曲面の一種。円柱の上下の境界の二つの円周にある向きをつけておく。この向きが相反するように二つの円周をあわせると、輪環面(トーラス)ができる。ここで、この向きが一致するようにあわせると、円柱は自身を横切ることになり、円周で自己交差する(自身と重なる)図形ができる。しかし、この図形を四次元空間中に入れて図形の一部分を四次元方向へずらすと、この自己交差をなくすことができ、この閉曲面が、フェリックス・クラインによって発見されたクラインの壺である。

1883
ハノイの塔
Tower of Hanoi
以下のルールに従ってすべての円盤を右端の杭に移動させるパズル。(1)3本の杭と、中央に穴の開いた大きさの異なる複数の円盤から構成される。(2)最初はすべての円盤が左端の杭に小さいものが上になるように順に積み重ねられている。(3)円盤を一回に一枚ずつどれかの杭に移動させることができるが、小さな円盤の上に大きな円盤を乗せることはできない。解法に再帰的アルゴリズムが有効な問題として有名であり、プログラミングにおける再帰的呼出しの例題としてもよく用いられる。

1884
フラットランド
Flatland 280
エドウィン・アボット・アボットが書いた、二次元の平面世界を舞台にした小説。イアン・スチュアートが数学的な観点から詳注を付けた The Annotated Flatland: A Romance of Many Dimensions が2002年刊行されており、それを日本語に訳した『フラットランド 多次元の冒険』が入手可能である。

1888
正八胞体
Tesseract
8個の立方体からなる、四次元の超立方体。

1889
ペアノの公理
Peano Axioms
自然数の概念を公理的に規定するためイタリアの数学者ペアノが提案した5つの公理。これらから自然数のもつすべての性質が導出され、またどんな二つのペアノシステムも同型である(この意味で、ペアノの公理を満たすシステムは唯一つ存在する、と言える)。 なおペアノの1889年の最初の論文(「算術原理」)には、本来必要とされるよりも多くの命題が述べられていた。 1891年の「数の概念について」において現在知られる5つの公理が示された。

1890
ペアノ曲線
Peano Curve
曲線とは連続的に動く点の描く図形と考えられる。したがって,例えば平面上に直交座標系を設定すれば,その平面上の曲線とは,f および g を区間[a,b]上で定義された連続関数としたとき,a≦t≦b であるようなすべての t に対する点(f(t),g(t))のつくる図形ということができる。しかしこのように曲線を定義するとき,意外なものが曲線の仲間に入ってくることを G. ペアノは1890年に発見した。すなわち,彼は正方形のすべての点をくまなく通るような曲線の実例を与えて当時の数学界を驚かせた。このように面積をもつ図形を塗りつぶすような曲線の例はその後も多く与えられた。このような曲線を総称してペアノ曲線という。

1891
文様群
Wallpaper Groups
平面に繰り返しパターンで埋め尽くすことのできる文様のパターンは17種類に分類できることが、ロシアの幾何学者・結晶構造解析研究者フェドロフによって、群論を使って数学的に証明された。

1893
シルベスターの共線点の問題
Sylvester's Line Problem
平面上にn点があってこれらのうちのちょうど2点のみを通る直線が存在しなければ、そのn点は同一直線上にあるか、という問題。

1896
素数定理の証明
Proof of the Prime Number Theorem
自然数 x をこえない素数の個数を π(x) で表わすと,π(x) は x が大きければ x/ log x によって与えられ,求められる近似値は x が大きくなるほどより真の値に近づく,言い換えれば,π(x) は x→∞ のとき,x/ log x との比が1に近づく。これを素数定理という。これは,C.F.ガウスが少年の頃に予測してから,19世紀を通じて大きな課題になっていた。これについては,1850年代に P.チェビシェフが初めて両者の比が上下に有界なことを示したが,最終的な証明は,J.アダマールとベルギーの数学者 C.ド・ラ・バレ=プーサンによって,ほとんど同時に (1896) ,ほとんど同じ方法でなされた。

1899
ピックの定理
Pick's Theorem
等間隔に点が存在する平面上にある多角形の面積を求める公式。多角形の内部にある格子点の個数を i、辺上にある格子点の個数を b とするとこの種の多角形の面積 S はS=i+(1/2)b-1となる。

1899
モーリーの定理
Morley's Trisector Theorem
任意の三角形においてそれぞれの内角の三等分線を引く。各辺に近い線同士の交点を P, Q, R とすると、三角形PQR は正三角形になるという定理。この正三角形をモーリーの三角形という。内角の三等分線の他に外角の三等分線などでも同様に正三角形を作ることができる。

1900
ヒルベルトの23の問題
Hilbert's 23 Problems
数学者ダフィット・ヒルベルトによりまとめられた、当時未解決だった23の数学問題。1900年8月8日に、パリで開催されていた第2回国際数学者会議 (ICM) のヒルベルトの公演で、23題の内10題(問題1,2,6,7,8,13,16,19,21,22)が公表され、残りは後に出版されたヒルベルトの著作で発表された。

1900
カイ二乗分布
Chi-Square
確率分布の一種で、推計統計学で最も広く利用されるものである。ヘルメルトにより発見され、、ピアソンにより命名された。

1901
ボーイの曲面
Boy's Surface
ボーイの帽子(Boy's hat)とも呼ばれる。メビウスの輪やクラインの壺と同様、境界のない向き付け不可能な曲面の一種。なおクラインの壺とこの射影面とは種数 (簡単に言うと穴の数) が違うので、曲面として違うものである。3次元空間への射影平面のモデルとして、ワーナー・ボーイにより示された。

1901
床屋のパラドックス
Barber Paradox
「ある村でたった一人の男性の床屋は、自分で髭を剃らない人全員の髭を剃り、それ以外の人の髭は剃らない。この場合、床屋自身の髭は誰が剃るのだろうか?」という形で与えられるパラドクス。床屋が自分の髭を剃らない場合、彼は規則に従って、髭を自分で剃らなくてはいけなくなり、矛盾が生じる。また床屋が自分の髭を剃る場合も、「自分で髭を剃らない人の髭を剃る」という規則に矛盾する。このパラドックスはイギリスの論理学者バートランド・ラッセルにより考案されたラッセルのパラドックスを分かり易くしたものであり、親しみやすさからか、しばしばジョークやなぞなぞに転用される。

1901
ユングの定理
Jung's Theorem
任意のユークリッド空間における点集合の距離と、その集合を包含する最小の球の半径の関係についての定理。たとえば平面上の点集合 P について、その中のどの 2 点間の距離も 1 以下であれば、Pの点全体を半径 1/3 の閉円盤で覆うことができる。最初に研究したハインリッヒ・ユングにちなんでユングの定理と呼ばれる。

1904
ポアンカレ予想
Poincare' Conjecture
フランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である」という予想であり、ほぼ100年にわたり未解決だったが、2002年から2003年にかけてロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンによって証明された。ペレルマンは、証明したとする複数の論文をプレプリント投稿サイarXivに掲載し、これらの論文について2006年の夏ごろまで複数の数学者チームによる検証が行われた結果、証明に誤りのないことが明らかとなり、ペレルマンには、この業績によって2006年のフィールズ賞が贈られた。

1904
コッホの雪片曲線
Koch Snowflake
数学者ヘルゲ・フォン・コッホが考案した、線分を3等分し、分割した2点を頂点とする正三角形の作図を無限に繰り返すことによって得られる図形をコッホ曲線という。1回の操作で線分の長さが 4/3 倍になるので、操作を無限に繰り返して得られるコッホ曲線の長さは無限大となる。このコッホ曲線をつなぎ合わせ、始点と終点を一致させたものコッホの雪片曲線である。これは有限の面積であるにもかかわらず、無限の周囲を持つ。

1904
ツェルメロの選択公理
Zermelo's Axiom of Choice
E.ツェルメロは,G.カントルが考えた命題「任意の集合は整列集合に直すことができる」を,1904年に次のような公理を仮定して証明した。すなわち「任意の集合はすべての部分集合 (空でない) に,それぞれの代表元を同時に対応させることができる」というものである。この証明によってカントルの命題は,ツェルメロの整列可能定理と呼ばれている。これと同値な命題が多数あるが,選択公理は集合論の他の公理と独立であって,他の公理から証明することはできない。

1905
ジョルダンの曲線定理
Jordan Curve Theorem
ある点から出発して自分自身とはけっして交わらずに進み最後に出発点へと戻るジョルダン閉曲線は,平面を2つの部分に分ける。すなわち,平面内のジョルダン閉曲線 (単一閉曲線) は,平面を内および外の2つの領域に分けるという定理。直観的には自明だが,C.ジョルダンが初めて定理として述べて証明を試みたので,この名がある。

1906
チュー=モールスのシーケンス
Thue-Morse Sequence
 チュー=モールス・シーケンスは、次のような2進数の数列である。「01101001100101101001011001101001.... 」。漸化式をつかうと次のように定義される。{ t(0)=0, t(2n)=t(n),t(2n+1)=1-t(n)}。あるいは次のような置き換え規則「0→01、1→10」を繰り返し使うことで生成される。この数列は自己相似的である。タートル・グラフィックをつかって、この数列に従って{0}のとき1ステップ進む、{1}のとき60度曲がる、ようにすると、タートルはコッホの切片曲線を描く。

1909
ブラウワーの不動点定理
Brouwer Fixed-Point Theorem
ある図形Xを自分の中へ写す写像f:X→Xが与えられたとき、f(x)=xすなわちfによって自分自身に写されるようなXの点のことを、fの不動点という。Xやfが適当な条件を満足するときには、かならずfの不動点が存在することを保証してくれるのが、不動点定理である。ブラウワーの不動点定理は、線分と円板について知られていた不動点定理を一般化したもので、Xが n 次元ユークリッド空間の有界閉集合ならば,X から X 自身へのどんな連続写像も不動点をもつ、というもの。不動点定理は数学における各種の存在定理の証明に強力な方法を提供する。常微分方程式の解の存在定理や力学系における周期軌道の存在や,経済理論における均衡の存在を示すのにも応用される。

1909
正規数
Normal Number
無限小数表示において数字が一様に分布しており、数字の列が現れる頻度に偏りがないという性質を持つ実数。一般論として「ほとんど全ての」実数が正規数であることが知られているが、その証明は構成的でないため、正規数であることが判明している具体的な数は非常に限られている。例えば、2の平方根、円周率、ネイピア数はそれぞれ正規数だと信じられているが、その通りか否かは未だ謎である。

1909
メアリー・ブールの「代数の考えと楽しみ」
Boole's Philosophy and Fun of Algebra 322
ジョージ・ブールの同志にして配偶者だったメアリー・エベレスト・ブールが書いたおもしろ数学教本。メアリーは、「曲線のステッチ」など遊びこころいっぱいのアクティビティを数学教育に導入する、数学教育の改革者だった。

1910-1913
「プリンキピア・マテマティカ」
Principia Mathematica
イギリスの哲学者,数学者ホワイトヘッドとラッセルの共著による数学書。3巻,1910~13年刊。論理主義学派の基本的かつ記念碑的な書物。彼らは数学を論理学の一部門と考え,記号論理学の成果に基づき,論理的概念 (記号論理) によって数学を基礎づけることを試みた。本書の根本的な問題点は,逆理の問題であり,その解決法として還元公理,無限公理などが提出された。

1912
毛玉の定理
Hairy Ball Theorem
球の上には消えないベクトル場を定義できない、という定理。球面の各点Pでその点での接平面πPを考える。点Pから出発するこの接平面上の矢印を点Pにおける接ベクトルという。いま、球面上の各点でその接ベクトルが連続的に(すなわち、その向きと長さが連続的に変わる)描かれているとする。これを球面上の接ベクトル場という。このとき、球面の接ベクトル場の定理「球面上のどの接ベクトル場にも、その長さが0のベクトルが少なくとも一つ存在する」が成り立つ。この長さ0のベクトルが出発する点を、このベクトル場の特異点という。この定理は、球面を人間の頭とみ、接ベクトル場を髪の毛とみると、特異点はつむじに匹敵するので、「人間の頭には少なくとも一つのつむじがある」ことを述べている。

1913
無限の猿定理
Infinite Monkey Theorem
ランダムに文字列を作り続ければどんな文字列もいつかはできあがるという定理である。比喩的に「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」などと表現されるため、この名がある。

1916
ビーベルバッハ予測
Bieberbach Conjecture
単位円盤の内部(|z|<1)で,正則単葉な複素関数 f が級数 f(z) = z + a2z^2 + a3z^3 + ... + anz^n + ...で与えられ,ある n に対して |an| > 1 となっていれば,f は単位円盤の内部で 0 になる、というもの。ルイ・ド・ブランジュによって1984年に証明された。

1916
ジョンソンの定理
Johnson's Theorem
同じ大きさの3つの円が共通する1点を通過する場合,他の3つの交差点は同じ大きさの別の円上にある、という定理。きわめてシンプルな問題であるにも関わらず、20世紀になるまで(証明したロジャー・ジョンソンが指摘するまで)誰も指摘した者がいなかったことで有名なもの。

1918
ハウスドルフ次元
Hausdorff Dimension
細にわたってジグザグしている線Lの長さを,長さρの棒を順次にあてて測ると,あてる回数Nはρが小さいほど大きい.ρ↓0でN∝ρ^⁻Dのとき,DをLのハウスドルフ次元という。点は0次元,線は一次元,平面は二次元,立体は三次元というような位相的次元と異なって,非整数の次元も考えられるようにしたもの。これで計ると例えばコッホの曲線では D=1.26……という非整数の次元となる。

1919
ブルン定数
Brun's Constant
B_2と表記される、双子素数の逆数の和の極限として定義される定数。 つまりB_2=(1/3+1/5)+(1/5+1/7)+(1/7+1/11)+……。ヴィーゴ・ブルンは1919年にこの和が収束することを示した。この事実は、素数の逆数の和が発散することと好対照である。もし双子素数の逆数の和が発散するならば、双子素数が無限に存在することが容易に従うが、この値が収束することが分かった為、双子素数の個数が有限か無限かは明らかになっていない。またこの数が有理数であるか無理数であるかも分かっていない。

c. 1920
グーゴル
Googol
辞典に載っている二番目に大きな数。アメリカの数学者エドワード・カスナーの当時9歳の甥ミルトン・シロッタが造語した。1グーゴルは10の100乗であり、これは観測可能な範囲の宇宙に存在している原子の数(およそ1079から1081個と推算されている)よりも多い。インターネットの検索エンジンであるGoogleの名はこれに由来する。 なお辞典に載っている一番大きな数はグーゴルプレックス、1グーゴルプレックスは10の1グーゴル乗であり、10の10の100乗乗である。

1920
アントワーヌの首輪
Antoine's Necklace
3 次元ユークリッド空間にカントール集合の埋め込んだ図形。フランスの数学者ルイ・アントワーヌが発見した。カントール集合は、フラクタルの1種で、閉区間 [0, 1] に属する実数のうち、その三進展開のどの桁にも 1 が含まれないようなもの全体からなる集合である。

1921
ネーターのイデアル
Noether's ldealtheorie
ネーター環は、イデアルの昇鎖条件などのある種の有限性を持つ環の一種。エミー・ネーターによって提唱された。イデアルが有限生成であるということからは単項イデアル整域の一般化とも見ることができる。アマーリエ・エミー・ネーターは、20世紀初めに活躍したドイツ出身の女性数学者。レオン・レーダーマンによれば「歴史上最も偉大な数学者の一人」であり、アルバート・アインシュタインによれば「(物理学に)最も価値ある貢献をした数学者」である。

1921
ポリヤのランダムウォーク定数
Lost in Hyperspace
"数直線の上を各確率1/2で右または左に移動する過程を1次元単純ランダムウォーク、同様に平面の格子上を東(+1,0)西(-1,0)南(0,-1)北(0,+1)ランダムに各確率1/4で移動する過程を2次元単純ランダムウォーク、同様に空間の格子上を東西南北上下をランダム各確率1/6で移動する過程を3次元単純ランダムウォーク……(以下、n次元)という。 1次元と2次元の単純ランダムウォークを繰り返すと、いつかは出発点に戻ってくる可能性は1であるが、3次元では出発点に戻ってくる確率は約34%(0.3405373296...)、4次元で約19%(0.193206...)、5次元で約13.5%(0.135178...)…となる。これらの確率をポリヤのランダムウォーク定数という。"

1922
ジェオデシックドーム
Geodesic Dome
できるかぎり同じ長さの直線部材を用いて球面分割を行なったトラス構造によるドーム形式の一つ.正20面体を基本に細かく分割していくことが多い。アメリカの発明家、建築家であるバックミンスター・フラーによって1947年に考案されたものが有名だが、1922年にカール・ツァイス光学会社のワルサー・バウエルスフェルトらが世界初のプラネタリウムを作った際、そのドームにすでに用いられている。

1924
アレクサンダーの角付き球面
Alexander's Horned Sphere
トーラスを途中で切り、切断面を別のトーラスでつなぐことを繰り返してできる図形。

1924
バナッハ=タルスキーのパラドックス
Banach-Tarski Paradox
球を3次元空間内で、有限個の部分に分割し、それらを回転・平行移動操作のみを使ってうまく組み替えることで、元の球と同じ半径の球を2つ作ることができるという定理。この定理は選択公理 (axiom of choice) を用いて証明できるが、その内容が直観に反するため、パラドックスと言われる。

1925
ルジンの問題
Squaring a Rectangle
「任意の正方形を、全て異なる大きさの正方形に分割できるか」という問題。問題の提示者ルジンはこの問題の解は存在しないと予想したが、その後幾つかの例が発見された。

1925
ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス
Hilbert's Grand Hotel
客室が無限にあるホテルでは、満室の場合でも次のようにして新たな客を泊めることができる。客が1人来たら、1号室にいた客を2号室へ、2号室の客を3号室へ、3号室の客を4号室へ、…、n 号室の客を n + 1 号室へ、…と順番に移せば、客室は無限にあるのだから誰もあぶれることはない。このように無限集合を認めると、有限集合の場合と全く違った奇妙な事態が起こることを示すパラドックスで、ダフィット・ヒルベルトによって示された。

1926
メンガーのスポンジ
Menger Sponge
自己相似なフラクタル図形の一種であり、立方体に穴をあけたもの。メンガーのスポンジの面は同じくフラクタル図形のシェルピンスキーのカーペットでできている。そのフラクタル次元(ハウスドルフ次元、相似次元)は log20/log3(=2.7268....)次元。

1927
微分解析機
Differential Analyzer
ハロルド・ロック・ヘイゼンとヴァネヴァー・ブッシュがMITで製作した6個の機械式積分機を組み合わせた実用レベルの機械式アナログコンピュータ。

1928
ラムゼーの定理
Ramsey Theory
B.ラッセルは,数学を構成するためには,「無限の公理」「選出の公理」,そして「還元の公理」が必要であるとした。「還元の公理」というのは,ラッセルの導入した概念の型において,高次の型の概念を最低次の型の概念に還元しうることを要請する公理である。 F.ラムゼーは,「還元の公理」が実は不必要であることを「ラムゼーの定理」として主張した。

1931
ゲーデルの不完全性定理
Gödel's Incompleteness Theorems
数学の公理系が1つ与えられていて、その公理からは肯定も否定も証明できない数学的命題があったとき、その命題を、その公理系の決定不能命題という.ゲーデルによると、内容的解釈において真な数学的命題だけを公理とする公理系を実際に与えれば、その公理系には必ず決定不能命題が存在する.彼は、与えられた公理系から決定不能命題の1つを見出す具体的な方法を示した。

1933
チャンパーノウン定数
Champernowne's Number
0 と小数点のあとに自然数を 1 から小さい順に並べた十進小数表示をもつ実数 0.12345678910111213141516… 。単純な形で定められるにも関わらず無理数であり、超越数でもある。名前の由来のデイヴィッド・チャンパーノウンは、この数が十進正規数であることを示した経済学者。

1935
ブルバキ
Bourbaki: Secret Society
架空の数学者であり、フランスの若手の数学者集団の筆名。この事実は有名ではあったものの、裏方の数学者集団は秘密結社として活動し、ブルバキを一個人として活動させ続けた。1934年に解析学の教科書を編纂するプロジェクトが始まり、1935年にニコラ・ブルバキという人物が生み出され、のちに「1886年生、モルダヴィア出身」というプロフィールが与えられた。

1936
フィールズ賞
Fields Medal
数学上の業績に対して与えられる国際的な賞。数学のノーベル賞ともいわれ,4年ごとに開かれる国際数学者会議で,それまでの4年間に優れた業績をあげた,原則として40歳までの数学者2~4人に与えられる。ノーベル賞は功成り名遂げたその分野の権威が受賞することが多いが、フィールズ賞はいままさに活躍中の数学者が受賞している。トロント大学数学科教授であったフィールズ J. C. Fields(1863‐1932)の遺言によって,その遺産から基金が寄付されて 1936年に始められた。日本人の受賞者としては,小平邦彦,広中平祐,森重文がいる。

1936
チューリングマシン
Turing Machines
計算模型のひとつで計算機を数学的に議論するための、単純化・理想化された仮想機械。

1936
ヴォルダーベルクのタイル
Voderberg Tiling
有名な螺旋充填の例。

1937
コラッツの問題
Collatz Conjecture
任意の0でない自然数 n をとり、n が偶数の場合は、n を 2 で割り、n が奇数の場合、n に 3 をかけて 1 を足すという操作を繰り返すと、有限回で 1 に到達する、という主張である。コラッツの予想あるいは角谷の予想ともいい、数論の未解決問題のひとつである。1937年にローター・コラッツが問題を提示して以来、コラッツの問題と呼ばれるが、「3n+1問題」「Syracuse予想」などの異名もある。

1938
フォード円
Ford Circles 376
直線の同じ側に接し、外接する2つの同じ大きさの円を描く。次に円の間の隙間に両側の円のどちらとも外接する円を描く。さらに隙間に両側の円と外接する円を描く。これを繰り返してできる図形をフォード円という。

1938
フィッシャー=イエイツ・シャッフル
The Rise of Randomizing Machines
最初の擬似乱数生成アルゴリズム

1939
誕生日のパラドックス
Birthday Paradox
「何人集まればその中に同じ誕生日の人がいる確率が50%を超えるか?」という問題から生じるパラドックスである。普通に考えれば365日の半分、だいたい180人前後と考えるが、答えは23人であり、多くの人の直感を裏切るためパラドックスといわれる。

c. 1940
外接多角形
Polygon Circumscribing
円→三角形→円→四角形→円→…と円とn角形の外接を続けていった図形

1942
ヘックス
Hex
六角形が並んだ菱形状の盤を使い2人で対戦するボードゲーム。

1945
ピッグ・ゲーム
Pig Game Strategy
PigはJeopardy系ダイスゲームのなかで最もシンプルなもので、1945年ジョン・スカーニによってつくられた。2人以上何人でもできる。プレイヤーは自分の手番に、ダイス1個を何度でも振ることができる。出目の合計がその手番における得点になるが、1の目が出たら得点0で手番終了となる。数学の授業で確率の概念を教えるのに使われる。2人で行うPigでの最適戦略は、2001年トッド・ネイラーによって計算された。

1946
エニアック
ENIAC
世界最初のコンピュータと言われた

1946
フォン・ノイマンの平方採中法
Von Neumann's Middle-Square Randomizer
フォン・ノイマンの提案した擬似乱数生成アルゴリズム

1947
グレイ符号
Gray Code
デジタル回路用の数値符号。ベル研究所のフランク・グレイが1947年の特許出願した際には交番二進符号(Reflected Binary Code)と呼ばれていた。

1948
情報理論
Information Theory
1948年に C.E.シャノンが発表した論文に始る通信における情報伝達の数学的理論。

1948
クルタ計算機
Curta Calculator
手のひらに収まる手回し式の機械式計算機。1970年代に電子式計算機に取って代わられるまで、利用可能なものではもっとも携帯性に優れた計算機だった。四則演算のほか、より複雑な操作で平方根などの演算も行うことができる。クルタ計算機の設計はゴットフリート・ライプニッツの歯車式計算機の派生であり、歯車で数値を累算し、段付歯車機構で加算・補数演算を実行する。

1949
チャーサールの多面体
Császár polyhedron
ハンガリーの数学者チャーサール(Akos Csaszar)の発見した14の面を持つ環状多面体(ドーナツのように穴があいた立体)。

1950
ナッシュ均衡
Nash Equilibrium
ゲーム理論における非協力ゲームの解の一種であり、他のプレーヤーの戦略を所与とした場合、どのプレーヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせ。ゲーム理論の解の概念の中で最も基本的な概念である。

c. 1950
海岸線のパラドクス
Coastline Paradox
フラクタルの有名な例。大きな縮尺では滑らかに見える海岸線は、縮尺を上げるほど複雑に凸凹しており、厳密にはその長さを図ることができない、というパラドックス。

1950
囚人のジレンマ
Prisoner's Dilemma
ゲーム理論や経済学において、協調したほうが互いにとってよい結果をもたらすのにも関わらず、独立して行動を決定する個人の間では協調を実現することができず、お互いにとって望ましくない結果をもたらしてしまうような状況を指す。このような状況は経済現象以外でも頻繁に見られるため(値下げ競争、環境保護など)、ゲーム理論における重要な研究対象とされた。1950年、アメリカ合衆国ランド研究所のメリル・フラッド (Merrill Flood) とメルビン・ドレシャー (Melvin Dresher) が考案し、顧問のアルバート・W・タッカー (A.W.Tucker) が定式化した。

1952
セル・オートマトン
Cellular Automata
、格子状のセルと単純な規則からなる、離散的計算モデルである。計算可能性理論、数学、理論生物学などの研究で利用される。非常に単純化されたモデルであるが、生命現象、結晶の成長、乱流といった複雑な自然現象を模した、驚くほどに豊かな結果を与える。

1957
マーチン・ガードナーの数学コラム
Martin Gardner's Mathematical Recreations
この年、『サイエンティフィック・アメリカン』でマーチン・ガードナーの「数学ゲーム」 (Mathematical Games) のコラムが始まった。

1958
ギルブレース予想
Gilbreath's Conjecture
アメリカの数学者でありマジシャンであるノーマン・L・ギルブレースが提示した素数に関する未解決の予想。素数を小さいものから並べた数列をつくり、連続する値の差をとって新しい数列をつくる(但しプラスにする)ことを繰り返す。すなわち2,3,5,7,11,13……から1(=3-2),2(=5-3),2(=7-5),4(=11-7),2(=13-11),……という数列をつくり、1,2,2,4,2,……から1(=2-1),0(=2-2),2(=4-2), 2(=4-2),……という数列をつくり、ということを繰り返す。こうして次々できる数列の先頭の数字は必ず1であるというのがギルブレースの予想である。 

1958
球面の反転
Turning a Sphere Inside Out
スティーヴン・スメールは、球面を切れ目を入れたりせず裏返すことができることを(球面を裏返すような正則ホモトピーの存在を)数学的に証明した。具体的な裏返し方については7年後アーノルド・シャピロが見つけ、その後より簡単な方法がベルナール・モランらによって発見された。

1958
プラトンのビリアード
Platonic Billiards
 この問題はルイス・キャロルによって始めて提示されたものである。立体の内部でビリアードの玉が面にあたって跳ね返るところを想像しよう。摩擦や重力は無視する。すべての壁(面)で跳ね返った後、ボールが最初の場所に戻ってくることはできるだろか? 1958年、ポーランドの数学者ヒューゴ・スタインハウスによって、立方体の場合について、玉が元の位置に戻ってくる経路が存在することが証明された。1962年には正四面体でも経路の存在が証明された。しかし他のプラトン立体については長年そうした経路は見つからなかった。1997年、コンピュータを駆使したアメリカの数学者マシュー・ハドソンによって、八面体、12面体、20面体について、そうした経路が見つかった。

1959
外部ビリヤード
Outer Billiards



1960
ニューカムのパラドックス
Newcomb's Paradox
未来予測をめぐるパラドクス。次のような問題として示される。「未来がわかるという予言者があなたに2つの箱を提示する。箱Aは透明で中に100万円が入っているのが見える。箱Bは不透明で中が見えない。「(1).箱Bのみを取る」か「(2).箱Aと箱Bの両方を取る」か、いずれかの行動を選択することができる時、どちらの行動を選択するべきか? 但し、あなたが行動1を選択すると予言者が予測していた場合、箱Bの中には彼によってあらかじめ1億円が入れられている。あなたが2を選択すると予言者が予測した場合、彼は箱Bの中を空にしている。」このパラドックスとは選択肢(1)と(2)、どちらを選んでも合理的な選択肢ということができるというものである。期待効用(利益)を最大にする原理に従えば選択肢(1)が合理的であり、優越原理(ある行為が他の選択肢よりも事態が改善する可能性があり、少なくとも事態を悪化させないならばその行為を選ぶ)に従えば選択肢(2)が合理的になる。

1960
シェルピンスキー数
Sierpiński Numbers
ポーランドの数学者ヴァツワフ・シェルピンスキは、全ての n について k × 2^(n + 1) が決して素数とならない正の奇数 k が無限にあることを証明した。この数をシェルピンスキー数という。

1963
カオスとバタフライ効果
Chaos and the Butterfly Effect
バタフライ効果(バタフライこうか、butterfly effect)とは、カオス力学系において、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す。カオス理論を端的に表現した思考実験のひとつ、あるいは比喩。 大気変動モデルを研究していたマサチューセッツ工科大学の気象学者、エドワード・N・ローレンツ (Edward N. Lorenz) が、論文「決定論的非周期な流れ( Deterministic Nonperiodic Flow)」 (1963) の中で提示した。図では、この論文でローレンツが与えた p = 10、r = 28、b = 8/3 という設定での x, y, zの軌跡が示されている。決定論的な連立常微分方程式が初期値鋭敏性を持つことは驚きをもって迎えられ、カオス研究の端緒となった。なお、「バタフライ効果」という表現は、ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会でおこなった講演のタイトル『予測可能性-ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』に由来する。

1963
ウラムの螺旋
Ulam Spiral
自然数を渦巻き状に並べ、素数である部分を黒く塗りつぶすと斜め方向に連なる特徴的なパターンを含む図ができる。この図をウラムの螺旋という。

1963
連続体仮説の決定不可能性
Continuum Hypothesis Undecidability
連続体仮説(れんぞくたいかせつ、Continuum Hypothesis, CH)とは、可算濃度と連続体濃度の間には他の濃度が存在しないとする仮説。19世紀にゲオルク・カントールによって提唱された。現在の数学で用いられる標準的な枠組みのもとでは「連続体仮説は証明も反証もできない命題である」ということが、強制法と呼ばれる新しい手法を用いてポール・コーエンにより証明された。

c. 1965
スーパーエッグ
Superegg
スーパー楕円 (superellipse)は、デンマークの詩人・科学者ピート・ハインがテーブル天板や都市設計のデザインに用いて一般に知られるようになった。広場のロータリーやホットプレートなどでよく見かける。これを対称軸で回転させ立体化したものがスーパーエッグ。

1965
ファジィ論理
Fuzzy Logic
ロトフィ・ザデーが生み出したファジィ集合から派生した多値論理の一種で、真理値が0から1までの範囲の値をとり、古典論理のように「真」と「偽」という2つの値に限定されないもの。

1966
インスタント・インサニティ
Instant Insanity
各面に絵柄が描かれたキューブ数個(多くは4、5個)を1列に並べ四角柱にした時、各側面ごとに絵柄が全て異なるようにするパズル。

1967
ラングランズ・プログラム
Langlands Program
ガロワ表現のゼータと保型表現のゼータの間の双対性に関する野心的なプログラム。数学における統一理論とも呼ばれる

1967
スプラウト
Sprouts
紙に4~6個程度の点を書き、二人で互いに点を結んでいくゲム。 紙の上に図形ができあがっていく様子が植物の芽が伸びていくようなのでこう命名をされた。

1968
カタストロフィー理論
Catastrophe Theory
カタストロフィーとは周期的な秩序だった現象の中から不意に発生する無秩序な現象の総称。カタストロフィー理論 は、力学系の分岐理論の一種を扱う理論。不連続な現象を説明する、画期的な理論として注目をあび、さかんに研究、議論された。代数的および微分トポロジーの第一人者であったルネ・トムにより提唱された。

1969
トカルスキーのイルミネーション問題の解
Tokarsky's Unilluminable Room
1969年、凸集合を研究していた数学者ビクター ・ クレーは次のような問題を提示した。多角形の全面鏡張りの部屋の中の1箇所に光源をおき、直接光および反射光によって部屋を照らすとき、部屋のどこに光源をおいたとしても、部屋のなかのすべての場所が照らされるか? この問題をイルミネーション問題と呼ぶ。1995年、トカルスキーは光が届かない部分ができる24辺の多角形を示して、否定的に問題を解いた。

1970
クヌースと「マスターマインド」
Donald Knuth and Mastermind
マスターマインドは、隠されたピンの色をヒントを元に推理するゲーム。1970年代前半にイギリスのインヴィクタ社から発売。その後アメリカではハズブロ社から発売され、世界中で販売された。特定の道具を使用しなくても遊ぶことができ、その際にはピンの色の代わりに数字を当てる形式にすることが多い。ドナルド・クヌースは1977年に、5回以内にピンの色をあてることのできる戦略を考案し発表している。

1971
ポール・エルデシュの図抜けた共同研究
Erdős and Extreme Collaboration
数学史上、最も多産な研究者ポール・エルデシュは、最も多く共同研究を行った数学者でもある。83歳で死ぬまで現役の数学者であり放浪者であったエルデシュは、自分の家を持たず、25カ国の友人知人の家を渡り歩く。粗末なスーツケースひとつで四大陸を驚異的なスピードで飛びかい、大学や研究センターを次々と移動して回った。知り合いの数学者の家の戸口に忽然と現れ、こう宣言する。「わしの頭は営業中だ、君の頭は営業中かね?」。そして数学者の家にころがりこんで、一緒に問題を解く。その数学者が音を上げるか、エルデシュが飽きるまでひたすら問題を解き続け、その後、次の家へ向かう。ユーモアとリスペクトを込めて、共著論文による結び付きにおいて、ハンガリー出身の数学者ポール・エルデシュとどれだけ近いかを表すエルデシュ数という概念が提案されている。

1972
HP-35
HP-35: First Scientific Pocket Calculator
、ヒューレット・パッカード社が販売した初のポケット電卓であり、世界初の科学技術計算用ポケット電卓である。た。HP-35 以前には、三角関数や指数関数を計算する携帯可能なツールとしては計算尺しかなく、既存のポケット電卓は四則演算しかできなかった。市場調査を裏切る爆発的ヒットと、ライバル社のテキサス・インスツルメンツが同様の電卓をリリースしたことによって、これ以降計算尺は急速に廃れていった。

1973
ペンローズ・タイル
Penrose Tiles
ロジャー・ペンローズが考案した平面充填形で二種類の菱形によるものである。正多角形を利用した充填の場合、周期的なパターンが現れるが、ペンローズ・タイルは、他の平面充填とは違い周期的なパターンがないため、平面充填しようとすると非周期的な並べ方が強制される非周期的平面充填の一種であり、二種類のみを使う唯一のもの。

1973
美術館定理
Art Gallery Theorem
視線を遮る壁がない限り、360度全ての方向を監視することができるカメラを、任意の多角形の形をした美術館に設置したする場合、 死角をつくらずにすむ最少台数を求める問題。

1974
ルービック・キューブ
Rubik's Cube
ハンガリーの建築学者エルノー・ルービックが考案した立方体パズル。群論と関連が深く、論文も発表されている。

1974
チャイティンの定数
Chaitin's Omega
計算機科学の一分野であるアルゴリズム情報理論の概念で、非形式的に言えば無作為に選択されたプログラムが停止する確率を表した実数である。グレゴリー・チャイティンの研究から生まれた。停止確率(ていしかくりつ、英: Halting probability)ともいう。停止確率は無限に多数存在するが、Ω という文字でそれらをあたかも1つであるかのように表すのが普通である。

1974
超現実数
Surreal Numbers
ライフ/ゲームの創案者などで知られるジョン・ホートン・コンウェイが提示した超現実数をモチーフに、ドナルド・E・クヌースが1974年に書き下ろした数学小説(原題:Surreal Numbers: How two ex-students turned on to pure mathematics and found total happiness。邦訳もある。『至福の超現実数―純粋数学に魅せられた男と女の物語』)。元ネタの超現実数はコンウェイにとっても一番のお気に入りで、数学の教科書を見つけると必ずページをめくって、超現実数の発見について書かれていないか探すという。

1974
ペルコ対
Perko Knots
1899年、リットルは非交代結び目を分類し、はじめて10交点の結び目について43個の非交代結び目の一覧表を発表した。この表は75年間正しいものと信じられていたが、1974年、ペルコが重複を発見し、10交点の非交代結び目は42個であったことがわかった。ペルコが同じ結び目であることを発見したペアを「ペルコ対 Perko pair knots」「ペルコの結び目 Perko Knots」という。

1975
フラクタル
Fractals
不規則な断片に砕かれた状態を表わすラテン語のfractusに基づき,ある特異な性質をもつ集合ないし幾何学的図形に対し,マンデルブロ(Mandelbrot,B.B.)により命名された概念。非整数のハウスドルフ次元をもち,自己相似構造(図形の各部分またはそれらの統計的性質が図形全体の縮小された像またはその統計的性質に等しいような構造)をもつ。

1975
ファイゲンバウム定数
Feigenbaum Constant
ミッチェル・ファイゲンバウムの名にちなんで名づけられた、2つの数学定数である。両方とも分岐図の比に表れる。そのうち1975年に発見された第一ファイゲンバウム定数の値は、分岐図における分岐の間隔やマンデルブロ集合における連続する2つの円の直径の正弦比である。ファイゲンバウムは本来、この数をロジスティック写像における分岐に関連する数としていたが、他にも多くの図と関係があることが分かった。現在では、この写像に当てはまる全てのカオス系は同じ比を持つことが明らかになっている。ファイゲンバウム数は、このような系でいつカオスの状態に達するかを予測するのに使われている。

1976
公開鍵暗号
Public-Key Cryptography
暗号化と復号に別個の鍵(手順)を使い、暗号化の為の鍵を公開できるようにした暗号方式。

1977
シラッシの多面体
Szilassi Polyhedron
ハンガリーの数学者のシラッシ(Lajos Szilassi)が発見した7つの面を持っている環状多面体。チャーサールの多面体の双対多面体にあたる。

1979
池田のアトラクター
Ikeda Attractor
レーザー光学のモデルとして池田研介氏によって研究された、複素力学系による渦巻状の流線形のストレンジアトラクタ。レーザー光学のモデルとして池田研介氏によって研究された、複素力学系による渦巻状の流線形のストレンジアトラクタ。

1979
スピドロン
Spidrons
スピドロンは、正三角形の辺に二等辺三角形をつなげ、二等辺三角形の辺に正三角形をつなげて作る図形である。1979年、ハンガリー大学のデザイン科の宿題として示されたのが最初である。

1980
マンデルブロ集合
Mandelbrot Set
漸化式{Z(n+1)=Z(n)^2+c ; Z(0)=0 }で定義される複素数列 {Z(n)}n∈N が n → ∞ の極限で無限大に発散しないという条件を満たす複素数 c 全体が作る集合がマンデルブロ集合である。複素数 c を複素数平面上の点として(あるいは同じことだが c = a + ib と表して c を xy-平面上の点 (a, b) として)表すと、この平面上でマンデルブロ集合は自己相似的なフラクタル図形として表される。

1981
モンスター群
Monster Group
26個の散在型単純群のうち、位数が最大のもの。

1982
ランダムな3点が鋭角三角形となる確率
Ball Triangle Picking
単位円内のランダムな3点を結ぶと鋭角三角形になる確率を計算する方法は、グレン・リチャード・ホールによってn次元の場合に一般化された。

1984
ジョーンズ多項式
Jones Polynomial
数学の結び目理論の分野において、ヴォーン・ジョーンズが発見した多項式不変量。

1985
ウィークス多様体
Weeks Manifold



1985
アンドリカ予想
Andrica's Conjecture
 アンドリカ予測とは、素数間のギャップに関するもので、n番目の素数Pnとその次の素数Pn+1の間には、いつでも√Pn+1-√Pn<1となる、というものである。2008年現在、n=1.3002×1016までは、この予想通りであることが確認されている。 

1985
ABC予想
The ABC Conjecture
1以外の公約数を持たない自然数a, b, cがa+b=cの関係で結ばれているとき、a, b, cに約数として現れる異なるすべての素数の積dがある程度大きい(例えば、「c<(dの2乗)、が必ず成り立つ」)という予想。これが正しければ、フェルマーの最終定理は簡単に証明でき、多くのディオファントス方程式(多変数の多項式の方程式)の整数解に関する決着も得られるなど、数論におけるさまざまな予想や定理がABC予想から導かれるため、整数の方程式の解析では「最も重要な未解決の問題」と呼ばれる。1985年にマーサ-とオステルレという2人の数学者によって提起された。2012年8月に、京都大学教授の望月新一がABC予想を証明したとする論文を自身のWebサイトで発表した。

1986
外観数列
Audioactive Sequence
次のような整数の数列である。「1, 11, 21, 1211, 111221, 312211, 13112221, 1113213211,……」。1986年、ジョン・コンウェイによって提示され分析された。Look-and-sayシーケンスともいう。

1988
Mathematica
Mathematica
代表的な数式処理システム。スティーブン・ウルフラムが考案、彼の率いる数学者とプログラマのチームが開発し、1988年に最初のバージョンがリリースされた。

1988
マーフィー法則の結び目理論による証明
Murphy's Law and Knots



1989
バタフライ曲線
Butterfly Curve



1996
オンライン整数列大辞典
The On-Line Encyclopedia of Integer Sequences
無料で利用可能な整数列(各項が整数である数列)のオンラインデータベース。2012年1月時点で20万を超える整数列の情報が収められており(ibid.)、この種のデータベースとしては最大のもの。

1999
エタニティーパズル
Eternity Puzzle



1999
完全四次元方陣
Perfect Magic Tesseract
伝統的な魔方陣は正方形の格子に整数が配置され、タテrows・ヨコcolumns・ナナメdiagonal(dia2の-gonalアングル) に並ぶ数を足すと等しいものである。この「2次元平面に並べられた魔方陣に対して、四次元方陣magic tesseractは魔方陣を4次元に拡張したものであり、rows方向, columns方向, pillars方向, files方向そしてquadragonals(quad4の-gonalアングル)方向に並ぶ数がすべて等しい。さらに完全四次元方陣Perfect Magic Tesseractは、これらに加えてdiagonal方向とtriagonals(tri3のgonalアングル)方向に並ぶ数を足しても等しいものである。世界でも有名な高次元魔方陣ハンターのジョン・ヘンドリクスは、16次元未満では完全四次元方陣は存在しないことを証明し、どの方向に並ぶ数を足しても534,296となる、完全四次元方陣となる16次元魔方陣を発見した。

1999
パロンドのパラドックス
Parrondo's Paradox
期待値がマイナスの2つのゲームを組み合わせて50%の確率でどちらかのゲームを行うようにすると期待値がプラスになる、というパラドックス。例えばゲームAの方は勝率が48%、ゲームBは元金が3の倍数のときは勝率1%それ以外は勝率85%とし、どちらも勝てば1円元金が増え負ければ1円減る設定のゲームでこうなる。

1999
ホリヘドロン
Solving of the Holyhedron
それぞれの面が少なくとも一つの多角形の穴を持ち、その穴の境界は他の穴や表面の境界と共有しないような3次元立体。ジョン・H・コンウェイによって提案され、デビット・H・ウィルソンが、多面体polyhedronをもじって「holyhedron」という名前をつけた。発見に対して10000ドルの賞金がかけられたが、1999年にジェイド・P・ビンソンがholyhedronの条件にかなう78,585,627の面をもつ立体を発見した。

2001
ベッドシーツ問題
Bed Sheet Problem
紙のような薄いものを二つ折りすると厚さは二倍になる。折るたびに厚さは倍々で増えていく。あなたのベッドのシーツが0.4mmの薄さだとすると、40回折れば月に到達し、51回折れば太陽にも届く。しかし実際は物理的限界から、そのはるか手前で折ることができなくなる。普通の紙であれば、どんなに大きなものであっても7~8回で限界に突き当たる。しかし2002年、高校生だったブリトニー・ギャリヴァンは望外の12回折りに成功し世界中を震撼させた。実はこの前年ギャリヴァンは、1方向へ半分に紙を折るための損失関数L=(πt/6)(2^n+4)(2^n-1)[Lは紙(もしくは他の素材)の最小限の長さ、tは素材の厚さ、そしてnは可能な折り目の数]を証明しており、ある回数紙を半分に折るために必要な紙の大きさはいくらになるかをこの式から計算した結果、長さ1200mの特注トイレットペーパーを利用し12回折りに成功したのだった。

2002
ゲーム「アワリ」の終わり
Solvmg the Game of Awari
Awariはアフリカで行なわれていた36個の石と7本の棒を使った石うつしゲームである。2002年、アムステルダム自由大学の研究者は、コンピュータを使ってすべての手を総当りで検討し、このゲームがプレイヤー双方が最適な手を打った場合必ず引き分けになる事を証明した。

2002
テトリスはNP完全問題
Tetris Is NP-Complete



2005
「NUMBERS 天才数学者の事件ファイル」
NUMB3RS
アメリカ合衆国で2005年から2010年にかけて放送さた、FBI特別捜査官と、数学の天才で犯罪者の行動を予測する公式を導き出す弟の活躍を描くテレビドラマ。番組制作には複数の数学者が協力しており、番組内で提示される方程式は各回のエピソードの状況に実際に適用できるものである。数学嫌いが蔓延するポピュラー文化の中で(ほとんどすべての登場人物が数学嫌いであり、稀に登場する数学好きの人物は必ず変人)、数学教育関係者が長年待ち望んできた、数学(者)を肯定的に取り扱う人気ドラマであり、この人気を受けてテキサス・インスツルメンツと全米数学教師評議会は、ドラマのエピソードで使用される内容に基づいた教材をWebで提供していた。

2007
チェッカーゲームの解決
Checkers Is Solved
プレイヤー双方が最善を尽くした場合必ず引き分けになる事が証明された。

2007
E8と万物の理論
The Quest for Lie Group E8
248次元、階数8の例外型単純リー群。アントニー・ギャレット・リージは、2007年、E8の幾何構造に基づく万物の理論を発表した。

2007
数学的宇宙仮説
Mathematical Universe Hypothesis
マックス・テグマークによって提唱された、物理学および宇宙論における思弁的な万物の理論 (TOE)。 http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-619.html


再生核研究所声明202(2015.2.2)ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
ゼロ除算の発見、経過、解説などについては、結構な文献に記録されてきた:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9)ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。
ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説が地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。
以 上



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