2014年12月12日金曜日

個人差はもちろんあるので一概には言えないとは思いますが、 なぜ背徳的な行為、疚しいことをしていることに愉悦を感じるときがあるのでしょうか? (例:未成年でしてはいけないことをしたとき、故意に嘘をつく(?)など) 罪悪感などと快楽は真反対な感情だと思ってしまうのですが、スリルなどといったところから共通項があるのでしょうか?また、脳では近い部分がそれらの感情を司っているのでしょうか? または、なぜ人が好んで背徳的な行動をするのか、知りたいです。 深く考えてしまうと何が道徳か、と倫理的な問題になってしまうのですが… こう、心理状況といいますか、臨床心理などで詳しい方がいらっしゃたらお答え下さい。

個人差はもちろんあるので一概には言えないとは思いますが、
なぜ背徳的な行為、疚しいことをしていることに愉悦を感じるときがあるのでしょうか?
(例:未成年でしてはいけないことをしたとき、故意に嘘をつく(?)など)
罪悪感などと快楽は真反対な感情だと思ってしまうのですが、スリルなどといったところから共通項があるのでしょうか?また、脳では近い部分がそれらの感情を司っているのでしょうか?
または、なぜ人が好んで背徳的な行動をするのか、知りたいです。
深く考えてしまうと何が道徳か、と倫理的な問題になってしまうのですが…
こう、心理状況といいますか、臨床心理などで詳しい方がいらっしゃたらお答え下さい。
これは難しい質問ですね。
背徳的な行為 それが何を意味するかをはっきりさせる必要があります。 
本来自然なものなのに背徳など表現しているは世に多いですね。
喫煙など、良くないという考えと、気持ちがスッキリするなどの 良い面もありますね。
未成年の喫煙は それに対して、反抗的な精神を人に見せるなど、あるいは新しいことをしたい などが心理にあるのでは。 
スリルを味わうような面が確かにありますね。 
大体、そのようなところ?

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