2014年7月19日土曜日

人間と機械――繁栄の鍵は「協力」にあり

人間と機械――繁栄の鍵は「協力」にあり
2014.07.14 Mon posted at 17:29 JST
コンピューターは人間の仕事を奪ってしまうのだろうか
(CNN) 近い将来、コンピューターによって職が奪われるのではないかとの不安が広がっている。自分は安泰だろうという人には「ワトソン」の例を想起してほしい。米クイズ番組「ジョパディ!」で人間のチャンピオンに勝利した米IBM社のコンピューターだ。
クイズ番組で解答するのは複雑な仕事で、コンピューターは今や、人間の専売特許とされていた精妙な判断力も手にしたことになる。
折しも、マサチューセッツ工科大学(MIT)のエリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーの両氏は、時々刻々と進化するコンピューターとその影響について考察した「The Second Machine Age(原題)」を刊行した。
両氏がまず指摘するのは、近年のコンピューターのめざましい進歩だ。自動運転が可能になり、人間に話しかけることもできるようになった。ムーアの法則にもあるように、コンピューターの処理能力は約2年で倍増する。その進歩の速度は「指数関数的」だ。
指数関数的という表現をわかりやすく説明するには、チェスの発明にまつわる神話が面白い。
言い伝えによると、あるインド人がチェスを発明して献上したところ、王様はすっかり感心し、望む物を何でも褒美に取らせることにしたという。発明者の望みは一見、ごく控えめなものだった。http://www.cnn.co.jp/career/35046993.html?tag=cbox;tech
チェス盤の最初のマス目に米を1粒だけ置いた上で、64個のマス目すべてを埋めるまで、マス目ごとに米粒の数を倍増していってほしいと頼んだのである。
王様は当惑しながらも、財務担当の臣下に命じ、要望通りの褒美を与えた。
すると、最初は1粒だったのが2粒、4粒、8粒、16粒、32粒、64粒、128粒、256粒、512粒という風に倍々に増大し、チェス盤の半分にあたる32マス目に到達するころには、累計で40億粒以上となってしまった。これには臣下もひるんだが、倉庫にある米で足りるだろうと計算し、高をくくっていた。
だが、チェス盤には後半部が残っていた。そして、33マス目の40億粒から始まり、再び倍々にしていって最後の64マス目を迎えると、総計は1800京粒以上にまで膨れ上がったのである。世界中の米粒をかき集めても、まだ足りない。
この臣下は結局、王様によって処刑されたとも伝えられている。
今日のコンピューターの性能はいわば、チェス盤の後半部に入った段階だ。http://www.cnn.co.jp/career/35046993-2.html
米航空宇宙局(NASA)によれば、現在の携帯電話には、アポロ計画全体で使われたコンピューターの数倍の計算能力が備わっているという。しかも、今後も毎年のように強力になっていくのである。
コンピューターがこれほど強力になると、人間はどうなってしまうのだろうか。
両氏が同書で引き合いに出すのは、1997年にチェス世界王者を破ったIBMのコンピューター「ディープ・ブルー」の例だ。当時、もう人間では勝負にならないのでないかと悲観されたが、そんなことはなかった。
その後のトーナメントで人間とコンピューターが協力するようになると、最高性能のコンピューターにも対抗できることがわかったのである。2005年には、普通のノートパソコン1台を使うことで、チェス選手がスーパーコンピューターを破る快挙もあった。
人間とコンピューターが力を合わせるのが最も強力ということだ。
人間が活躍する余地はまだ残されている。コンピューターを使いつつ、人間ならではの創造性と洞察力を発揮することが、成功への鍵となるだろう。
再生核研究所声明 144 (2013.12.12) 
人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ、 広い農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で他の農家がやって行けず、 農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつ に考察したものである。 成文化を試みたい。)
上記の中で、閃めいた 原理は 端的に述べれば、 いわゆる進歩は 末期への進歩であって 原理的に終末に近づいている ということである。 そして 進歩には 必然的な、エントロピー増大の法則のように 必然性が有るのではないだろうか。 良く生きるということは 必然的に 終末を上手く受け入れるように 精神構造が 本能的に作られているのではないだろうか。
さらに、 人は 人間存在の原理で、いろいろ知りたい、 いろいろ原因を知りたいと 真理を追究するが、その先には、生命の空しさと 自分の無智を知らされ、結局 生命と人生の否定に繋がり、 安らかな悟りに至るという、人間観、人生観である。
人は 先に、先に進もうとしているが、それは、自滅への道であり、 夢中で生きているのが 生命の実相ではないだろうか。 ちょうど子供たちが、夢中で はしゃいでいるように。
知ることも、真理を追究するのも 危険である。 しかしながら、エントロピー増大の原理のように 追及しないではいられないのが人間で、 それは 人間の 定めであると考えられる。
そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、あわてず、 自分の心の状態を尊重する ということである。
人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。
しかしながら、結局、人生では 始めも、終わりも分からず、夢中で、踊っているようなものであるとすれば、 やはり空しく、 寂しいものだ と考えるだろう。
この空虚を満たすには、健全な精神の 健全な進化による、悟りと神への帰依が望まれる(再生核研究所声明 132: 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
以 上
追記 参考資料(ウィキペディア):
定義[編集]
進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である[2][1]。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある[3][4]。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない[1][2]。
また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない[3]。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある[3]。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる[4]。
進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが[3]、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。

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