自殺と安楽死、それに関する法律について質問です。
学校の課題で、
「現代日本に生じている社会問題の中から、法律に関係あるテーマを一つ設定し、その詳細をまとめ、事実を分析し、どのように解決すべきか述べてください」
というものが出ました。
そこで、社会問題の一つである「自殺問題」をテーマに設定しましたが、法律と深く関係があるかと言われると…ほかの社会問題と比べてなかなか難しいです。
法から観た自殺問題の切り口として
・日本での自殺に関する法律
・各国の自殺率&自殺に関する法律のある国とない国の違い
・自殺対策基本法は効果があるのか
・法律を整備して自殺率は減らせるのか
etc...
とかいろいろ考えましたが、正直十分とは言えません。脱線しない範囲で「安楽死問題」にも触れようかと思いますが…。
法の観点から見た、自殺・安楽死問題の問題の切り口として、何か良いものはないでしょうか。そして、情報収集の手段として、インターネット以外に有効なものはあるでしょうか(話を聞ける自殺防止団体等)
アドバイスをお願いします
※もちろん文章は自分で書きますよ
掘り下げる程度で、問題は深まります。 再生核研究所声明では いろいろな面から、考察して、提案も行っているので 参考にしてください。
自然性の重視が 基本では。何でも行き過ぎは問題で有り、 全体的な視野が大事ですね。
再生核研究所声明 47(2011.02.08): 肯定死
(2011年1月5日 9時10分、 浅草に近づき、電車の窓外の空を見たときに電光のように閃いた考えです。 新しい声明の案がひとりでに、わきました。 全構想は瞬時にできていましたが、それを検討し、成文化したものです。 題名は肯定死、という 現代では問題のある思想です。人間の終末に対する新しい考え方です。これは社会的影響が大きいと考えられるので、全文は 当分、公表を差し控えたい。)
そもそも人生とは何か、これを内からみれば、人生とは、個人の考え、知り、感じ、予感し、想像する、すなわち、知覚する全体であり、それらが良いと感じられれば、それだけ良い人生であると言える(声明12: 人生における基本定理)。 しかしながら、我々はまず、個々の人間を越えて、存在し、生き続けていく、 元祖生命体の考え (声明36) をしっかりととらえ、 生命の基本定理 (声明42) - 生きて存在しなければ、 何も始まらない - 元祖生命体の生存に心がける、 最も大事なこと(声明13)に思いを致すべきである。しかしながら、個々の人間は、遺伝子の乗り物のように滅びていくのが、事実であり、それはあらゆる生物の運命であると考えられる。 しからば、その人間の終末は如何にあるべきか。 それはちょうどあらゆる生物の終末のように、意識の存在の有る無しに関わらず、生物個体の生命として、人事を尽くして、少しでも生命を長引かせると考える、伝統的な考えは それなりの固有な意義を有するものであると考える。 否定するものではない。(以下 当分非公開
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