2018年7月3日火曜日

サッカー日本代表 ベルギーに敗れ初のベスト8ならず

サッカー日本代表 ベルギーに敗れ初のベスト8ならず

サッカーワールドカップ ロシア大会は2日、決勝トーナメント1回戦で日本はベルギーと対戦し、原口元気選手と乾貴士選手のゴールで2点をリードしましたが、追いつかれ、さらに後半のアディショナルタイムに勝ち越しのゴールを奪われて2対3で逆転負けし、初のベスト8進出はなりませんでした。
1次リーグを2位で通過した日本は、決勝トーナメントの1回戦でベルギーと、2日、ロシア南部の都市、ロストフ・ナ・ドヌ-で対戦しました。

日本は前半、ベルギーに攻められる場面が目立ち、エースのルカク選手などに11本のシュートを打たれましたが、守備陣の体を張った守りで0対0で前半を終えました。

日本は後半3分、柴崎岳選手のスルーパスに反応した原口選手がシュートをゴール左隅に決めて1点を先制しました。

さらに7分、ゴール正面で香川真司選手のパスを受けた乾選手がミドルシュートをゴール右隅に決めて追加点をあげ、2対0とリードを広げました。

しかし24分、ベルギーにフェルトンゲン選手のゴールで1点を返されると、29分には、クロスボールを途中出場のフェライニ選手に頭で合わされて2対2の同点に追いつかれました。

日本は、36分に山口蛍選手と本田圭佑選手を投入し、勝ち越しのチャンスをうかがいましたが、逆にアディショナルタイムにカウンターからシャドリ選手にゴールを決められて2対3と勝ち越され、逆転負けを喫しました。

ワールドカップで日本は、これまで2002年と2010年の大会で決勝トーナメントに進みましたが、いずれも1回戦を突破できず、今回もベスト8入りはなりませんでした。

西野監督「すべてに差があったがわずかな差」

日本代表の西野朗監督は「ベルギーを追い詰めたが、何かが足りないのだろうか。3点目を取れるチャンスがあったし、ボールもコントロールできていたが、そこに本気のベルギーがあった」と試合を振り返りました。

そのうえで、世界の強豪との実力差について問われると、「すべてに差はあったが、わずかな差だと思った。選手も1日、1試合ずつ、ワールドカップのために、こういう勝負をするために、いい準備をしてくれたと思う」と接戦で敗れた選手たちの健闘をたたえました。

ベルギー マルティネス監督「選手たち誇りに思う」

ベルギーのマルティネス監督は試合後、「ワールドカップで0対2から逆転するのは本当に難しいが、絶対に勝ちたいという気持ちが可能にした。2点をリードされたあと、チームワークを取り戻すために選手を交代したがそれがうまくいった。選手たちを誇りに思う」と勝因を話しました。

そのうえで、日本については「分析していたとおりチーム全体がハイレベルで、組織力があり、カウンター攻撃もよかった。本当にすばらしい試合だったが、サッカーではどちらかが負けなければならず、日本は少し運が欠けていたのかもしれない」とたたえました。

そして準々決勝のブラジル戦に向けては「ワールドカップでブラジルと対戦するのは幼い頃の夢がかなうようなものだ。相手の選手たちをよく理解し、自分たちのポジションを明確にして臨む必要がある」と意気込みを話しました。

アザール「1点返せばまだ行けると」

ベルギーのキャプテンで、同点ゴールをアシストして最優秀選手=マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたエデン・アザール選手は「勝てて本当にうれしく思う。後半、ディフェンスのミスもあって2点を失ってしまったが、1点を返せばまだ行けると思っていた。ベルギーには試合の流れを変えることのできる選手たちがいて、ベンチから交代した選手たちがそれを成し遂げた」と逆転勝ちの喜びを話しました。

そのうえで、準々決勝のブラジル戦に向けて「楽しみだし、すごい試合になると思う。よく体を休めて、勝ちたい」と話しました。

W杯公式ツイッター「ありがとう日本」

日本対ベルギー戦について、FIFA=国際サッカー連盟が試合前、ワールドカップの公式ツイッターで「どちらが勝つと思う?」と予想をするよう促したところ、1万を超える投票が集まりました。
投票の結果は67%がベルギー、33%が日本と、ベルギーの勝利を予想した人が全体の3分の2を占めました。

試合で日本が2点を獲得すると「並外れていい試合だ。この試合の最優秀選手、『マン・オブ・ザ・マッチ』を決めるのは難しい」とつぶやきました。

そして最後にベルギーが逆転すると「日本はワールドカップに本当に貢献してくれた。ありがとう日本」とつぶやき、日本の健闘をねぎらっていました。
 
あと一歩日本代表ユニスペインJFA
 
 
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本


再生核研究所声明169(2014.6.25) サッカー観戦の印象 と 日本チーム強化の戦略
(サッカーファンからの要望によって、日本チームを強くする戦略を考察した。)

ワールドカップ日本の観戦をして、自国チームが負けるのは、生物の本能に由来するように、嫌なものである。 誰でもそうではないだろうか。― 生命には、本質的に切なさが存在する。― 数学などの研究を永くしてくると あまりにも厳しい世界で とても志す気には成れない。数学などの研究は 何十年のスパンで 長期戦略で進める求道や 真理の追究、人生の志に由来する。
サッカーは 子供の頃校庭でよくやったものであるが、勝負と言えるようなことをやったことは無く、全くの素人である。
しかし、今回の日本戦を見て、良い戦略、強化方法が思い付いたので、上記要望も寄せられた経緯も有るので、触れて、提案したい。言うは易く、行うは難しい??
特に、ギリシャ戦などでは、全体的な力では相当優位にあるように見えたが、結局、引き分けに終わった苦しい戦いであった。どうしてだろう。 それは、ゴールを決められない決定的な弱点にある。 ゴールを決めることは、サッカーで 優位に立つ 重要な、肝心な点 ではないだろうか。初戦についても言える。コロンビア戦についても言える。ゴールの機会は、結構あったと言える。
そこで、次のような訓練は 如何であろうか。
ゴールを狙える立場の人は、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決める訓練を徹底的にやる。
この訓練は ゴールキーパーにはよらず、 何時でも安定的に練習ができ、何時でも、最も有効にゴール決める方法である。 本能かも知れないが、ゴールを狙うとき、わざわざキーパーにぶつけているような例が多く見られる。これは、極めて残念な場合である。ゴールを狙う機会はそう多くはないので、痛切残念、そのような場合には、国中でため息が聞かれる状況と言える。
条件反射的に、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決めるような訓練を 徹底的にして欲しい。
総合的な力を付けるのは、専門家の課題であるが、この要点をしっかり訓練すれば、戦力は飛躍的に向上するのではないだろうか。実際、ゴールを決めている場合、ゴールの枠にぶつかって、ゴールを決めている場合が多く見られる。既にそのような訓練を意図的に行っているのではないだろうか。
サッカーの印象は、アジアや日本は まだまだ伝統が浅く、世界レベルから見ると、まだ力不足は否めない。 伝統は甘くはない。世界的になる、世界を狙う精神がどのようなものか、その精神がまだ、しっかり身についていないと言うことではないだろうか。 これは単にサッカーばかりではなく、近代科学や民主主義、人権、評価システム、大学の在りよう、マスコミの在りよう、政治家の在りようなどなど、欧米から 入ってきた多くが表面的な物まねで、それらの深いところの理解が 浅く、しっかりしていない状況と同様ではないだろうか。輸入したものを身に付けるのは、教えられ、学んだものを身に付けるのは、 一朝一夕にはゆかないのが、道理ではないだろうか。長期的な視点に立って、頑張って欲しい。

以 上

2014.6.23.20:34 激しい夕立、 夕食後80分くらい散歩。
2014.6.24.05:40
2014.6.24.08;00
2014.6.24.11:17
2014.6.24.15:35 ブラジル選手などを見ると、迫力、躍動感があって、凄い感じが出ている。
2014.6.24.19:45
2014.6.25.04:50
2014.6.25.08:00 コロンビア戦を見て、この声明を確認、完成、公表。


再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案

本声明は概ね60歳を越えた人たち向けであり、若い世代の人には進められない。何でもそうであるが、考え方、感じ方などは 年齢と共に一般には変化するものであるから、学ぶにも、考える題材にも 適齢期というものが有るからである。

死の問題は、生命と人生の基本的な課題であるから、真正面から 死の問題をとり上げ、いろいろな観点から、触れている:

夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社)
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判
再生核研究所声明 47: 肯定死
再生核研究所声明 63 : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明 68:  生物の本質 - 生きること、死ぬること
再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について

ここでは 大局的に、人生と死の問題を直接とり上げ、死に対する考え方から、 在るべき 在りようを考察して、将来の在り様、方向性についても具体的な 提案を行いたい。
(ここで、ついでに。 再生核研究所における 再生核とは何かという質問が結構、寄せられているが、その明確な意味は、上記、著書の序文に述べられている。それは 死に対する概念、すなわち、再生の原理であると述べて置きたい)
人は、死をどのように 捉えるだろう。 もの心はついたが、いわゆる性に目覚める以前、まるで、元祖生命体の本来のように、永遠の命を求め、死を鋭く拒否して、 死に激しく対立する本能、情念が強いのではないだろうか。 激しい、 恋心を擁くころ、 恋の喜びとともに、その背後に死の代償の予感がするだろう - 恋の原理と心得。 子供たちの成長と両親の死を迎えて、 死は避けられない人間の運命である、定めであると予感し、 死を迎える心構えがひとりでに できて来るだろう。 しかしながら、滅すること、空に帰する寂しさ、 苦しさは、そう簡単には克服できず、 あたかも生命力の反作用のように 生に対する情念が人生の終末まで残るのではないだろうか。 ここで、人生をかけて 修行された お釈迦様の最期の情景を想い出したい。- これは定めであって、仕方のないこと、悲しむな とお弟子さんたちに言い残こされて、最後を迎えられました。 ソクラテスの最期も似たような状況であると理解される。
上記、再生核研究所声明では、生も死も等価、生きるも良く、死するも良い、同じようなものだと、 捉え、 死を拒否すべき、あしきものとは 捉えず、これ幸いと積極的に評価できるとしている。- 人類が進化すれば、 死を恐れ、拒否する心情はうすれ、それらの心情は人間の未発達な雑念で、進化した人類は、 生きるも良い、死するも同じようだと、感じるだろう -
人間を創造された神が、絶対に避けられないことを、 悪しきものに作られるはずはないと信じられる。また、 既に有能な方々で、 死に対して、さらりと お釈迦様のような 心情を持たれている方は 世に多い。人生、苦しくとも、死は解放してくれると、親鸞なども捉えていたのではないだろうか。 日本における 自然な挨拶、おくやみに、 苦が病んで、安らかになられたとの 心情が相当に含まれているのではないだろうか。
この声明の趣旨は 死を肯定的に 前向きに捉えて、世界観を変えるように提案することである。
いわゆる西洋の教会においては、地上、回廊、身廊、地下に石棺などを配置して、天井には子供たち、女神たちの美しい絵画や像を配置している。 天国と地獄を表わしているようである (コロンブス だけは例外。棺が4人の国王によって担がれている)。日本では 神社と寺、墓を分け、穢れなき神社と忌むべき墓に分けているように見える。民族によっては、死は望ましいものであって、葬儀はお祝い事のように扱うところもあるという。
具体的な提案は、これらの感性、扱い方を、段々に改め、 死をそれほど、忌むべきもの、葬式を それほど悲しむべきことと、せず、 より自然に受け入れられるように、死の考え方、捉え方 そして 埋葬や墓の在りようを 永い時間をかけて改めていこうという、 方向性を提案している。 人が激しい悲しみで 死を迎えれば、子供たちは死を、 忌むべきこと、悲しむべきことと学習し、そのような感性を育てるだろう。 全体の対応、環境全体をもっと明るいものと捉えれば、子供たちもそのように学習して、 人生を明るく展望できるようになるのではないだろうか。
 墓の在りようも変えて行きたい。 石棺や墓を作っていては 将来地球は 墓や石棺で満ちてしまうは道理である。 墓も、 永続的に永続可能な、楽しい在りように次第に志向して行きたい。いろいろな習慣、慣習なども改善して行きたい。

もちろん、お釈迦様は、無理して長生きしようなどとは、考えられず、自然性を受け入れられたと考えられ、進化した人間は 死をこれ幸いと積極的に受け入れるのではないだろうか:

以 上

付記: 本能寺の変 2/2
信長の無念をかみしめて、修行に励みたい。2012.6.8.20:50
しかし、地球すら いずれ壊滅するだろう。その時、世界史は結局 空に帰するだろう。
そこで、本能寺の変が起きたら、余計なことを続ける必要が無くなった、これ幸いと考えれば 良いですね。2012.6.11.09:45

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

以 上


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