【ムー昭和オカルト回顧録】ノンフィクション「地球空洞説」の系譜
「地底」1回目はこちら。
そもそも「地底人」やら「地底世界」が実在するためには地中に広大な「居住スペース」が必要になるわけで、僕らが習った学校の教科書の地球の断面図のように、この惑星の内部に岩石やら金属やらがギッチリと詰まっていては具合が悪い。
どうしても地球の内部はカラッポである必要があるのだが、もともと太古の時代から各地の神話や伝説に「地球の内部には別天地がある」といった話は多い。
あのプラトンも「地球の中心には神がいる」など、「地底世界」を示唆するようなことを書いているし、広い意味では、古今東西にある「地獄」という概念も、多くが「地底世界」を前提としたものといえるのだろう。
僕らが子ども時代に読んだオカルト本の「地底世界」解説記事にも、よくチベットなどに伝わる「シャンバラ」とか「アルザル」とか「アガルタ」とか呼ばれる「神話的地底ユートピア」の話が出ていたのを覚えている。
一方、科学の見地から「地球の内部はカラッポなんだよ」といったことが最初に唱えられたのが、17世紀の後半のこと。ハレー彗星の発見者として著名な英国の天文学者、エドモンド・ハレーの学説である。彼は空洞の地球の中心に太陽の役割をする高熱球体が存在する、と主張している。これがいわゆる「地球空洞説」のはじまりだ.
その後、19世紀に米国の退役軍人、ジョン・クリーブス・シムズも似たような説を主張する本を書き、これによって「地球空洞説」は欧米ではかなりポピュラーな概念になったという。
1930年代にはポーが、そして1960年代にはベルヌが「地球空洞説」を前提にした小説を発表、特にベルヌの『地底旅行』は多くの人々の地底へのロマンをかきたてた。この作品は長らく学校図書館の定番の一冊だったし、映画化もされており、その影響は僕ら世代にまで及んでいる。
また、ちょっとジャンルは違うが、1895年にはウェルズが『タイムマシン』で未来世界の「地底人」(というか、地底に追いやられた下層階級の人類が退化したもの)を超絶ホラーテイストで描いている。昭和の時代には児童書として広く読まれる一冊だったが、その設定のあまりのエグさは多くの子にトラウマを残した。子ども時代の僕に「地底人」の恐怖を植え付けたのは、まさにこの作品だったと思う。
「地球空洞説」を実証した一冊
20世紀に入ると、現在も「地球空洞説」を「実証」する重要な文研として語られることの多い「問題作」が刊行される。米国のウィリス・ジョージ・エマーソンの『ザ・スモーキー・ゴッド(煙の神)』(『地球内部を旅した男』/1908年)だ。
今でいうフェイクドキュメントのような小説で、フィクションではあるが(といいきってしまっていいのかどうか知らないけど)「地底世界」侵入体験者の手記というスタイルをとっている。オラフ・ヤンセンというノルウェーの船乗りが、父とともに北極にある入り口から地底世界に迷い込むと、そこには高度な文明を持つ「巨人」が存在していた……といった内容だった。
当時は多くの読者が真に受けて大きな反響を巻き起こしたらしい。というか、前回ちょっとだけ触れたスノーデンの「地底世界」実在説が話題になったときも、この作品が好事家の間で引き合いに出されていた。一部の人にとっては、100年以上に渡って説得力を維持しつづける強力な作品ということなのだろう。
虚実曖昧な内容をもっともらしく提示して社会常識を撹乱した……といった批判もあるようだが、そもそも近代小説は、偶然に発見された手記や手紙を「そのままお見せする」といった体裁から派生しており、ある時期まではフィクションとノンフィクションは今ほど明確に分離されず、虚実は常に曖昧だった。
「これは“実話”である」という一文からはじまるのは、文学においては比較的新しい小説というジャンルが成り立つ時期には常套手段であり、そうした意味では、この作品も当時の「正統」な文学作品だったのだと思う。
北極と南極の、地底へ続く穴
続いて米国のマーシャル・B・ガードナーが、『地球内部への旅』(1913年)を刊行。ヤンセン親子の冒険を踏襲した感のある内容で、南極と北極に巨大な穴があり、「地底世界」へ通じていると主張して話題になる。
同じく米国のウィリアム・リードも、南極・北極に「地底世界」への入口があると主張していた。
キリがないので途中のアレコレをすっ飛ばすが、戦後の1946から47年にかけて、航空機による初の北極点到達(1926年)に成功して英雄的存在となっていたアメリカの海軍少将・探検家のリチャード・バードが、米海軍による大規模な南極観測探検(ハイジャンプ作戦)に参加する。
その途中で彼は巨大な穴のなかへと迷い込み、マンモスらしき動物が棲息する緑豊かな「地底世界」を目にしてしまった……。
この驚くべき証言(?)を初公開したのが、1969年に刊行されたレイモンド・バーナードの『空洞地球 地球最大の地理的発見』という本だ。どうやら僕らの幼少期の「地底人」ネタの盛り上がりは、このあたりの影響をモロに受けたものだと思われる。
さらに同時期、ダメ押しのようなニュースが飛び込んでくる。1967から68年にかけて、なんと米国の気象衛星が北極と南極に空いた巨大な穴を撮影してしまったのだ。
「穴ではなく、ただの影だ!」という説も盛んに語られたが、この報道は当時、世界中でかなりの大騒ぎを巻き起こした。
これだけネタが揃えば、60年代後半から70年代初頭にかけて、子ども文化においても「地底人」の話題が盛りあがらないはずがない。ぼくらはその余波のなかで幼少期を過ごしたのだろう。
そしてもうひとつ、昭和こどもオカルトにおける「地底人」のイメージを決定づけた作品についても触れないわけにはいかないだろう。
これについては次回に回顧してみよう。
初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」
◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界
◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」
◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」
◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」
◆第3回 70年代こどもオカルトの源流
◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2
◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1
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文=初見健一
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2018.3.18.午前中 最後の講演: 日本数学会 東大駒場、函数方程式論分科会 講演書画カメラ用 原稿
The Japanese Mathematical Society, Annual Meeting at the University of Tokyo. 2018.3.18.
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12361744016.html より
再生核研究所声明 424(2018.3.29): レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。
1423793753.460.341866474681
。
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
再生核研究所声明 428(2018.5.18): 心の存在するところ ― 人間とは何か?
散歩中 2018.5.11.09:05 突然、全構想が湧いたものである。 ひとりでに突然湧いたものは 創造性の観点からも興味深い。
もちろん、心の存在するところは 大体 頭の中に在って、心臓や胸に感じるのは精神の働きなどが血液などに影響を与え、その影響を感じることから、心臓や胸に心があるとの思いがするのだろう。
心は 脳の中に存在して、それは全身からの影響を強く受けているということである。
心は身体に浮かんだような存在であり、楽器から出て来る音楽のような微妙な存在である。もちろん、その在りようは神秘的で殆ど分からない状態である。
ところが心は目やその他の器官を通して身体外からの情報に対しても強い影響を受ける。美しい自然に感動したり、芸術作品、音楽などに感動したり、異性に会って強い影響を受けたり、教育や友情をとうして強い影響を受けるものである。これらは広く取り巻く環境に影響をうけていて我々の心はふらふら揺らいでいるような存在であると言える。心は、身体、環境、情報などによって影響される環境の生み出した存在だと言える。 もちろん、生命は3つ子の魂百までもの例えのように生命の生まれながらのものが芽になって環境に左右されてふらふら変動、成長、発展している存在である。
人間も心も、環境の所産であると言いたい直感が その時湧いた考えの元であった。
― そう多くの考え、思いは 個々の人間は単細胞のような存在で、大きな環境の流れの中で左右され流されている存在ではないだろうか。時代や世相に大きな影響を受けていて、自律的な存在は甚だ疑わしいものである。人は立場によって、環境によって左右され、同じような環境、立場になれば、人間は大方同じような存在では ないだろうか。
生まれながらの資質、それが環境に影響されながら発展、成長していくのが人間であり、心であると言える。
生命の原理は意外に簡単でいくつかの要素に纏められるのではないだろうか。 その原理は生物の生態の原理から相当導かれるのではないだろうか。それに環境を考え、環境の影響を分析して行けば、人間の生態、人格さえ相当に客観的に理解されるのではないだろうか。― 将来、人工知能の発展で、人間を相当理解できるようになるだろう。
NHK神の数式で、物理学者は神の数式に近づいていると述べているが、その原理と巨大な構想は 神の数式と表現しても感銘して素直に受け入れられるだろう。 しかしながら、実は生命の原理、生体の原理、人間の心さえとらえる法則にまで立ち入らなければ、未だ、幼稚なレヴェルにあると謙虚にならざるを得ない。野生生物の生態には巨大宇宙論や極小素粒子の世界を越えて神秘に満ちているとも言える。 人間社会未だ生命の原理さえ理解できず、野蛮性を有した未発達な存在で 野生生物にも劣った存在であるとの自覚がまずは大事ではないだろうか。
野生動物にも劣る 人間の進化 を志したい。
人間や心について触れたので、曖昧にならざるを得ないが、以上で気に成るのは、一つの情報、事実に対して、個性で捉え方が大きく異なる。環境の影響は2元論が示しているかのように極めて複雑で、まるで環境の影響を受けない生命の、心の複雑さに言及して置かなければならない。心が心を動かし、共感し、共鳴する微妙な私たちの存在、それはものとどのように関わっているのか、全然分からない。
創造活動で、ひとりでに新しいことが生み出される、新しい考え、概念が思い付く過程、事実など極めて面白い、それこそ生命の原理、心の原理には興味は尽きない。
生命とは心とは何かは分からない神秘的な存在であるが、それは、環境に影響を強く受けているという観点の強調がこの声明の趣旨である。時代的や世相の背景は宗教、文化背景とともに人間に強い影響を与える。
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
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