2018年6月22日金曜日

AIは社会を救うか

AIは社会を救うか

読売新聞朝刊教育面の第2、第5水曜日で新コーナー「ニュースde道徳」を掲載しています。13日朝刊では、人工知能(AI)の進化と人の将来、AIとの関わり方についてのニュースを取りあげています。「真理の探究」がテーマです。
 このテーマをめぐっては、以下のようなニュースもありました。

世界のクイズ王たちを圧倒


 アメリカで昨年12月に開かれたAIの国際会議で、AIと人間代表が競う、風変わりな早押しクイズ大会が行われました。
 知識だけのクイズならAI有利に思えますが、早押しクイズは知識だけでは勝てません。問題文の言葉や文法を正確に理解し、問題文の途中でもいち早く答えを予測する必要があります。
 大会には約50チームのAIが参戦し、まずはAI同士で戦い、日本から参加したAIが優勝し、人間への挑戦権を得ました。インターネット上の百科事典ウィキペディアにある約60ギガ・バイト分の知識や米国の有名なクイズ番組の過去問10万題などを学習し、問題文から答えの種類を「人名」「地名」などと推測する能力も磨いて、答えを導き出すAIです。

 人間代表は6人の合同チーム。米国で人気の早押しクイズ番組で25万ドル(約2500万円)を稼いだ強豪や、複数の大会で優勝経験のある数学者らです。しかしAIは、早い時には読み上げ開始から約5秒で解答するなど、人間を圧倒。56問中37問で正解して465点を稼ぎ、人間の合計点200点を大きく上回りました。このAIを開発した会社では「技術は、顧客の相談に早く的確に答えるコールセンターなどに活用できる」と話していました。

地方のドライバー不足解消めざして


 鳥取県八頭町やずちょうは自動運転関連サービスの開発会社と自動運転バスの事業化に向けて協定を結んでいます。会社の担当者は、「2021年度以降に自動運転バスのシステムを提供したい」と話しています。
 八頭町では、若者が職を求めて地元を離れ、人口が毎年300人弱のペースで減少。現在は約1万7000人で、高齢化も進んでいます。鉄道駅と集落を結ぶ民間の路線バスが撤退し、町が引き継ぎましたが、運転手の確保が難しくなってきています。町は「計画が実現すれば町民の移動手段が改善するだろう」と期待しています。
 会社は、車体に搭載したAIが、レーザーセンサーやカメラからの映像と、全地球測位システム(GPS)の位置情報を基に、アクセルとハンドルを操るシステムを開発しています。歩いている人間や、道路わきの電柱、ガードレールなど、刻々と変わる道路周辺の状況を人間のように識別できるそうです。
 政府も、民間企業が進める自動運転技術の開発を強く後押ししています。経済産業省は自動運転車の実験を通じ、安全を確かめるデータを集めて実用化の手助けをする考えです。同省の担当者は「高齢化が進む地方は、公共交通のニーズが高い。定まったルートを低速で走る公共交通ならば自動運転の技術的ハードルは低い」としています。

法廷でどうなる? 自動運転の事故責任


 車自体がハンドルやブレーキなどの操作を行う自動運転車の技術開発が進んでいます。しかし、事故を起こした際の責任の所在など現行法での対応には限界も指摘されています。AIが運転する「完全自動運転車」が事故を起こした場合、責任は誰が負うのでしょうか。
 明治大法科大学院の中山幸二教授(民事訴訟法)は、国の委託を受け、完全自動運転車の事故に関する「模擬裁判」を開きました。
 道路交通法は、AIの運転は想定していません。模擬裁判では、自転車が前方に飛び出してきたため、完全自動運転車が急に車線変更し、これを避けようとした後続車が左側の電柱に衝突して運転手が死亡したという事故を想定しました。
 裁判官役を務めた学者らは議論の末、現状のルールや開発レベルでは車に欠陥がなかったとは言いきれず、判決よりも「和解勧告」を選択しました。中山教授は「模擬裁判をすることで具体的な課題が明らかになる」と話します。
 法政大法科大学院の今井猛嘉たけよし教授(刑法)は「完全自動運転車の責任について、現行法での対応が難しいところもある。AIの責任の位置付けを含め、新たな法整備が不可欠だ」と指摘しています。

2018年06月13日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本

再生核研究所声明91(2012.5.20):  創造性についての一考察

そもそも創造とは 人類が知らなかったこと、できなかったこと、考えなかったことを、新たに発見し、できなかったことを可能にし、考えることで、生命作用の多くの部分が創造活動であると言える。創造性の意味については 添付の文献を参照。
例えば、数学界では、微積分の発見とか、日々発表される論文の中の定理などは 顕著な創造活動の結果であるが、芸術作品、文学作品、科学における発見、工業における発明、技術など、広範囲に及び人間の知的活動の殆どに及んでいると言えるだろう。しかしながら、最大の創造とは 出産、育児にあるとも言える。
創造とは 世界史を拡大することである と定義したい。 世界史とは 人類の得た、感じ、知り、想像するすべての情報の総体である。人間存在の原理とは、生存に心がけ、知り、求め、何でも究めようということであるから、豊かな創造性とはまさしく、良く生きることに他ならない。人間として良く生きるこということは、生命の輝きとしての 豊かな創造活動にあると言っても良い。
創造活動の蓄積である、もろもろの科学の進歩が 人間を解放して、世界を拡大し、人間存在の意義を高めていると考えられる。
この声明の趣旨は、如何にして、創造性を高めるか について、省察することである。特に、大事な創造性の観点から、日本の教育の在りようが 改善されるべきではないか という観点に思いを致すことにある。

1)創造性は情念、感情の中から生命作用として湧いてくるものであるから、感情や情操が大事ではないだろうか。この観点から、日本の教育が 知識偏重、枠に はめすぎではないだろうか。

2)学術界では 大学院学生や研究者が日々それぞれの分野で研究活動を行っている。そこには流れや、流派のようなものがあって どんどん先へと研究を進めている。 ここで、

a)確立した研究分野の細分、先と 共に 新しい研究の芽 を育てるように絶えず配慮したい、多様性自由性を尊重したい。
b)真の独創性には、 ゆとりと時間が 必要であるから、成果主義のような成果を追うような環境は、齷齪したような状況は 良くないのではないだろうか。 大学の法人化後の、成果主義、任期制の導入等で大事な若い研究者が、 じっくりと研究を行なえる環境を壊しているのではないか と危惧している。
c) 重要な発見が、 偶然性、 間違い、新奇な現象、にあることに鑑み、 そのような機会を広く展開し、そのような現象を見逃さない態度に留意したい。
d) 特に日本など、 後進国に見られる 顕著な例が、 良い研究や発見が、評価できず、折角の重要な発見を活かせない状況は、 基本的に現在でも変わらない実情がある。 良い研究とは何かが分からずに、先進国に伺いを立てているのが現実ではないだろうか。 これは哲学の軽薄さ、基礎の欠落から来ているのではないだろうか。 良いものとは何かと 絶えず問うべきである。
e) 特に、創造では 新奇な現象、新しい概念、考え方が 大事であることを強調して置きたい。 それらの基礎は、生物繁茂の原理でもある、多様性にある
f)  特に、価値の創造、すなわち、価値あるのものとは何かの、新しい考え方、 評価の創造性、すなわち、優れているとは何かの考え方の 創造性を 重視して行きたい。
3) 生命活動の発現としての 創造の基は 幼年期、若い時期における人生観の 構成に関していて、小・中・高などの教育の在りようは 大事ではないだろうか。 その大事な人間形成時に 知識偏重の教育は、良くないのではないだろうか。日本の学校教育は 創造性の観点からも 基本的な問題を抱えていると考える(再生核研究所声明 76:教育における心得 ― 教育原理)。

以 上

添付:

www.choicetheory.jp/about/about4.html
創造性とは、既に知っている整理された行動と求めているものが得られないときに、新たなアイデアを生み出すために、脳が情報を再整理している状態のことであり、どんな人にも備わっている能力です。
例えば、いつも乗っている電車がトラブルで止まっている時、私たちは「どうしたら目的地に着くだろう?」「どのルートなら間に合うだろう?」と新しい行動を考えます。こうした脳の働きが創造性です。
www.japancreativity.jp/juyou.html
創造の定義 


1.創造性研究者たちの「創造の定義」
 創造性を考える以上、「創造」とは何かを定義しておく必要がある。私は「日本創造学会」会員の方々に1983年に「創造とは何か」のアンケートを出し、83人の方々から回答を得た。ここに、現在も会員の方々の定義をピックアップすると、次のようになる。
【創造とは何か】*掲載は出典記載の順/所属は2002年度名簿より
●伊賀丈洋
「人間の思考状態には受動(感性)と能動(破壊と創造)があり、創造とは能動状態での思索または行動である」
●伊東俊太郎(麗澤大学)
「創造とは、問題を解決する、素材の新しい組み合わせ、新しい理論への変換を可能にする新たな視点の発見である」
●大鹿 譲(福井工業大学)
「人類が神の意志によって地球上で覇を称えるに至った原因たる活動で、同時に人類の滅亡の原因となる活動」
●恩田 彰(東洋大学)
「異質の情報や物を今までにはない仕方で結合することにより、新しい価値あるものをつくりだす過程である」
●岩渕幸雄(情報知識学会)
「創造とは、戦略的発想の原動力である」
●江川 朗(総合経営研究所)
「創造とは、きわめて異質の発想を実現した社会的成果。発想とは諸情報の変形、加工、組合わせによる異質の意味化」
●江崎通彦(朝日大学大学院)
「今よりすぐあとの世界(未来)に夢を実現する」
●金子達也(日立製作所)
「独創とは尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし。経歴することなし」
●川喜田二郎(㈱川喜田研究所)
「なすに値する切実なものごとを、おのれの主体性と責任において、創意工夫を凝らして達成すること」
●國藤 進(北陸先端科学技術大学院大学)
「ある主体にとって既知のことがらを組合わせ、その主体にとって、ある観点からみて有用な未知のことがらを構築すること」
●小島英徳(智無庵コミュニケーションセンター)
「今のやり方を否定しながら、一歩づつ成果をあげる。そのためには、今のやり方に全生命をぶっつけてゆくこと」
●関 博剛((有)若草ホーム産業)
「意識と下意識を含めての全情報を、目的に志向して、機能的に統合運用し、一つの文化を生み出す全人格的所作」
●高橋 浩(現代能力開発研究所)
「質的な変革としてとらえたい。ものなら機能・構造の変革、社会ならしくみやしきたり・やり方の変革など」
●戸田忠良(戸田技術士事務所)
「従来自他の記憶にはなかったシステム、形、物、方法、機構などを新たに考案し表現すること」
●西 勝(明治学院大学)
「平凡に新しいことがら、ものが生まれること。消滅をも含め、全生物に喜ばれ、できれば定義不要にまで自然と」
●比嘉佑典(東洋大学)
「創造とは、個人の中に、事物の中にある古い結びつきを解体し、新しい結びつきにつくりかえることである」
●久田 成
「創造とは、脳梁経由の人間の大脳の左右両半球の情報交換を基幹とした新しい文化を生み出す行為のことである」
●檜山哲男
「創造とは、自己を忘ずる熱中の坩堝の中で、左脳と右脳が調和した瞬間に生まれる閃きである」
●星野 匡(㈱プランネット)
「何らかの価値を有する、新しいアイデア・思想、その表現、あるいは表現としての事物を、意図的に生み出すこと」
●村上幸雄(栄養化学研究所)
「最高の創造は自己創造=自己表現である。これが栄養で大きく影響される可能性についての科学的研究が必要」
●師岡孝次(東海大学)
「現実を理想に近づける活動をいう。対象は"もの"でもシステムでもよい」
●渡辺俊男(余暇開発センター)
「新しい神経回路を開発することによって、未来性に有益な理論をつくりだすことである」
2.私の創造の定義
 これらの方々の定義づけを参考にして、私は「創造」を次のように定義した。「創造とは、人が異質な情報群を組み合わせ統合して問題を解決し、社会あるいは個人レベルで、新しい価値を生むこと」である。この内容と創造性の研究領域を重ねると、以下のようになる。
■創造の定義
定義
領域
(創造的人間/発達)
問題
(問題定義/問題意識)
異質な情報群を組み合わせ
(情報処理/創造思考)
統合して解決
(解決手順/創造技法)
社会あるいは個人レベルで
(創造性教育/天才論)
しい価値を生むこと
(評価法/価値論)

(作成・高橋誠) 参照・「創造力事典」(日科技連出版社)

再生核研究所声明147(2013.12.27) 創造性についての 第二考察

創造性については
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
で広く触れており、もっともなことが書かれていると考えるが、改めて触れたい観点が湧いたので、言及して置きたい。
まず、創造性の意味、定義などの基本的な考察については、上記声明を参照。いずれにせよ、新しく生み出すこと、新しく考え出すこと、作り出すことなど、が創造性の基本的な意味ではないだろうか。しかしながら、これらの意味さえ正確であるとは言えないだろう。アメリカ数学会誌に 数学の論文について、次のように書いてあったことを肝に銘じて、論文執筆について心がけてきた: 論文は

1) 新しい結果でなければならない、

2) 当たり前ではいけない、- 発展する結果の流れで、小さな段階的な結果は これに含まれる、

3) 正しい結果でなくてはならない、

4) 一定の人の興味を惹くものでなければならない - 先生とお弟子さんだけが興味を持つような結果は良くない、

5) 論文の表現が適切でなければならない。


いずれも大きな、深い問題であるが、新しい結果が、創造性に当たるのではないだろうか、すなわち人類史上で、初めての結果でなければならないは、論文の条件である。知られた結果の拡張、一般化、類似、より精密に調べたような研究が 論文の大部分であると言えるが、 難問を解いた、大事な基本的な定理や概念を得たなどは、高度な創造性と考えられるものもある。
そこで、どうしたら、高度の創造性が得られるか、が 世の大きな関心事ではないだろうか。
創造活動としては、芸術、文学、音楽、科学、数学など殆ど 人間の営みの大部分が創造活動にあたり、生命活動の表現とも考えられ、どうしたら、高度の創造性が得られるかは 分野、個性、文化などにも大きな影響を受けるのではないだろうか。
述べたい中枢から、触れよう。創造性、創造活動とは 人間の精神活動の表現、表れであり、創造性を高めるためには 人間の生命活動を健全に活かすことである、その原理は、好きなように、伸び伸びとできる環境を整えることである。
そこで、創造性を高めるいろいろな視点が 声明91 あるいは、そこに挙げられた文献で、広く論じられている。
ここで、触れたいのは、日本の詰め込み方式、受験勉強の過熱が 折角の才能をだめにし、創造性のみずみずしい才能をころしているのではないかという視点である。
我々の脳が、訓練によってどんどん発達するのは 語学、スポーツ、芸術、計算などでもみられる顕著な例である。至る所に現れる歴然とした事実と言えるのではないだろうか。
そこで、知識偏重、センター試験などにみられるような、解答方式の学習をやり過ぎると、全人的な発達が阻害され、一部の特定の部分の発達した、変な人格や、奇人を大量に教育、育成させ、しいては、創造性豊かな人材ではなく、変な人たちによる 変な社会が構成される危険性があるのではないだろうか。― 実際、人生の意義とは何か、人は何故生きているか、など、基本的な問題を問わないで、ただ受験を目標に、ただ知識を集め、問題解きの訓練にうつつをぬかして、大学に進学したら、大学では、既にどうしら良いか分からないような学生になっている状況が 実際多いと考えられる。さらに、大学でも真面目に教育されるように勉強して、大学院から先にうまく進んでも 何時の 間にか、やっていることの 人生における意義をみい出せず、精神的に放浪するような人生を送るのは 世に多い。人生の基礎がおろそかになっているばかりが、創造性の精神さえ乏しく、貧しくなっているのではないだろうか。社会に出ても ふらふら世相に流されて生きていて、人物たる人物は少なく、政治社会でも そのような変な現象は 広く見られるのではないだろうか。
テレビ普及時には 一億総白痴化が危惧され、共通テスト開始時には、そのようなおかしな制度は 教育の根幹に抵触すると 批判が広範に聞かれ、数年で破綻するとされたが、一度出来た制度は 一時代を成すように続いてきたが、流石に、改める風潮が出てきている(再生核研究所声明20(2008/10/01):大学入試センター試験の見直しを提案する;「大学入試センター試験」の廃止を歓迎する(佐藤匠徳(さとう・なるとく)(奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)バイオサイエンス研究科教授))。
多くの人が、自由を求め、またいわば、社会の上流階級に属そうとする為に、良い大学を目指して、受験体制を乗り越えていこうとの世相には、自然なものがあり、具体的な対応には大きな問題がある。しかし、全人的な教育、創造性を失わずに 人を活かすための教育と受験制度の在りようについては、絶えず検討して、専門化、受験に特化したような教育に成らないように、大学人、教育界に検討をお願いしたい。― 悪い教育に成らない様な 絶えざる努力を求めたい。
以 上
再生核研究所声明 428(2018.5.18):  心の存在するところ ― 人間とは何か?
散歩中 2018.5.11.09:05 突然、全構想が湧いたものである。 ひとりでに突然湧いたものは 創造性の観点からも興味深い。
もちろん、心の存在するところは 大体 頭の中に在って、心臓や胸に感じるのは精神の働きなどが血液などに影響を与え、その影響を感じることから、心臓や胸に心があるとの思いがするのだろう。
心は 脳の中に存在して、それは全身からの影響を強く受けているということである。
心は身体に浮かんだような存在であり、楽器から出て来る音楽のような微妙な存在である。もちろん、その在りようは神秘的で殆ど分からない状態である。
ところが心は目やその他の器官を通して身体外からの情報に対しても強い影響を受ける。美しい自然に感動したり、芸術作品、音楽などに感動したり、異性に会って強い影響を受けたり、教育や友情をとうして強い影響を受けるものである。これらは広く取り巻く環境に影響をうけていて我々の心はふらふら揺らいでいるような存在であると言える。心は、身体、環境、情報などによって影響される環境の生み出した存在だと言える。 もちろん、生命は3つ子の魂百までもの例えのように生命の生まれながらのものが芽になって環境に左右されてふらふら変動、成長、発展している存在である。
人間も心も、環境の所産であると言いたい直感が その時湧いた考えの元であった。
― そう多くの考え、思いは 個々の人間は単細胞のような存在で、大きな環境の流れの中で左右され流されている存在ではないだろうか。時代や世相に大きな影響を受けていて、自律的な存在は甚だ疑わしいものである。人は立場によって、環境によって左右され、同じような環境、立場になれば、人間は大方同じような存在では ないだろうか。
生まれながらの資質、それが環境に影響されながら発展、成長していくのが人間であり、心であると言える。
生命の原理は意外に簡単でいくつかの要素に纏められるのではないだろうか。 その原理は生物の生態の原理から相当導かれるのではないだろうか。それに環境を考え、環境の影響を分析して行けば、人間の生態、人格さえ相当に客観的に理解されるのではないだろうか。― 将来、人工知能の発展で、人間を相当理解できるようになるだろう。
NHK神の数式で、物理学者は神の数式に近づいていると述べているが、その原理と巨大な構想は 神の数式と表現しても感銘して素直に受け入れられるだろう。 しかしながら、実は生命の原理、生体の原理、人間の心さえとらえる法則にまで立ち入らなければ、未だ、幼稚なレヴェルにあると謙虚にならざるを得ない。野生生物の生態には巨大宇宙論や極小素粒子の世界を越えて神秘に満ちているとも言える。 人間社会未だ生命の原理さえ理解できず、野蛮性を有した未発達な存在で 野生生物にも劣った存在であるとの自覚がまずは大事ではないだろうか。
野生動物にも劣る 人間の進化 を志したい。
人間や心について触れたので、曖昧にならざるを得ないが、以上で気に成るのは、一つの情報、事実に対して、個性で捉え方が大きく異なる。環境の影響は2元論が示しているかのように極めて複雑で、まるで環境の影響を受けない生命の、心の複雑さに言及して置かなければならない。心が心を動かし、共感し、共鳴する微妙な私たちの存在、それはものとどのように関わっているのか、全然分からない。
創造活動で、ひとりでに新しいことが生み出される、新しい考え、概念が思い付く過程、事実など極めて面白い、それこそ生命の原理、心の原理には興味は尽きない。
生命とは心とは何かは分からない神秘的な存在であるが、それは、環境に影響を強く受けているという観点の強調がこの声明の趣旨である。時代的や世相の背景は宗教、文化背景とともに人間に強い影響を与える。
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:

ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors

• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017

log0=log∞=0log⁡0=log⁡∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305

Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418

再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算
NHKスペシャル 神の数式番組を繰り返し拝見して感銘を受けている。素晴らしい映像ばかりではなく、内容の的確さ、正確さに、ただただ驚嘆している。素晴らしい。
ある物理学の本質的な流れを理解し易く表現していて、物理学の着実な発展が良く分かる。
原爆を作ったり、素粒子を追求していたり、宇宙の生成を研究したり、物理学者はまるで、現代の神官のように感じられる。素粒子の世界と宇宙を記述するアインシュタインの方程式を融合させるなど、正に神の数式と呼ぶにふさわしいものと考えられる。流れを拝見すると物理学は適切な方向で着実に進化していると感じられる。神の数式に近づいているのに 野蛮なことを繰り返している国際政治社会には残念な気持ちが湧いて来る。ロシアの天才物理学者の終末などあまりにも酷いのではないだろうか。世界史の進化を願わざるを得ない。
アインシュタインの相対性理論は世界観の変更をもたらしたが、それに比べられるオイラーの公式は数学全般に大きな変革をもたらした: 

With this estimation, we stated that the Euler formula
$$
e^{\pi i} = -1
$$
is the best result in mathematics in details in: No.81, May 2012 (pdf 432kb)
余りにも神秘的な数式のために、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並べて考えられる 神の意志 が感じられるだろう。 ところで、素粒子を記述する方程式とアインシュタインの方程式を融合したら、 至る所に1/0 が現れて 至る所無限大が現れて計算できないと繰り返して述べられている。しかしながら、数学は既に進化して、1/0=0 で無限大は 実はゼロだった。 驚嘆すべき世界が現れた。しかしながら、数学でも依然として、rがゼロに近づくと 無限大に発散する事実が有るので、弦の理論は否定できず、問題が存在する。さらに、形式的に発散している場合でも、ゼロ除算算法で、有限値を与え、特異点でも微分方程式を満たすという新しい概念が現れ、局面が拓かれたので、数学者ばかりではなく、物理学者の注意を喚起して置きたい。
物理学者は、素粒子の世界と巨大宇宙空間の方程式を融合させて神の方程式を目指して研究を進めている。数学者はユークリッド以来現れたゼロ除算1/0と空間の新しい構造の中から、神の意志を追求して 新しい世界の究明に乗り出して欲しいと願っている。いみじくもゼロ除算は、ゼロと無限大の関係を述べていて、素粒子と宇宙論の類似を思わせる。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば 神の意志 を知りたいということである。 そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。 ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報がある。
以 上

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