2018年6月19日火曜日

0(ゼロ)の歴史 – ”0”は誰が発明したのか? 2018年6月12日2018年6月13日

0(ゼロ)の歴史 – ”0”は誰が発明したのか?

2018年6月13日

この記事ではこんなことを紹介しています
私達が普段に使っている数字の0(ゼロ)は、昔の人々にとっては想像すらできない数字でした。
0(何もない)という数字の概念は、数学の歴史の中では比較的新しいものなのです。
ここでは、”0″は誰が考え出したのか?どのようにして世界に広まっていったのか?
0(ゼロ)についての面白い歴史を紹介します。
目次
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0(ゼロ)は誰が発見したのか?
0(ゼロ)という数字は、今では誰もが抵抗無く使えるほど世界で共通の概念となっています。
0(ゼロ)とは”何もないこと”を意味します。
何もないことを表現するということは、よく考えると不思議なことをしているような感じがしますが、小学生にもなれば、当たり前のように算数で使っています。

0(ゼロ)という概念は、数学の歴史の中では比較的新しいものなのです。
その概念がはっきりと定まったのは、5世紀のインド数学でだと言われています。
数学の歴史は紀元前2500年(今から約4500年前)以上前から存在しますので、数学という学問が生まれて2000年以上も0(ゼロ)という概念はなかったことになります。

今では、数学に0(ゼロ)は欠かせないものになっており、それのおかげで複雑な方程式が解けるようになったり、コンピュータなどが誕生しました。
ZerOrigIndia財団のPeter Gobets氏は次のように述べています。
「0(ゼロ)は人類の歴史の中で最も革新的な発見の一つです。現代数学と物理学の基礎であり、様々な分野の発展に貢献した概念です。」
ZerOrigIndia財団は、オランダに本拠を置き、0(ゼロ)の起源について研究(ゼロプロジェクト)しています。

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始めの0(ゼロ)の歴史
”ゼロプロジェクト”の調査コーディネーターであるAnnette van der Hoek博士は、”プレースホルダとしての0(ゼロ)”は世界中で発展したそれぞれの文明で独自に発明されたと述べています。
”プレースホルダーとしての0(ゼロ)”とは、0という数字単体ではなく、例えば、

102
のように、数字の中に挟まれたような0の使い方です。

バビロニア人は様々なシステムを開発したシュメール人から”数を数える”というシステムを学びました。
4,000年前から5,000年前に開発されたシュメール人の数を数えるためのシステムは、記号を使って数を表現するものであり、記号と記号の位置関係によってより大きな数字を表します。
現在の数字と同じですね。

「何もない:ゼロの自然史」の著者であるRobert Kaplan氏は、プレースホルダとしての0(ゼロ)の先祖が、空の数の桁を埋めるために斜めの二重の楔形記号が使われた可能性があることを公表しました。
※ただし、この記号がプレースホルダとしての0を表しているかどうかは賛否両論あるようです。「ゼロ:危険なアイディアの伝記」の著者であるチャールズ・セイフは、二重の楔形記号がプレースホルダを表しているとは言えないといっています。

シュメール人の数の表現方法は、アブカ民族帝国を経てバビロニア人に渡りました。
そこには、明らかにプレースホルダーとしての0(ゼロ)が使われていました。
当初、バビロニア人は楔形の数字の表現で、0の場所には空白を残してそれを表していました。
しかし、空白というのは人によって空け方がまちまちで混乱します。
そこで、空の桁を表すために二重の楔形の記号を使ったのです。

しかし、彼らはプレースホルダーとしての0(ゼロ)を発展させましたが、純粋に何もないことを示す数字の0(ゼロ)という考え方はしませんでした。

メソアメリカ文明のゼロ

600年後、バビロンから12,000マイル離れたメソアメリカ文明のマヤ族もまた、紀元前350年頃のプレースホルダーとしての0(ゼロ)を仕様しています。
それは、彼らの正確なカレンダーシステムでプレースホルダーを示すために使用しました。
マヤ文明は、非常に正確なカレンダーを作れるほど熟練した数学者を有したことで有名です。
これほど高度な数学の知識を持っていたマヤ人達でさえも方程式で0(ゼロ)使うことは決して使ありませんでした。

インドでついに0(ゼロ)が数字になった

一部の学者は、数字の0はバビロニア人が生み出し、それをインドへ伝えたと主張していますが、ゼロプロジェクトのメンバーも含めて、多くの歴史学者はインド文明が始めに0(ゼロ)を発明したと信じています。
「古代インドでは、数学的なゼロがそこで発明されたと考えられる数多くの”文化的な証拠”が見られる」とGobets教授は語ります。

ゼロプロジェクトは、同時期に発展した哲学の空虚(物のなかみ、または物事の内容をなす価値、あるいは心のより所が、何もないこと)から、数学的な0(ゼロ)が生じた可能性があると推測しています。
インドで発展した哲学が数学の0(ゼロ)という概念を生み出すのに重要な役割を果たしたのです。
このように考えれば、なぜ他の文明で長い間、0(ゼロ)という概念が生まれなかったのかが説明できます。

始めに0(ゼロ)の概念とその扱いを厳密に定義したのは、インドのヒンズー教徒で天文学者と数学者でもあるブラーマグプタという人物です。
彼は0(ゼロ)を表現するための記号を考え出しています。これが628年のことでした。
しかし、彼は公に0(ゼロ)を発見したことを公表せず、しばらくの間その概念は広まることはありませんでした。

また、インドのグワリオールにある寺院の碑文は0(ゼロ)が記録された最も古い例とされています。
これは、オクスフォード大学の研究によれば、この碑文は9世紀に書かれたものであるということです。

0(ゼロ)が登場するもう一つの例は、バクシャーリー写本と呼ばれる古代インド(現在のパキスタン)の文献です。
その文献は研究者たち1881年にある畑で発見され、9世紀に起源があると推定しました。
しかし、最近の炭素年代測定で、おそらく3年または4世紀に書かれたことが明らかにとなり世界最古の0(ゼロ)が記録されている文献となりました。

オックスフォード大学の数学教授であるMarcus氏は、
「ゼロの概念は今や世界中で使用されており、パソコンなのどのデジタル世界の重要な鍵となる要素です。プレースホルダーとしての0(ゼロ)から進化したバクシャーリー写本で見つかった数字としての0(ゼロ)は、数学の歴史上で最大のブレークスルーの1つと考えます。」
「インドの数学者たちは、後に現代世界にとって基礎となるアイディアの種を植え付けたのは3世紀初期のことでした。 この知見は、何世紀にもわたってインド亜大陸では活発な数学の研究が行われてきたかを示しています。」
と語ります。

0(ゼロ)が世界に広まる

インド文明ではじめに0(ゼロ)の概念が生まれると、後の数世紀に渡って、中国や中東でも0(ゼロ)の概念が定着しはじめました。
773年に、0(ゼロ)はバグダッドに達し、インド文明の0(ゼロ)の表現をマネた記号で0がアラビア数字に加えられました。

0(ゼロ)はスペインのムーア人の征服によってヨーロッパに進出し、イタリアの数学者フィボナッチによってさらに発展しました。
しかし、ヨーロッパの中世の宗教指導者は0(ゼロ)の使用を支持していませんでした。
イタリアではアラビア数字を疑い、法律でゼロの使用を禁止しています。
しかし、商人は0(ゼロ)が非常に便利であることを知っていたため、不法であっても秘密裏に使用し続けました。
それゆえ、アラビア文字の「sifr」は数値を意味するだけでなく「コード」を意味する「暗号」という言葉にもなりました。

その後、1600年代までに、ゼロはヨーロッパ全体でかなり広く使われるようになってきました。
特にヨーロッパ数学で0(ゼロ)に貢献したのは、万有引力でおなじみのアイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツです。
彼らは、デカルト座標系や微分・積分の基礎を作り上げた人物です。
特に、ゼロの概念を使って物理学、工学、コンピュータ、そして経済数学の理論の道を開く微積分の発明は数学の歴史上、もっとも偉大な成果の一つでしょう。

数学の分野だけに限らず、ゼロ(空虚)の概念は、現代物理学の中心にもなっています。
スティーブン・ホーキング博士によれば、宇宙全体は他者の間で「ゼロサムゲーム(すべてのものを足すと0となる現象)」とみなされるといういいます。

このように、インド文明から世界各地に広まった数字と0(ゼロ)の概念は、様々な形で様々な分野で大活躍しているのです。
ゴベッツ氏は、
「こんなに平凡に思える発見が、世界中のすべての人々の生活に驚くべき役割を果たしている例は他にない」
と語っています。
まさに、その通りですね。

まとめ

  • 一つの数字としての0(ゼロ)が発見されたのは、5世紀ごろのインド文明
  • その前からプレースホルダとしての0(ゼロ)は使われていた
  • ゼロは数学の歴史を考えると、比較的新しい概念である
  • 現代の人々の生活はゼロがあるからこそのものがたくさんある
 
 
ゼロ除算の発見は日本です:

∞???
∞は定まった数ではない:
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本


再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日
                                                                                        
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf


再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告


1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0

ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他


ゼロ除算の論文リスト:

List of division by zero:
L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.201....
T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)
T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Submitted for publication).
H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1....
H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.
S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .


Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。

ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか


〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか


〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか

NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか

                                                 
再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて

ゼロ除算の論文

Mysterious Properties of the Point at Infinity

Algebraic division by zero implemented as quasigeometric multiplication by infinity in real and complex multispatial hyperspaces
Author: Jakub Czajko, 92(2) (2018) 171-197
https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.worldscientificnews.com%2Fwp-content%2Fplugins%2Ffiletype-icons%2Ficons%2F16%2Ffile_extension_pdf.pngWSN 92(2) (2018) 171-197
                                                                                                                                             

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上


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