2018年6月23日土曜日

「ビッグバン」=「ブラックホール」=特異点!

NEW !
テーマ:

ビッグバン」=「ブラックホール」=特異点!

物理学や宇宙論では、無数の特異点の中でもとくに二種類が重要視される。

 一つが、ビッグバンと呼ばれる時間の特異点である。
物理学者も含め誰一人として、それが何であるかは本当のところは知らない。
宇宙のインフレーションという概念を考え出したアラン・グースでさえ、「ビッグバン」という言葉は、「実際何が起こったのかまだわかっていないため、つねに暖昧さを抱えている」と言う。

 一方、「ブラックホール」の扱いについては、ブラックホールは、空間の塊が重力の影響で一点につぶれたものであるということで、幾何学者はビッグバンよりは多少成功している。
微小な領域に詰め込まれた質量が超高密度の天体をつくり、その脱出速度が光速を超えて、光を含めあらゆるものを捕らえてしまうのだ。
ブラックホールはアインシュタインの一般相対論から導かれるが、あまりに奇妙な天体であるため、アインシュタイン本人もその存在を否定していた。
考えを変えたのは、カール・シュヴァルツシルトが、アインシュタインの有名な方程式の解としてブラックホールの存在を示してから15年後の、1930年になってからだった。
シュヴァルツシルトもブラックホールの物理的現実性を信じなかったが、現在では、そのような天体の存在は広く受け入れられている。

 天文学者はブラックホールとおぼしき天体を多数見つけ、この主張を裏づける見事なデータを蓄積しつづけてきたが、それらの天体はいまだ謎に包まれている。
一般相対論は大型ブラックホールを完全に十分に記述できるが、その大渦巻の中心へ進み、曲率が無限大である極小の特異点について考えると、その描像は破綻する。
砂粒より小さい微小ブラックホール - 量子力学が関係する領域に含まれる - も、一般相対論では扱えない。
質量が大きく、サイズが小さく、時空の曲率がとてつもなく大きいそのようなミニブラックホールの場合、一般相対論の不十分さが際立ってくる。
そこに助け船を出してくれるのが、一般相対論と量子力学との衝突を処理するために考え出され、それ以降楽しみを与えてくれている、ひも理論とカラビ=ヤウ空間だ。

 一般相対論と量子力学という、二つの名高い物理学の分野のあいだで繰り広げられた論争の中でも、もっとも世間の注目を集めたものの一つが、ブラックホールによって情報が破壊されるかどうかというものだ。

一九九七年、スティーヴン・ホーキングとキップ・ソーンが、ジョン・プレスキルとある賭をした。
賭の対象は、一九七〇年代前半にホーキングが理論的に発見した、ブラックホールは完全には「黒くない」ということの意味合いだった。
ブラックホールは、低いものの、ゼロではない温度をもっており、ある程度の熱エネルギーを保持しているはずだというのだ。
すべての「熱い」物体と同じく、ブラックホールもそのエネルギーを放射して、最後には何も残さず完全に蒸発する。
もしブラックホールの発する放射が完全に熱的であり、そのため情報を含んでいないとしたら、以前にブラックホールの中に蓄えられた情報 - たとえば、のみ込んだ恒星特有の組成、構造、歴史 - は、ブラックホールが蒸発するときに消えてしまう。

 これは、系の情報は必ず保存されるという、量子論の基本教義に反する。
ホーキングは、ブラックホールの場合には量子力学に反して情報が破壊されると論じ、ソーンも同調した。

 しかしプレスキルは、情報は生き残ると主張した。 

 「月曜日に、沸騰した湯の中に二個の氷のキューブを入れ、火曜日にその水分子を詳しく調べれば、前の日に二個の氷のキューブが入れられたのを確認できるはずだ」とストロミンガーは説明する。
現実的ではないが、原理的には可能だ。
別の考え方として、たとえばブラッドベリのSF『華氏四五一度』を一冊、火の中に投げ入れる。
「その情報は失われたと思うかもしれないが、もし無限の観察能力と計算能力があれば、つまり、その火に関するあらゆる事柄を測定し、灰の行き先を追いかけ、「マクスウェルの悪魔」(この場合は「ラプラスの悪魔」)の手助けを借りれば、もとの本の状態を再現できる」と、物理学者の大栗博司は言う。

 しかし、同じ本をブラックホールに投げ入れた場合、ホーキングの主張によればデータは失われる。
一方プレスキルは、以前のへーラルト・トホーフトやレオナルド・サスキンドと同じく、これらの二つのケースに基本的な違いはなく、ブラックホールの放射には、何かとらえがたい形でレイ・ブラッドベリの古典小説の情報が含まれており、理論上はその情報を復元できるという立場をとった。

 科学的決定論の原理という科学の大黒柱の一つが危機に瀕し、関心が高まった。
「決定論」とは、ある特定の時刻において系を記述するすべてのデータが手元にあり、そして物理法則がわかっていれば、原理的には、未来に何が起こるかを決定でき、また過去に何が起こったかを導き出せるということだ。
しかし、もし情報が失われたり破壊されたりしたら、決定論は成り立たなくなる。

 ストロミンガーは次のように言っている。
「量子力学と重力を矛盾なく調和させられると主張していたひも理論にとって、正念場だった。ひも理論はホーキングのパラドックスを説明できるのか?」
ストロミンガーはカムラン・ヴァッファとともに、一九九六年の画期的論文においてその疑問に挑んだ。
問題への入口としては、ブラックホールのエントロピーという概念を使った。
エントロピーは、系のランダムさ、つまり無秩序さの指標だが、系の情報蓄積量に関する意味合いも含んでいる。
ほとんどの系のエントロピーは、体積とともに変化する。

 しかし一九七〇年代前半に、当時プリンストン大学の大学院生だった物理学者ヤコブ・ベッケンシュタインが、ブラックホールのエントロピーは、事象の地平面に囲まれた体積でなく、その地平面の面積に比例すると提唱した。
事象の地平面はいわば「後戻りできない地点」で、時空内のその見えない一線を越えた物体はすべて、重力に屈して容赦なくブラックホールへ落ちていく。
しかし、実際には「地点」でなく二次元の面なので、「後戻りできない面」と考えたほうがいいだろう。
自転していないブラックホール(シュヴァルツシルト・ブラックホール)の場合、地平面の面積はブラックホールの質量だけで決まり、質量が大きいほど面積も大きくなる。
ブラックホールのすべての可能な配置構成を反映したエントロピーが、地平面の面積のみに依存するとしたら、そのすべての配置構成は地平面上に存在していて、ブラックホールに関する情報もすべて地平面上に保存されていると考えることができる。

 このベッケンシュタインの研究と、ホーキングによるブラックホール蒸発の考え方から、ブラックホールのエントロピーを計算するための方程式が導かれた。
いわゆるベッケンシュタイン=ホーキングの公式によれば、ブラックホールのエントロピーは確かに地平面の面積に比例する。
一般相対論によれば、ブラックホールは質量、電荷、スピンというわずか三つのパラメータで完全に記述できるため、ブラックホールがとてつもなく大きなエントロピーをもっているという事実は、まったくの驚きをもって受け止められた。

 一方、エントロピーが巨大だということから、ブラックホールの内部構成には、これら三つのパラメータよりはるかに多い、とてつもない多様さが存在すると考えられる。
ブラックホールの中で他に何が多様でありえるのか?
それを解く鍵はおそらく、ブラックホールをミクロな構成要素に分割することにある。
エントロピーは、同じマクロな特徴を生じさせる、ミクロな状態の配置構成の数として定義される。
その関係をもっと定量的な言葉で述べると、エントロピー(S)は、ミクロな状態の個数の自然対数に等しい。
または、ミクロな状態の個数は e^s に等しい。

 もしエントロピーとミクロな状態の数との関係が、自然界のすべての系のうちブラックホールだけで成り立たないとしたら、その非対称性は深遠で不気味だ。
それらのミクロな状態は「量子化」されており、そのため有限値として数えることができる。
ひも理論には、ストロミンガーが「純粋な重力物体」と呼ぶブラックホールの量子状態が関係している。

 エントロピーを計算するという問題の答えを与えるのは、ひも理論に課せられた義務であり、失敗すれば正しい理論でなくなる。https://blog.goo.ne.jp/sonokininatte55/e/b6be6e6ac1718c389ef9c2d9d4478b90


ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本

God’s most important commandment

never-divide-by-zero-meme-66

Even more important than “thou shalt not eat seafood”
Published by admin, on October 18th, 2011 at 3:47 pm. Filled under: Never Divide By Zero Tags: commandment, Funny, god, zero • Comments Off on God’s most important commandment
http://thedistractionnetwork.com/.../never-divide.../page/4/

1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html

再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12328488611.html

Ten billion years ago DIVISION By ZERO:
https://www.facebook.com/notes/yoshinori-saito/ten-billion-years-ago-division-by-zero/1930645683923690/

One hundred million years ago DIVISION By ZERO
https://www.facebook.com/.../one-hundred-million-years-ago

ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他


テーマ:
The null set is conceptually similar to the role of the number ``zero'' as it is used in quantum field theory. In quantum field theory, one can take the empty set, the vacuum, and generate all possible physical configurations of the Universe being modelled by acting on it with creation operators, and one can similarly change from one thing to another by applying mixtures of creation and anihillation operators to suitably filled or empty states. The anihillation operator applied to the vacuum, however, yields zero.

Zero in this case is the null set - it stands, quite literally, for no physical state in the Universe. The important point is that it is not possible to act on zero with a creation operator to create something; creation operators only act on the vacuum which is empty but not zero. Physicists are consequently fairly comfortable with the existence of operations that result in ``nothing'' and don't even require that those operations be contradictions, only operationally non-invertible.

It is also far from unknown in mathematics. When considering the set of all real numbers as quantities and the operations of ordinary arithmetic, the ``empty set'' is algebraically the number zero (absence of any quantity, positive or negative). However, when one performs a division operation algebraically, one has to be careful to exclude division by zero from the set of permitted operations! The result of division by zero isn't zero, it is ``not a number'' or ``undefined'' and is not in the Universe of real numbers.

Just as one can easily ``prove'' that 1 = 2 if one does algebra on this set of numbers as if one can divide by zero legitimately3.34, so in logic one gets into trouble if one assumes that the set of all things that are in no set including the empty set is a set within the algebra, if one tries to form the set of all sets that do not include themselves, if one asserts a Universal Set of Men exists containing a set of men wherein a male barber shaves all men that do not shave themselves3.35.

It is not - it is the null set, not the empty set, as there can be no male barbers in a non-empty set of men (containing at least one barber) that shave all men in that set that do not shave themselves at a deeper level than a mere empty list. It is not an empty set that could be filled by some algebraic operation performed on Real Male Barbers Presumed to Need Shaving in trial Universes of Unshaven Males as you can very easily see by considering any particular barber, perhaps one named ``Socrates'', in any particular Universe of Men to see if any of the sets of that Universe fit this predicate criterion with Socrates as the barber. Take the empty set (no men at all). Well then there are no barbers, including Socrates, so this cannot be the set we are trying to specify as it clearly must contain at least one barber and we've agreed to call its relevant barber Socrates. (and if it contains more than one, the rest of them are out of work at the moment).

Suppose a trial set contains Socrates alone. In the classical rendition we ask, does he shave himself? If we answer ``no'', then he is a member of this class of men who do not shave themselves and therefore must shave himself. Oops. Well, fine, he must shave himself. However, if he does shave himself, according to the rules he can only shave men who don't shave themselves and so he doesn't shave himself. Oops again. Paradox. When we try to apply the rule to a potential Socrates to generate the set, we get into trouble, as we cannot decide whether or not Socrates should shave himself.

Note that there is no problem at all in the existential set theory being proposed. In that set theory either Socrates must shave himself as All Men Must Be Shaven and he's the only man around. Or perhaps he has a beard, and all men do not in fact need shaving. Either way the set with just Socrates does not contain a barber that shaves all men because Socrates either shaves himself or he doesn't, so we shrug and continue searching for a set that satisfies our description pulled from an actual Universe of males including barbers. We immediately discover that adding more men doesn't matter. As long as those men, barbers or not, either shave themselves or Socrates shaves them they are consistent with our set description (although in many possible sets we find that hey, other barbers exist and shave other men who do not shave themselves), but in no case can Socrates (as our proposed single barber that shaves all men that do not shave themselves) be such a barber because he either shaves himself (violating the rule) or he doesn't (violating the rule). Instead of concluding that there is a paradox, we observe that the criterion simply doesn't describe any subset of any possible Universal Set of Men with no barbers, including the empty set with no men at all, or any subset that contains at least Socrates for any possible permutation of shaving patterns including ones that leave at least some men unshaven altogether.

https://webhome.phy.duke.edu/.../axioms/axioms/Null_Set.html

 I understand your note as if you are saying the limit is infinity but nothing is equal to infinity, but you concluded corretly infinity is undefined. Your example of getting the denominator smaller and smalser the result of the division is a very large number that approches infinity. This is the intuitive mathematical argument that plunged philosophy into mathematics. at that level abstraction mathematics, as well as phyisics become the realm of philosophi. The notion of infinity is more a philosopy question than it is mathamatical. The reason we cannot devide by zero is simply axiomatic as Plato pointed out. The underlying reason for the axiom is because sero is nothing and deviding something by nothing is undefined. That axiom agrees with the notion of limit infinity, i.e. undefined. There are more phiplosphy books and thoughts about infinity in philosophy books than than there are discussions on infinity in math books.

http://mathhelpforum.com/algebra/223130-dividing-zero.html


ゼロ除算の歴史:ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。

An Early Reference to Division by Zero C. B. Boyer
http://www.fen.bilkent.edu.tr/~franz/M300/zero.pdf




10,000 Year Clock
by Renny Pritikin
Conversation with Paolo Salvagione, lead engineer on the 10,000-year clock project, via e-mail in February 2010.

For an introduction to what we’re talking about here’s a short excerpt from a piece by Michael Chabon, published in 2006 in Details: ….Have you heard of this thing? It is going to be a kind of gigantic mechanical computer, slow, simple and ingenious, marking the hour, the day, the year, the century, the millennium, and the precession of the equinoxes, with a huge orrery to keep track of the immense ticking of the six naked-eye planets on their great orbital mainspring. The Clock of the Long Now will stand sixty feet tall, cost tens of millions of dollars, and when completed its designers and supporters plan to hide it in a cave in the Great Basin National Park in Nevada, a day’s hard walking from anywhere. Oh, and it’s going to run for ten thousand years. But even if the Clock of the Long Now fails to last ten thousand years, even if it breaks down after half or a quarter or a tenth that span, this mad contraption will already have long since fulfilled its purpose. Indeed the Clock may have accomplished its greatest task before it is ever finished, perhaps without ever being built at all. The point of the Clock of the Long Now is not to measure out the passage, into their unknown future, of the race of creatures that built it. The point of the Clock is to revive and restore the whole idea of the Future, to get us thinking about the Future again, to the degree if not in quite the way same way that we used to do, and to reintroduce the notion that we don’t just bequeath the future—though we do, whether we think about it or not. We also, in the very broadest sense of the first person plural pronoun, inherit it.

Renny Pritikin: When we were talking the other day I said that this sounds like a cross between Borges and the vast underground special effects from Forbidden Planet. I imagine you hear lots of comparisons like that…

Paolo Salvagione: (laughs) I can’t say I’ve heard that comparison. A childhood friend once referred to the project as a cross between Tinguely and Fabergé. When talking about the clock, with people, there’s that divide-by-zero moment (in the early days of computers to divide by zero was a sure way to crash the computer) and I can understand why. Where does one place, in one’s memory, such a thing, such a concept? After the pause, one could liken it to a reboot, the questions just start streaming out.

RP: OK so I think the word for that is nonplussed. Which the thesaurus matches with flummoxed, bewildered, at a loss. So the question is why even (I assume) fairly sophisticated people like your friends react like that. Is it the physical scale of the plan, or the notion of thinking 10,000 years into the future—more than the length of human history?

PS: I’d say it’s all three and more. I continue to be amazed by the specificity of the questions asked. Anthropologists ask a completely different set of questions than say, a mechanical engineer or a hedge fund manager. Our disciplines tie us to our perspectives. More than once, a seemingly innocent question has made an impact on the design of the clock. It’s not that we didn’t know the answer, sometimes we did, it’s that we hadn’t thought about it from the perspective of the person asking the question. Back to your question. I think when sophisticated people, like you, thread this concept through their own personal narrative it tickles them. Keeping in mind some people hate to be tickled.

RP: Can you give an example of a question that redirected the plan? That’s really so interesting, that all you brainiacs slaving away on this project and some amateur blithely pinpoints a problem or inconsistency or insight that spins it off in a different direction. It’s like the butterfly effect.

PS: Recently a climatologist pointed out that our equation of time cam, (photo by Rolfe Horn) (a cam is a type of gear: link) a device that tracks the difference between solar noon and mundane noon as well as the precession of the equinoxes, did not account for the redistribution of water away from the earth’s poles. The equation-of-time cam is arguably one of the most aesthetically pleasing parts of the clock. It also happens to be one that is fairly easy to explain. It visually demonstrates two extremes. If you slice it, like a loaf of bread, into 10,000 slices each slice would represent a year. The outside edge of the slice, let’s call it the crust, represents any point in that year, 365 points, 365 days. You could, given the right amount of magnification, divide it into hours, minutes, even seconds. Stepping back and looking at the unsliced cam the bottom is the year 2000 and the top is the year 12000. The twist that you see is the precession of the equinoxes. Now here’s the fun part, there’s a slight taper to the twist, that’s the slowing of the earth on its axis. As the ice at the poles melts we have a redistribution of water, we’re all becoming part of the “slow earth” movement.

RP: Are you familiar with Charles Ray’s early work in which you saw a plate on a table, or an object on the wall, and they looked stable, but were actually spinning incredibly slowly, or incredibly fast, and you couldn’t tell in either case? Or, more to the point, Tim Hawkinson’s early works in which he had rows of clockwork gears that turned very very fast, and then down the line, slower and slower, until at the end it approached the slowness that you’re dealing with?

PS: The spinning pieces by Ray touches on something we’re trying to avoid. We want you to know just how fast or just how slow the various parts are moving. The beauty of the Ray piece is that you can’t tell, fast, slow, stationary, they all look the same. I’m not familiar with the Hawkinson clockwork piece. I’ve see the clock pieces where he hides the mechanism and uses unlikely objects as the hands, such as the brass clasp on the back of a manila envelope or the tab of a coke can.

RP: Spin Sink (1 Rev./100 Years) (1995), in contrast, is a 24-foot-long row of interlocking gears, the smallest of which is driven by a whirring toy motor that in turn drives each consecutively larger and more slowly turning gear up to the largest of all, which rotates approximately once every one hundred years.

PS: I don’t know how I missed it, it’s gorgeous. Linking the speed that we can barely see with one that we rarely have the patience to wait for.

RP: : So you say you’ve opted for the clock’s time scale to be transparent. How will the clock communicate how fast it’s going?

PS: By placing the clock in a mountain we have a reference to long time. The stratigraphy provides us with the slowest metric. The clock is a middle point between millennia and seconds. Looking back 10,000 years we find the beginnings of civilization. Looking at an earthenware vessel from that era we imagine its use, the contents, the craftsman. The images painted or inscribed on the outside provide some insight into the lives and the languages of the distant past. Often these interpretations are flawed, biased or over-reaching. What I’m most enchanted by is that we continue to construct possible pasts around these objects, that our curiosity is overwhelming. We line up to see the treasures of Tut, or the remains of frozen ancestors. With the clock we are asking you to create possible futures, long futures, and with them the narratives that made them happen.

https://openspace.sfmoma.org/2010/02/10000-year-clock/

ダ・ヴィンチの名言 格言|無こそ最も素晴らしい存在
 

ゼロ除算の発見はどうでしょうか:
Black holes are where God divided by zero:


ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12348847166.html

再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
再生核研究所声明 417(2018.2.23):  ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
再生核研究所声明 418(2018.2.24):  割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答
再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答

2018.3.18.午前中 最後の講演: 日本数学会 東大駒場、函数方程式論分科会 講演書画カメラ用 原稿
The Japanese Mathematical Society, Annual Meeting at the University of Tokyo. 2018.3.18.
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12361744016.html より

*057 Pinelas,S./Caraballo,T./Kloeden,P./Graef,J.(eds.): Differential and Difference Equations with Applications: ICDDEA, Amadora, 2017. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 230) May 2018 587 pp. 

再生核研究所声明 424(2018.3.29):  レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算


Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。
1423793753.460.341866474681

Einstein's Only Mistake: Division by Zero


ゼロ除算は定義が問題です:

再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志 https://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360/69056435.html

再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?http://reproducingkernel.blogspot.jp/2014/07/201473010000.html


Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。1423793753.460.341866474681

Einstein's Only Mistake: Division by Zero

 

0 件のコメント:

コメントを投稿