2018年4月12日木曜日

「車いすの天才」の人生は、聡明さと茶目っ気に満ちていた ──『WIRED』が見た人間・ホーキング博士

「車いすの天才」の人生は、聡明さと茶目っ気に満ちていた ──『WIRED』が見た人間・ホーキング博士

世界最高の知性のひとりでもあったホーキング博士。身体機能が徐々に失われていったとき、彼はいかにアイデアを整理し、独創的な理論をかたちにしていったのか。博士にインタヴューした『WIRED』UK版のエディターが、彼の卓越した理論、そしてひとりの人間としてのスティーヴン・ホーキングの魅力を振り返る。
わたしがスティーヴン・ホーキング教授と初めて出会ったのは、ある人物の60歳の誕生祝いの会合だった。2004年にインペリアル・カレッジ・ロンドンで開かれた会合の“主役”は、カレッジの理論物理学グループに所属していた高名な科学者、クリス・アイシャムである。
有名な科学者たちのマイルストーンとなる誕生日は、多くの場合は学会を催すことによって祝うのが通例となっていた。わたしの記憶が正しければ、ホーキングはあとから予告なしに登場した。会合の出席者がアカデミックな談義を一日かけて終えたあと、学科のラウンジに姿を現したのだ。
介護の側近たちに囲まれたホーキングは、大きな車いすを操りながら部屋の中央までやってくると、途端に全員の注目の的になった。それはまるで、避けることのできない重力のようだった。
そのころ、彼は自らの声で語る能力をもっていなかった。1985年に気管切開手術を受けたあと、声を失っていたからだ。そして運動能力にも制約があった。彼は車いすに身を任せ、唯一の会話の手段であるハンドクリッカーを使ってコンピューターを操作していた。
彼のところには、たちどころに年配の科学者たちの列ができた。その様子を見ていて、彼らと教授との非常に独特な会話の方法に気づいた。彼らは教授にもたれかかるようにしながら、教授が文章をつくる間にスクリーンを上からのぞき込み、単純なイエスかノーで答えられるように質問を再構築し、反応を教授の表情から読みとっていた。
当時のわたしは博士課程の学生で、宇宙学者のジョアン・マゲイジョのもとで学んでいた。部屋にいた若い学生たちにとって、初めてホーキングに出会ったときの印象は、決して色あせることのない魅惑的な瞬間だった。

博士が若者たちに及ぼした影響

われわれが大学院に進んだ理由の大半は、なんといっても彼だった。わたしは多感な15歳のときに、ホーキングの著書『ホーキング、宇宙を語る(原題:A Brief History of Time)』を苦労して読んだ。ほとんど何も理解できなかったが、そこに描かれていた奇妙な、想像上の、計り知れない宇宙に心をとらえられたのだ。
それは宇宙ひもやブラックホール、余剰次元、そして時空旅行からできていた。それらのアイデアのなかに、実験的に確証されているものは非常に少ないことが明白だった。だが、わたしの同僚たちが確実にそうであったように、わたしにも奇妙な影響を与えていた。それがあまりに魅惑的に感じられたので、もはやそれは真実でなければならなかったのだ。こうしてわたしたちはそのエキゾチックなコンセプトにとらえられ、研究に傾倒した。
ホーキングは1965年にケンブリッジ大学の博士課程の学生だったとき、若い数学者だったロジャー・ペンローズのアイデアに夢中になった。ペンローズは、もしある一定以上の重さをもつ星が自身の重力によって破裂すると、それはブラックホールという、たとえ光でさえも逃れられないものに変わるという理論を立てた。
ブラックホールの中心には、無限の密度をもつ時空の一点である特異点が存在する。ホーキングはこれとまったく同じ観念を使い、宇宙全体に当てはめ、時間を逆流させ、宇宙全体が特異点から始まったのだと予測した。
この理論を、のちにホーキングは博士課程の論文『膨張する宇宙の性質(Properties of Expanding Universes)』として公開した。やる気がないとみられていた若い学生の将来が、ここから始まったのだ。

「紙と鉛筆」を失って身につけた卓越した能力

またそれは、長くても2年しかもたないと医師たちに宣告されていた将来であり、人生であった。ホーキングはそのとき、全身の筋肉が徐々に動かなくなる筋委縮性側索硬化症(ALS)の初期段階に入っていたのである。
134ページに及ぶ博士論文は、彼の聡明な知性による著作の始まりだった。それと同時に、すでに弱っていた彼の手でペンを持って署名できた最後の機会のひとつだったのであろう。
理論物理学者の多くにとって、紙と鉛筆は科学を探求するうえで究極のツールと言える。手の自由を失うことは、能力を失うに等しい。だがホーキングは、その繊細な運動能力が失われたとき、揺るがない落ち着きをもって適応していた。
彼は複雑な演算や長い数式に関する優れた記憶力を発揮し、まるでモーツアルトが交響曲を頭のなかで作曲していたように、頭のなかで宇宙を“観測”していたのだ。そして、それを強みへと変えていった。
当然のことながら、アルバート・アインシュタインは相対性理論の基礎の大部分を、独創的な思考実験の末につくり上げた。そうした思考実験を、ホーキング博士はまったく新しいレヴェルにまで引き上げたのだ。
「手の自由を失って数式を書けなくなるにつれて、彼は幾何学的かつ形態的なイメージを頭のなかに描き出す能力を歴史上の誰よりも発達させ、問題解決できる力を身につけたのです」と、ホーキングの長年の協力者で友人であったキップ・ソーンは語る。「それによって彼は、ほかの誰も見ることができないものを見られるようになりました。それは、彼の多くの発見の礎となっています」

「まるでゴミ」と一蹴された理論

そして、その発見はさらに“遠い”地点にまで及んでいった。
ホーキングは、アインシュタインの一般相対性理論のような非常にスケールの大きい法則と、量子物理学ような非常にスケールが小さい法則を融合させた最初の人間のひとりだった。彼はブラックホール付近にある量子がどのように振る舞うのかを考え、ブラックホールが熱放射のかたちで放射能を照射すると推測した。
これはのちに「ホーキング照射」と名づけられた。この理論は、ブラックホールが放射能を照射すると、蒸発するところまで縮小していくことも示唆した。それは当時の常識を覆すようなアイデアだった。ホーキングがカンファレンスで彼のアイデアを発表したとき、腹を立てた司会進行役は「悪いが、これは完全にゴミのような理論だね」と、彼に告げたのだという。
その後も重要な発見がいくつも続いた。80年代にホーキングは銀河について、宇宙初期の熱の不規則性から誕生したのだと説明した。それはのちに、宇宙の爆発的な膨張に伴って拡大していったのだという。90年代、彼はブラックホールにおける情報の喪失という本質的な問題と格闘した。結果的に彼は、いくつもの有名な“賭け”に負けることになった。

逆境を乗り越えていった強い意志

一連の貢献からひとつを挙げても、ホーキングをこの時代において最も影響力のある理論物理学者のひとりであると言っていいだろう。しかし、彼を真に偉大な人物にしたのは、彼が目の前の逆境を乗り越えながら成果を生み出してきたという事実である。
「わたしは彼のケンブリッジの自宅を訪れ、一晩を過ごしたことがあります」と、ペンローズは振り返る。「スティーヴンはベッドに行くとき、すべて自分でやり遂げようという固い決意をもって、階段をはい上がって行きました。それには20分かかりましたが、だからといって決して怖じ気づいてやめようとはしなかった。彼はわたしが知るなかで、最も強い意志をもった人物のひとりでした」
ホーキングの人生すべてが離れわざだった。毎日が生命の維持に必要な複雑かつ計画的な作業の連続だったが、それを彼は介護者たちの助けを借りながら、その純粋なる個性と独特な茶目っ気をもって乗り越えてきた。
「ケンブリッジでよく語られていたんだが、スティーヴンがどのくらいの頻度で車いすで人をひくのか、というジョークがあったんだ」と、宇宙学者のマゲイジョは笑った。「あるとき彼はわたしを廊下で本当にひいてしまって、彼のひざに倒れこんでしまったことがあるよ」

ホーキング、“最後”の微笑

ホーキングの頭の深い次元へと最も近づくことができたのは、有名なドキュメンタリー監督であるエロール・モリスかもしれない。モリスはドキュメンタリー映画『A Brief History of Time』を、スティーヴン・スピルバーグのサポートを受けて撮影した人物だ。
ドキュメンタリーの撮影中、ホーキングのケンブリッジ大学のオフィスを再現したセットで、マリリン・モンローの写真数点を含む写真のひとつが壁から外れた。ホーキングは「A fallen woman(落ちた女性)」とタイプした。
それを見て、モリスはこう言った。「あなたがなぜマリリン・モンローに引きつけられるのか、ようやく分かりましたよ。彼女はとても賢い人だった。人々は彼女の知性よりスタイルに喜んでいましたけれどね」。ホーキングはモリスにとても不思議そうな表情を見せたのちに、「イエス」と言った。
モリスは彼の有名な著作を、多くの人間が受け止めていたように「物理学者の最高傑作」としてではなく、自叙伝的な投影だと解釈していた。ホーキングがブラックホールのことを、基礎的な法則に支配されたほかの世界から隔離された宇宙の一部であると記したことについて、モリスは彼が自身の体の内面の状態について語っていたと考えていたのだ。
わたしがホーキング教授に会う名誉にあずかった最後の機会は、2017年の暮れのことだった。高名な理論物理学者の若い熱烈なファンとしてではなく、ジャーナリストとして取材するのは奇妙な体験だった。
このときホーキングは顔の筋肉を動かす能力の一部を失っており、手は完全に動かなくなっていた。彼のハンドクリッカーは、頬の筋肉を動かすことで起動できる赤外線センサー付きの眼鏡に置き換えられていた。そこから、彼のたったひとつの筋肉が、世界で最も魅力的な頭脳と外の世界とのコミュニケーションの架け橋である、ということが理解できた。
そのとき、わたしは『WIRED』UK版の特集で彼を取材し撮影するために、英国人写真家のプラトンと一緒だった。『WIRED』の特集の取材は、ホーキングにとって2度目の経験だった。
"Remember to look up at the stars and not down at your feet."

Enjoy this excerpt from a talk titled 'A Brief History of Mine' given by Stephen Hawking in 2016.

ホーキング博士が亡くなったあとに『WIRED』UK版がTwitterに投稿した動画には、特集のために写真家のプラトンが撮影した博士の写真が使われている。再生すると合成音声による博士のメッセージを聞くことができる。
プラトンは、バラク・オバマからウラジーミル・プーチンまで、さまざまな人物の写真を撮った有名なフォトグラファーである。それでもなお、彼はこの撮影に興奮を隠せずにいた。
これがスティーヴン・ホーキングとの最後の記憶である──。
ホーキングは車いすに座り、看護師やアシスタントに囲まれていた。プラトンは脚立に支えられながら、完璧なクローズアップを撮るために寄っていった。
プラトンは「素晴らしい!」とカメラのシャッターを切りながら叫んだ。「美しい! 教授、あなたは王様だ! あなたこそが王様だ!」
そして、教授の顔には笑みが溢れた。https://wired.jp/2018/04/11/stephen-hawking-obituary/

ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所

再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答
ゼロ除算に 興味を抱いている方の 率直な 疑念です。大きな国際会議で、感情的になって 現代の数学を破壊するもので 全く認められないと発言された方がいる。現代初等数学には基本的な欠陥があって、我々の空間の認識は ユークリッド以来の修正が求められ、初等数学全般の再構成が要求されていると述べている。それで、もちろん、慎重に 慎重に対応しているのは当然である。
本来 数学者は 論理に厳格で 数学の世界ほど 間違えの無い世界は無いと言えるのではないだろうか。 実際、一人前の数学者とは、独自の価値観を有し、論理的な間違いはしない者である と考えられているのではないだろうか。2000年を越える超古典的な数学に反した 新しい世界が現れたので、異常に慎重になり、大丈夫か大丈夫かと4年間を越えて反芻して来た(再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて)。 そこで、ゼロ除算の成果における信頼性を客観的に 疑念に対する回答として纏めて置こう。これらは、貴重な記録になると考えられる。
まず、研究成果は 3年半を越えて、広く公開している: 
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/  関連情報を公開している
ゼロ除算の研究は、内外の研究者に意見を求められながら共同で進め、12編を越える論文を出版確定にしている。日本数学会では6期3年間を越えて関係講演を行い、成果を発表して来た。 またその際、ゼロ除算の解説冊子(2015.1.14付け)を1000部以上広く配布して意見を求めてきたが、論理的な不備などはどこからも指摘されていない。ここ4年間海外の関係専門家と250以上のメールで議論してきた(ある人がそう述べてきた:2018年2月27日 18:45 Since then I have received about 250 messages from you about it. Unbelievable! :2018年2月27日 18:45)が 論理的な不備は指摘されなく、関係者の諒解(理解)が付いていると判断されている。逆に他の理論については 全て具体的に批判し、良くないと述べている。50カ国200名以上参加の大きな国際会議に 全体講演者として招待され、講演を行い、かつ論文がその会議禄に2編Springer社から出版される。公開していたゼロ除算の総合的な研究著書原案154ページに対して、イギリスの出版社が出版を勧め、外部審査、社内審査を終えて、著書の出版を決定している。
ゼロ除算を裏付ける知見は 初等数学全般から700件を超え、公開している。共著者として論文執筆に参加している人は、代表者以外内外8名である。
以上の状況は ゼロ除算の数学的な信用性を裏付けていると考えるが、如何であろうか。 
以 上

2018.3.18.午前中 最後の講演: 日本数学会 東大駒場、函数方程式論分科会 講演書画カメラ用 原稿
The Japanese Mathematical Society, Annual Meeting at the University of Tokyo. 2018.3.18.
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12361744016.html より

再生核研究所声明 417(2018.2.23):  ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。何事始めが大事ですから、この意味が分かるように 次で詳しく解説されている部分を編集して、分かり易く説明したい:

ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
前回の声明、再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
それ以前のこととして、今回はより基本的なことを述べたい。
12割る2は6、12割る3は4、12割る4は3、12割る6は2です。 12割る5は、商は2で余りは2で、12割る7は 商は1で余りは5です。これらを、普通、12/2=6,12/3=4,12/4=3,12/6=2 と分数で表現し、後半のように割り切れないときは 余りを表現したり、少数点以下割り算をどんどん 続けて行く場合などいろいろな考え方、表現があります。ここでは、簡単な場合として 自然数、1、2、3、4、、、、 の場合を考えましょう。
割り切れるときには、次の等式が成り立つことが大事です:
2X6=12, 3X4=12, 4X3=12, 2X6=12.
実際、12割る3を考えるとき、12の中に3が いくつ有るかと考え、3に何を掛けたら12になるかと考えるのではないでしょうか。ここには少し難しいところが有って、計算機などは決まった考えしかできないので、12から3を次々に引いて何回引けるかと考えれば、何時でも決まった考え方で割り算の商を求めることが出来ます。前半の考えは掛け算の逆を考えて、後半は引き算を何回やっての考え方ですから、前半の考えには感覚、予想などが必要であって、難しいですが、引き算の繰り返し(除いていく計算、除算)をただやればよいのですから、簡単です。計算機はこのようにして 割り算を実際行っています。
ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えるのですから、上記の場合、割る数、2,3,4,6のところでそれらがゼロだったらどうなるかと考えること、それがゼロ除算です。 ゼロで割ることを考えることです。
掛け算の逆で考える方法では、ゼロに何を掛けてもゼロですから、例えば、100/0は 0Xa=100 を探したいと考えても、0Xa =0 ですから、できない、存在しないということになってしまいます。そこで、現代数学では ゼロで割ってはいけないと教えられています。 数学界では2000年を超えた定説です。問題は、世の中には、分母がゼロになる公式が沢山現れて、分母がゼロになる場合が問題になります。
例えば、理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。(r^2は rの2乗の意味)。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば無限大か? 無限大とは何か、数か? その意味が不明であるという点である。
そもそも足し算、掛け算の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta598 – 668?インド数学者天文学者によって、628に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも大事な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな意義、影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0  0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の我々の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と神秘的な問題は、アインシュタインの人生最大の関心であったという言葉に象徴される。

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、あるいは軽ろんじて、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたことは 実に奇妙、実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。ゼロ除算は至るところに見られると言っても良いほどです。
ゼロ除算を発見して議論を広く議論して間もなく、道脇愛羽さん当時6歳と緩まないネジで 有名なお父さん道脇裕氏たちは、3週間くらいで何でもゼロで割ればゼロであるとの驚嘆すべき発見に対して、理由を付けてそれは自明であると述べてきたのは 実に面白いことです。多くの専門家が、2、3年を越えても分からないと言っている経過を見ると本当に驚きです。
100/0 を100 から 0を何回引けるかと考えると、0を引いても100 は減りませんので、引いたとはいえず、減らすという意味で引ける回数はゼロ、したがって100/0=0 そして、余りが100であるとしました。 私たちは、割り算の意味を拡張して、ゼロ除算は拡張された分数の意味、割り算で 何でもゼロで割ればゼロであるという理論を数学的に確立させました。
1300年間も 創始者の考えを間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智への愛、良心から、熱い想いが湧いてくる。 ― 1300年も前に、創始者によって、0/0 = 0 とされてきたのに それは間違いだとして、現在も混乱しているのは、まずいのではないでしょうか?
できない不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。
また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。
ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。
ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。
この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。

内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。
以 上

再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。この意味が分かるまでは、 次には進めませんので、興味があれば、 次で解説されている最初の方を参照してください:
                                                                                                            
ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
できない不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。
また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。
ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。
ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。
この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。

内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。
以 上

再生核研究所声明 422(2018.3.27): 数学界の歴史的な恥と恥の上塗り ー ゼロ除算の見落とし と 固定観念
ゼロ除算発見4周年を契機に、結構内外の意見を広く求め、日本数学会2018.3.18(東大駒場)でも真正面から問題を明らかにした。関係分科会にメーリングリストを用いて、3月15日群馬大学での公開の研究集会を案内し、論理の展開、認識の適否を検証する形で、予告し問題点を明らかにして研究集会と学会に望んだ。
案内は結構刺激的なものであったと見られよう:
メーリング登録者各位(2018.2.14):
下記のように研究会を企画して頂けることになりましたので、ご案内します。ゼロ除算は別格慎重に研究を進めていますが、次のように表明している認識、その是非などを検証したいと思っています。何でもご意見など頂ければ誠に幸いです:
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点ではなくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論も確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開などに、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
しかしながら、奥村博氏の影響を受けて、現在のところユークリッド幾何学への影響が大きいと言えます。我々の空間の認識はアリストテレス、ユークリッド以来の変更が求められている。
敬 具
メーリング登録者各位(2018.3.6):
下記のように研究集会を企画して頂けることになりましたので、ご案内(要旨付)します。ゼロ除算の研究は別格慎重に研究を進めていますが、次のように表明している認識、その是非などを検証したい。何でもご意見など頂ければ誠に幸いです。また、興味、関心を抱いて頂けそうな方に転送などして頂ければ幸いです。
どうぞ宜しくお願いします。 敬具
第1回 ゼロ除算研究集会のご案内
下記のように研究集会を開催しますので、ご案内致します。
日時: 2018.3.15(木曜日).11:00 - 15:00
場所: 群馬大学大学院 理工学府
概要: 始めにゼロ除算の全体について、齋藤三郎群馬大学名誉教授から30分くらい 総合的な報告を受けて、その後、討論を重視する形で進める。昼食を挟んで、討論し、最後に 今後の研究活動について検討する。
参加希望者は、開場の準備、プログラムの検討上 下記にメールにて、届けて下さい:
尚、ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報があります。
(後援:数学基礎学力研究会、NejiLaw、再生核研究) 
 第1回ゼロ除算研究集会基調講演要旨
(日時:2018.3.15(木曜日) 11:00 - 15:00 場所群馬大学大学院 理工学府)
ゼロで割る問題 例えば100/0の意味、 ゼロ除算は インドで628年ゼロの発見以来の問題として、神秘的な歴史を辿って来ていて、最近でも大論文がおかしな感じで発表されている。ゼロ除算は 物理的には アリストテレスが 最初に不可能であると述べていると専門家が論じていて、それ以来物理学上での問題意識は強く、アインシュタインの人生最大の関心事であったという。ゼロ除算は数学的には 不可能であるとされ、数学的ではなく、物理学上の問題とゼロ除算が計算機障害を起こすことから、論理的な回避を目指して、今なお研究が盛んに進められている。
しかるに、我々は約4年前に全く、自然で簡単な 数学的に完全である と考えるゼロ除算を発見して現在、全体の様子が明かに成って来た。そこで、ゼロ除算を歴史的に振り返り、我々の発見した新しい数学を紹介したい。
まず、歴史、結果と、結果の意義と意味、を簡潔に 誰にでも分かるように解説したい。
簡単な結果が、アリストテレス、ユークリッド以来の 我々の空間の認識を変える、実は新しい世界を拓いていること。それらを実証するための 具体例を沢山挙げる。我々の空間の認識は 2000年以上 適切ではなく、したがって 初等数学全般に欠陥があることを 沢山の具体例で示す。
ゼロ除算は新しい世界を拓いており、この分野の研究を進め、世界史に貢献する意志を持ちたい。
尚、ゼロおよび算術の確立者 Brahmagupta (598 -668 ?) は1300年以上も前に、0/0=0 と定義していたのに、世界史は それは間違いであるとしてきた、数学界と世界史の恥を反省して、世界史の進化を図りたい。
以 上
これらの意図はイギリスからの著書出版計画が急速に進み、内容が現代数学の初歩の欠陥を広く指摘し、現在の教科書、学術書の変更を求めているので、慎重に、慎重に対応したいということであった。上記サイトで述べられている要点をまず復習して置きたい。
ゼロ除算 0 / 0 = 0 は 算術の創始者、ゼロの発見者 Brahmagupta (598 -668 ?) によって定義されていたにも関わらず、それは間違いであるとして1300年を超えて続いており、さらに、新たな説、論文が出版されている実におかしな状況にある。しかるに我々は ゼロ除算は既に当たり前であるとして、沢山の証拠を掲げて解説、説得を続けているが、理解は着実に進んでいるにも関わらず、理解は深くはなく、遅々として夜明け前のぼんやりしているような時代であると言える。数学者は、真実に忠実でなければならないのに、数学の研究では、論理には、感情や私情、予断、思い込みを入れてはならないのに、それが、数学の精神であるはずなのに かえって、数学者が予断と偏見、私情に囚われている状況が皮肉にも良く見える。 それは、ゼロ除算の理解が、素人の方の方が理解しやすい状況に現れている。 ― 数学は 絶対的に 厳格な論理でできているはずであるから、基礎が揺るぐはずがないとの信仰、信念を有しているためであろう。しかしながら、人間精神の開放と自由を求めて、非ユークリッド幾何学の出現から、人は大いに学ぶべきではないだろうか。 絶えず、人は何でも疑い、 我は存在しているか と 問うべきである。 ― 人間存在の意義は 真智への愛にある。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。 ― 汝自らを知れ、というソクラテスの言葉は何を意味するだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の進展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
ゼロ除算は 不可能であるとの言明によって数学的には問題は永く封印されてしまった。 しかし、考えて見れば奇妙な事であった。アインシュタインや多くの物理学者が本質的な問題として考察を続けていたばかりか、ゼロ除算回避を意図して、計算機関係者や数学愛好者がともに真摯に追求してきたが、奇妙な議論を世界的に行っていた。 約20名くらいの海外の関係者と交流してきたが、少年期からあるいは何十年も空しい努力をしてきた者がいる。膨大な空しい努力に数学者の責任の感情が湧いて来る。そればかりか、数学全般の欠陥と我々の空間の認識がユークリッド以来おかしい様は、既に歴然であり、世の数学、世界観は天動説のように基本的な間違いが存在する。
そもそも数学は、不可能性に挑戦して、次々と概念を発展させ、可能ならしめてきた輝かしい歴史を有するが、ゼロ除算は盲点として、世界史に汚点を残してきてしまったと言える。いくら何でも算術の確立者の定義を無視して1300年を越えてそれを間違いであるとしてきた事実は、あまりにも酷い歴史として反省させられる。
ゼロ除算は、発見されてまだ4年、今後大きな発展が行われて、現代初等数学の形相は相当に変化して、ゼロ除算発見は世界史上の画期的な事件として記録されるだろう。その歴史の大義を受けて、世界の数学界は 面目一新を図り、数学界の信頼を回復すべきである。
以 上



0 件のコメント:

コメントを投稿