ホーキング博士が、彼の「声」を取り戻すまで ──ムーアとの出会いと、インテルによる開発の舞台裏
2018年3月14日に亡くなった。全身の筋肉が徐々に動かなくなる筋委縮性側索硬化症(ALS)と闘い続けてきた「車いすの天才科学者」は、これまで独創的な宇宙論を発表し続けてきたことで知られる。「WIRED.jp」は、博士の遺した理論や功績などを振り返るべく、特集企画として5本の記事にまとめた。第4弾では、ALSで声を失った博士が「声」を取り戻すまでのストーリーを紹介する。インテル創業者のゴードン・ムーアとの出会いを経て、博士はいかに身体の衰弱と闘いながらコミュニケーション能力を取り戻していったのか。
インテルの共同創業者であるゴードン・ムーアにスティーヴン・ホーキングが初めて会ったのは、1997年のある会議でのことだった。ムーアは、ホーキングがコミュニケーションのために使っていたコンピューターが、AMDのプロセッサーを搭載していたことに気づいたのだ。
そこで彼は、代わりにインテルのマイクロプロセッサーを搭載した「本物」のコンピューターのほうが好ましいのではないか、と申し出た。これをきっかけに、インテルはカスタマイズされたパソコンと技術サポートをホーキングに提供し、2年ごとにコンピュータを交換するようになったのである。
ホーキングは1985年、ジュネーヴにある欧州原子核研究機構(CERN)への出張中に肺炎にかかった。病院で人工呼吸器を取りつけられていた彼は、このとき危篤状態にあった。
医師らはホーキングの生命維持装置を外すべきかどうか、当時の妻のジェーンに尋ねたが、彼女は強く断った。そしてホーキングはケンブリッジ大学のアッデンブルック病院に移り、医師らの尽力によって感染を食い止めることができた。
このとき医師らは、彼が呼吸ができるように気管切開も行った。すなわち、首に穴を開け、気管に管を入れるというものである。こうしてホーキングは、話す能力を失った。それは回復不可能なものだったのである。
コミュニケーションソフト「Equalizer」との出合い
ホーキングはしばらくの間、スペリング用のカードを使ってコミュニケーションを図っていた。眉の上げ下げによって辛抱強く文字を指し示し、単語から文章をつくりだしていったのだ。
ホーキングとともに新しいコミュニケーションシステムの開発に取り組んでいた物理学者のマーティン・キングは、カリフォルニアに本拠を置くWords Plus(ワーズ・プラス)という会社とコンタクトをとった。同社の「Equalizer(イコライザー)」と呼ばれるプログラムは、ユーザーがハンドクリッカーを用いてコンピューター上で言葉やコマンドを選ぶことができるシステムだった。
キングはWords Plusの最高経営責任者(CEO)だったウォルター・ウォルトズと話し、そのソフトウェアを用いてALSを患っている英国の物理学者をサポートできないかともちかけた。ウォルトズは初期ヴァージョンのEqualizerを、ALSによって話すことも書くこともできなくなった義理の母を助けるために開発していたのだ。
「わたしは、その物理学者とはスティーヴン・ホーキング博士でしょうか、と尋ねました。しかし彼は、許可なく名前を出すことはできませんでした」と、ウォルトズは振り返る。「その翌日になって彼は電話してきて、それがホーキング博士であると認めました。そこでわたしは、必要なものなら何でも無償で提供すると申し出たのです」
Equalizerは当初、Speech Plusという会社が開発した音声合成装置に接続されたアップルのパソコン「Apple II」で動作していた。このシステムはその後、ホーキングの看護師のひとりの夫でエンジニアであるデイヴィッド・メイソンによって、車いすのアームに取りつけられるようなポータブルシステムへと改変された。この新システムによって、ホーキングは1分間に15語の速さでコミュニケーションをとれるようになったのである。
「インテルで何とかしていただけないでしょうか」
だが、親指を動かす神経は衰え続けた。2008年には、ホーキングの手はクリッカーを使用できないほど衰弱していた。
当時の彼の大学院助手は、「チークスイッチ」という装置を開発した。この装置をホーキングのメガネに取りつけると弱い赤外線ビームを発し、頬の筋肉の動きを感知するというものだった。
それ以降、ホーキングは1つの筋肉だけを用いることで、電子メールを書いたり、インターネットを閲覧したり、本を書いたり、人と話したりできるようになっていった。それでも、彼の意思伝達能力は衰え続けた。11年には、1分間に1~2語しか発することができなくなっていた。
そこで彼は、ムーアにこんなレターを送った。「最近、わたしのスピーチの入力が、とても、とても遅くなっています。インテルで何とかしていただけないでしょうか」
ムーアは、インテルの当時の最高技術責任者(CTO)だったジャスティン・ラトナーに、問題解決にあたってくれないかと相談した。そこでラトナーは、インテルの研究部門であるIntel Labsから、ヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)の専門家からなるチームを編成した。そして、12年1月8日にケンブリッジ大学で開かれたホーキングの生誕70年記念カンファレンス「The state of the Universe(宇宙の状態)」に派遣した。
「Intel Labsから専門家集団を連れてきました」と、ラトナーは聴衆に向かって語りかけた。「わたしたちは、スティーヴンのコミュニケーションの速さを改善するため、最新のコンピューター技術を実装できないかと慎重に検討していきます。このチームのブレークスルーによって、彼に数年前と同程度のコミュニケーション能力をもたらせるように技術開発を進めたいと考えています」
インテルの精鋭、博士に会う
ホーキングは体調が悪く、自身の誕生パーティーに出席することができなかった。このため数週間後、ケンブリッジ大学の応用数学および理論物理学部の彼のオフィスで、インテルの専門家集団と面会した。5人のチームには、経験技術研究所(Experience Technology Lab)の所長であるホースト・ホーセッカー、先進コンピューティング研究所(Anticipatory Computing Lab)の所長でこのプロジェクトを率いるラマ・ナフマン、そしてインタラクションデザイナーのピート・デンマンがいた。
「スティーヴンは常に、わたしにとってインスピレーションをくれる存在でした」と、自身も車いすを使うデンマンは振り返る。
「わたし首の骨を折って体が麻痺したとき、母は当時出版されたばかりの『ホーキング、宇宙を語る』をくれたのです。車いす生活でも人は素晴らしいことを達成できるのだ、と母は言いました。振り返ってみると、それがいかに予言めいたことだったかと、いまになって思います」
自己紹介を終えたインテルのチームは、彼らがそこにいる理由と彼らの計画についてホーキングに説明した。ホーセッカーが20分ほど話し続けたあと、ホーキングが突如として話し始めた。
「彼は、わたしたちを歓迎し、わたしたちがそこにいることを嬉しく思っていると伝えくれました」と、デンマンは振り返る。「気づかなかったのですが、彼はその間ずっと単語を打ち込んでいたんです。約30語の挨拶を書くのに20分を要していました。わたしたちは全員、その場で立ちすくみましたよ。それは痛切に感じる瞬間でした。これは予想していたよりずっと大きな問題になるのだ、と確信しました」
当時、ホーキングが使っていたコンピューターのインターフェースは、「EZ Keys」というプログラムだった。それはワーズ・プラスによる以前のソフトをアップグレードしたもので、スクリーンに表示するキーボードと、基本的な予測入力アルゴリズムを組み合わせたものだった。
カーソルが列や行に沿ってキーボード上を自動で動き、ホーキングは頬を動かすことによってカーソルを停止させ、文字を選ぶことができた。EZ Keysによってホーキングは、Windowsのマウスを操作し、コンピューターのほかのアプリケーションを使うこともできた。彼は「FireFox」でウェブブラウジングをし、ノートパッドを使って講義を下書きしていた。また、スカイプに使うウェブカメラももっていた。
多くの“無謀”なアイデア
インテルのチームは新しいハードウェアの導入を含め、ホーキングの古いシステムが大きく変わることを想定していた。
「(インテルのCTOだった)ジャスティンは、顔ジェスチャー認識や視線追跡、脳とコンピューターをつなぐブレイン・ コンピューター・インターフェースなどの技術を応用できると考えていました」と、ナフマンは言う。「わたしたちは当初、このような多くの“無謀”なアイデアを提供し、既存の技術をたくさん試しました」
それらの試みは、しばしば失敗した。例えば視線追跡は、まぶたが垂れ下がっていたため、ホーキングの視線を自動で追跡することができなかった。
インテルのプロジェクトの前にホーキングは、脳波を読みとってコンピューターにコマンドを送信できる脳波用電極キャップ(EEGキャップ)を試していた。どういうわけかEEGキャップは、十分に強い脳信号を得ることができなかった。
「スクリーン上に文字をフラッシュさせ、脳の反応を登録するだけで正しい文字を選択できるようにしようと試みたのです」と、ホーキングの大学院助手ジョナサン・ウッドは語る。「わたしが試したときはうまくいったのですが、スティーヴンではうまくいきませんでした。十分に強い信号対雑音比を得ることができなかったのです」
インテルのナフマンも、次のように説明する。「わたしたちが彼を観察し、その懸念に耳を傾けるほどに痛感したのは、彼が本当に求めていたのは意思伝達を速くするための改良だけでなく、コンピューターとよりうまくやり取りするための新しい機能である、ということでした」
デンマンがIntel Labsに戻って数カ月。デンマンらは、実装を考えていた新しいユーザーインターフェイスのプロトタイプについて説明した10分間のヴィデオを用意し、それをホーキングに送ってフィードバックを求めた。
「システムの使用方法を大幅に変えることなく、大きなインパクトを与えそうな改良を考え出したのです」とデンマンは言う。この改良されたシステムには、文字の削除や前の画面に移動できる「戻る」ボタン、予測入力アルゴリズム、タイプしなくても次々に単語を選べる単語予測ナヴィゲーションなどの機能が追加されていた。
完璧主義者ゆえの難題
デンマンによると主な変更点は、ホーキングが抱えていた最大の問題である「キーを間違える」という問題に取り組んだことにあった。「ときどきスティーヴンは、意図していた文字の隣の文字を間違って打ってしまうことがありました」と、デンマンは語る。「彼はキーを打ち間違え、削除し、再び打ち間違え、削除していました。その作業に耐え難いほど時間がかかり、不満を募らせていたのです」
それはホーキングの完璧主義によって、さらに大きな問題になっていた。「彼にとって、自分の思考を正しい方法で正確に表現し、句読点まで正確な位置に打つことは非常に重要でした」とナフマンは言う。「彼は完璧主義者として、十分に忍耐強くあるすべを身につけていました。彼はメッセージの要点を伝えればいいと思っている人ではなく、本当に完璧でありたいと思っている人だったのです」
インテルのチームはキーの打ち間違いに対処するため、パソコンや携帯電話の文字変換で使われているのと同じようなアルゴリズムを使うことにした。入力した「文字」そのものではなく、ホーキングの意図を解釈できるような技術を取り入れたのだ。
「これは強い信念を抱いて厳しい選択をした結果、生まれた操作方法です」と、ヴィデオでは説明されている。「iPhoneが最初に世の中に登場したとき、人々は文字入力の予測変換について文句を言っていましたが、すぐに不信感は喜びの声へと変わっていきました。問題は慣れるのに少し時間がかかり、主導権の一部をシステムに譲る必要がある、ということです。この機能によって入力スピードは高まり、コンテンツそのものに集中できるようになります」
ヴィデオは「これを聞いて、どれだけわくわくしたり不安に思ったりしましたか?」と、締めくくられていた。
72歳にとって複雑すぎた新しいUI
そして6月になって、ホーキングはIntel Labsを訪れた。デンマンとチームのメンバーたちは、彼に当時は「ASTER(ASsistive Text EditoR)」と呼ばれた新しいシステムを紹介することになる。
「あなたの現在のソフトウェアは少し古くなっています」と、デンマンはホーキングに言った。「いえ、とても古いものですが、あなたはそれを使い慣れています。そこで、次の単語を予測する機能を変更しました。思っていたのとは違う文字を打ってしまったとしても、常にだいたい正確な単語を選べるようになります」
ホーキングは、こう答えた。「これは以前のヴァージョンよりも大きな改善ですね。本当に気に入りました」
インテルのチームはホーキングのコンピューターに、この新しいユーザーインターフェースを搭載した。デンマンは正しい道をたどっていると考えていた。そして9月になってフィードバックを受けたが、実際のところホーキングは新しいシステムに適応できていなかったのである。
それは複雑すぎたのだ。例えば「戻る」ボタンや、キーの打ち間違いに対処する機能は混乱を招き、廃止せざるをえなかった。
「彼は世界で最も頭脳明晰な人物のひとりですが、最新のテクノロジーに慣れていなかったことを、われわれは意識していませんでした」とデンマンは語る。「彼にはiPhoneを使う機会が一度もありませんでした。わたしたちは世界で最も有名でスマートな72歳のおじいさんに、テクノロジーとやり取りする新しい方法を教えようとしていたのです」
それでも「拷問」のようだった新システム
デンマンたちは、問題を別の観点から考え直す必要があることを認識した。「わたしたちは伝統的な方法でソフトウェアを設計してしまっていると感じました。言わば巨大な網を投げ、できるだけ多くの魚を捕まえようとするようなやり方です」と、デンマンは語る。「その設計は本来、スティーヴンありきで考えるべきだったのです。つまり、ひとりの個人にレーザーポインターを向ける必要がありました」
こうしてインテルのチームは2012年末、ホーキングがどのようにコンピューターとやり取りしているかを記録するシステムをつくった。そして彼が日常生活でどのようにコンピューターを使うのかを、数十時間にもおよぶヴィデオに記録したのである。
スティーヴンがタイプをする場面。疲れたときにタイプする様子やマウスを使うシーン。ウィンドウを適切なサイズに調整しようとする様子など、あらゆるシーンの録画を「繰り返し見ました」と、デンマンは振り返る。「ときどき4倍速で見たりもしましたが、それでも新しい発見がありました」
彼らは助手であるウッドのサポートを受けながら、ホーキングのコンピューターにもうひとつのユーザーインターフェースを実装した。13年9月のことである。
「わたしはそれで完成だと思いました。これで終わりだと思ったのです」と、デンマンは語る。しかし翌月までに、ホーキングが適応に苦労していることが判明した。「彼のアシスタントのひとりが、それを『ASTERの拷問』と呼んでいたほどです。そのフレーズを聞いて、スティーヴンは笑っていました」
文字入力が不要なシステムの誕生
ホーキングが気に入るヴァージョンをインテルのチームが開発するまでには、さらに数カ月かかった。
最終的にホーキングは、ロンドンのスタートアップであるSwiftKeyの適応型単語予測機能を利用して、1文字を入力してからそのまま適切な単語を選べるようになった。それ以前のシステムでは、文字を入力してから画面の下に移動し、リストから単語を選ぶ必要があった。
「彼の単語予測システムは非常に古いものでした」とナフマンは語る。「新しいシステムはずっと高速で効率的ですが、使いこなすにはスティーヴンを訓練する必要がありました。彼は当初は不満を述べていましたが、その理由をあとになって理解しました。彼は以前のシステムがどの単語を予測するかを理解し、その予測に慣れていたのです」
そこでインテルはSwiftKeyと協力し、ホーキングが執筆した数多くの文書をシステムに登録した。そうすることで、文脈によってはホーキングが文字を打たなくても、適切な単語が示されるようになったのだ。
「例えば『ブラックホール』というフレーズには、タイピングは不要になりました」と、ナフマンは言う。「『the』を選択すると自動的に『black』が予測され、『black』を選択すると自動的に『hole』が予測されるのです」
この新しいヴァージョンのユーザーインターフェイスは、「Assistive Contextually Aware Toolkit」を略して「ACAT」と呼ばれた。そこには、話したり、検索したり、電子メールを打ったりするために、さまざまなショートカットを備えたメニューも備えられていた。
意思を伝えるタイミングをコントロールできるようにする、新しい講義マネージャーも用意された。またミュートボタンによって、音声合成装置をオフにできるという興味深い機能もあった。
「彼は頬でスイッチを操作するので、食事や旅行をするときなどに(意図せずに)ランダムな入力をしてしまうことがあります」と、助手のウッドは言う。「もっとも、彼は無作為に言葉を出すのが好きだったりもします。それはよく起きることで、ときには全く適切でない場合もあります。例えば、ホーキングが無作為に『x x x x』と打ち込んでしまったときに、音声合成装置が『セックスセックスセックス』と声を発してしまう、なんてこともありました」
顎に装着したジョイスティック
ウッドのオフィスはホーキングの部屋の隣にある。それは研究室というより工房に近いものだ。壁際には電子機器や実験的なプロトタイプが山積みになっている。
机の上にはカメラが取りつけられているが、これはインテルと進行中のプロジェクトの一環である。「スティーヴンの顔にカメラを向けて、頬の動きだけでなく、顔のほかの部位の動きを拾おうと考えているのです」と、ウッドは語る。「顎を横や上下に動かすことによってマウスを動かすことができ、さらには車椅子まで動かせるようになるかもしれません。クールなアイデアですが、すぐに実現するのは難しいと思います」
ホーキングが使っている車椅子のメーカーが14年初めに提案した別の実験プロジェクトに、顎に取り付けたジョイスティックで車椅子を操縦できるようにする、というものがある。「それはスティーヴンが非常に関心をもっている点です」と、ウッドは言う。 「問題はスティーヴンの顎とジョイスティックの接触にありました。首を動かすことができないので、ジョイスティックの着脱が難しいのです」
そう言ってウッドは、このシステムに関する最近の実験ヴィデオを見せてくれた。そのなかでは車いすに乗ったホーキングが、何もない部屋を横切るように進んだり止まったりしている様子を見ることができた。「これを見ていただければわかるように、彼は自分で車いすを操作できました。といっても、いくらかではありますが」
自らの「声」への執着
続いてウッドは、ホーキングの音声合成システムの唯一のコピーを搭載した灰色の箱形のデヴァイスを見せてくれた。それはホーキングが、システムを開発したSpeech Plusを1988年に訪問したときに提供された「CallText 5010」という製品である。音声合成装置の中になるカードには、テキストを音声に変換するプロセッサーが内蔵されている。それは80年代に、自動電話応答システムにも使用されていた装置である。
「これらの古いハードウェアに依存しなくてもいいように、わたしはスティーヴンの声のソフトウェア版をつくろうと考えています」と、ウッドは説明する。
それには、当時のSpeech Plusの開発メンバーを探す必要があった。Speech Plusは90年に別の企業に売却されていた。その企業はさらに別の企業に買収され、2001年にScanSoftに買収され、最終的に音声ソリューション大手のニュアンス・コミュニケーションズにわたっていた。
ウッドは同社に連絡した。「彼らは1986年当時のスティーヴンの声を記録したソフトウェアをもっていたのです。それはニュアンスのバックアップテープのなかにあったようです」
ホーキングは、自分の声に強い執着がある。1988年にSpeech Plusが新しい音声合成装置を用意した際には、声が違っていたことから、彼は元の音声に戻すよう求めたほどだ。
彼の声は80年代初めに、マサチューセッツ工科大学(MIT)のエンジニアで、テキストを音声に変換するアルゴリズムのパイオニアであったデニス・クラットによってつくられた。彼はテキストを音声に変換する最初のデヴァイスのひとつである「DECtalk」の開発者である。 彼は当初、ホーキングの妻、娘、そして彼自身の声の録音から、3つの声をつくり出した。
女性の声は「Beautiful Betty(美しいベティ)」、子どもの声は「Kit the Kid(キット・ザ・キッド)」、彼自身の声を基にした男性の声は「Perfect Paul(パーフェクト・ポール)」と呼ばれた。この「パーフェクト・ポール」の声が、ホーキングの「声」となったのだ。
"Remember to look up at the stars and not down at your feet."
Enjoy this excerpt from a talk titled 'A Brief History of Mine' given by Stephen Hawking in 2016. pic.twitter.com/OLoC1s9nhH
- WIRED UK (@WiredUK) 2018年3月14日
ホーキング博士が亡くなったあとに『WIRED』UK版がTwitterに投稿した動画には、特集のために写真家のプラトンが撮影した博士の写真が使われている。再生すると合成音声による博士のメッセージを聞くことができる。
『WIRED』UK版に2014年12月に公開された記事を翻訳編集した。
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