Why the 2017 Solar Eclipse Proves Flat Earth ONCE AND FOR ALL!
「地球は球体である」という説を否定する「地球平面論者」は「日食」をこのように解釈している
2017年8月21日、アメリカでは実に99年ぶりとなる皆既日食が起こり、午前から午後にかけてアメリカ大陸を斜めに横断するように移動することがわかっています。まさに「一生のうちに1度きり」の出来事を見逃すまいと、天文ファンならずとも多くの人の関心を引きつけている皆既日食ですが、この出来事には「地球は平らである」と考えている人たちが自説を証明する出来事として大きな関心を寄せているとのこと。いわば、現代科学の主流である考え方を否定する論者たちということですが、その背景には実は根深いものが横たわっているようです。
What do flat-Earth truthers think is really happening during the 2017 solar eclipse?
https://mic.com/articles/183523/flat-earth-theories-total-solar-eclipse-2017
世紀の一大事となる2017年8月の皆既日食について、ニュースサイト「Mic」におけるチャンネルの一つ「The Future Is Now」に寄稿しているAlexis Kleinman氏は4人の「地球平面論者」に話を聞いています。4人はいずれも、現代の科学が明らかにしている(と言われている)「地球は球体である」という説を否定すると同時に、地球が宇宙の中心にあり、太陽や月、空の星が地球を回っているという「天動説」を信じている人物だったとのこと。
いわば、現代の科学を否定して過去の常識を今も信じる人、ともいえる地球平面論者ですが、その理由は必ずしも宗教的な背景があるとは限らないそうです。地球平面論者には2つのパターンが存在し、「地球は宇宙の中心である」というキリスト教の教えを強く信じている人たちと、宗教とは関係なく「地球は無限の広がりを持つ平面で、その周囲は氷の壁で覆われているという人たちに分かれているとのこと。
What do flat-Earth truthers think is really happening during the 2017 solar eclipse?
https://mic.com/articles/183523/flat-earth-theories-total-solar-eclipse-2017
世紀の一大事となる2017年8月の皆既日食について、ニュースサイト「Mic」におけるチャンネルの一つ「The Future Is Now」に寄稿しているAlexis Kleinman氏は4人の「地球平面論者」に話を聞いています。4人はいずれも、現代の科学が明らかにしている(と言われている)「地球は球体である」という説を否定すると同時に、地球が宇宙の中心にあり、太陽や月、空の星が地球を回っているという「天動説」を信じている人物だったとのこと。
いわば、現代の科学を否定して過去の常識を今も信じる人、ともいえる地球平面論者ですが、その理由は必ずしも宗教的な背景があるとは限らないそうです。地球平面論者には2つのパターンが存在し、「地球は宇宙の中心である」というキリスト教の教えを強く信じている人たちと、宗教とは関係なく「地球は無限の広がりを持つ平面で、その周囲は氷の壁で覆われているという人たちに分かれているとのこと。
このような地球平面論者は、皆既日食の発生によって地球は平面であることが証明される、と主張しています。というよりも、大きく分けて「皆既日食が移動する道のり」と、「影の大きさ」という2つの論点において、地球が球体であるとする考え方にはおかしな点が存在する、と懐疑的な見方を示しています。
◆地球の自転よりも速く移動する皆既日食
皆既日食は、現地時間の朝9時ごろから夕方16時ごろにかけて以下の図のようにアメリカ大陸を西海岸から東海岸にかけて移動します。約4000kmの距離を7時間かけて移動するということで、時速約570kmほどのスピードで皆既日食の影が移動するのですが、その仕組みに地球平面論者は疑問を投げかけています。
ここで論点に挙げられているのが、「地球の自転速度」と「月の地球公転速度」の関係です。地球はほぼ24時間で自転しているのに対し、月はおよそ27日かけて地球の周りを一周しています。これは以下のムービーのCGで描かれているとおり、宇宙のある一点から見れば、例えば日本列島は1日に1回常にその姿を見せることになりますが、月は約27日後にしか同じ場所に戻ってこない、ということになります。
Why the 2017 Solar Eclipse Proves Flat Earth ONCE AND FOR ALL! - YouTube
つまり、27日かけて地球のまわりを回っている月のスピードよりも、高速で自転している地球の表面のほうが速く動いているため、皆既日食の影が地球の自転を追い越すはずがない、というのが、地球平面論者が異議を唱えている部分というわけです。
Stop Believing The Globe Lie! The Earth is FLAT! RT @SARS096: RT @AMassAwakening: #SOLAR #ECLIPSEPROVES #FLATEARTH
しかし、この考え方は物理的に完全に説明可能とのこと。地球の自転によってもっとも高速で移動しているのは赤道直下の地域ですが、そのスピードは時速約1670km。一方の月が地球を公転する速度は、じつに時速約3400km。つまり、月が移動するスピードのほうが地球の自転速度よりも2倍も高速であるということで、この理論は完全に説明されるものになっているとのこと。
◆月の影の大きさが月そのものよりも小さいはずがない
地球平面論者が掲げるもう一つの疑問が、以下の図のように太陽の光を遮って生じる月の影の大きさが、本来の月よりも小さくなるはずがない、というもの。この考え方によると、どう考えても月の影は月よりも大きくなるはずなので、科学者による説明には無理がある、嘘であるという主張につながっています。
しかしこれも、科学的および数学的に容易に説明がつきます。太陽は地球から1億4960万kmという非常に遠い場所に位置する天体ですが、その半径は地球の約109倍にあたる約70万kmとなっており、非常に大きな星となっています。そのため、非常に遠い場所に存在しているにもかかわらず、その光は「点光源」ではなく「面光源」として地球に届いているといえます。そのため、地球表面から観測すると太陽は月よりも大きく見えることとなり、以下の図が示すように月の影の大きさは月そのものよりも小さくなります。
◆地球平面論者がその根底に持っている「疑い」とは
このように、地球平面論者が持つ疑問は科学によって説明がつくものばかりですが、それでもなおその「疑い」は晴れることがないとのこと。Kleinman氏は4人の地球平面論者を取材したのですが、その中で浮かび上がってきたのが「悪魔論」や「陰謀論」というキーワードとのこと。地球平面論者の1人、Charlie Flowers氏は「この世界は堕天使ルシファーを支持するものによって嘘に作り上げられている」とKleinman氏に語ったとのこと。Flowers氏は、この世界の宗教や政治組織は悪魔によってコントロールされていると考えているとのこと。また、悪魔は「地球は平らである」という事実から人々の目を逸らさせており、自分に与えられた役目はそのような人たちを一人でも多く「目覚めさせる」ことだと語ったそうです。
if you sold your soul to satan to "win" the game of life, well...you lost. that's the first trick. We have proven #FlatEarth and God made it
また、天文学者などが「皆既日食を観測する時には太陽を直接見てはいけません」というアドバイスを行っていますが、地球平面論者にとってはこのアドバイスも「本当のことを人々に見せないようにしている」という試みになるとのこと。
現代の科学を信じている人からすれば、もはや滑稽にも思えてくるこれらの主張ですが、Kleinman氏はこの姿をトランプ大統領を支持する人の傾向とオーバーラップすると捉えたとのこと。しかし、地球平面論者からは「私はトランプを支持しないし、彼には投票していないし、ヒラリー(・クリントン)にも投票していない」という意外とも思える考え方が返ってきたそうです。つまり、彼らの背景にあるのは既存の社会に対する不信感である、というのが真相である模様。ある地球平面論者が語った「私を信じてはいけません。私が話していること信じるのではなく、自分で調べること。それが、私があなたにしてほしいことです」という言葉が、その考え方を強く表しているとKleinman氏は締めくくっています。http://gigazine.net/news/20170814-what-flat-earth-truther-think/
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html
再生核研究所声明378 (2017.8.4): マインドコントロール下にあるゼロ除算 ― 強い思い込み
強い教育で異なった考え,対立する見方が受け入れない状況をしばしばマインドコントロールという言葉で表現されている。いくら議論しても分かってもらえない、感性や強い性格の違いとも言える。
ゼロ除算の新しい発見とその反響にそのような印象を強く抱いている。
まずゼロ除算は、代数的にはゼロ除算を含む山田体として、代数的には確定されている。また、十分一般的な状況下で高橋の一意性定理でそれ以外のゼロ除算は有り得ないことが保証されている。しかしながら、具体的な応用や世の中への影響にはゼロ除算算法の考えが大事で、既に広範な具体的な知見が多く挙げられている:
再生核研究所声明 373 (2017.7.17): 高木貞治 「解析概論」の改変構想
再生核研究所声明 374 (2017.7.20):微分方程式論における不完全性と問題
再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
再生核研究所声明376 (2017.7.31):現代初等数学における間違いと欠落 ― ゼロ除算の観点から
特に世の反響の鈍さを指摘するために、上記のように現代基礎数学の間違いと具体的な影響の大きさを簡潔に触れた。しかるに、ゼロ除算はダメだとの印象を持つ者が未だに多いように感じられる状況が存在する。初期から3年以上を経過しても、見解の相違が全然縮まらない状況が相当数の同侶たちの間にも存在する。そこで、その原因について思いを述べておきたい。
まさか、基礎数学の内容や教育、我々の空間の認識の間違いを指摘されて、そのままに出来る数学者はいないだろうと考える。なぜなら、数学者や先生などは 数学の教育と研究に使命感を持ち、それらに喜びと生きがいを見出し、さらに 義務さえ負う者たちだからである。もっとも真理を追求すべき者が逆にデータなどを捏造している社会現象さえ出ているが、それは不祥事の 世に稀なる現象であると考えたい。多くは自分の研究に集中していて、他のことに関心が行かない 状況が見える。
この状況を真面目に直視すると、超古典的な結果に反する結果で、とても信じられない、数学として正しくても とても受け入れられないと発想して、最初から取り合わない、関心を抱かない、ふれない心境ではないだろうか。― 論文や口頭発表でゼロ除算の内容は単純明快であるにも関わらず、そのような状況は 永い歴史と生い立ちからの世界観を変えられない、強いマインドコントロール下にあるような状況のためではないかと考えられる。
この状況における考察を研究仲間で繰り返し話題にしているが、逆に数学の専門家などが理解しにくく かえって素人やそう深い専門家でない人たちの方が ゼロ除算の結果を受け入れ易いという事実を反映させている。専門家は、自分の専門に入りすぎて、専門以外に興味も関心も抱けない状況が広く見られる ― このような余裕のない状況で、良い研究や教育ができるだろうか と 大いに危惧される。人生とは何かの視点からも問題があるように感じられる。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。
人間とはどのようなものかについて、下記も参照:
再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間
― 我々の前提は、大丈夫だろうか。適切であろうか。我々の基礎は適切であろうか。疑い、他の立場は有り得ないであろうか? 基礎の基礎を省察していきたい。それこそが, 真智への愛と言える。
公理系は、変わる可能性があり、いろいろな世界が有り得る。いろいろな公理系を超えて、我々はより自由になり、広い大きな世界を観ることができる。
これは、民族や国家には固有の基礎があり、違えば、違う基礎が有る。人種、性別でも基礎が相当に違い、宗教によっても、学歴や能力、貧富の差や、地域でも基礎について相当な違いが有る。 それらの違い超えて、しっかり背景を捉えて、行こうということを述べている。
さらに言えば、予断、独断、偏見、思い込み、決めつけ、習慣、慣習、それらも時として、省察が必要である。
この声明の背景には 最近のゼロ除算100/0=0,0/0=0の発見がある。 長い間確立されていた定説の変更、新発見である。―
以 上
再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
本年はブラックホール命名50周年とされていたが、最近、wikipedia で下記のように修正されていた:
名称[編集]
"black hole"という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"[1](コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである[2][3][4]。一般には、アメリカの物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない[3]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
世界は広いから、情報が混乱することは よく起きる状況がある。ブラックホールの概念と密接な関係のあるゼロ除算の発見(2014.2.2)については、歴史的な混乱が生じないようにと 詳しい経緯、解説、論文、公表過程など記録するように配慮してきた。
ゼロ除算は簡単で自明であると初期から述べてきたが、問題はそこから生じるゼロ除算算法とその応用であると述べている。しかし、その第1歩で議論は様々でゼロ除算自身についていろいろな説が存在して、ゼロ除算は現在も全体的に混乱していると言える。インターネットなどで参照出来る膨大な情報は、我々の観点では不適当なものばかりであると言える。もちろん学術界ではゼロ除算発見後3年を経過しているものの、古い固定観念に囚われていて、新しい発見は未だ認知されているとは言えない。最近国際会議でも現代数学を破壊するので、認められない等の意見が表明された(再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告)。そこで、初等数学から、500件を超えるゼロ除算の証拠、効用の事実を示して、ゼロ除算は確定していること、ゼロ除算算法の重要性を主張し、基本的な世界を示している。
ゼロ除算について、膨大な歴史、文献は、ゼロ除算が神秘的なこととして、扱われ、それはアインシュタインの言葉に象徴される:
Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
ところが結果は、実に簡明であった:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
しかしながら、ゼロ及びゼロ除算は、結果自体は 驚く程単純であったが、神秘的な新たな世界を覗かせ、ゼロ及びゼロ除算は一層神秘的な対象であることが顕になってきた。ゼロのいろいろな意味も分かってきた。 無限遠点における強力な飛び、ワープ現象とゼロと無限の不思議な関係である。アリストテレス、ユークリッド以来の 空間の認識を変える事件をもたらしている。 ゼロ除算の結果は、数理論ばかりではなく、世界観の変更を要求している。 端的に表現してみよう。 これは宇宙の生成、消滅の様、人生の様をも表しているようである。 点が球としてどんどん大きくなり、球面は限りなく大きくなって行く。 どこまで大きくなっていくかは、 分からない。しかしながら、ゼロ除算はあるところで突然半径はゼロになり、最初の点に帰するというのである。 ゼロから始まってゼロに帰する。 ―― それは人生の様のようではないだろうか。物心なしに始まった人生、経験や知識はどんどん広がって行くが、突然、死によって元に戻る。 人生とはそのようなものではないだろうか。 はじめも終わりも、 途中も分からない。 多くの世の現象はそのようで、 何かが始まり、 どんどん進み、そして、戻る。 例えばソロバンでは、願いましては で計算を始め、最後はご破産で願いましては、で終了する。 我々の宇宙も淀みに浮かぶ泡沫のようなもので、できては壊れ、できては壊れる現象を繰り返しているのではないだろうか。泡沫の上の小さな存在の人間は結局、何も分からず、われ思うゆえにわれあり と自己の存在を確かめる程の能力しか無い存在であると言える。 始めと終わり、過程も ようとして分からない。
ブラックホールとゼロ除算、ゼロ除算の発見とその後の数学の発展を眺めていて、そのような宇宙観、人生観がひとりでに湧いてきて、奇妙に納得のいく気持ちになっている。
以 上
0 件のコメント:
コメントを投稿