2017年8月11日金曜日

SNOWPIECER, O DEL MOVIMIENTO PERPETUO

SNOWPIECER, O DEL MOVIMIENTO PERPETUO

Un tren es lo único que queda en una Tierra congelada por los fallidos intentos de contrarrestar el cambio climático (toma sutileza para los psico-climatológicos). El largo convoy lleva años circundando el globo en una suerte de viaje a ninguna parte, e impulsado este gracias a un motor de movimiento perpetuo el cual es el nuevo dios a venerar.
Película coreano-estadounidense del 2013 inspirada en la novela gráfica francesa “Le Trasperceneige” la cual ya había inspirado un videojuego en 1993 (recomendable y disponible en formato abandonware). Al mismo nivel que Mad Max:Fury road en mensajes subliminales pero injustamente menos venerada, estamos ante una joyita de película cargada de diálogos profundos (el del zapato, el del motor, etc), acción y con una cuidada y bonita estética.
La búsqueda de este movimiento siempre ha sido un hito a conseguir desde tiempos inmemoriables, aunque poco posible de conseguir es…

Movimiento perpetuo

Su búsqueda ha estado presente desde el año 624 a.C., cuando el matemático y astrónomo indio Brahmagupta imaginó una rueda de radios huecos llenos de mercurio. El mercurio se desplazaba con el giro resultando un giro automático, tal como escribió Brahmagupta. De forma más enérgica e insistente en la edad media se buscó la forma de conseguir una máquina con movimiento a coste cero; es decir, que el empuje inicial aplicado hiciera que el movimiento perdurase infinitamente. Esta idea está basada en el principio de conservación de la energía(erróneamente); pero estas máquinas hipotéticas infringirían las leyes de la Termodinámica.
La idea de intentar fabricarlas no tiene sino pocos intentos de materializarlos en complicados engranajes, sino que algunos de sus autores son conocidos por todos; Bernoulli propuso una máquina energética de fluido, Robert Boyle con su mental e imposible “frasco de autollenado” e incluso Leonardo Da Vinci (con un fin distinto) fabricó una máquina basada en pesos y contrapesos para demostrar la imposibilidad de este tipo de movimiento, afirmándo: “Oh!, vosotros, investigadores del movimiento perpetuo, ¡cuántas ideas estúpidas habéis creado en esta búsqueda! Sería mejor que os juntarais con los alquimistas.
De estas máquinas hay dos tipos. Las del primer tipo realizan una cantidad infinita de trabajo sin entrada de combustible ni de ninguna otro trabajo (imagen superior). El segundo tipo convierten el calor en trabajo con una eficiencia perfecta (un motor de eficacia 100%). Los dos tipos son ilusiones e irrealizables.

 

No hay una comida gratis

Parte de una premisa económica que buscaba definir de forma resumida la economía. No existe la comida gratis porque, simplemente, no se puede conseguir algo a partir de nada: algo o alguien, en algún lugar, siempre ha de pagar por ello. Este concepto lo recogieron los físicos, colocándolo como una ley fundamental de la física.
La naturaleza establece que el total de energía de una fuente térmica nunca puede ser transformada completamente en trabajo útil; aunque al revés sí, todo el trabajo se puede convertir en calor.

2ª Ley de la Termodinámica

Definición de Kelvin-Planck: “Es imposible construir un aparato que opere ciclicamente, cuyo único efecto sea absorver calor de una fuente de temperatura y convertirlo en una cantidad equivalente de trabajo”.
La energía ni se crea ni se destruye, se conserva; pero los clásicos que buscaban el movimiento perpetuo no tuvieron en cuenta que la fricción afecta a todos y cada uno de los mecanismos, disipando parte de dicha energía en forma de calor y sonido, por ello crear una máquina de movimiento perpetuo es algo imposible.
El experimento mental de James Clerk Maxwell llamado “El diablo de Maxwell” es una forma sencilla de plasmar esta segunda ley: Una habitación dividida en dos donde en ambos lados hay moléculas frias y calientes, encima de la pared divisora hay un diablo que puede manejar molécula a molécula separando las frias de las calientes con una eficacia del 100%, algo imposible debido a la 2ªLey, pero no para el diablo.

Con este planteamiento se podría pensar que es posible violar esta ley, pero no se ha tenido en cuenta la energía que necesita el diablo para cambiar las moléculas de lado, el movimiento del aire al mover el brazo, la decisión de qué molécula cojer, etc; todo esto serían las pérdidas obligatorias que acarrea/obliga la Termodinámica.

Así en la película considerada aquí descubrimos el “diablo” del motor del tren, que no es sino un pequeño niño el cual es el que “paga”; ya que algo o alguien, en algún lugar, siempre ha de pagar, porque: No existe una comida gratis.
Ahora un descansito, nos volvemos a leer en Septiembre… saludos ;)http://www.scifiworld.es/cine/snowpiecer-o-del-movimmiento-perpetuo.html

興味深く読みました:

再生核研究所声明3572017.2.17Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。

再生核研究所声明 339で 次のように述べている:

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。

                               以 上

追記

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf


再生核研究所声明3712017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html

再生核研究所声明377 (2017.8.3): ゼロの意味について

ゼロ除算について考察を深めているが、それは当然ゼロの意味を究めることに繋がる。 そこでゼロ自身についても触れてきた:
再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか
この要旨は: 
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。
座標系の導入における 位置の基準点を定めること。
複素平面では立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点である。
全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。
再生核研究所声明297(2016.05.19) 豊かなゼロ、空の世界、隠れた未知の世界
要旨は:
微分方程式のある項を落とした場合の解と落とす前の解を結び付ける具体的な方法として、ゼロ除算の解析の具体的な応用がある事が分かった。この事実は、広く世の現象として、面白い視点に気づかせたので、普遍的な現象として、生きた形で表現したい。
ある項を落とした微分方程式とは、逆に言えば、与えられた微分方程式はさらに 複雑な微分方程式において、沢山の項を落として考えられた簡略の微分方程式であると考えられる。どのくらいの項を落としたかと考えれば、限りない項が存在して、殆どがゼロとして消された微分方程式であると見なせる。この意味で、ゼロの世界は限りなく広がっていると考えられる。
このような視点で、人間にとって最も大事なことは 何だろうか。それは、個々の人間も、人類も 大きな存在の中の小さな存在であることを先ず自覚して、背後に存在する大いなる基礎、環境に畏敬の念を抱き、謙虚さを保つことではないだろうか。この視点では日本古来の神道の精神こそ、宗教の原点として大事では ないだろうか。未知なる自然に対する畏敬の念である。実際、日本でも、世界各地でも人工物を建設するとき、神事を行い、神の許しを求めてきたものである。その心は大いなる存在と人間の調和を志向する意味で人間存在の原理ではないだろうか。それはそもそも 原罪の概念そのものであると言える。
発想における最も大事なことに触れたが、表現したかった元を回想したい。― それは存在と非存在の間の微妙な有り様と非存在の認知できない限りない世界に想いを致す心情そのものであった。無数とも言える人間の想いはどこに消えて行ったのだろうか。先も分からず、由来も分からない。世の中は雲のような存在であると言える。

上記2件は、ゼロが基準を表すこと、無限や無限遠点の表現になっていること、消えて行った世界の神秘的な性質を述べている。
ここ3年、広くゼロ除算現象を探してきて発見したゼロの性質として、起こりえない現象不可能性を広く表すことが分かった。
そもそもゼロで割る問題とは、最も簡単な方程式 ax=b をa=0の場合に考える事と解釈できる。一般的に考えられる解(一般逆)として、x=0 が得られると解釈できるが、その心として、神は混乱が起きたとき、元に、基準に戻る、最も簡単なものを選択すると理解できるが、これは、不可能性をも表現していると言える。 これは新しい視点である。b=0 の時の解 x=0はもともとの意味でのゼロであるが、b がゼロでない時の解x=0 は不可能性を表すゼロであると言える。ゼロの2面性を主張したい。不可能性を表す例はゼロ除算の発現を広く探している折に発見された新しい視点である。
無限とは、極限値の概念で捉えられるが、定まった数のようにも扱われている。数としての無限は曖昧である。
ところが、無限大は、無限遠点は ゼロで表されることが発見され、また証明も与えられた、これはゼロ除算から導かれたが、同時にゼロの新しい意味をも受け入れる必要がある。ゼロが不可能性をも表現しているという事実である。
水平方向にx軸、鉛直上方方向にy軸をとる。 原点から,角アルファで初速度v_0
で質点を投射する。最高到達点の高さ、水平到達点までの距離、最高到達点に至るまでの時間など、引力がなければ(g=0の場合を考える)、どんどん飛んでいき無限の彼方まで、これが従来の表現であるが、ゼロ除算では、最高到達点の高さ、水平到達点までの距離、最高到達点に至るまでの時間などは全てゼロで表される。
                                     以 上

再生核研究所声明3392016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタはその中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとしてされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
他方、人間存在の根本的な問題四苦八苦(しくはっく)、根本的な苦 四苦
·         愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
·         怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
·         求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
·         五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦に対する人間の在り様の根本を問うた仏教の教えは人類普遍の教えであり、命あるものの共生、共感、共鳴の精神を諭されたと理解される。人生の意義と生きることの基本を真摯に追求された教えと考えられる。アラブや西欧の神の概念に直接基づく宗教とは違った求道者、修行者の昇華された世界を見ることができ、お釈迦様は人類普遍の教えを諭されていると考える。

これら2点は、インドの誠に偉大なる、世界史、人類における文化遺産である。我々はそれらの偉大な文化を尊崇し、数理科学にも世界の問題にも大いに活かして行くべきであると考える。 数理科学においては、十分に発展し、生かされているので、仏教の教えの方は、今後世界的に広められるべきであると考える。仏教はアラブや欧米で考えられるような意味での宗教ではなく、 哲学的、学術的、修行的であり、上記宗教とは対立するものではなく、広く活かせる教えであると考える。世界の世相が悪くなっている折り、仏教は世界を救い、世界に活かせる基本的な精神を有していると考える。
ちなみに、ゼロは 空や無の概念と通じ、仏教の思想とも深く関わっていることに言及して置きたい。 いみじくも高度に発展した物理学はそのようなレベルに達していると報じられている。この観点で、歴史的に永い間、ゼロ自身の西欧社会への導入が異常に遅れていた事実と経過は 大いに気になるところである。

以 上

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

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